2日目 昼
(一体、何が狙いだ?いや、ずっと部屋にいれば出てみたくなるのは当然か?)
ヴァンはモヤモヤした気持ちでサラディナーサを見る。
昨日は全てを諦めていたような王女が、今日は何を考えているのかわからない。
諸々を考えると、あまり部屋を出したくない。
けれどヴァンがすべきなのは、王女が逃げないよう見張りながら、快適に過ごせるよう気を配ることだ。
邸の中を見てみたい、くらいの望みは叶えるべきだし、可能な限りの自由を与えてやりたいとも思っている。
ヴァンが足でトンと扉を蹴ると、扉が外から開いた。
扉の前を守っていた騎士が、部屋から出てきた王女を見てぎょっとした顔をする。
「副長?」
なんで王女が部屋から出てくるんだ?
俺たちはどう動けばいいんだ?
そういう諸々が込められた“副長?”にヴァンも肩をすくめるしかない。
「王女様は邸の探検を所望だとさ。俺がついてるから、お前らはこのままで」
そう指示を出した途端、サラディナーサが勢いよく尋ねた。
「ここは“邸”なのか?家でも城でもなく?窓からの景色ではよくわからなかった」
「ん?ここが家か邸か城か?城じゃないのは間違いないが…普通に邸と呼んでたなあ」
ヴァンはない知識を巡らせた。
そんな細かいことには興味がない。
リーサが口を挟んだ。
「城って戦いの時の見張り塔とかあるやつでしょ?で、家って普通の人が住むところでしょ?邸は家より立派で大きくて、偉い人の住むところだと思う」
聞いていた騎士が、そうそうと頷いた。
「ふうん。ここは立派で大きいのか…」
「うん、うちの実家の10倍くらいあるよー」
「おい、リーサ」
何情報ぺらぺら漏らしてんだ、とヴァンが妹を睨むと、このくらいいいじゃん、と妹に睨み返された。
三人と騎士が立っているのは部屋の前の控えの空間だった。
ぽっかりと開いた出入り口から、サラディナーサが外を覗きキョロキョロとした。
「廊下の造りは貴婦人の棟とあまり変わらんな。飾り気はないが。おお、洒落た手すりがある」
サラディナーサが廊下に出てそっちに歩き出したので、ヴァンが急いで続くと、ふいに彼女の手がドアのノブにかかった。
サラディナーサがさっきまでいた隣の部屋のドアだ。
「おい」
止めようとしたがすんでで間に合わず、王女はそのまま思いっきりドアを開いた。
そこは細長く、家具もほとんどない部屋だ。
壁際に置かれた椅子には騎士が二人。
間抜けな顔をして開かれたドアと王女を見ていた。
「お勤めご苦労」
サラディナーサは上司が部下に言うように言った。
「あ、どうも…」
突然声をかけられた騎士たちは咄嗟にどう返せばいいかわからず、椅子から腰を浮かせて中腰になった。
サラディナーサはヴァンの顔をちらりと見て、いたずらっぽい顔をした。
「………?」
ヴァンが眉を寄せると、サラディナーサはニヤニヤして、部屋の騎士に問うた。
「どうだ?私の寝顔は可愛かったか?」
ヴァンはぎょっとした。
「ちょ、王女様…」
部屋の騎士のひとりが焦って言った。
「ええ!?いえいえ!夜は暗くてほとんど見えませんから!」
「おま、ばか…」
ヴァンは思わず目を覆う。
はっと自分の失敗に気づいた騎士が、失敗の重ね塗りをした。
「あ、いえ、違います!この部屋には覗き穴なんてないですよ!?」
場がしーんと静まった。
もうヴァンにもフォロー出来ない。
その沈黙を破ったのは王女のカラリとした笑い声だった。
「ハハハっ。ひょうきんな騎士がいるもんだな!うん、寝顔を見られるのは私であっても少し恥ずかしいからな。見えてないなら良かった」
「あ、あの、すみません…」
隣にいた同僚にどつかれた間抜けな騎士は、誰にともなく謝った。
王女は笑いながらヴァンを振り返って言った。
「ハハッ、怒るな。ちょっとした意趣返しをさせてもらった」
「意趣返し?」
「大人しく囚われているのだから、お前らを驚かすくらい許されるだろう?」
ヴァンは頭を掻いた。
「ずっと気がついてたのか?」
「昨日の昼頃な。でも確信はなかったぞ」
「そういうのは気づいても気が付かない振りをしてた方が有利じゃないか?」
「そうかもしれないが。私には覗き穴で見られていることを逆手に取って何かを出来るような技はないからな。こうして困ったお前の顔を見て気を晴らすのが一番の使い道だ」
リーサが拍手をした。
「すごーい!王女様の勝ち!」
サラディナーサが笑って
「さあ、次へ行こう」と歩き出す。
次ってなんだ。まだ他にも何かあるんじゃないだろうな?
