不意打ち
調査は予定通り進み、昼過ぎには糸脈活性点となる池を残すだけとなった。
「順調に進んだな。トラブルひとつ無くここまで終わるとは思わなかったよ。」
ホルトさんに教えてもらった空き地で集合し、携帯食を広げて遅めの昼食にする。調査の途中にも余裕をもって休憩を入れてはいたが、みんな腹が減っていた様子だ。
「おなかぺこぺこですよ。」
アルテが固く焼いたビスケットをカップの水に浸して柔らかくする。それから、途中で見つけてホルトさんに教えてもらって蜂の巣から採った巣蜜をスプーンですくってビスケットに乗せると、一口齧りとった。
「甘くてお茶にもよく合って、美味しいですよ。」
よく噛んで飲み込んでから、満足げに笑うアルテ。他の面々も美味しそうに食べていて、セシリィは驚いてさえいる。
「蜂蜜はこの時期のものではないのに、どうしてこんなにあるのですか。それに、甘さや風味が違います。」
「この森の蜂蜜は、糸脈活性点の影響で冬以外は常に採取できまして。花も蜂も糸脈の恩恵を受けているからでしょうな。味も滋養も他のところには負けませんよ。」
彼女の驚きにホルトさんが自慢する。
大空世界では昔の地球と同じく、甘みは貴重品だ。
もちろん蜂蜜は貴重な資源であって、高品質なものを安定的に供給できるスクトゥム森林は危険さえ管理できれば宝の山でもある。
「お、こちらはもう食べ頃ですね。いい具合に焼けています。どうぞ。」
焚き火で焼いていた肉やきのこを配るホルトさん。
この森の恩恵は蜂蜜以外にも数え切れないほどある。
例えば今、簡易な組み方で起こした焚き火で焼かれている肉厚の木の葉やきのこや獣の肉はここでなければ食べられない味だし、豊かな草木の恵みを食べて育った鳥獣や魚は加工して貴重な現金収入の源になっている。
調査が非常にスムーズにできているので、これらの食材をホルトさんに見繕ってもらい、最後の難所に挑む前の景気付けに振る舞ってもらった。
「これは大変に美味しゅうございますの。ご飯をいただければ最高ですのに。」
スミカの言い分はもっともだ。この固いビスケットでなかったら、最高の食事になっただろう。だが、
「俺は、これがいいです。歯ごたえがあって、噛むと肉と風味が合います。」
スフィーはこの村の固いビスケットが気に入ったらしい。巣蜜や肉やきのこと乗せるものを変えながら、言葉少なく黙々と食べている。
「スフィー、わかってるじゃねえか。これがこの森の味だぜ。」
ミックが誇らしげに笑って、俺もなんだか嬉しい気持ちになる。見ればニールやオリエも、ホルトさんもミックと同じような表情だ。
(直樹の記憶がある限り、これは仕方ないな。)
二つの感覚の狭間で少し寂しさを感じながら、俺はビスケットを齧った。
「みんな準備はいいな。出発するぞ。」
俺は3チームの面々を見て、声をかけた。
「今から向かうのは糸脈活性点のひとつ。ナワバリ争いに負けて奥から追いやられてきた弱い剛獣が住み着く場所だけど、油断はするなよ。」
「戦う予定は無いんだから、退路を把握しながら索敵をしっかりと、だな。スミカ、カーム、頼むぜ。」
俺の指示に続いてミックがチームの面々に声をかける。
幼少時に父親が剛獣に怪我を負わされた彼はその時の兵士たちの話を何度も聞いていて、まず退路を確保する大切さをよく理解している。
彼のチームで索敵に優れるスミカと、精霊術法という他には無い能力を持つ新入生のカルミアをその役に充てた。
「みんな、荷物は確認したかい?捨てられるものは考えてあるね。グウェン、信号弾の準備は大丈夫?それから、ホルトさんと拠点への道を確認しておいて。」
ニールが新入生たちに指導する。彼は新入生たちとホルトさんを連れて少し離れた場所から俺たちのチームを見守り、必要に応じて支援する。万が一はあってほしくないが、剛獣と戦う羽目になりチームが瓦解した場合には、ニールたちが今まで得た情報を拠点まで持ち帰る役目だ。
ニールの性格では実行できるか心配だが、ホルトさんを守る責任があればやってくれるだろう。
「じゃぁ、出発しよう。アルテ、スフィー、周囲の警戒を厳にやってくれ。後ろと側面はミックたちに任せて、前に注意していい。」
そして俺のチームは戦闘で目的地まで一番近付き、状況を確認する役目だ。一番危険に近付く役になるが、仲間たちが後ろを確保してくれているのだから、心配する必要はない。俺がペースをコントロールして、前に出過ぎないことが肝心だ。
「行くぞ!」
俺たちは糸脈活性点へと進み始めた。
活性点は浅い窪地で、北側に直径15メートルほどの小さな池がある。
この池の中に糸脈の活性が最も強い地点があって、それが無くても水場として動物が集まるのは容易に予想がつく地形だ。窪地は今まで調べてきた場所よりも見通しは良いのだが、ところどころに茂みや木があって隠れる場所には事欠かない。
南側の斜面は茂みが深く、大型の獣でも隠れられそうな箇所もある。警戒した方がいいだろう。
「ホルトさんが言っていた通り、北東から入る小道があるな。あの道が茂みから距離を取ったまま池の近くまで行けるのは間違いない。スフィー、周りはどうだ?」
