特訓開始
春から夏へ移り変わるこの時期の朝は乾いた空気が心地よく、運動をするには快適な環境だ。
空が白み始めた頃にベッドから起き出した俺は、あくびをしながら部屋の窓を開け、爽やかな空気を思いっきり吸い込んだ。
「眠ったのは1時間くらいか。いつもの習慣で目は覚めたけど、さすがにまだ眠いな。」
気を抜けば閉じようとする瞼をこすり、俺は昨夜の出来事を思い出して項垂れる。
「父さんたちの話もわかるけれど、あんな時間までお説教することもないじゃないか。」
思わずため息をついてから、俺は軽く身体を動かして伸ばし、昨夜の出来事を思い返した。
昨夜、夜も更けてから家に帰った俺とアルテを、女中のサミーが仁王立ちで待ち構えていた。
「おかえりなさいませ。ご領主様も皆様もお二人をお待ちでございますよ。」
辛辣な態度で出迎えられ居間に連れていかれると、父さんと母さんが揃って待ち構えていた。
2人だけじゃない。テーブルを挟んで向かいに座っているのはカーチスとジョセフさん、そしてザンダルガム公爵の付き人たちだ。
アルテはすぐにザンダルガム公爵の付き人に別室に連れて行かれ、居間には俺たちの他に公爵の秘書が残る。その5人が、俺が座らされた席の反対に並んだ。
重苦しい沈黙の中、サミーが全員の前に香草茶を注いだカップを置く。それから、
「ギルバート、まずはお前が何をしていたのかから聞こうか。」
今まで聞いたこともない低い声で、父さんが俺に問いかけてきた。
父さんへの返答を皮切りに俺は5人から徹底的に叱られて、俺がしでかした失敗と自分とアルテの立場を教えられる羽目になったのだ。
それは公爵の秘書が俺とアルテとの間には特別な関係は無いのだと納得するまで続き、彼女が部屋を出て行った後に残った父さんたちからは、俺もアルテもそれぞれの家名を背負っていて、考えの浅い行動は家の立場を危うくすること、周囲にはどのように思われるのかを考えろと切々と説かれ続けた。
カーチスだけはそんな俺を笑って茶化していてくれて、それが逆に俺にとっては救いにはなった。しかし最初の方で、
「お前らの帰りが遅いって雁首揃えて狼狽えていやがってな。とても見ていられなかったぜ。」
そう言ってきたときの表情には彼自身の不安も感じられ、それが俺にはひどく堪えた。
だから俺は父さんたちの話も言い訳なく聞こうという気持ちになれた。あの一言がなかったらいらない弁解をしようとして、お説教は朝まで続いたかもしれない。
身支度を整えてからそれに気が付いた俺は、朝の鍛錬にはカーチスも来るから、お礼を言うべきかと考えながらの用意を済ませ、父さんたちに挨拶を済ませてから家を出た。すると、
「兄さん。」
「ギルお兄様。」
門の手前で待ち構えていた2人の子供に呼び止められた。
この2人はあの剛獣狩りの後に生まれた弟と妹だ。弟のレイナードは8歳、妹のジャスティーナは6歳になる。
「レイ、ジャスティ。起きていたのか。」
子どもが起きるには早い時間に待っていたことに驚いて立ち止まると、2人は笑顔で俺に駆け寄ってきた。
「兄さんが帰ってきたから、父さんたちにお願いして、朝の練習を兄さんたちと一緒にさせてもらうようにしたんだ。」
「私、夕べはお兄様とご飯を食べたかったの。だから、一緒に行ってもいい?」
利発に話すレイと口数の少ないジャスティが一心に頼み込んでくる様子に、俺は少し迷った。
というのも、俺たちの鍛錬はこの幼い2人にはハードすぎるからだ。だからと言って2人に合わせていれば自分のペースが保てないし、仲間たちはどう思うだろう。
「お兄様、ダメ?」
幼い妹の一言と見上げてくる視線に、俺は2人を連れて行くと決めた。
「わかった。一緒にやろう。」
