兄弟子
翌日。
俺が煌糸の使い方を掴み始めたからだろうか。師匠の稽古は素振りや型の鍛錬を重視するものに変わった。
休憩の間に尋ねてみると、今までの稽古は俺たちの(特に俺の)身体に身についた無駄な癖を使えないようにするために、身体をギリギリまで追い込んで疲れ果てさせ、そこから正しい動きを見出させるためにやっていた「荒療治」だったと説明された。
「膿んだ傷は切って膿を出さねば治らぬ。それと同じよ。うかつに真似ると身を壊すぞ。」
そんな訳で師匠に打たれる日々は終えたのだが、だからと言って稽古が楽になったわけではない。
素振りや型の鍛錬。
俺たちが剣を一振りすると、師匠は木剣で軽く誰かを小突く。小突かれた箇所は、何かを間違えているところだ。
一振り毎に一回。必ず。
それを100回振って、休憩を挟んで10回繰り返し。
時々、俺たちの誰かが悩んでいると、師匠は黙って素振りをした。
一振り毎にミスを指摘され、だけど説明はなく、自分で考えながら振る。師匠の素振りを見て学ぶ。
ひたすら考えながら振り続けると、一振りに求められる細やかさは途方もなく、10回の繰り返しをするだけで頭も身体もくたくたになった。
型の練習は素振りより複雑だけど流れがあって、素振りで頭を使い続けていた俺たちには多少の気分転換になった。
でも考えることの厳しさは素振りの比ではなく、しばらく続ければ立っているのも難しいくらいになってしまった。
それを、日が暮れるまで繰り返した。
日が暮れる間際、俺たちが疲れて仰向けになって心地よい地面の冷たさに体を冷ましていると、館の方から1人の男が姿を現した。
「ラドワン、いつの間にか弟子が増えたんだってな。こいつらが俺の弟弟子か?」
男は中背で、厚手の服のせいだろうか。かなり筋肉質に見える。少しクセのある髪をかき上げ、俺たちを見下ろしながら師匠に問いかけた。
「師匠、こいつは誰ですか?」
稽古で強くなった実感から師匠に心酔してしまったミックが会話を遮った。俺だって男の言い方は正直面白くなかったし、ニールも同じなのは訝しげな表情ではっきりしている。
だが、男はそんな俺たちの態度を気にせず、悠々とした歩調で師匠に近付いた。
「ようやく来たかカーチス。まったく、相変わらずよ。」
師匠が笑いながら彼を出迎え、俺たちは初めて見る師匠の表情に驚いた。
呆気にとられた俺たちに、師匠が男を紹介する。
「こやつはカーチスと言ってな。去年騎兵学科を卒業してからわしの弟子になった変わり者よ。
カーチス、ギル、ミック、ニールだ。」
俺たちを指差しながら紹介した師匠は、ほれ、と顎でカーチスに指図した。
「カーチス・ウィリアム・モリヤだ。よろしくな。」
カーチスは、しゃがんでからそう言うと、右手を差し出した。その振る舞いに戸惑いながら、俺は差し出された手を握り返した。
(なんだか、『この世界』らしくない人だな)
ミックやニールとも握手している姿を見ながら、俺は思った。
この世界は封建的で、身分の違いが明確だ。
加えて子供というのは社会的には擁護される存在として扱われる。言い方を変えるなら「足手まとい」で、俺たちの様に洗礼を受ける前ならなおさらだ。
それなのに、カーチスは俺に貴族に対する礼はしないで、子供相手にしゃがんで挨拶して、ミックやニールに対しても俺と同じく振る舞った。
つまり、身分の違いとか関係なく、子供と対等の目線で挨拶したんだ。
(変な人だ。まるで、日本の人みたいな感じがする。)
俺は、この世界には珍しいその振る舞いに、少しだけこの軽薄そうな人物を見直した。
そして立ち上がったカーチスが俺たちに尋ねる。
「ところでお前ら、この村で、綺麗なおねーさんが酒を飲むとかお話しするとか色々相手をしてくれる店って知らないか?領主様に聞いても知らぬ存ぜぬでさぁ。」
上がった評価がその10倍下がった。
「もしかして、フェオリーの」
「ニール。」
お人好しなところを見せたニールを俺が呼ぶと、意図を察して幼馴染は黙り込む。
「お、やっぱりあるのか。村と言ってもこの大きさだからな。で、今なんて言った?」
たが、カーチスは食い下がってきた。評価がさらに下がる。
