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森の主

 彼は孤独だった。

 その未発達な脳に宿る朧げな、そして一番古い記憶は、彼を温かく包み込んで欲するものを与えていたなにかが唐突に動かなくなって、奇妙なつるつるの手足と顔を持った得体のしれないものによって引き離された思い出だ。

 やがて彼は狭く不自由な、そして冷たく硬いもので外界から隔たれた場所に閉じ込められて、それまでの熱く湿った重い空気の流れとは異なる乾いた風が吹く場所で、やはりあの得体のしれない生き物の手から同じく得体のしれない生き物に手渡された。

 風は乾いていて不快だったが、幸いなことに食欲を満たす程度には食えるものを与えられた。

 つるつるの手が運ぶ器から食い、自分の欲求には合わない暗がりの隅で身を縮め、つるつる顔の生き物たちが鳴き声を上げながら自分を見る姿に怯え、身を隠す場所も無いのに隠れていた。

 風が寒くなって暑くなってを何度か繰り返した。

「こいつにも飽きたな。体はでかくなったがろくに動きもしない。珍しいだけだ。」

 その生き物の鳴き声は冷ややかな視線と一緒に彼の脳に刻み込まれた。

 やがて彼は、記憶に朧げに残る情景と似ているが全く違う何処かに運ばれ、冷たい「鉄」の棒で外界から隔離された「箱」ごと乱暴に投げ出された。

「この森に置いてくるだけで金になるんだ。悪い稼ぎじゃねぇな。」

「だけどよ、なんでこの場所を指定したんだろうな。特級の糸脈活性点だぞ。」

「強い糸脈には強い剛獣が棲むから、確実にこいつを始末したかったんだろうさ。」

「お前ら無駄口は叩くな。剛獣どもに見つかれば厄介だろう。長居は無用だ。」

「ここ」に投げ出されて聞いたのは、そんな感じの鳴き声だった。

「違法売買した獣に飽きて、後始末は剛獣任せか。お貴族様の慰み者になったお前には同情するよ。」

 その鳴き声はつるつる顔の中で彼が食べるものを箱に差し入れていた生き物のものだ。

「依頼はお前をここに捨ててくることで、他に何もやるなとは言われてないからな。」

 その鳴き声を最後にそいつらの音は遠ざかって、やがて彼は静寂の中にあった。

 彼はつるつる顔が最後に箱の中に置いた食べ物を食べ、聞き覚えがない物音と得体のしれない気配と嗅いだこともない風の匂いに震えて夜を過ごす。

 しかし夜は、決して不快ではなかった。

 不思議と周りのことがよくわかり、箱と鉄の棒が疎ましい。しかし、見知らぬ環境への恐怖が彼を箱の中に踏みとどまらせる。

 幸いなことに、彼の身体は多くの食事を必要とはしなかった。

 そして周囲で何かがうごめき徐々に近づいてくる気配はあっても、頑丈な箱に慎重になっているのか、箱を叩いたり近くで吠えたりするだけで彼を傷つけるまでには至らなかった。

 彼は思い出よりも深いところにある何かが彼に命じるまま、箱の中で身を隠そうと今までと同じように体を丸める。

 丸く縮こまらせた身体の中に不思議な感覚があって、それも彼を戸惑わせた。

 やがて彼は、そうした様々な感覚に疲れ果て、辺りが明るくなるころに自然と眠りに落ちる。

 そんな風に自身を閉じ込めている箱に守られ周囲を観察しつつ、彼は数日を過ごした。


 人の手で育てられ異質な環境に捨てられた獣が生き残る可能性はほとんどない。

 彼が捨てられた場所はスクトゥム森林の奥地、剛獣の発生地なのだから尚更だ。

 しかし幸運にもその場所は、自然に煌糸が活性化して環境に影響を与える特異点、糸脈活性点の一つだった。それも特別に強力な。

 彼の獣にはもう一つの幸運があった。

 飼い主たちは知らなかったが、その獣は煌糸の力への適応性を持ち魔導と呼ばれる超常能力を身に着けることができる生き物だったのだ。

 異質な環境に投げ出されたストレス、その身に備わった性質、そして異例なほどに強力な糸脈活性の影響によって、彼は生まれて初めて魔導を発現する。


 彼は生き延びた。


 太陽が沈み森が暗闇を包むころ彼は目を覚ます。

 あの恐ろしい気配は感じられない。彼は安堵して箱に残されたわずかな食べ物をその爪で摘まむ。しかし飢えは感じない。

 魔導に目覚めた彼の身体は肉体を維持するためのエネルギーを煌糸から得るよう変質しており、彼は元々多く必要としなかった食べ物を口に入れたいとは感じなくなっていた。

 これを食う必要はない。

 そう感じて、辺りを見回す。

 夜の闇は、不思議なほど彼を安心させ、とても心地よかった。

 元々が夜行性でありながら人の都合に振り回されてきた獣は、故郷から引き離されて以来初めて、己の内にある野生の性を見い出したのだ。

 外に出たい。

 彼は、湧き上がる衝動のまま冷たい鉄の棒に爪をかけ、それを握る。

 動かない。出られない。

 妨げられた欲求が、彼の身の内に熱い何かを灯した。

「ふるるるるるる。」

 吐息とも唸りともつかない音が口から漏れ出て、身の内の熱さを叩きつけるように激しく手を動かす。冷たく硬い鉄の棒はびくともしなかったが、しかし、乱暴に投げ出された際に生じた蝶番の歪みは魔導によって強化された膂力に耐えられず、やがて、