ミックとニールとオリエもいる。それに、他の連中だって2人を邪険にするような奴はいない。
鍛錬の不足は日中にでも夜にでも補えばいいし、2人に教えることは俺にとっても学ぶものがあるはずだ。それはきっと自分の鍛錬よりも大きいだろう。
閃くように脳裏を巡った考えは直樹としての経験からくるものでもあったが、それよりも久しぶりに会う弟と妹との時間を大切にしたいと思う気持ちが強く働きかけての決断だった。
それはともかく、指導をするなら2人の実力を知らなければならない。
「ただし、俺の友達にはお前たちが驚くような技を使う奴もいる。そいつらの技はすごいけど真似をしようとせずに、お前たちの出来ることをやるんだ。」
注意をしてから「いいな?」と念を押すと、2人はそろって返事をする。
「わかりました。」
「はい。お兄様。」
嬉しそうな声を聴いて、俺は自分の決断が間違っていなかったのだと実感する。
「レイ、ジャスティ、2人はいつも、どんな練習をしているんだ?」
指導方針を決めるために俺が尋ねると、2人は笑顔になって俺の周りを歩きながら、それぞれに普段の生活を話し始めた。
待ち合わせ場所の村の南門に到着するとカーチスと彼の部下がすでに集まっていて、俺たちに気付くと手を振ってきた。
「ようギル。夕べの様子にしては早いな。いい心がけだ。」
「カーチスおじさんおはよう!」
「おじさんはやめろ。老けた気分になる。」
俺より早くレイが駆け寄って挨拶をして、カーチスが素早く突っ込みを返した。
ジャスティは俺の後ろにいて、小声で「おはようございます…」とささやいている。
「カーチス、皆さん、おはようございます。この2人も一緒に練習をしたいというので、よろしくお願いします。」
俺が挨拶をしながら2人について話すと、カーチス率いる律奏騎兵小隊の面々はすでに承知の様子で和やかに笑った。
「実は領主様から夕べのうちに頼まれています。皆、あなたたちの指導をした時のことを思い出して楽しみにしていましたよ。」
俺の3人目の師匠であるジョセフさんが穏やかな声で応じ、俺はほっと胸をなでおろす。
そんな俺に、カーチスの隊から大男が2人、大声で話しかけてきた。
「行軍訓練に比べれば、子どもの2人なぞ軽いものだ。」
「お前ら3人に比べれば2人を背負うくらい軽いものだ。」
そう言って笑ったのは、カーチスの部下である双子の兄弟、ガッシュとバッシュだ。
2人はニールに負けないほどの背丈と彼よりも二回りは大きい屈強な体躯と立派な髭の持ち主だ。その豪放な外見と振る舞いに反してカーチスが駆る律奏騎兵アルクストゥルスの運用支援を担当している。
眼鏡をかけたガッシュは煌術技官、バッシュは躯体技師らしく作業用の道具を収めたベストを着こんでいて、2人とも厳窟族らしい頑強な体躯と優れた技量を有している。
小さい頃にカーチスたちの走り込みについて回るようになった俺たちは、途中で力尽きるといつもこの2人に背負って運んでもらっていた。
だが、彼らの大声に身を竦ませたジャスティが俺の後ろにさっと隠れ、レイは身体を固くしながらも彼らに
「僕はもう2人に背負われたりしません。」
と言い返している。
カーチスと小隊の面々は剛獣狩りの後もこの村を訪れることがあった。俺は彼らがいる間は一緒に訓練をさせてもらっていて、レイとジャスティも俺にくっついてきたから彼らとの面識もある。
しかし、この2人の大声は幼い2人、特にジャスティにとっては、何度聞いても怖いもののようだ。だが細かいことを気にしない彼らはレイの言葉に気をよくしたらしい。
「そうかそうか。この一年でどれだけ走れるようになったか楽しみだ!」
「ギルたちはハンデに、行軍装備をつけてやる。そのくらいはできるだろう!」