廊下を数歩歩いただけで、ヴァンは後悔し始めていた。
王女を部屋から出したのは、誤りだった気がする。
この王女が好きに動き始めたら、ヴァンは対応出来ないかもしれない。
サラディナーサは嬉しそうな顔でキョロキョロしながら廊下を端まで歩き、適当なドアを開けてみたりする。
「む、埃っぽい…」
「使わない部屋は掃除してない。むやみやたらと開けないでくれ」
ヴァンが疲れたように言う。
なんでこんなに楽しげなんだ。
昨日までは感じられた緊張感がない。
まるで全てを吹っ切ったようだ。
「下の階も行ってみるー?」
「うむ!ここは三階か?」
「そうだよー」
リーサまでが一緒に子どもの探検モードだ。
サラディナーサの一挙一動に神経を張り巡らせながら、お供よろしく付いていく。
階段を降り、二階の廊下も端から端へ歩く。
「二階は何の部屋がある?」
「寝床」
ヴァンがぶっきらぼうに返すと、また無造作にサラディナーサがドアに手を伸ばす。
今度はヴァンの反応が早くすぐにドアを押さえたので、阻止出来た。
部屋の中から
「ん、何だ?」
という声が聞こえる。
「こんな昼間っから寝床にいる者がいるのか?ああ、そうか夜間警護の者か。この邸は四交代制か?」
「誰がそれを教えると思うよ?」
さすが王女は常日頃警護される身分だけあって、警護についてある程度の知識があるのだ、とヴァンは顔を顰めた。
一階は生活に必要な様々な部屋があり、その多くにドアがない。
部屋の前を通れば中が丸見えだ。
調理場で、何を作ってるのか?と後ろから突然声をかけられた料理人はおや、とサラディナーサとリーサを見て、それからヴァンを確認するように見た。
ヴァンが頷いてやると、料理人は
「昼食です。今日はトマトソースの太麺です」
と答えた。
「美味しそう!ね?」
リーサが歓声を上げて、サラディナーサも頷いた。
「ふむ、いい匂いがする。お前はプロの料理人と聞いたが、どこで技術を学んだんだ?」
「首都にちょっとした料理店がありやして、そこでいろいろ教わりやした」
料理人はまな板の野菜を切りながら答える。
サラディナーサがその背に尋ねた。
「料理というのは学べば誰でもできるものか?それとも長い鍛錬や特別な才能が必要か?」
「そのどれもですかね。腹を満たすだけのなら誰でも作れやす。けど質を高めようと思うんなら果てがありやせん」
「王女様、お料理に興味あるの?」
リーサが後ろから尋ねる。
「私が?いや、ただ貴婦人の棟の下女たちの料理の腕が上がらないかと思ってな」
「あー、あんまり美味しくないんだ…」
サラディナーサは苦笑して答えなかった。
会話が気になったのか、料理人が振り返り、
「わしの作ったのはどうですか?美味しいですか?」と尋ねた。
サラディナーサはにっこりして頷く。
「ああ、毎食あまりに美味なので驚いている。…ただ昨日はあまり腹が空かなくてな、残してしまった。悪かったな」
料理人は照れたようにニヘラとした。
「やー。そんなこと言われたん初めてですよ。いえ、大丈夫ですよ。残ったら違う誰かが食べるんで」
「そうか。良かった」
リーサがサラディナーサの後ろから、お昼楽しみにしてるねー!と元気に言った。
次に玄関口に向かう。
ヴァンが警戒を強めていると、サラディナーサはその手前の騎士控え室をひょいと覗いた。
気づいた騎士たちが飛び上がって直立した。
その瞬間、サラディナーサの体が竦んだのをヴァンは見た気がしたが、気の所為だったかもしれない。
「皆、ご苦労だな」
サラディナーサのよく通る声が響いた。
それは俺の台詞なんだが、とヴァンは思う。
「副長、これはどういう状況ですか?」
「王女様はこの邸の探検を所望だ」
「はあ。いいんですか?」
「…やむを得ず」
そんなことを部下と話している間に、サラディナーサは堂々と控え室に入っていく。
リーサもキョロキョロしながら続いた。
サラディナーサは皆に聞こえる声で呟いた。
「控えは三人?意外に少ない…。この邸にいる騎士は全部で40人強というところかな。ふむ、邸の回りにも見回り部隊がいるだろうから全部で…」
「‥‥‥っ、王女様、勘弁してくれ」
ほぼ正解を当てられて、ヴァンはその場にしゃがみ込みたくなった。
ハハハッとサラディナーサがまた笑う。
「私は警衛学も戦術防衛学も齧っている」
「なんで王女様が?」
「王族として当然の嗜みだ」
警衛学も戦術防衛学も軍部を率いる立場なら治めるべき学問だと聞いている。
レアンドーレからも勉強すべきだと前々から言われているが、ヴァンはまだその前段階の勉強に躓いている。
それを学ぶのが王族の嗜み?
