2日目 午後
「この邸巡りにどういう意味があったんだ?」
「言っただろう、気晴らしだ」
サラディナーサは平然と答えた。
「それに私は怯えてビクビクしながら部屋に閉じこもっていたくない」
「………そうか」
「そう、それだけだ、他意はない。…お前を困らせたかったから、などとは言わないぞ?」
「いや、言ってるからな!?」
ヴァンのツッコミに、サラディナーサはふふんと笑った。
「私は満足した。知らないところを見て回るのは楽しいものだ。お前には無茶を言ったな」
目を細めて言うサラディナーサに、ヴァンの胸がドキリと鳴った。
もしあんたが俺の元に来るなら、いくらでもなんでも見て回らせてやるさ。
そう言いたくなったが、ぐっと堪える。怒らせることにしかならない。
ヴァンははあ、と息を吐き、肩を竦め、
「王女様に満足してもらえて、あー、良かった良かったー」
とだけ返した。
「ねえねえ!お風呂に入らない?」
昼食のあとどこかに行ってたリーサが部屋に戻って言った。
別の部屋にバスタブとお湯を運び入れ、仕切りで囲んだらしい。
「いい?覗きなんて言語道断だよ?」
「誰がそんなことするか!」
「聞き耳たてるのもダメ!乙女の湯浴みの音なんか聞いたらばちが当たるから!」
廊下でヴァンや騎士たちに言いつけるリーサの声に、感心するサラディナーサだ。
「リーサは騎士たちの扱いに慣れているようだな」
風呂の用意された部屋で、リーサはタオルを並べながら言った。
「うちは代々騎士の家だもん。小さい頃から家にはお父さんの仲間の騎士が集まって、どんちゃん騒ぎが当たり前だったんだよー」
「ふぅん」
代々騎士の家というのは、代々騎士爵を得る者を輩出してきた家ということだ。
貴族家出身ではなくとも、親が騎士であれば子も騎士試験を受けられるし、試験に受かれば、騎士爵を得、給料をもらえる身分になる。
そうやって続いてきたのがリーサの家なのだ。
騎士爵は一応爵位だが、一代限り。子には継げない。土地も貰えない。
騎士爵しか持っていない者は大体の場合、平民の括りに入る。
けれどその平民の家に、大多数が貴族であるはずの騎士たちが集うという。
ずいぶん慕われる父なのだろう。
(そうか、リーサとヴァンはそういう環境で育ったのだな)
平民で、でもそれなりに裕福で、多くの者に慕われる親がいて、子の自由意志が認められる。
兄妹の朗らかで素直な気質はここから来ているのか。
サラディナーサはなんとなく納得する思いがした。
「ではお前の兄も家に習って騎士になったのだな?」
「んー?ヴァンお兄ちゃんはちょっと違う」
リーサに服を剥ぎ取られたサラディナーサはバスタブに足を入れた。
バスタブの中は3分の1ほどのお湯が入っていて、身を浸すと程よくぬくい。
服から腕を抜いたリーサが石鹸の泡を作りながら話す。
「わたしにはヴァンお兄ちゃん含めて、二人の兄と二人の弟がいるんだけどね。もう一人のお兄ちゃんは普通に騎士になったし、弟は商家に婿入りが決まってね。けどヴァンお兄ちゃんだけは、昔っから偉くなりたいとか言っちゃって、兄弟の中で一人なーんか違う感じでね。まだ12歳で、親の承諾もなしに勝手に騎士試験合格しちゃって、それからは全然家に帰ってこなくなったの。と思ったら英雄とかもてはやされちゃって?もう何やってんだろー、て感じ」
リーサは泡立てた泡をサラディナーサにこすりつけ始めた。
「良いではないか、家族が英雄なんて鼻が高いだろう?」
「全然だよ。お兄ちゃんが国境でひとりで戦ってるとか聞かされて、どれだけみんなで心配したか」
「そうか…」
サラディナーサは戦の前線で戦う騎士の家族が家で心配する様を想像してみた。