「獣はいますけど、近づいてくる様子はないです。すごく静かです。」
状況を観察し、スフィーとの報告を聞く。アルテも視線を送ると小さく頷いて、精霊たちも警告を発していないことを確かめた。
俺たちの後方を固めるミックの姿を確かめて手を振ると、同じように手信号で返事をよこしてから南に回り込むと知らせてきたので、こちらも了解と伝える。俺たちが南から襲われた場合にも対応しやすい場所を選んだのだろう。北側の茂みは多くないので、妥当な判断だ。
これで準備は万全。
「よし、進もう。」
俺は窪地へと足を踏み入れた。
俺たちは慎重に池へと近付いていく。
俺は背中に背負っていた盾を構えて剣を手に先頭を、ほぼ横並びにシゲが刀を持って進む。スフィーはその後ろで剣と小盾を、アルテは右手に銃を構えている。
アルテは使おうと思えば二丁の銃を器用に使うが、今は大きめの剛獣に対しても有効な威力の高い銃だ。単奏式という法術のみで弾丸を発射する方式の銃だが、アルテの染弦能力でなければ使えない強力な法術を仕込まれており、その分銃自体が重いので両手で保持しなくては扱えない。
誤って俺たちに当たれば大怪我は免れない。
木の葉が風に揺れ、俺たちが草を踏みしめるかすかな音に重なる。
他の音は全く聞こえない静けさの中で、俺は胸元に着けた偏向法術を使うための奏具に指先で触れ、そして道というには不確かな道を進んだ。
やがて池まで20メートルほどまで接近し、一度足を止めた俺たちは周囲を窺う。
不気味なほどに静かだ。
「池の畔まで行けば、糸脈の活性度を測定できるな。スフィー、用意をしてくれ。」
糸脈の活性度を測定することは、この活性点を縄張りにした剛獣が変異する可能性を計る重要な指標になる。工兵学科であるスフィーは測定機器に慣れる必要があって、俺は彼にそれを持たせていた。
「はい。用意します。」
スフィーが剣と盾を収め、背嚢を下ろして測定用の奏具を取り出す。その瞬間に、
「敵襲!」
アルテが叫んで発砲した。
銃弾は背の高い木の生い茂った枝葉を抜きぬけた。ほとんど頭上だ。
梢が大きく揺れると、巨大な影が飛び出して俺たちに向けて落ちてくる。狙いは、スフィーか!
道具を出すために屈んでいたスフィーは、まだ立ち上がっていない。そいつが強烈に撒き散らす敵意の乗った煌糸の束が一直線にスフィーへと向かっていた。
それを断ち切るように盾を構えて割り込む。
間一髪だ。
十分に構えをとる間もなく奴の、俺の腕ほどもある太く鋭い爪が4本揃って迫り、俺はそれを盾で受けた。全身に衝撃が走ってから重さが消える。
「ギル!?」
アルテの叫び。次いで俺は背中を地面に叩きつけられ息を吐きだした。
「ガハッ…」
あまりのショックに息を吸えない。必死で息を整えて起き上がれば、俺は元の場所から10メートルほど離れた場所に倒れていた。ここまで飛ばされたのか。
スフィーはまだ立ち上がっていない。背嚢から器具を取り出そうとしていた最中で、慌ててそれを戻してから蓋を閉めようと手を動かしている。
「イエエヤアアアアア!」
シゲが奇声を発して、彼を守るように敵に切りかかる。しかし全身毛むくじゃらのそいつは彼の刀を爪で易々と受け止めた。背中を丸めた姿勢なのに、丸い頭がシゲより高い位置にある。その背丈に見合う大きな体。地面まで付く太く長い腕。鋭く長い爪。短い足。
「ふるるるるるるる。」
茶色みがかった歯をむき出しにしたそいつは、意外なほどにつぶらな両目をぎょろりと巡らせて俺たちを睨み、唸りを上げた。
(ナマケモノ?こんな奴がこの森にいるなんて、聞いたことがないぞ。)
そいつの姿は、意外なことに直樹の記憶の中にあった。
ただし記憶にあるナマケモノとは大きさが全く違う。威嚇のために立ち上がり広げた両手は視界に収まらないほどに長い。頭は完全に俺たちが見上げる高さで、ざっと4メートルはある。
全身を長い茶色の毛に覆われていて、顔の部分の毛が白いところも顔立ちも確かにナマケモノだ。しかしその巨体に相応しい膂力を感じさせる逞しい筋肉は、ナマケモノのイメージには全く一致しない。
しかもこの大きさ…それに煌糸の煌めき。
こんな場所で出会うとは予想できていなかったが、窪地の不自然な静けさには納得がいった。
間違いない。
「凶化変異体だ!スフィー、早く立て。全員南へ走れ。ミックのチームと合流する!」
合奏甲冑を備えたチームでなければ対抗不可能な剛獣の出現に、俺は素早く撤退を選んだ。
「るろおおおっ!」
立ち上がったスフィーが剛獣の雄叫びにバランスを崩す。明らかに自分が狙われているとわかって、完全に平常心を失っている。アルテが彼に声をかけて駆け寄っているが、間に合うか怪しい。
俺は彼を守るために、自分の盾を確かめながら走り寄る。
胴を十分に守れる大きさの中型の盾はあの一撃で歪み、鉄で覆った縁には3箇所、爪がめり込んだ刻み目がついていた。あの剛獣はスフィーを攻撃する邪魔になった俺を吹っ飛ばそうとして爪を振った。だから盾は無事だったのだろう。
そうでなければ、今頃は盾は使い物にならなくなっていたかもしれない。
どごん!
