針の筵
「あ〜。今日は賑やかですね。特例受講ですか?」
白髪混じりの髪を丁寧な七三に整えた男性教師は、のんびりとした話し方で俺とその周りにいる3人を見ながら尋ねた。元々14人しかいないのだから、ばれない方がおかしい。
「はい。秘紋学科一年、オリアーナ・セドリックです。律奏機構造論では秘紋の機械工学における応用を学べると伺って特例受講を希望しました。」
「工兵学科一年、グウェンミルです。機構鍛冶専攻を希望しております。運用面から見た律奏機構造を学びたく思います。」
「向学心があってよろしい。チューターは誰かね?」
「私たちですよ。2人とも私、アルテア・ティア・ラティアスとギルバート・オースデイルが指導してますよ。それから、私は支援学科で律奏機に対する法術支援の方法を研究するためこちらに伺いましたよ。」
「あぁ、君がアルテア君かね。噂は聞いておるよ。ギルバート君、その2人は先日申し出があった2人だね。」
「はい。書面は後からとなりますが、講義内容に強く関心を持っております。プライス先生、よろしくお願いします。」
「わかりました。書類手続きについては速やかに行うように。そうだねぇ。ちょうど良いから秘紋の律奏機における応用から始めましょう。」
先生の許可を得て深くため息をつくと、周りからは辛辣な視線や咳払い、控えめな笑い声、露骨な無視、とにかくそういう類のちくちくとした雰囲気が俺を覆う。
張本人のうち2人は何食わぬ顔をしてノートを開き、グウェンだけは申し訳なさそうに
「すみません。」
一言小声で謝った。
(どうしてこうなった。)
俺は、つい数分前の出来事を思い出して机に肘をつき、額を掌の上に置いた。
授業が始まる直前に教室に飛び込んできた2人は、俺を見つけるとすかさずニールとミックを押し退けて隣の席を陣取り、
「先生の許可はもらってきたから。憑奏機訓練に伴う特例受講の一環。ギルにぃよろしくね。」
「手続きは手伝いますから、よろしくお願いします。」
立て板に水の勢いで捲し立ててから有無を言わさずノートを開いた。
(憑奏機訓練…特例受講…しまった。)
そして俺はオリエが言い訳に使った口実を自分で作っていたことを悔いた。必要があってやったことだったが、俺たちが独自で憑奏機の訓練をするにあたり、彼女らの指導という名目を使ったのだ。
その名目を2人は上手く使って、結果として俺は教室中の注目を集める羽目になり、そして俺が何かを言おうとする前に扉が開いて先生が入ってきてしまった。
デレク・プライス先生はこの学校では古株の教師で、元は軍直属の研究所で律奏機の設計を手がけていた優秀な技術者だったそうだ。
初めて講義を受けたとき、自己紹介とともに律奏機の歴史を大雑把に話してくれた。
大空世界の律奏機開発は、ディアシス圏域で発掘され復活に成功した「始まりの律奏機」ことディアスツェルンに始まる。発掘という言葉どおり、元々は遺構と呼ばれる古代の文明の産物を復元して使うところから始まった。
そして研究が進み、ここラテニアでその成果が花開いた結果、工学と法術の技術を尽くして今の人々の手で建造されるようになった。
それでも過去の技術には未だに追いつけずにいる。
その一例が、俺の父が乗る律奏騎士クレストスに積まれた神緑だ。これは固有の情報処理能力と周辺の煌糸活性を把握して視覚化する機能を持っている遺構だが、その原理でさえ解明されていない。
プライス先生はそうした現状を述べ、自分たちがやってきた仕事とはほとんどが、過去に追いつくための努力だったと話していた。あの時の少し寂しげな姿がまだ印象に残っている。
「この様に、魂粧珠は無色の煌糸を染弦して乗り手の煌糸構造を模倣し騎体に再現しています。律奏機のマスルスレイブはこの煌糸構造の変化を感じ取り機能するようになっているので、律奏機は人体を模した造りでなければならないのです。」
黒板に描いた図を示しながら説明を終えると、プライス先生は俺たちを見回して質問の時間をとった。
「質問2点よろしいでしょうか?」
挙手をしたのはグウェンだ。教室中の視線が集まり、先生はのんびりと「どうぞ。」と発言を促す。
「律奏機には憑奏機と違って安全装置がありません。この違いはどうしてあるのでしょうか。また、律奏機には人体の内臓や血管に相当する部品がありません。騎体に無い機能について、人体への影響はどのようになっていますか?」
「大変良い質問です。それでは先の話になりますが、教本の272ページを開いてください。あぁ、ギルバート君、ニール君、見せてあげて。」
