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森からの生還

「スフィー、俺の腕を縛れ!毒を止めろ!」

 右手の剣だけで蔓を防ぎながらスフィーに命じて、俺は左手を彼に向けた。すぐさまミックとシゲが戻り、俺が抜けた穴を埋める。

「ギル…カーム…」

 アルテは完全に混乱していて、俺とカルミアの傷を交互に見ているだけだ。彼女の法術は蔓草に対する攻撃の要。このままでは確実に全滅する。

「姉さん…」

 か細い声が聞こえて、アルテはびくりと肩を震わせた。

「姉さん、コーラスだ。姉さんのコーラスなら…。」

 カルミアが震えてうなされるように呟いている。

「ダメよカーム、今コーラスを使えば、みんながあなたから離れてしまいますよ。」

「僕は大丈夫だ。これはすぐに死ぬ毒ではないよ。」

「でも…ダメよ…。」

 コーラスは唱術とも称されるフェア=レイア独自の法術体系だ。アルテとカルミアはフェア=ウェル圏域生まれのフェア=レイア。当然コーラスの知識がある。いや、それだけじゃない。

 唱術には2人以上で歌うことで法術を発現するという手続きの複雑さの代わりに、他の体系に比べて相当に強力という特徴がある。そしてアルテは精霊たちの助けを借りて自身の歌声を重ね合わせ、単独で一部の唱術を発現できるのだ。

 しかし今、アルテは法術では毒を治せない代わりに、精霊に頼んでカームの容態を保っているらしい。それでは唱術を使うことはできない。

「姉さん早く。このままだとみんなやられる。」

 カルミアがか細く訴えるが、アルテは立ち上がろうとしない。

「ギル先輩、終わりました。」

 スフィーが緊張した声で報告してきた。新入生でも止血の方法は早い段階で習うので、しっかりと左腕の血を止めてくれている。この状況下でも冷静でいてくれるのはありがたい。

「スフィー、ありがとう。助かった。」

 俺は立ち上がって細剣を一振りすると、再び防衛に加わる。

 しかし、俺の負傷でシゲとミックが下がってしまい、その間に蔓草の包囲網はさらに狭まっていた。逃げようにも来た道は完全に蔓草に覆われている。

 このままでは全滅は確実だ。

「アルテ、君の法術が頼りだ。頼む。」

 心苦しくとも彼女に頼る外はなく、俺は呻くように話しかけた。

 すがるような眼で俺を見上げた彼女の目を真っすぐ見て、俺はもう一度、

「頼む。」

 短く頼んだ。

 それでもアルテは動かない。首を振って、半分以上赤黒く変色したカルミアの顔を見つめた。

(ここまでか。)

 襲ってきた蔓を切り払いながらも諦めが心によぎる。その時、

 パン!

乾いた音がして視線を戻すと、セシリィがアルテの襟を掴み上げ、もう一方の手を平手にして振り切っていた。呆気にとられた表情でセシリィを見るアルテの右の頬が赤みを帯びる。

「ふざけないで!できることがあるならやりなさいよ!」

 悲鳴じみた声でセシリィがアルテを責め立てる。

「私には夢があるの!生きて帰らなきゃ叶えられないのよ!あなたの我儘に私の夢まで巻き込まないで!あなただってあるでしょう?カームだってヒューイだって!みんなあるのよ!」

