3日目 朝
邸全体に広がるざわざわした空気に、サラディナーサは目を覚ました。
3度目の朝。
ああ、この日が来たなあ、と感慨深く思う。
体を起こすと、隣で寝ていたリーサもぱちりと目を覚ました。
「おはよう、王女様」
「うん、おはよう」
微笑みを交わし、ベッドを降りて仕切りの向こうへ顔を出した。
すでにガラス窓は開け放たれて、部屋は朝の陽と外から入る清々しい空気に満ちている。
今朝もヴァンは長椅子にいた。
ゆったりと背もたれに寄りかかり、ちらりと起きてきた二人に視線をやった。
「二人とも起きたんなら、着替えでもすればー?女が寝間着で男の前をうろうろするもんじゃないだろ」
「えー、今更じゃん!」
リーサはポンと文句を返す。
サラディナーサは少し考えて尋ねた。
「私がここに来た時に着ていた服はあるか?」
「…あるはあるけど、汚れたままだぜ」
ヴァンが眉を寄せて言うのに、頷く。
「構わん。それを今日は着せて欲しい」
リーサに言うと、リーサは少し悲しそうな顔になった。
「わたしがアレンジした服は嫌?」
「そうではないよ、リーサ。ただ客の前に出るには相応しくない」
「客?誰か来るの?」
サラディナーサはリーサからヴァンに視線を移し、フッと笑って言った。
「そろそろ来る頃だ。そうだろう?」
ヴァンは背もたれから身を起こし、珍しく険しい顔を見せた。
「…一体あんたは何を知ってるんだ?」
「何も?ただ、王太子が女王陛下に交渉を持ちかけたとしたら、どういう経緯を辿るか、そういう事は大体わかるんだ」
ふふんと鼻を鳴らして言ってやると、ヴァンは黙った。
「お前のその様子だと、まだ何も知らせは来てないな?」
「…王女様。そうやっていろいろ読み解こうとすんの、ホントやめてくれ。いいから着替えしてこいよ」
ヴァンはものすごく嫌そうな顔で言った。
何かあると察したリーサは、何も聞かずサラディナーサの寝間着を脱がせた。
「包帯ももういらない。取ってくれ」
「‥‥‥うん、わかった」
何か言いたげにしながら、リーサはクルクルと包帯をとる。
両手首の縄のあとは、かさぶたが傷を覆っていて、もう放っておいてよいと思えた。
肩は動かすと痛みが走る、それだけ。
ブラウスと白い上着、パンツ、そしてブーツ。
上着には土汚れと、袖に血のあとがあり、着て気持ちのいいものではなかった。
けれどこの服をまとってこそ自分だ。
「そうだ、リーサ」
サラディナーサはふと気づいて、ブレスレットを自分の腕から外した。
「これをやろう」
「え?なんで?」
「大した値打ちものではないが、まあ、いろいろ世話してもらっている礼だ」
「ええ!?そんなのいいよお」
リーサは本気で断っている様子だったが、サラディナーサはリーサの手をとって問答無用で腕に巻いた。
「こういうブレスレットを私はたくさん持っていてな、世話になった者によく渡すのだ。だからリーサも気にせず受け取り、身につけておけばいい」
「えー、でもお。…うん、ありがとう」
リーサが素直に受け取ったのでサラディナーサはほっとした。
腕輪には石にサラディナーサの印が彫ってある。
それがリーサを守る日が、もしかしたら来るかもしれない。
その後はしばらく、昨日と同じ時間が流れた。
3人で朝食を食べて、その後はリーサがちくちく縫い物をするのを眺めながら、取り止めないおしゃべりをした。
トトン、と部屋の扉で小さな音がして、ヴァンが部屋を出ていく。
そしてすぐに戻ってきて、軽い調子で言った。
「王女様、くつろいでいるとこ悪いけど。ちょぉっと移動してもらいたいんだー」
「どこに?」
尋ねたのはサラディナーサではなくリーサだ。
「ある家に王女様を招待しようと思ってさ。ここから馬車でそんなにはかからない」
ヴァンは、茶でも飲もうぜ、という時と変わらない、軽い口調で言った。
けれどサラディナーサは察した。
すぐにもこの場を離れなければいけないような知らせが来たのだ。
ならばサラディナーサにとっては、この邸に留まっていた方がいい、という可能性が高い。
「せっかくの申し出だが、私はこの邸で満足している。動きたくないなあ」
サラディナーサがとぼけたように言う。
「新しい家もきっと気に入るさ」
「そうか?でも今日は探検の気分じゃないな」
「そこをなんとか、さ」
ヴァンが手を合わせて頼むのを、サラディナーサは鼻で笑った。
「嫌だ、と言ったら?」
「自分の足で歩くか、俺に担がれるか、どっちがいい?」
「おやおや」
サラディナーサは笑う。
「縛って箱に入れるのかと思った」
「俺がいて、そんなことはしない」
「……ふぅん?」
三日前、箱の中で苦痛を味わい、今も痛みが残っている。
もうそんな目には合わせる気はない、というヴァンにサラディナーサは折れることにした。
どちらにせよ、ヴァンがその気になれば、力づくでどうにでもできるのだ。
「仕方ない。哀れな囚人は逆らわず、自分で歩こう」
椅子からわざとゆっくり立ち上がると、リーサも立ち上がって、サラディナーサの左手をとった。
リーサが今の会話で、何を察したのかは不明だけど、その目には強い決意のようなものが浮かんでいる。
こんな風に誰かと手をつなぐのは子どもの時以来だ。
サラディナーサは妙に胸がほっこりして、リーサの手をぎゅっと握り返した。
ヴァンの後をついて部屋を出た。
何も言わず、部屋の前にいた騎士二人が後ろにピタリとつく。
階段を降り、一階の玄関ホールに入ると、揃いの青いマントをつけた騎士たちが慌ただしく動き回っていた。
ヴァンはまっすぐに玄関口に向かい、サラディナーサもリーサと手を繋いだままついていく。
と、開け放たれていた玄関口の向こうから、高い声が響いてきた。
「門を開けなさい!」
サラディナーサは思わず足を止めた。
「まじか。早すぎだろ…」
ヴァンも足を止め呟く。
外から走ってきた騎士が報告を述べた。
「副長、門の前に女性衛兵と思われる女が二人。女王陛下の使者を名乗り、馬上より開門を呼びかけています」
「二人?他は?」
「見える範囲には二人のみです」
再び、外から声が響く。
「王女様がこちらにあられることはすでに把握しています。わたくしたちは女王陛下のお言葉を届けに参りました。悪あがきをせず、門をお開けなさい」
その場全ての騎士の視線がヴァンに集まり、指示を待った。
ヴァンはあー、と頭をかくと、さほど悩む様子を見せずホールに響く声で言った。
「入れてやれ。せっかく堂々と正面から来てくれたんだからな」
その言葉に騎士が一斉に動き出した。
「王女様」
リーサがサラディナーサの顔を覗き込む。
「女王陛下の使者だって。王女様、知ってる声だった?」
サラディナーサは頷いた。
「貴婦人の棟の衛兵頭だ」
「じゃあ、王女様を助けに来たのかな…」
不安そうなリーサの手をぎゅっと握ってやって、サラディナーサは冷静に言った。
「女王の言葉を届けに来た、と聞こえた。だったら助けではないだろう」
「そうなの?」
「おそらくな」
助けであれば、こんな風に使者を名乗らないだろう。
サラディナーサは玄関口をじっと睨み、女王の使者の姿が現れるのを待った。