ミックやニールは、カーチスが言っている店の意味はわかっていないだろう。この世界のモラルはその見た目以上に高く、6歳の子供に春を買うような話をする大人はいなかった。
今までは。
俺は冷めた気分でカーチスの襟に付けられた徽章を指差しながら
「おじさんは律奏騎兵なのに、そんなお店に行くんですね。」
と突き放す。
カーチスが露骨に嫌そうな顔をした。
「『そんなお店』がわかるガキも大概だ。親が騎士なら教えてもらえるのか?」
「村をよく見て回っていますから。」
安い挑発をスルーされて眉間にシワを寄せたカーチスを冷めた目で見上げながら、俺は話を切り替える。
「師匠、この人、本当に俺たちの兄弟子なんですか?律奏騎兵なのは徽章を付けているから本当だろうけど。」
声を出さないように堪えていた師匠が、話を振られて、笑いを噛み潰しながら俺に答える。
「おぉ、そやつは紛れもなくワシの弟子よ。剣の弟子ではないがな。」
「剣でないなら、何を教えているんですか?」
と問いかけたのはニールだ。
ミックは、「だったら兄弟子じゃないよな。」と小声で呟いている。カーチスの振る舞いがよほど気に障ったのだろう。
「剣以外の戦い方を教えておるのよ。言っておくが、お主ら3人がかりでも勝てぬぞ。」
俺たちは師匠の答えにニヤリと見下ろすカーチスを3人で見やってから、完全に一致したタイミングで
「これが?」
と言い返した。
「ラドワン、こいつらに礼儀作法ってやつは教えてないのか?3人揃って言い切りやがった。」
忌々しげに師匠にカーチスが当たるが、師匠はどこ吹く風で、
「信じられぬなら、やりあってみれば良かろう。今からではお互い疲れがある。明日の昼にでも立ち会ってやるよ。」
と、唐突に試し合いを提案してくる。すると、驚いている俺たちより早く、カーチスが口を開いた。
「こんなガキども相手か?めんどくせぇな。」
即座に文句を言ったカーチスに、俺たちは色めき立った。
「めんどくせぇって……。兵士たち相手でも俺たちはやれるんだ。舐めんな!」
ミックが叫び、3人で軽薄に笑う男を睨みつける。
「はぁ…。おい、洗礼前のガキ、それもご領主様のご子息とお友達に兵士が本気を出すと思っているのか?接待されている事にも気付かねぇで意気揚々とは、多少は使えても、やっぱりガキだな。」
俺たちをなだめるように手をひらひらさせながら、カーチスが言う。
「ふざけんな!」
激高してカーチスにとびかかろうとしたミックを、俺は手で制した。それを見て、ニールも姿勢を戻す。
いやなところを突いてきているが、この程度の嫌味で冷静さを欠く俺でもない。
大体、実際の年齢なら俺はカーチスどころか父親のローランドより年上だ。カーチスの言葉と態度のおかげで逆に子供としての衝動が抑えられて、これより不愉快な思いをさせられてきた経験が俺の感情をコントロールしてくれていた。
「師匠、俺たちは今からでも大丈夫です。でも、カーチスさんは旅の疲れがあるでしょうから、師匠のおっしゃる通り今晩はゆっくりと休まれた方が良いでしょうね。」
そう言い返した俺を見下ろすと、カーチスは
「あぁ、ゆっくり休ませてもらうさ。おいラドワン。勝ったところで俺には何の得もないんだが、こいつらの相手をさせるために俺を呼んだのか?」
と、面白くなさそうな表情で俺に応えてから、師匠に文句を言いつけた。
「用件は他にもあるが、そうさな、お主が勝ったら、旨い飯をおごってやるよ。」
頭をかきながら仕方ないと師匠が言う。するとカーチスは
「いいぜ。引き受けた。ただし飯は今日だ。明日は酒だな。」
と一方的に要求を上乗せしてから、「じゃぁ、明日にな。」と俺達に手を振ると、あっさりと屋敷から出ていってしまった。
こうして、突然現れた兄弟子との試合の話が、これまた突然に決まってしまった。
その後に俺達は師匠にカーチスに対しての文句をこぼすのだが、師匠はああいう彼の性格を気に入っているらしい。暖簾に腕押しな師匠の態度から俺はなんとなく2人の関係もわかる気がしたが、ミックもニールも不満を隠そうともせず文句を言い続けて、辟易とした師匠が逃げ出してその日の修業を終えた。