 ビギィン

甲高い音とともに弾け飛んだ。

 息を潜めて静まりきった森の中に普段のざわめきが戻るのを待ち、それからのそりと箱の外に出る。

 彼は丸い頭をぐるりと真後ろ以上に回して頭上を見た。

 なぜなのかわからないが、見るべきだと感じたからだ。

 見上げた先には大きな、まるで壁のように太い木の幹があって、天蓋の如く葉を茂らせていた。

 かれはのそりと大樹に近付くと、手足の爪を器用に使ってよじ登る。

 彼の動きは遅かったがじりじりと時間をかけて大樹をのぼり、やがて朝日が昇る頃、体のおさまりが良い枝の一つの上に辿り着いた、

 その枝にだらんと身体をかけて手足を下げてようやく彼は安心して、穏やかな眠りについた。


 彼の未発達な脳では覚えきれないほどの夏と冬を繰り返した。

 彼の身体は魔導によって維持されていたが、彼は食事を欲するようになった。それまで食していた木の葉と同様に大樹の葉も食べることはできたが、彼はそれに加えて大樹を這う虫や、近付く動物まで捕らえて食べた。

 その結果、彼の身体は元々の大きさを超えて成長し、やがて時々現れる巨大で凶暴な生き物たちよりも大きくなった。それでいて彼はその身に備わった魔導のため他の生物に見つかることはほとんどなく、安全に必要な獲物だけを得て生き延び続けた。

 そうして動物の血肉も食べるようになった彼の脳はより発達し、より巧みに魔導を操るようになり、この森を学んで己の縄張りとして認識するようになっていった。


(あのつるつる顔の奴だ。)

 ある日、彼は彼が棲み処とする大樹に近付いてきた人族の群れに気付いた。

 不愉快な感情が沸き起こるが、彼は元来の臆病な気性もあって冷静にそれを制し、人族の動向を観察する。

 それまでも何度も人族の姿を見かけていたし、夏と冬とを何度も繰り返して森の中が騒がしくなると人族がやってきて、それから飢えて森を出た獣たちが人族と良く似た形の巨大な何かに皆殺しにされる場面も見てきた。

 だから彼は慎重に侵入者を観察し、彼らが運んできた袋から何かをばらまいて立ち去っても、その魔導を使って身を隠したままだった。

 人族が立ち去ってから彼が大樹から降りて地面を探ると、いくつかの見知らぬものが撒き散らされていた。とげとげしい外観の粒は彼の爪で探るにはあまりにも小さく、口にしても旨そうには思えない。

 彼はすぐにその物体から興味を失って、ぐるんと頭を巡らせると上へ向けて魔導を放ち、お気に入りの枝へと戻ってだらりと身体を吊るした。


 やがて、異変が起きた。

 大樹は彼が見たこともない蔓と葉に覆われつつあって、枝葉の上にまで蔓延ったそれらによって陽光を遮られて徐々に力を失いつつあった。

 彼は尋常ではない強度を持つ蔓を大樹から引きはがそうと爪を振るったが、蔓が伸びる勢いは強く、彼にはこの厄介な侵略者を止める術を思いつけなかった。

 やがて、大樹は枯れ始めた。

 彼のお気に入りの枝が軋んで折れ、轟音を立てて他の枝を巻き込みながら地面へと落ちた。

(あのつるつる顔の奴だ。)

 異常に気付いて他の枝に避難していた彼は思い出した。

 あの人族が何かを撒いていったあの場所。

 蔓草はあの場所が一番多い。そうだ、あの場所から増えてきた。

(あのつるつる顔の奴らが、また!)

 幾度となく刻まれた痛みが彼の脳裏を駆け巡る。

 親を殺され、生まれた地から連れ去られ、見世物にされ苦痛を強いられ続け、捨てられ。

 そして今、彼の安住の地を脅かしている。

(あれを殺す。)

 彼は誓った。

 あの生き物が蔓草の元だ。だからあれを殺せば大樹は元に戻るはずだ。

 魔導を得てからの成長を加えても単純な知性を絞って絞って絞り尽くして辿り着いた答え。

 彼はその結論にしがみついて、倒すべき人族を求めて大樹を後にした。

 己の故郷を守るために。


「ふるるるるるるるる」

 あの奇妙な唸り声を上げながら、剛獣が俺たちを見下ろした。

 丸めていた背中を伸ばして立ち上がり、長い両腕を左右に広げる。

 両手にあるそれぞれ4本の鋭く尖った爪は1メートル近い長さだ。

 足にも爪はあるが、長さは手のものの半分ほど。

「こうして見てみれば、やはり足は弱そうだな。」

 ここで決着をつけると覚悟を決めて対峙してみれば、この剛獣は地上で歩くことに慣れていないように見える。もしかしたら本物のナマケモノと同じで動き回ることも苦手なのかもしれない。

