蕎麦とギャルファッションと私
私はしがない女性タレント。今日の仕事には少々厄介な点があって……。
「今日は夕暮れ時の秋葉原にやってきました!」
テレビカメラの前で大げさに手を広げる。もちろん笑顔も忘れない。
「中心地から離れると秋葉原っぽくないですね。普通のビル街に見えます」
長身の男の子が周囲を見回しながら言う。彼は今日の仕事のパートナーであるケイ君。人気急上昇中の俳優だ。私よりも六つ年下の二十三歳。
「まだケイ君は気付いていないようだね。あのビルの屋上付近を見て」
私は後方を指さした。
「ほら、魔法少女が空を飛んでいるよ!」
「あれはアニメキャラの看板です! でも確かにサブカルの町である一端が見えました」
ケイ君が感心したかのように何度も頷く。
私のキャラはおバカ系。十年ほど前にギャル系雑誌のモデルから芸能界に入った私は、そのファッションに身を包んで活動している。ギャルといえばバカ。世間が求めているであろう姿を演じているのだ。
三十路目前なのにまだこんな姿を続けるのかと自虐したくなるが、ギャルという個性を消して芸能界で生き残れる自信はない。宝くじを当てるとか玉の輿に乗るとかでスパッと引退できれば最高なのだが。
夢のようなお話はさておき、今は目の前の仕事に専念しないと。
「今日はケイ君と一緒に、このお蕎麦屋さんへお邪魔します」
「料亭みたいな佇まいですね。看板の隅に書いてある江戸蕎麦という文字を見落とすと勘違いしちゃいそうです。早速入ってみましょう」
今日の私たちはグルメ番組のレポーター。
厄介ごとはここからだ。何を隠そう、私は蕎麦屋の生まれなのである。事務所としては適材適所の仕事のつもりらしいが、番組中に的確な発言をしてしまったら私のおバカキャラが崩れてしまうではないか。
生放送ということで、絶対に失敗は許されない。
「秋葉原と蕎麦ってイメージが繋がらないですよね」
ケイ君が話を振ってきた。料理が来る前にテーブル席でトークをするのは台本通り。会話内容はアドリブ。今日の仕事は基本的に私たちのアドリブ任せとなっている。
この近辺は秋葉原という地名になる以前からお江戸の下町だったわけだから、かつては庶民向けの蕎麦屋が立ち並んでいたはずである。そう思うが、私のキャラだとここはボケるべきだ。
「蕎麦好きのメイドさんが多いから、秋葉原に蕎麦屋が多いとか?」
「メイドの方がイメージに合いません!」
こんな風に二人で掛け合いをしていると、店の旦那と花番が奥から現れた。
花番とは接客係のこと。こういう蕎麦屋用語をうっかり口にしないように気をつけないと。
「お待たせしました」
私たちのテーブルに、花番がもり蕎麦を置いた。
あ、こりゃダメだ。
蕎麦を見慣れていると、外見だけで善し悪しが分かってしまうのだ。色つやが悪く、角が煮崩れしている。
「では、いただきます」
私は覚悟を決めて箸を取った。
うん、見た目からの予想よりもはるかに不味いね。危うく顔をしかめそうになってしまったぞ。スマイルスマイル。頑張れ私。
「美味しい!」
どんなに不味くてもこう言うしかない。美味しそうという印象をお茶の間に届けるのが私の仕事だ。正直な感想を言ったら、芸能人生命が終了してしまう。
ケイ君が私より先に具体的な感想を述べる。
「麺にコシがあります。すごい弾力」
うん、江戸蕎麦と名乗っているのにコシがあるのは論外だよね。歯でかまずとも口の中でふっつりと切れるのが東京の蕎麦ってもんでしょ。うどんじゃあるまいし。
さあ、私が旦那にコメントする番だ。事前の想定とは違う方向に難しい仕事となってしまった。ボケが許されるなら楽なのだが、料理の感想では禁止されている。
新蕎麦を使っているみたいだから、そこを褒めておこうかな。特徴があるし、おバカ芸能人が気付いても不自然ではないはず。
「少し緑色のお蕎麦なんですね。良い香りも感じます」
「新蕎麦だからなんですよ。秋は収穫期なので、普段とは違う蕎麦をお楽しみ頂けます」
せっかくの新蕎麦を台無しにしてしまうなんて、農家さんに謝れ。
ここで番組スタッフから、もっと喋ってと私に合図が出た。
不味い蕎麦を無理矢理褒めるなんて、時そば(古典落語の演目)の主人公になった気分だ。蕎麦粉以外に褒める点なんて存在しないのに。仕方ないから皮肉交じりに褒めちゃえ。スタッフや視聴者に気付かれなければ平気でしょ。
「これって手打ちですか? 蕎麦の太さが不揃いですし」
「はい、丹精込めて打っています」
どうして嬉しそうなのよ、この旦那は!