でかい声で笑いながら物騒なことを言い出した2人に、俺は慌てて割り込もうとする。だが、
「良いんじゃねえか?おいギル、確か15人だったな。小隊の装備だけだと足りねぇから、領主様に出してもらうか。」
機先を制してカーチスが2人の思いつきを認めてしまった。
「ジョセフ、借りてきてくれ。砦にあるはずだ。ギル、特別遠征の訓練で手抜きをしたなんて言われたくはないからな。煌剣折りの悪名にかけて徹底的に鍛えてやるぜ。」
してやったりと笑うカーチスに、俺は歯噛みした。
確かに彼らから指導を受けることになっていたが、それを良いことにカーチスは噂をばら撒かれた腹いせをするつもりだ。
「カーチス、結婚するのに大人気ないのは変わりないね。」
「うるせぇ。人の黒歴史をほじくり返したからだ。」
俺の嫌味を突っぱねたカーチスがそっぽを向く。だが学生チームの代表としてはそれで黙るわけにはいかない。
「俺たちが言わなかったら、もっと酷い噂になってたんだよ。逆に感謝してほしいな。」
「昨日の分も入っているんだぜ。公爵様にも徹底的にやってくれと頼まれてるからな。」
素早い反撃で公爵の意向だと言われれば、俺には諦める他はなかった。
しかし、みんなにはどう説明すれば良いのだろう。
内心頭を抱えた俺の耳に、学友たちの声が聞こえてきた。
「ギルの馬鹿野郎…」
丈の短い草に覆われた広場の真ん中で、行軍訓練用の装備を投げ出してから大の字に倒れ、ミックが呻いた。
「ミック、ギルは悪くないよ。カーチスさんの性格は知っているよね。」
呼吸を整えるのが精いっぱいで言い返すこともできない俺に代わって、息も絶え絶えなニールがフォローしてくれている。
「ギルに聞いていましたけど…。」
「これはキツイね。」
セシリィとヒューイが倒れたままで感想を呟き、アルテはぐったりと横たわったままだ。
「ニール様のおっしゃる通り、ギルバート様のせいではございませんの。」
誰の前でも疲れた様子を見せたことがなかったスミカが草に手をついて喘ぎながら言うと、少し離れて膝をついていたシゲが、
「某の力が足りぬ。鍛錬あるのみでござる。」
声を振り絞る。
そんな俺たちの傍らで立っていた完全武装の男性が、隣に立つもう1人と目配せしてから、
「休憩終わり!立て!」
厳しい声で命じた。
「はい!」
自棄になって大声で返事をしてから、軋む身体に気合を入れて跳ね起きる。
彼らはホーガンとワイツ。2人ともカーチスの部下だ。
カーチスの小隊は分かれて学生の指導をしていて、この2人が三学年の担当を任されている。
装備した合奏甲冑のとおり特殊機装歩兵で、ホーガンは重装甲の甲冑に分厚く長い大剣を、軽装甲のワイツは背中の支持具に銃身を折りたたんだ長大な銃を装備している。
人体を凌駕する動力を持つ合奏甲冑を着ているが、今はその動力を最低限に抑えた待機駆動だ。特機学科のシゲが言うには生身よりも厳しいらしいが、その状態で俺たちと走っていた彼らには疲労した様子が全くない。
立ち上がった俺は他の面々の様子を見て、1人を除いて全員が列を整えようとしていることを確かめてからため息をついた。そして不貞腐れた表情で座り込んだままのアルテに、
「アルテ、立てるだろ。」
声をかけながら手を差し出す。俺の手を取って立ち上がりながら、
「スノーパレード追加ですよ。」
ぞっとする一言を付け加えるアルテ。
「それは聞けないな。早く並ばないともっとキツイやつが来るぞ。」
要求を突っぱねて俺が列に並ぶと、アルテも何かを愚痴りながら隣に並んだ。
「総員点呼!」
俺が掛け声をかけると、アルテから点呼が始まってヒューイで終わる。全員の声を確かめてから俺は列の前に立つ2人に向けて、