いや、さすがに王女が学ぶものではないはずだ。
もしかしてこの王女は王女としても規格外なのでは。
ヴァンはやっとそのことに気づいた。
サラディナーサは三人の騎士をじろじろ見た。
「この邸に来た時から思っていたが、皆若いな。右軍が若い者ばかりということはないはずだが」
「そーいえばそーだね」
リーサが相槌を打つ。
サラディナーサは続けた。
「そうか、王太子が右軍の中で作った自分用の精鋭部隊ということか…」
「おい」
さすがにヴァンは黙っていられず、険しい声が出た。
サラディナーサはヴァンを無視して、立ったままの騎士の内のひとりに近づき下問した。
「お前は私が誰か知っているか?」
「は、は。サラディナーサ王女様でいらっしゃいます」
「他には?私のことを何か知ってるか?」
「え、あの。我らが右軍団長の妹御様でいらっしゃいます」
「さすが右軍騎士。女王の愛娘と言う前に、団長の妹、と言うとは」
くすりとサラディナーサは笑った。
「は、あの」
「お前の団長殿はお前にとってどんな者だ?」
「は。…大変ご立派な方と」
「うん。無難な答えだ。では副団長は?」
彼は王女の横にいるヴァンを見て唾を飲み、それからなんとか返した。
「…大変頼れる方だと…」
サラディナーサがふふっと笑ってヴァンを見る。
「頼れるんだと。良かったな」
ヴァンは眉を寄せた。
「王女様、何がしたいんだ?」
サラディナーサは胸に手を当て言った。
「ほら、私はお前しか男を知らないだろう?それではつまらないから、他の男とも…」
「勘違いされるようなことを言わんでくれー」
ヴァンは思わず叫んだ。
部下たちとリーサが信じられないものを見る目でヴァンを見ている。
「違うぞ?王女様が言ってんのは、身内以外で初めて口を聞いた男が俺だってことだからな」
説明するとリーサがふうと胸を押さえた。
「な、なーんだ…」
ヴァンが焦って説明しているのを気にせず、サラディナーサはその騎士に尋ねた。
「お前、名前は?」
「ルースティンと申します」
「ルースティン、お前は私がこれまで話したことのある男の中で一番、頭が良さそうだし、教養を感じる。私はもう少しお前の話を聞いてみたいのだが、どうだろう?」
サラディナーサはそう言って、微笑んだ。
ルースティンの頬が赤くなったのがヴァンにも見えた。
サラディナーサがこれまで話した男は、レアンドーレ、ヴァン、3階で覗き見をバラした阿呆、料理人、ルースティンで五人目のはずだ。
その中ではルースティンが一番まともには見えるかもしれない。
「は、あ、こ、光栄です…」
ルースティンは口籠って答えた。
王女に褒められて本気で喜んでいる。
これは駄目だ、とヴァンは止めに入った。
「そこまでだ、王女様」
王女と部下で交流を深めるのはよくない。
後々やっかいなことになりかねない。
それにこれ以上王女のペースにもってかれるのはヤバい。そんな気がする。
「もう部屋に戻ってくれ」
サラディナーサは少し不満そうな顔をした。
「私は何か下手なことをしたか?」
「………いや。けどもう邸の中も大体見ただろ?」
「もう少し、お前以外の者の話を聞いてみたかったが…」
俺からは何も聞きたがらないくせに、とヴァンは理不尽なものを感じた。
頭が悪そうな奴には聞けないというのだろうか。確かに貴族育ちみたいな教養もないが。
「…俺から聞くんじゃ駄目なのか?」
サラディナーサはきょとんとヴァンの顔を見てから、笑い出した。
「お前のその困った顔は、癖になりそうだ」
「………あ?」
「ああ、でも本気で困らせたいわけじゃない。わかった。お前が戻れと言うなら言う通りにしよう」
素直に、けれど尊大にサラディナーサは言った。
「あ、ああ。助かるよ…」
サラディナーサは控え室の三人の騎士をひとりづつ見て、フッと笑う。
「突然邪魔して悪かったな」
そう言ってひらひらと手を振り、スカートを翻して部屋を出ていった。
その後ろをリーサが続き、ヴァンが続いた。
姿が見えなくなるのを待って、控室の騎士たちは力が抜けたように息をついた。
「びっくりしたあ。王女様、雰囲気変わったな。髪に花なんかつけて」
攫われてきた直後の王女の姿を見ていた騎士が言う。
「女の格好すると、綺麗な方だったんだな」
「さすが王女様。迫力すごすぎ…」
ルースティンが言う。
「それより副長がさ。変じゃなかったか?動揺しまくりっていうか」
「やっぱり?あんな副長初めて見たよな。いつもひょうひょうとしている方なのに」
「団長相手でもうまくいなす方なのになあ」
三人はしみじみ言い、目を見交わして同時に吹き出した。
「副長も女には弱いってことだな!」
いろいろと詰め込もうと思ったら、長い探検になりました。次回はお風呂に入ります。
ブクマが増えてきて嬉しいです。ありがとうございます!
期待に応えられるよう頑張ります。




