ハッピーになりたいわ
「ラブが欲しい」
つぶやかれた言葉はそれが発された瞬間に雲散霧消し、空気中のH2OやCO2何かに溶けいってしまう。しかし、そのことによって希釈された気持ちが部屋中に横溢。その言葉に込めた思いに全身が包まれてしまって。
そもそも何故に真田万江はこのような言を独り発したのだろうか。何故そのような事柄を希うように相成ったのであろうか。いや、愛が、LOVEが欲しいのは人類の普遍的な属性であって、何ら可笑しいことではない。現に真田家のお隣の常に眉毛が鈍角をなすような、厳ついフェイスの安田さんですら、そう願っている。そうなのだ。それは、そうなのだ。それはそれとして。
彼女は、その普通人が抱く、愛への渇望を人一倍感じていた、この時。そして思いがけず、ひとりでにそのような言葉が口から零れてしまったのだった。それほどに、では、何故彼女は、ラブ及び愛を求めるに至ったのか。その原因は彼女のアルバイト中の出来事に見出すことが出来る。では、そのアルバイトについて少し紹介していこう。
彼女は某有名ファストフード店でバイトしていた。ところでファストフードなのかファーストフードなのか、果たしてどっちが正しいのか、そんな事を彼女が考えたことがあったかどうか。しかしそんなことは文学的に見てどうでも良いのでスルー決め込もう。
厨房にいる時は良いのだ。無心。無心でまるで機械のように、記憶に染みついた通りの動作を為す。頭の中ではクラフトワークのウィーアザロボットのフレーズがリフレーンしたりしなかったり。そのような状況下、パティを焼こうがポテトを揚げようが、バーガーを組み立てようが何ら気に病む要素が割り込んでくることはなく。虚心坦懐、自由不羈な心でいられる訳だ。
問題となるのは接客だ。
この、接客タイムに彼女は渇愛の情を抱くに至った。
というと何かイケメンのお客でも現われたか、あるいは反対にろくでもないきちがいみたいな客の濁流に揉まれる中で、私は世界的に見て不幸である。愛されておらず、正当なる評価を享受できぬマイノリティー的な悲しい性を背負ってしまっている、みたいな悟りの境地に達したとか、決してそういうわけではなかった。
彼女がラブの不足を感じたのはある日ある若い女と中年男が一緒にバーガーを買いに来たときのこと。いつものように恙なく、平穏安寧太平なる胸襟でもって接客をしながらも、どうも心の最奥のところで一つの疑問がひょっとこのように首をもたげ、燻っていた。
その疑問というのは、この二人組、親子なのだろうかそれともエンコーのコンビなのだろうか、ということであった。
そして、実際二人の顔は主観的に見てあまり似ていないように見えたが、そうであっても普通はそれが親子かエンコーかという事くらいは直感的に理解できるのではないか、と疑問が疑問の呼び水となって。その疑問はさらに、せをはやみって感じに胸中を蹂躙。ああ、こういうとき、価値判断を下す人間の内なる気管というのは愛という名のラブなのではないか、と何となくそういう直感が起こった。
ということは、彼女は考えた、親子かエンコーか見分けをつけることの出来ない私って、その区別を司る愛っつーもんが不足してるんじゃね?と。
とうとうここまで来ました。彼女はこの時自分に愛というものが不足しているという結論へ到達。そしてそれはとりもなおさず、愛の不足というコンプレックスとして彼女の心の中に楔を穿ち、それは胸中で解決すべき喫緊の難問と化してゆくことになったのだった。
しかし何も万江ちゃんa.k.a万江さんはこのように観念的に、主観的に全ての出来事を十把一絡げにして考えるようなお馬鹿さんではなく。ある日本当に自分は愛が不足しているのか、そして親子かエンコーかを見分けるために必要な内的器官は愛なのか、ということを明らかにしようと試みた。
その方法というのが、自分が比較的親しくしている4つ下の高校生バイトのあっちゃんと呼ばれている娘と親子・エンコー当てっこゲームをすることであった。
それはやって来た年の差男女コンビのカストマーを見て相談なしにそれが親子なのかエンコーなのかそれぞれメモ用紙に書き合って、その客が店を出て行くタイミングで、「お客様、現在父親と娘の仲良しキャンペーンというのをやっておりました、これはまあスウェーデンとかどっかそこらの国から引用してきたイベントなんでございますが、こうやってお二人のようなお客様に無料で無量のソフトクリームを,...というのは冗談でして、無料でお一つソフトクリームを提供させていただいております」のような風な嘘八百のテキストを暗唱して見せて、無理矢理アイスを手渡した時の相手の反応、すなわちそれが本当の親子であるなら何の気兼ねもなく、至ってスムーズにそれを一部ありがた迷惑としてフェイスを曇らせながらも受け取るが、偽親子すなわちエンコーならどこかそれと見て分かるような気まずそうな顔をしたり或いは「いや、コレ実は家族でも何でも無いのです」と自己申告したりといったものから答えを導き出し後に答え合わせをする。こういった具合。
このゲームを始めて見て驚愕したのは、万江とあっちゃんとの予想が悉く異なっており、そして正解なのは常にあっちゃんの方であったと言うことだった。
万江は泣いた、心の中で。これは自分に愛が不足していることの決定的な証左となった。というのもあっちゃんはイケメンの彼氏がいて、家が大金持ちで、顔も万江よりちょっとかわいくて、いっつも悩みがなさそうに見え、常に顔中愛に溢れていたから。
おーまいがー。
「コツはぁ、二人の間から瘴気のようにムクムク湧き上がってる感情の見えざる気流を愛、あるいは真心、人を慈しむ心また、人から慈しまれたときの嬉しみなどを駆使して感じ取ることですかね」
後日あっちゃんはこういった。万江のライフはゼロとなって、ロックボトムへと脱落していったのだった。