セシリィとヒューイ
2日後。
運動禁止の期間を終えた俺は、腕を吊って左肩を固定したままで早朝の鍛錬に仲間たちで使っている森の中の空き地へと向かって走っていた。
三日間とはいえまともな運動をしていなかった体は文句を言ってきたが、それを上手く誤魔化しながら走っていると、
「ふざけないで!」
激しい怒りの声と、平手打ちらしい音が少し離れた場所から聞こえてきた。
(セシリィか?)
聞き覚えのある声に驚いて、そっとそちらの様子を伺う。すると、俺が使うコースから外れた木々の合間にセシリィとヒューイの姿があった。
2人とも俺と同じ騎兵学科の同期で、セシリィは女ではあるが叙勲騎士である父親の後を継ぐために子供の頃から厳しい訓練を積んでこの学校にやってきた。
聞くところによればヒューイも同郷らしいが、特に親しいという話は聞いたことがない。
その2人が朝早くにこんなところにいるという予想外の出来事に加えてさっきの声だ。変に関わらない方がいいのかと判断しようと様子を見ると、
「誰だ!」
不意に振り向いたヒューイがこちらを鋭く睨む。
「だ、誰かいるの?」
それで俺に気付いたのだろう。セシリィは驚きを隠しもせずにこちらを見た。
「ギルバートだ。朝の走り込みの途中に珍しく人の気配があったから、様子を見にきたんだ。邪魔をしたならすぐにいなくなるよ。」
俺が姿を見せると、セシリィは口籠もってヒューイを見やってから視線を下に向け、ヒューイは立ったままこちらを注意している。
(隙が無いな。)
俺がそう感じたところで、ヒューイが口を開いた。
「ごめんよギル、ここは君のコースから近かったんだね。邪魔をしたのは僕かもしれない。でも、1人だけは危なくないかな?」
普段通りの腰の引けた声に、俺は僅かな不自然さを感じた。ヒューイは体格が小さく気も弱く、評価は同期の中でも下の方だ。だが、今目の前にいる彼からは、そういう印象とは別のものを感じる。
「しばらくしたらミックたちも来るよ。俺は身体が鈍っているから、早めに出てゆっくり走っていたんだ。」
「もう走ってもいいのね。良かったわ。」
俺が身体像欠損で運動禁止になっていたことは2人ともその場にいて知っている。それもあってか、セシリィが口を挟んだ。
「僕らは同郷だって言ったことあるよね。昨日お世話になった先生から私信が届いていたから、僕がセシリィを呼んで話をしていたんだ。」
さりげなくセシリィの前に出て、ヒューイが事情を説明する。そう言われれば何か周りには知られたくない話があったと考えるのが普通だ。
「そうか、それはすまなかったな。じゃあ、俺は走り込みの続きに行くよ。」
彼の考えを尊重して、その場を去ろうとした。すると、
「待って。」
セシリィが俺を呼び止める。
「お嬢…」
彼女は口を挟もうとしたヒューイを押し留め、
「ギル、特別遠征の話を聞いたわ。急なお願いで不躾は承知なのだけど、私も参加させてもらえないかしら。」
真っ直ぐ俺を見つめて、頼んできた。
「確か、参加自体は自由だったはずだ。俺に断りを入れる必要はないよ。」
遠征の参加者は公平性を保つために公募される。
俺は昔からの縁もあってジョセフさんから話があったが、条件さえ満たせば誰でも参加可能だ。それを踏まえて答えると、セシリィは目を伏せて首を横に振った。
後ろに結われ短く下がった、落ち着いた色合いのブロンドが、ゆっくりと揺れる。
「スクトゥムの事情があることくらい、調べなくてもわかるわ。だからよ。」
毅然とした目線を受け止め、俺は彼女の意図を考える。
少なくとも彼女のふるまいからは不自然なものは感じない。ただ、ヒューイが強く警戒した様子で俺を窺っているのは気にかかる。
彼女の言葉を素直に受け取るなら、守護騎士としてスクトゥムの剛獣災害に対するよう王命を受けた俺の家に対して筋を通しておこうという考えなのだろう。彼女自身も騎士の父親を持っているのだから、そういう考えになるのもわかりやすい。
「そうか。俺は誰が参加しても気にはしないが、セシリィの気遣いはうれしく思うよ。」
彼女らの立場も考えてオースデイル家の者が許可したと取られないように答えてから、俺はヒューイを見た。
「ただ、ヒューイはどう考えているんだ?さっきから何か言いたそうだが、こうなれば君も参加するつもりなんじゃないか。」
今まで見てきた二人の関係と、今の二人の距離間の違い。そして2人が同郷だということや、セシリィの立場。それから、二人の動き。
それらを繋げて閃いた推測を確かめるため問いかけると、
「ヒューイも来るわ。ヒューイ、もうバレているわよ。彼は私の付き人なの。小さいころに父が連れてきて、それからずっと私にくっついているのよ。」