「お、お嬢、落ち着いて。今はそんな…」

「ヒューイは黙って!」

 止めようとしたヒューイを一喝して、再びアルテの襟首をつかむセシリィ。

「みんなの夢を背負えるくせに、我儘でやらないなんて、私は許さないわ。」

 アルテに鼻先を突き合わせるように言い終えたセシリィを、アルテの手が押し戻す。

「そんなこと言われなくてもわかってますよ。けれどセシリィには言われたくなかったですよ。」

 アルテが冷静な低い声でセシリィに答えた。そして続ける。

「でも、思い出させてくれてありがとう。お礼は言っておきますよ。」

 強く言われてかえって冷静さを取り戻せたのだろうか、襟を掴む手を払い除け、

「カーム、少しだけですからね。毒なんかに負けたらお仕置きですよ。」

弟を地面に横たえて、立ち上がる。

「大丈夫だよ。僕は姉さんを守るんだ。」

 そう呟いて、カルミアは目を閉じた。意識を失ったようだ。

「弟のくせに、生意気なんですよ。」

 アルテは小声で呟き、顔を上げる。

 その顔を見て分かった。もう大丈夫だ。

「セシリィ、ヒューイ、スフィー、よく聞いてくれ。」

 蔓を打ち払いながら俺はアルテのことを説明する。

「これからアルテが使う法術は、ザンダルガム公爵お抱えの極秘事項だ。絶対に口外するなよ。それから発現まで時間がかかる。守るぞ。」

「どんな秘密か知らないけれど、話の一つや二つ増えたところで気にしないわ。」

 セシリィが言い返してくると、ヒューイが苦笑した。

「それぞれ事情はあるんだ。承知したよ。」

「この身に流れるダー・コンの血にかけて約束します。誰にも言いません。」

 各々の言い方で返事が返ってきて、俺たちはアルテを中心に陣を組む。

「アルテ、頼む。」

「言われなくても。さぁ『みんな』全力で行きますよ。」

 人族の言葉は全て翻訳する全世界規模法術、語盤(タイル)。かつての超技術が生んだ遺物(レガリア)でさえ意味を理解できない言葉でアルテが歌い始め、それはやがて二重に重なって聞こえてくる。

「聖樹の根元まで道を切り開いてくれ。シゲ、ミック、根を探して一気に片付けるぞ。」

「おう!」

「承知!」

 俺の指示に2人が応え、そして密度が上がった蔓草の攻撃を凌ぎ続ける。アルテの歌声は重なって流れ続け、その歌声に染められていくかのように空気が、いや森の中に起きた風がざわめいてゆく。

「「ryieemhyuhlecrowizeth!」」

 一際高い歌声が響き、周囲が唐突に静まり返った。

 まるで時間が止まったような一瞬が過ぎて、

 ひゅるるるるる

アルテの頭上に、風が渦を巻き始めた。

 風は瞬く間に勢いを増し轟々と音を立てて渦巻くがそれは彼女の頭上だけだ。わずかに巻き込まれた蔓草と白い花の見る間に引きちぎられていく様と轟音だけが、球に閉じ込められた風の凄まじさを伝えてくる。

「「fealtze!」」

 最後にアルテが短く歌い指し示すと、風の球は身構えるように一瞬大きさを縮め、

 ゴオオオオオオオオ!

球から解放された旋風が俺たちの周囲で吹き荒れて、刃と化して蔦を切り刻む。

 蔦だけじゃない。地面に落ちていた一抱えもある太さの枝までも、まるでシュレッダーにかけられたみたいに細かく切り刻まれ吹き飛ばされていく。とんでもない風圧だ。

 凶器と化した風が止むと、俺たちの周りに残っていたのは折れた枝の特に太い部分だけ。それもほとんど芯まで削られ、風に飛ばされた勢いのまま遠くの地面に落ちて堅い音を立てた。

「マジかよ。」

 ミックが呆然として呟く。同感だ。いや、驚いている場合じゃない。

「ミック、シゲ、行くぞ!」

 2人を正気付かせて走り出すと、すぐに後ろを足音が追いかけてきた。

 麻痺が左肩まで上がってきて上手く走れない俺を追い抜いて、2人は聖樹の根元に絡む蔓草を剣で切り払う。

「ちくしょう、硬いぞ!まともなやり方じゃ斬れねぇ。」

 ミックが叫んだ。

 根元の蔓草は俺の腕よりも太い。そして強度はその見た目以上にあるようだ。

「イエエヤアア!」

 シゲが体に青白い煌きを宿して突き進み、蔓草を斬って斬って斬りまくる。

「だったらこうだ!」

 ミックが一瞬で加速した。残像を残して10歩ほど離れた場所に現れると、その軌道上の蔓が千切れ飛ぶ。瞬歩の加速を乗せた剣を両手で支え、一気に駆け斬ったのだ。そして構えを整えて再び瞬歩。