アルテとオリエが俺の、グウェンはニールの教本を覗き込み、周りからの視線は一層険しくなる。アルテが
「ギル?そっちにあるからよく見えませんよ?」
と何気なく体を寄せてくると、俺への視線と左側の気配がすうっと冷たくなった。
後ろからはミックの押し殺した笑い声。アルテがからかっているとわかっているから、俺の有様が面白いんだろう。
「図54-3は騎体構造と煌糸構造、そして生身の身体の比較図です。煌糸構造では生身の臓器も再現されているのがわかりますね。」
先生はいつものようにのんびりと説明してグウェンを見る。彼女が頷くと、説明を再開した。
「人体は非常に複雑です。しかもそのほとんどが水で、律奏機の大きさであってもこれを再現することは不可能です。ですから、騎体構造からは生身の多くが、えーと、内臓だけでなく筋肉や骨の一部も省略されています。」
先生の話を聞いて俺はアルカンスロボスの騎体を思い出した。確かに騎体には欠けているものが多くあり、人体とは似ても似つかない。しかし、実際に動かしているときには体格や反応の遅さ以外には違和感がない。
「その差異を補っているのが煌糸構造です。次のページ、図54-4のとおり、魂粧珠が織り成す煌糸構造には複雑な法術が重ね合わされており、騎体の不足を補うと同時に人体との齟齬を埋め合わせるよう働きます。ですから、騎体には内臓がなくても人体はそれらがあるかのように反応します。なお、この機能は解明されておらず、魂粧珠の作成は遺構からの複写に頼っています。」
そこまで説明してから、先生は俺たちの方を見た。
「さて、えーっと、グ…グ…「グウェンミルです。」そうそう、グウェンミル君、これが律奏機には安全装置が無い理由に繋がるのだが、わかるかね。」
突然の質問にグウェンが黙り込む。数秒待ってからプライス先生は、
「憑奏機は魂粧珠が形成した煌糸構造を、さらに騎体へ転写する。この違いを考えてみなさい。」
と付け加えた。さらに数秒経ってから、おどおどした様子でグウェンが口を開く。
「律奏機は騎体に直接煌糸構造を作っているので、安全装置を間に挟む余地がない。と言うことでしょうか。」
一瞬の間黙り込んで目線を斜め上にした先生は、
「大体そんなところです。」
そう微笑む。
ほっとした様子のグウェンが椅子の背もたれに体を預けると、講義が続く。
「先ほど説明したとおり、魂粧珠は未解明技術です。そのため、魂粧珠に安全装置を組み込むことができません。憑奏機は転写の際に反応の遅れと煌糸構造の劣化を生じますが、これが騎手への反動を軽減すると同時に、反動の大きさを測定し同調を強制解除する余地となっています。」
そう説明をしてから、先生は首を傾げて眼鏡に指をあて、
「これは私見ですが、魂粧珠の機能を解明できたとしても、安全装置の組み込みは原理的に不可能と思われます。それが可能であるなら、遺構が作り出された時代に組み込んでいるはずだからです。ええと…質問への回答はこれでよろしいかな。」
締めくくった。
「はい。ありがとうございました。」
立ち上がって一礼するグウェン。着席してからノートを書き、真剣な表情でプライス先生の話を聞いている。
こんな調子で時々質疑を挟みながら、講義の時間は過ぎた。
「ギルバート君、それから、そちらの2人も。少し良いかね?」
講義を終えて教室を出ようとしたところに、プライス先生が声をかけてきた。俺は返事をしながら、オリエとグウェンを呼び止めた。
「はい。何かありますでしょうか。」
そんな俺たちを揶揄する含み笑いが部屋を出ていくと、先生は俺たちを手招きする。
「ギルバート君、この2人は大変熱心だね。チューターとしてしっかり指導しなさい。あ〜、君たちの回答はなかなか良かった。一学年の知識から考えた内容としては満点だ。私もできることは惜しまないから、がんばりなさい。用件はそれだけだ。時間を取らせたね。」
2人を褒めた先生は手帳からカードを取り出すと何かを書き加えてから俺に差し出す。そこには先生の署名と、
『総務担当宛。ギルバート・オースデイル指導2名の律奏機構造論特例受講手続きについて簡略化を認めます。』
という走り書きがされていた。
俺が受け取ると先生が時計を見てから付け加える。
「今日の手続にあわせて総務の担当に渡しなさい。便宜を図ってくれるでしょう。2人とも講義の予定はギルバート君に聞くように。」
「え?、これからも受講していいんですか?」
「もちろん。興味があるなら私の研究室にも顔を出しなさい。やはり現場が一番学べますからね。私は研究室に戻りますから、今日はこれで。」