「作戦通り足での攪乱は使えるってことだな。少しはマシになったぜ。」

 俺の呟きにミックが軽口を叩いて右に動き、剛獣を半円形に囲むように位置取りする。俺は中央の右寄りに構えていて、シゲは俺の左。シゲのさらに左に、ヒューイ。

 長い腕での薙ぎ払いは脅威だが鞭のように腕をしならせる動きが大きく、見切りやすい。その隙を突く。

 シゲが提案した作戦のために陣形を組んだ俺たちの後ろで、アルテが聞き取れない言葉で見えない何かに語りかける。すると、俺たちの身体の周りにひらひらと煌めきが舞った。

 彼女は俺たちを法術で支援する役目で、攻撃から俺たちを守るために精霊の力を貸してもらったのだ。

 さらにカームが精霊術法を使って光る球体を宙空に召喚すると、剛獣の威容が照らし出された。

 俺たちは長い谷間の中でも楕円形に広がった平地の中程に陣取っている。その楕円形の長軸の端が出口になっていて、剛獣はその一方を塞ぐように両手を広げ、ゆっくりと迫ってくる。

 法術を使う2人を守るのはセシリィとスフィーだ。

 セシリィは2本の細剣を、スフィーは片手剣を構え、背後から別の危険が襲ってきても発見できるよう警戒している。スフィーにはもう一つの役目もあって、彼はすでにその準備を終えていた。

 戦いの用意は済んだ。

「かかってこい。」

 俺が気迫を込めて告げると、剛獣が両手を大きく振り上げた。


「ふるるるるるる!」

 奇妙な唸り声を上げ、剛獣が右腕を振り回す。

 前衛の4人をちょうど薙ぎ払うよう円弧を描いた爪を一歩退いて躱すと、

「ふるぁっ!」

剛獣が叫び、首を信じられないくらいに捻ってから自分の目に向けて短剣を投げつけたヒューイを睨む。

 奴がヒューイを狙って左へ振り切った右腕を逆に振ろうと踏ん張った。踏ん張った丸太のような足めがけてミックが一瞬で踏み込みつつ斬りつけ、怯みながら高く振られた爪を俺たちは身を屈めて避けた。

 続けて振られた左の爪も下がって避け、ヒューイが短剣を投げミックが踏み込む。さらに後方からは俺たちの頭越しにアルテの銃撃とカームの法術が飛ぶ。

「ふるるるるる。」

 苛立たしげに唸る剛獣が腕を振るうが俺たちは攻撃を凌ぎ、その間俺とシゲは奴が前進しないよう中央に陣取ったまま、奴の動きを注意深く観察する。

「シゲ、どうだ。やれるか。」

「やる外は無し。」

 分厚い脇差を構えてシゲが答え、俺は左手に持った小盾をちらりと見た。

 鉄を表面に張ってはあるが元々相手の攻撃を受け流すための盾だ。あの爪を受けたらとてもじゃないが耐えられないだろう。だが、

「そうだな。できるできないじゃない、やるしかないんだ。」

俺は心に沸き上がった怖気を言葉で押さえつけ、奴の動きに集中した。

「ふるぁっ!」

 奴が吠え、その体に暗緑色の煌めきが走る。

 掲げた爪の先から頭上の梢へと光が伸び、奴の姿が夜の闇へと消えた。

「今だ!スイッチ!」

 煌糸を見てタイミングを計り、俺は叫ぶ。

 その命令で全員が作戦通りに走り、奴の巨体が俺たちを飛び越えた後方へと降り立ったときには、チームの陣形は前後を入れ替え再び奴を迎え撃つ形を整えていた。

「るああぁぁ!」

 奴が吠えた。苦痛の叫びだ。

 足元にはスフィーが仕掛けていた杭。谷を進む途中で見つけた手ごろな木の枝を何本か尖らせただけの代物だが、奴はスフィーを狙って落ちて、正確にその罠を踏み抜いた。

「攻めろ!」

 俺が指示を飛ばすと、ミックが瞬歩で間合いを詰めつつ斬り抜けてヒューイが新たに腰から抜いた短剣を投げる。そしてアルテの銃撃とカームが放った旋風の刃。それらはすべて剛獣の急所を狙い、奴は闇雲に両手を振り回す。

 そして、大きく俺たち前衛を薙ぎ払う一撃。

「今だ!」

 俺は恐怖を叫びで打ち消して前に出て、剣と小盾を交差させて構え爪の先へと身を晒す。

 構える動きは体内での煌糸の操作。

 俺が身につけたもう一つの術技。相手の攻撃に対して内的に発した威力で迎え撃つ攻防一体の技、霹鬨霆礎(へきごうていそ)だ。

 ガキイイン!

 奴の爪が剣と小盾をまとめて貫き砕いた。


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