剛獣がスフィーとの間にいたシゲを狙って爪を振り下ろす。鞭のような一撃が地面を深々と抉った。
その威力に俺は戦慄する。奴がその気だったら、盾ごと俺まで貫かれていたとはっきりわかったからだ。しかし俺が前に出て時間を稼がなければ、スフィーとアルテが危ない。
歯を食い縛って意を決し、剛獣と相対するシゲの隣に立つ。
「アルテ、スフィーと逃げろ!シゲ、殿だ。やれるか!?」
「他に無し!」
短い返答に、シゲであってもこいつには敵わないのだと理解した。ゆっくりと持ち上げられた腕がしなって振り回され、俺とシゲは後ろへと飛んで躱す。
「ギル!行きますよ!」
すぐ後ろにアルテの声。あまりの威力に下がり過ぎた。
「早く行け!走れ!」
咄嗟に叫ぶと2人が走り出す気配があって、それを合図のように剛獣が爪を振る。
激しい衝撃に身体中が痺れた。
もぎ取られた盾が3つに割れて宙を飛び、俺の左手は痺れてだらりと垂れ下がる。
受け流そうとしたのが失敗だった。そんな小細工が通じる威力じゃない。
それでも、俺が踏みとどまったおかげで後ろの気配は離れ、多少の余裕ができた。
「イエヤアアア!」
大振りの爪の隙にシゲが踏みこみ、刀を振り下ろす。狙いは奴の肩口、身体を丸めているから、あの巨体相手でも十分届く。
「うるああっ!」
全身を覆う剛毛に防がれたが、シゲの剛剣は奴の身体に浅く傷をつけた。目を怒りで爛々と光らせた剛獣は全身に暗緑色の煌めきを纏う。これはまさか!
「気をつけろ、魔導を使うぞ!」
俺が叫ぶと同時に奴が腕を振る。煌糸の光が爪に集まって弾け、鎖のように連なって俺たちの頭上を越えて伸びた。
奴の身体がふわりと浮いて、一気に俺とシゲを飛び越えていく。
爪から延びた暗緑色の光はまるで太いつる草のように立木の枝に絡みつき、奴の身体を引き上げて宙に運ぶ。その先にいるのはアルテとスフィーだ。
俺の叫びに後ろを振り返ったアルテが振り向いて銃を構える。しかし奴は彼女の頭上を越えていく。
(狙いはスフィーか!)
どういう訳か知らないが、あの剛獣は執拗にスフィーを狙っている。下から銃で撃たれてもお構いなしだ。いや、当たり方がおかしい。アルテの腕ならもっと中心に当たっているはずだ。
まるで偏向法術だ。そうか魔導で銃弾を逸らしているのか。
「スフィー!避けろ!」
走って追いかけながら再び叫ぶと、スフィーは横っ飛びに飛んで奴が突き下ろした爪を躱した。そのままの勢いで転がって、肩からずれた背嚢の紐を直しながら立ち上がる。
不意打ちで慌てて、背嚢を固定していなかったのか。
(荷物なんて捨てちまえ!)
俺は指示を声に出そうとしたが、そんな余裕もない。剛獣は地面に突き刺した逆の手でスフィーを横薙ぎにする。地面スレスレを迫る爪をスフィーはのけぞって躱そうとするが、あの程度の下がり方ではダメだ。
「スフィー!」
喉を嗄らすほどに声を上げても、奴の爪は止まらない。
ズドン!
爆発じみた突風に跳ね飛ばされたスフィーが奴の爪の間合いから離れた。
左手を掲げたアルテが「早く立って逃げるんですよ!」スフィーに命じて再び掌に光を描く。
(アルテの交歓術法か。)
普段は疲れるから嫌だと言ってほとんど使わないが、アルテは精霊たちの力を借りる法術も扱える。しかも精霊の加護を持つアルテの法術は、一般的な精霊術法より強力とも聞いていた。
しかし、
「急ぐぞ、シゲ!」
「うむ!」
俺はシゲに声をかけて全力で走る。
アルテがスフィーを吹き飛ばしたということは、法術を使ってもあの剛獣を退けることが困難だということだ。事実、彼女が追撃に放った旋風は木の枝を切り飛ばしながら奴に当たったが、奴は煩わしそうに唸っただけでほとんど効いていない。
そして剛獣は、ゆっくりとスフィーに迫る。