セシリィが答えた。
ヒューイが口を挟もうとしたが彼女は彼を止め、
「軍務学校に行くことは小さいころから決まっていたから、私と同じように教育を受けてきて、そのままお目付け役をやっているわ。ギルに話をしたのは、こういう事情もあるからよ。今を逃したら機会が無いでしょうし。」
説明の最後に、「息苦しいのよね。」と付け加える。
ヒューイが困ったような笑顔を浮かべた。
「そういうわけだから、お嬢様が行くとなったら僕も行くよ。よろしく、ギル。」
そして数秒前までの警戒した雰囲気からいつもの弱気な様子に戻って、寮の方を見た。
「それからお嬢、そろそろ行かないと授業の準備に遅れるよ。ギルの仲間も来たようだ。」
彼がセシリィに声をかけて促すと、彼女も小さく頷いて
「そうね。それじゃあギル、私たちはこれで帰るわ。よろしくね。ヒューイ、行くわよ。」
満足げな様子で手を振ると、ヒューイを連れて寮へと戻っていく。
「あぁ、楽しみにしている。また後でな。」
2人を見送って走り込みを再開しようと屈伸を数回。
ふと気づくと、数歩離れた場所にヒューイがいた。
彼だとわかってから、飛びずさって構えていた自分に気付く。
(完全に間合いの中じゃないか。全く気付かなかった。)
動揺を隠しながら構えを解き、
「ヒューイ、驚かすなよ。二人で行ったと思っていたぜ。」
気さくな口調で話しかける。
「うん。だけど忘れ物があると言って、セシリィには先に行ってもらった。すぐ追いつける。」
「あぁ、ヒューイの足ならそうかもな。でも、俺にまだ用があるのか?」
剣呑な気配に呑まれないよう身体の力を緩めて、普段通りの態度で応じると、ヒューイは少し悩むように口元に手を置いてから離し、それから、
「ギルに頼みがある。僕らの関係は、他言無用にしてほしい。セシリィは女というだけで風当たりが強いのに、お目付けが一緒に入学してきていると広まれば余計な噂が流れる。実は同郷っていうだけで囃し立てる奴もいた。だから、頼むよ。」
事情を話して小さく頭を下げた。
「わかっているよ。元から話題にするつもりはなかったさ。」
俺が考えを口にすると、彼はほっとした様子で
「ありがとう、助かるよ。遠征ではよろしく。」
気さくな礼と一緒に手を振った。俺も手を振り返す。
唐突に、背中に冷たいものが流れた。
瞬時に俺の感覚に広がったのは、彼を中心とした暗い青の煌めきだ。ワイマーとの戦いで見えた煌糸が、あの時と同じかそれ以上にはっきりと俺を包んで感じられた。
同時に、冷たい刃を思わせる雰囲気で俺を見据えたヒューイは、すぐにいつもの彼に戻って
「足手まといにはならないからさ。」
笑ってから背を向け、小走りに去っていく。
その気配が感じられなくなってすぐに、森の中を数人が走っていく足音や会話が聞こえた。一番よく聞こえるのはミックの声だ。
俺は、ヒューイが最後に見せたものとその意味を考えながら、仲間たちに合流した。
「あら、ギルバート様はライトベル様の実力がわかられましたの。」
俺が仲間たちにヒューイのことを話すと、スミカが目を細めて微笑んだ。面白がっている表情から察するに、彼女はヒューイの実力を知っていたのだろう。
「ああ。さっき、走り込んでいたらあいつに会ってね。特別遠征に参加したいって言ってきて、それから足手まといにはならないって、少し本気を見せてくれたんだよ。」
俺が用意しておいた言い訳を話すと、ミックがすぐに興味を示した。
「それってさ、あいつも実力を隠して、今まで目立たない順位にいたってことだろ?信用できるのか?それにスミカ、お前、知ってたなら教えてくれよ。」
「マイケル様が相応の技量をお持ちになれば、自ずとわかることでしたの。どなたが気付くか賭けておりましたのに、わたくし、とても残念ですの。」
艶然と俺たち三人を見やってから、柔らかな仕草でため息をつくスミカ。
「賭けてたって、相手は…」
「某ではござらん。」
「内緒ですの。」
呆然とした呟きはシゲとスミカにまとめて遮られた。
「ヒューイは、嘘をついたり約束を破ったりしたことはないよね。ちょっとショックだな。」
ニールが気弱そうに呟いて、俺はヒューイの件に話を戻す。
「何か事情があるんだろうな。あいつが特別遠征に加わることに俺たちが何かできるわけでもないし、足手まといにならないつもりで実力を見せたんだから、それなりに信用はできるはずだ。」
「そうだな。考えても仕方ないか。それで、あいつってどのくらい使えるんだ?」
俺が話をまとめると、ミックがヒューイの実力を聞いてきた。
「下手をすれば、ワイマーより強いな。」