「あの…プライス先生。手続きを終えたら、研究室に伺ってもよろしいでしょうか?」
「はい。運が良いですね。今日から実騎整備が始まるところです。検査は終えているはずですが、解体から見られますよ。」
「ありがとうございます!」
とんとん拍子に話がまとまって、グウェンは目を輝かせて俺を見た。これは拒否をすれば可哀想だ。
「夕方の自主練は休みだな。行ってきていいぞ。みんなには俺から話をしておくよ。」
善は急げ。鉄は熱いうちに打て。彼女の熱意と先生のご厚意を無碍にするのは良い結果にはならないだろう。申し出を先読みした俺の指示に笑顔になったグウェンは、先生に研究室の場所を聞いてから総務へと急ぐ。
いつもの引っ込み思案な様子からは想像できないほど積極的になった彼女に引っ張られ、俺とオリエも手続きに向かった。
総務の職員は特例受講に良い顔をしなかった。本来事前に手続きをするべきものを後回しにしたからか露骨に不満な顔で対応されたのだが、プライス先生のカードのおかげで手続きそのものは滞りなく終えた。
「これでプライス先生の授業はいつでも出席できるのね。グウェン、がんばろうね。」
「うん。もう研究室に行っても良いんですよね。」
喜ぶ2人に事務員は
「本来の講義で欠格となれば、特例受講も取り消しです。注意してください。」
と釘を刺すが、気にする様子のない2人にため息をつくと、俺を睨みつけた。
「ご忠告ありがとうございます。チューターとして適切に指導します。2人とも行くなら早くしろ。それと明日の朝は容赦しないからな。」
眉間に縦皺を寄せたまま俺を見ている事務員の顔を立てて2人に発破をかけると、彼女らは明るく返事をしてから立ち去った。
「2人とも特例受講があんなに嬉しかったんですね。頼もしいですよ。」
なんとなく手続きにくっついてきていたアルテが2人を見送ってから笑う。ころころと朗らかな笑顔のまま歩き出して、
「ギル、午後の訓練に行きますよ?」
癖のあるイントネーションで俺を呼んだ。
「そうだな。あいつらを待たせると悪いから、外回りで行くか。」
「嫌ですよ。待たせておきましょ。走ると疲れますよ。」
校舎内は走ってはならないと取り決めがあるので庭に出て急ごうという俺の提案は、アルテにあっさりと拒否された。
「それに、走り込みと素振りくらい自分から始めてないとダメなんですよ。」
俺の事情で遅れたからには急ぐべきだと思うのだが、階級がある中では示しがつかない場合もある。上下関係と公正さのバランスは難しく、実はチューターとしての悩みの一つになっていた。
「ギルは優しすぎて舐められてますから、ちょっとビシッとしてくださいよ。」
考えを見透かしたかのようなアルテの一言に、俺は思わず口をへの字に曲げる。香坂直樹としての記憶や考え方は建前とは言え階級が無い社会に基づいていて、軍務学校だけでなくこの世界の中でも浮いていると俺自身感じていた。
それを直に指摘されたのだから面白いはずがない。
「わかったよ。」
不貞腐れた気分で返事をする。
アルテには精霊の加護がある。精霊たちは周りの生き物の気持ちを読み取って彼女に教えてくれるらしい。しかし彼女は普段から加護が働かないよう気を遣っているし、今の俺の態度では誰が見てもバレバレだ。
「本当にわかってますか?わかってませんよ?」
笑顔のままで追い討ちがきた。
そんな調子で痛いところを突かれながら、新入生たちが待っている校庭へとやってきた。グウェンとオリエはプライス先生の研究室だから、その場にいたのは残りの3人。加えて、一緒に訓練をすることが多い面々だ。
「ようギル、遅かったな。」
にやにやしながらミックが手を振ってくる。隣には彼のチューターとしての相方もやっているスミカが口元に手を添えて目線を逸らす。
ニールとその相方で秘紋学科のウォーレンも一緒で、彼ら4人が指導している新入生ら10人の姿もあった。
「ギル先輩、モテモテっすねぇ。」
「そうじゃない。特例受講の手続きをしてきただけだ。」
ランダルのツッコミを素早く否定し、俺は早速準備運動を始めた。
「オリエとグウェンは特例受講の続きでプライス先生の研究室に行った。先生が許可を出してくれたんだ。これからも午後の訓練に参加できない日もあるが、2人は自分の目的のために学ぶ科目を増やしたんだから、おかしな目で見るなよ。」
忍び笑いが続く微妙な空気の中で体を動かしながら、俺は周りにも聞こえるように事情を伝える。
(やりづらいな。何を言っても勘繰られそうだ。)
居心地の悪い空気の中で体操を続ける。
そして前屈運動を見計らって俺は、ため息を吐きながら体を倒した。