「三学年全員準備完了!」
声の限りに報告した。そして、
「ホーガンさん、ワイツさん、次の訓練は何でしょうか?」
こちらから彼らに質問を突き付けて、まだやれるとアピールする。
俺の主張に、ホーガンの口元がかすかに動いた。
彼は左手の指で右頬の傷跡を撫で、俺を睨む。
いや、角張った厳つい輪郭や三白眼の鋭い目のために睨まれたように感じてしまうが、あの仕草は面白がって笑っているだけらしい。
「学生諸君はやる気だぞ。ワイツ、どうする?」
ホーガンは隣に立っているもう1人の、鷲鼻でのっぺりとした顔つきの男性に声をかける。
彼が着ている甲冑はホーガンより軽装甲だが、背中の支持具に取り付けられた巨大な銃は甲冑の動力があっても苦労する重さだろう。そんな銃を背負っていても姿勢を崩さず薄い唇を引き結んだまま右手を上げたワイツは、拳を横にして親指を伸ばしてからピッと跳ね上げた。
カーチスから新顔の部下だと2人を紹介された際に自己紹介で名前と階級を言い、それ以降は彼の声を聞いたことが無い。沈黙は金という言葉を突き抜け切っている。
カーチスが「2人とも癖はあるが悪いやつじゃねぇから、よろしくな。」と言っていた理由は、ほんの1時間ほどで理解できた。
「私も同感だ。小隊長の命令どおり、手加減無しだな。」
口元をかすかに歪めたホーガンがワイツの意見に賛同し、俺たちの列からは怨嗟の呻きが聞こえた。
「ギルがあんなことを言うからですよ。」
「もうだめ動けない。」
午前の訓練を終えて踊る小鹿亭に戻るとすぐに、アルテとオリエが並んで机に突っ伏した。
「その様子だと、1学年の訓練も厳しかったようだな。」
アルテの愚痴は無視してオリエに尋ねると、幼馴染は顔を上げ、
「スフィーがついていけないんだから。みんな、途中でダウンしちゃった。」
と報告した。離れた席から「すみませんです。」とスフィーの声が聞こえる。
「安心しろ。律奏騎兵小隊は軍のエリート部隊だぞ。その現役の訓練なんだから、新入生にはきつくて当たり前だ。」
2人を慰めてから俺は見栄を張って震える足で立っていることをやめて、みんなと同じように席に着いた。
「みんな頑張ってきたんだね。ほら、お水だよ。すぐにご飯を持ってくるからね。」
それを見計らったように、アンナさんが水を運んでくる。
全員でお礼を言ってから、新入生にはゆっくりと飲むよう指導した。そうしなければ胃袋がびっくりして、昼食をとることもできなくなってしまうだろう。
「飯は食えよ。午後の座学、もたねぇぞ。ジョセフさんは教えるとなると厳しいんだ。」
ミックが自分に言い聞かせるようにしてから、席を立った。
「おばさん、俺が運ぶぜ。」
そしてカウンターの向こうに声をかけると、厨房からアンナさんの返事が返ってくる。
「お、俺もですか?」
スミカに肘打ちされたランダルが顔を上げると、
「『も』ではございませんの。マイケル様から頼まれたことをお忘れですの?」
いつものように背筋を伸ばしたスミカが叱りつけた。
ランダルが不満げにカウンターに向かうと、スフィーが「俺もやる。」と立ち上がり、それから新入生たちが席を立った。
料理を受け取ろうと待つ彼らに見えないように、俺はスミカにぐっと拳を見せる。
彼女が微笑みで応えると、テーブルに戻ったミックも彼女と同じやり取りをしてから席に着く。
昼食を詰め込んだら学科ごとに分かれて座学の時間。その後はまた鍛錬だ。
俺たち3人にはジョセフさんが手合わせをしてくれると約束してくれた。
これからしばらく、夢も見ないほどよく眠れる日々が続くだろう。
望むところだ、と気合を入れて、俺は並べられた食事に手を伸ばした。
そんな訓練が毎日続いた。