 2人の術技が蔓草の茂みを見る間に切り開く。

「上だ!避けろ!」

 上から降る棘の雨に気付いて俺は警告し、2人は飛びずさって回避する。

 アルテが蔓を吹き飛ばしたのは聖樹の俺たちの側だけで、頭上の枝に蔓延った蔓はまだ残っている。

 だが、怯んでいたらこれまでだ。

 俺たちは再び踏み込むと、太い蔓草の茂みを切り払う。

「根っこはどこだよ!蔓が多くてわからねぇ!」

 ミックが声を上げた。切り払った蔓が多過ぎて根を探す余裕がない。聖樹に絡む蔦を全て斬ればと思ったが、このとんでもなく太い幹を回りながらでは手間がかかり過ぎる。

「ギルの足元ですよ。そこが一番、『死にたくない』って言ってますよ。」

 アルテだ。

 アルテは精霊たちの声を聴き、生物の感情を知ることができる。そうして見つけた根の位置を俺に知らせてきたということか。さっきの聖樹の声もやはり聴いていたんだ。

 それにしても、こんな蔓草のお化けでも、動物のように感情があるとは。

 俺は半分驚きながらも足元の蔓を剣で払い、足でかき分ける。どこだ!

「フン!」

 下を見ていた俺の隣でシゲの声。キキキン!と固いものが打ち合わされた音。

 振ってきた棘を打ち落としたシゲが、

「守りは某が。」

短く告げた。こいつが打ち漏らすことは絶対にない。

 俺が根を探す作業に集中すると、ミックもそれに加わって、両手で太い蔓を引っ張った。

「外れか!」

 それは俺たちが斬った蔓の一本で、ミックは力任せに投げ捨てて次の一本を掴む。

 それを何本か繰り返して

「こいつだ!」

 とうとうミックが、地面に埋まった蔓を引き当てる。

 その蔓は途中から意外なほど細くなっていて、地面に紛れて目立たない色をしていた。

「ギル、引いてもびくともしねぇ。見た目より強いぞ。止めは頼むぜ。」

「わかった。任せろ。」

 ミックが引っ張るその蔓に狙いを定め、俺は構えを取る。

 万象乃断刀(ばんしょうのたち)

 術技を帯びた細剣が、細い蔓をすっぱりと斬った。

 あれほど激しく蠢いていた蔓がぴたりと動きを止め、無意味にのたうちながら力を失って垂れ下がる。そして魔導を失ったからだろうか。頭上でぶつりぶつりと音を立てて千切れて、地面へ落ちた。