蕎麦職人なら皮肉だと気付いて欲しい。不揃いの方が手打ちっぽくて良いという謎の風潮に毒されているのだろうか。煮加減がバラバラになって食感が悪くなるんだってば。蕎麦に細い太いがあってはならないって、機械ではなく包丁で切るのが当たり前だった江戸時代の書物(『蕎麦全書』日新舎友蕎子著・一七五一年)にも記されている。
「この汁が個性的ですね」
ケイ君が発言する。
そうだね。なかなか口にできないよ、こんな汁は。客に出すような代物じゃないもん。
汁に関しても皮肉を言っちゃおうか。
「お醤油の匂いが汁から漂ってきます」
「お分かりですか。うちの蕎麦に合う醤油を全国から探し出しました」
だからこれっぽっちも褒めてないって!
醤油の匂いがここまで強いということは、醤油の寝かせが足りないか、鰹だしが弱いかのどちらかだ。もちろん味にも弊害が出ていて、塩気が舌にとげとげしく刺さる。
私が一人で憤っていると、花番が天ぷらの盛り合わせを持ってきた。
助かった。ここからは天ぷらだけを褒めよう。油の切り方が甘い気もするけどね。
「エビの身がプリプリしてるぅ!」
「うちの店は天ぷらに自信があるんですよ」
今すぐ天ぷら屋さんに転職して、どうぞ。
そうこうしているうちに、終了時間が迫ってきた。
「というわけで、メイドさんが飛び交う町からケイ君と一緒にレポートしました」
「メイドは飛びませんから!」
「じゃあ魔法少女」
「いません! 以上、秋葉原からお送りしました」
終わった。なんとか切り抜けられた。達成感ではなく虚しさで胸がいっぱいだ。
今日の仕事はこれだけなので、あとはフリーである。
「……口直しに別のお店の蕎麦食べよ」
店を出てから私は呟いた。
「あれ、蕎麦屋さんへ行くんですか?」
ヤバい。独り言のつもりだったのに、ケイ君にしっかりと聞かれていた。
「あはは、今のお店の味が好みじゃなかったから」
「実は僕もそうだったんですよ。お付き合いさせてください。この後にまだ仕事があるんで、近場だと嬉しいです」
この子ってば結構良い舌を持っているみたいだ。
「じゃあ、お姉さんが本当に美味しいお店へ連れて行ってあげる」
「そんな店が近くにあるんですか?」
「かつての下町だしね。オススメが何軒かあるよ」
「へえ、暇な時に秋葉原を散策してみます」
「お蕎麦好きなの? 好みの味を教えてくれたら、その系統のお店に行くけど? ――あ、それだと移動時間が厳しいか」
「残念です。また今度お願いします」
また今度? ケイ君としては蕎麦屋巡りのつもりかもしれないけど、お姉さん勝手に勘違いしちゃうよ?
玉の輿チャンスと解釈させてもらおう。彼は飛ぶ鳥を落とす勢いで芸能界の頂点へ向かっている有望株なのだ。ここで捕まえてしまえば、私は芸能界とギャルファッションから卒業できるかもしれない。
「私が知っている都内の名店を片っ端から教えてあげちゃう。次の休みの日を教えて」
蕎麦で繋がった縁だ。ふっつりと切れないように、頑張らないとね。