そう答えてから、驚いて黙り込んだ2人に最後の出来事を説明する。
「あんな間合いまで気付けないのは、スミカくらいだと思っていたよ。それに、あいつはワイマーと同じで王道の剣を使えるはずだ。煌糸が見えた。」
ミックとニールが低く呻いてから、
「マジかよ。ギルに一歩先に行かれたばかりなのにな。」
「隠していることも気付かなかったんだから、どれだけ差があるかわからないね。」
がっくりと肩を落とす。
「お二方とも、そのように気を落とさないでくださいませ。色取りに至る道は剣技だけではございませんわ。いかなる技であれ極めていけば、必ず至りますの。」
2人の落ち込みように困惑したスミカが慰めると、ミックが顔を上げた。
「だったら、ヒューイは剣技以外で煌糸を使えるってことか?」
「そうかもしれませんの。けれども、わたしくも手合わせをしてみなければ測りかねますの。」
ミックの問いかけに答えたスミカが俺とニールをちらりと見る。すると、
「スミカ、いいかな?」
おずおずとニールが声をかけた。
「あら、ニール様、そのようにお気遣いなさらなくても、お声掛けいただいてよろしいですの。」
「ありがとう。その、さっき『色取り』って言ったけど、それは煌糸の使い方のことかな?」
くるりと振り向いたスミカにニールが尋ねたのは、俺も気になっていたことだった。
「ご察しのとおりにございますの。お互いの煌糸に現れる気配を取り合って、身体の動きに先んじて相手を制する…そういう、技の段階になりますの。お互いの色が場所を取り合うので、わたくしの流派では色取りと呼び習わしておりますの。」
「技の段階、か。それなら、もっと上もあるんだな。」
スミカの説明を聞いて俺が口を挟むと、彼女は俺を横目に見やってから
「ギルバート様のおっしゃる通りでございますの。見えた程度で喜んでいてはその先には至れませんわ。」
そっけなく答える。
「だそうだ。ニール、ミック、先は長いらしいぜ。」
「だったら、まずは見えるようにならないとな。要は剣だろ。俺たちはそこから始めたんだから、他にはないよな。」
「うん。がんばるよ。できるようにならないとね。」
俺が二人に話しかけると、ミックとニールはそれぞれに練習用の剣を手に取る。
「それじゃぁ早速やるぜ。ニール、相手してくれ!」
ミックがニールを誘って俺たちから離れた。
「俺も始めるか。3日空けたからな。」
2人の剣が打ち合わされたのを見てから、俺は肩の怪我があるため、その場で構えをとると右手だけでゆっくりと素振りを始める。
スミカが俺の隣で立ったまま、剣を打ち合わせるミックとニールを見ている。シゲはさっきから1人で例の素振りだ。
各々で練習を続けていると、スミカが、俺にだけ聞こえる程度の声で
「ギルバート様、ライトベル様が参加なされるのでしたら、ハワード様もご一緒でございますね。」
セシリィのことを言い当てた。
「っ!?」
思わず素振りをしていた手が止まる。
俺は彼女のことまでは話していないのだが、スミカは2人の関係まで知っていたのか。
「ギルバート様、そのように力んでいたのでは色取りすら覚束ないですの。」
目を細めた艶然とした微笑みを浮かべ、彼女は声を大きくした。
ミックの笑いが聞こえるが、あいつらは俺が驚いた理由をわかっていないだろう。
「…知っていたのか。」
気を取り直して素振りを再開し、小声で聞き返す。
「お二方とも動きが同じですの。おそらく、同じ師についていらっしゃったのですわ。それで鎌をかけてみましたら、ギルバート様の驚きよう。おかげではっきりいたしましたの。」
「そうか。」
苦虫を嚙み潰した気分で剣を振り下ろす。
俺には全く分からなかったが、ヒューイとセシリィの動きには共通点があるのか。スミカに驚かされたことだけでなく、それを見抜けなかったことが俺の自信を揺るがせた。
「詳しいことは話せないぞ。そう約束したからな。」
小声で釘を刺すと、スミカはそれを気にも留めぬ様子で結い上げた髪を手で撫で、
「元より伺うつもりはございませんけれども、遠征は大変興味深く存じますの。ですから、わたくしも参加いたしますの。シゲトヨもきっと参りますわ。」
当たり前のことのように告げた。
予定よりも早い帰郷だったが、それは思っていたよりも大人数になりそうだ。
「家には連絡しておくよ。カーチスとジョセフさんにもな。」
予想外の事態にはなってしまったが、普段から一緒に鍛錬をしている仲間が来てくれるのは心強い。2人の実力なら剛獣狩りでも頼りになるだろう。
「きっとみんな喜ぶよ。」
そして、故郷で開かれるカーチスの結婚式やその後の休暇を想像した俺は、明るい気分でスミカに答えた。