 話は、ギルたちが渓谷に飛び込んだ時にさかのぼる。

 ニールたちのチームは窪地に立ち入り、遠間から剛獣との戦いを窺っていた。


「ギルにぃ!」

 オリエが叫んで走り出した。こんなに悲痛な声を聞くのは、初めてかもしれない。

 だけど行かせるわけにはいかない。僕は剣戟の音が気になってギルとミックのチームが見える位置に移動したことを悔やみながら、妹の肩を掴んで止めた。

 僕の身体は妹よりもずっと大きいから、身動きができなくなった替わりに妹は僕をきっと睨む。

「お兄ちゃん止めないで!ギルにぃを助けないと!」

「ダメだよ。オリエ、それにみんなも。落ち着くんだ。僕たちの役目はホルトさんを守って情報を持ち帰ることだ。」

 涙を目に浮かべて訴える妹に、そして何より僕自身に言い聞かせるように説明した。

「あんな剛獣は見たことも聞いたこともありません。ただ、ギルバート様が飛び下りたのは渓谷の中でも浅いあたりです。きっとご無事で逃げていますよ。」

「だったら、今すぐ行って助けなきゃ。剛獣も降りたじゃない!」

 ホルトさんが安心させようとした言葉もオリエには逆効果だったみたいだ。

 僕は迷った。

 あの剛獣の大きさは幼いころに見た剛獣狩りの相手と同じか少し小さいくらい。凶化変異体だ。

 事実を突きつけて妹の感情を荒立たせたくなくて、言葉を選ぶ。

「オリエ、私たちが行っても、先輩たちの足手まといにしかなれない…」

 グウェンが、僕には言えなかったことを言ってくれた。

 軍務学校に入学してから知り合ってすっかり仲良しになったオリエの友達。その言葉は僕たちが言うよりも妹の心に沁みたみたいだ。

「うう…。」

 拳を握り締めて項垂れるオリエにかける言葉も見つからず、僕はギルたちが飛び下りたモーランダル渓谷を見た。

「ニール様。」

 少し離れたところから呼ぶ声。スミカだ。

「スミカ、無事でよかった。姿が見えないからどうしたかと思ったよ。」

「退路を確保しておりましたら、あのようなことに。」

「カーチスさんに報告をしないとならない。僕らより近くで剛獣を見たよね。」

「はい。映像もこちらに。」

 スミカが申し訳なさそうに差し出したのは、両手で抱えるほどの大きさの金属の箱。

 刻影機。法術で映像を乾板に刻み込む奏具だ。

 そういえば前線チームで工兵学科の2人にはこれが支給されていた。

「スミカ、ありがとう。オリエ、これを見せれば話が早いよ。カーチスさんがすぐに救援部隊を編成してくれる。今は急いで帰還するのがギルたちの助けになる。グウェン、信号弾を赤赤白で撃って。みんな、今は一刻を争うから、強行軍だ。」

 矢継ぎ早に指示をしたのは、僕自身の不安を打ち消したいからだ。

 まだ渓谷を見つめているオリエの頭をそっと撫でてから、僕は荷物の固定を確かめる。

「ギルにぃ、無事でいてね。絶対だよ。」

 涙を堪える妹の声は、僕の中で無力さの刃になって、心を深く抉った。


「ニール、よくやった。状況はわかったから、ここからは俺たちに任せろ。戻った奴らは隣で休め。」

 僕の報告を聞いたカーチスさんは、僕が指示通りに指揮車両の外に出たとたんに、「くそったれの獣風情が!」と悪態をついた。近くで数人の冒険者が待機していて、「出るのか?」「いや、今からでは夜になる。」と声が聞こえた。

 少なくとも今すぐ救援が出ることはないかな。

 僕は救護所になっている大型のカーゴに僕が戻ると、待ち構えていたオリエたちに状況を説明する。支援学科のヴァネッサ・ロザモンド先生が呼び出されて出て行って、学生チームとホルトさんだけが残された。

「お兄ちゃん、救援はいつ出るの。私もついていける?」

 オリエが縋り付いて見上げてくるが、僕自身にもそれはわからない。

「すぐだよ。カーチスさんは領主様にも報告を走らせたけど、指示を待つつもりはないって言っていた。」

 曖昧に答えを濁すと、オリエは僕にしがみついたまま泣きじゃくる。

 そう言えばスミカの姿が見えないな。

 いつの間にかいなくなっていたけれど、彼女はジョセフさんに刻影機を手渡してから話をしていた。もしかしたら、ジョセフさんに何か指示を受けたのかもしれない。

 そう考えてから、僕はオリエの背中に手を当てて、そのまま次の指示を待つ。

 新入生たちは不安そうに押し黙っていたけれど、僕も何かを言えるような余裕はなかった。

 思ったよりも短い時間でタニタさんが指示を持ってやってきて、僕らはカーゴで村に帰らされ踊る小鹿亭で眠れないまま一夜を過ごした。


 翌日。

 再び拠点に行った僕らがカーゴから降りると、空き地では救援部隊が隊列を組んで待機していた。ホーガンさんとワイツさん、合奏甲冑を装備した2人を含む10人の中には僕も顔見知りの、そして腕利きと評判の冒険者の姿もある。相当な戦力だ。

 だけどもう空は明るくなったのに、動く様子がない。

「ギルたちの位置がわからないんだ。渓谷を中心に隊をどう分けるかで揉めている。」

 僕らのところに顔を出したカーチスさんが事情を説明して、僕は落胆して息を吐いた。

「そんな。もう一晩経っちゃったのに。」

 オリエが嘆くが、カーチスさんの言い分はもっともだと思う。救援部隊が救助される羽目になったら笑い話にもならないから。

 途方に暮れて森を見た。

 空き地の辺りは木もそれほど多くはなくて、少し雲がある空が見えている。それから、

 白い光?

森の梢の間際に見えた小さな小さな光点。

 見間違い?違う。一瞬だけど確かに見えた。

 目を凝らして枝葉を透かすように見続けると、再び、そしてさらに1回。

「カーチスさん!信号弾だよ。白3点!」

 僕が叫ぶと、カーチスさんが形相を変えて駆け寄ってきた。

「本当か!どっちだ!?」

「あっち。きっとギルたちだ。スフィーの装備に信号弾が入ってた。絶対にもう一度打つから、カーゴの上から確かめるよ。」

 僕が大型のカーゴの屋根に登って立ち、さっきの方角を見る。

 そのタイミングを見計らったみたいに、森の木の上に白い光点が舞い上がった。

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