「リーサとヴァンの家は、ずいぶんと普通の家なのだなあ」
普通が何かも知らないけど、そんな感想が口から出た。
「えー?そりゃ普通だよ?」
リーサはあっけらかんと答えた。
話している間に体は泡で覆われた。
サラディナーサはバスタブの縁に頭をのせて、心地よく身を任せていた。
リーサの手はなかなか荒っぽいが、決して痛みを与えない。
「ねえ、ちょっと真面目な話をしていい?」
リーサが手を止めて、潜めた声で言った。
「今なら誰も聞いてないから」
「いいぞ、なんだ?」
「あのね、わたし今の状況が納得できないの」
「つまり、私がここに囚われてる状況が?」
リーサは頷いた。
「きっとお兄ちゃんたちにもいろんな難しい理由があるんだと思うけど、王女様を誘拐して閉じ込めるのが正しいなんて思えない」
サラディナーサは苦笑した。
「彼らにとっては正義なのかもしれん」
「王女様に辛い思いをさせる正義なんて」
「お前の兄と王太子は、そうしてでも得たいものがあるんだろう。お前はそっち側だと思ったが」
リーサは兄とレアンドーレへの恋心の為に、事情を聞いた上でここに来たはずだ。
今更何を言うのだろう、とサラディナーサは首を傾げた。
リーサはブンブンと首を振った。
「お兄ちゃんもレアンドーレ様も信じられないよ。わたし王女様の味方したい。だって王女様はこんなに優しくて、格好良くて。まだ会って1日だけど、わたし王女様のことすごく好きになっちゃったんだもん」
あまりに率直に言われて、サラディナーサは喜びよりも驚きを感じた。
「リーサ…」
「わたし、どうしたら王女様の助けになれるかわかってないんだけど、できることがあればしたいと思っているの」
リーサはこんな顔もできたのだと思うほど真剣な顔で、サラディナーサを見た。
サラディナーサは泡の浮いた湯に視線を落とし、指先で泡をすくった。
少し考えて、それからゆっくり言う。
「リーサ、気持ちはありがたいが、出来ることなんてないよ。私にもお前にも」
「…王女様は賢いから、逃げる方法とか思いつくんじゃない?」
「まさか。リーサ、お前の兄はふざけた男だが、無能ではないだろう」
「でも…」
「私は大丈夫だよ、リーサ。優しいな」
サラディナーサはつんと指先についた泡をリーサの頬につけた。
泡はうまくピンクの頬に立った。
「王女様、何するの〜」
「こうして初めて宮殿を出て、リーサみたいな子と話せて、良かったと思っているよ。広い空を見れただけでも価値があった。貴婦人の棟を出たら息も出来ないじゃないかと思っていたが、そんなこともなかった」
サラディナーサはリーサを見つめて語った。
そうしてリーサのもう片方の頬にも泡をのせた。
「王女様〜」
「それにな。どうしても許せないことからは、逃げる手段を持ってるんだよ、私は」
「…そうなの?」
「ああ。でもこのことはお前の兄には秘密にしてくれるか?」
リーサはこくこくと頷いた。
ふふふっとサラディナーサは笑って、バスタブにかかったタオルでリーサの泡をとってやった。
「心配しなくても、この茶番劇はあと1日か2日で終わるよ」
「茶番劇…て何?どういう意味?」
リーサがくりくりした目で無邪気に尋ねる。
「この邸でのことは、全て芝居の中の出来事みたいなもの、ということだ。だからリーサ。芝居が終わったら、ああ珍しい経験をした、とでも思って元の生活に戻るんだぞ」
サラディナーサは願いをこめて言った。
邸の一階には風呂の為の部屋があるけど、汚いし、外に通じるドアがあったりするので、使用を断念。
お休み中の騎士たちに3階までバスタブと、大量のお湯を運ばせたリーサでした。というどうでもいい設定。
蛇足。
茶番劇とは意図がバレバレの馬鹿っぽい行動、振る舞いのこと、です!