術技
号令を発してもダニーは微動だにせず、じっとガリィを見据えている。
刺突剣を使って間合いを測るガリィのロボスは頭頂高217cm。それ相応に長い手足に加えて両手持ちの刺突剣の長さは騎体の背丈とほぼ同じだ。
両腕を胸の前で組み仁王立ちしたダニーは手甲足甲こそ身につけているが武器は無い。
誰がどう見てもガリィの有利は確実だが、ガリィは剣先を振って牽制はしても踏み込むことができず、じりじりとダニーの左へと回り込む。
彼女が真横を過ぎてもダニーはピクリとすら動かない。それどころか視線を向けるのもやめて、両目を閉じてしまった。
ガリィには見えていないだろうが、俺たちのどよめきは彼女の気持ちを動かしたようだ。左斜め後ろの位置から踏み込んでダニーの胴へと突きを放つ。
鉄のハンマーで鉄板を打ち据えたような快音が響く。叩き飛ばされたのはアルカンスロボスの方だ。起き上がると、胸の装甲がべこりと拳の形に凹んでいる。
ダニーは、単に身体を沈め振り向きざまに踏み込みながらぶん殴っただけだ。だが、その拳は刺突剣の横を滑って逸らしながら一拍の間にカウンターを決めた。
チリチリとした圧迫感を肌に感じる。その上ダニーの周りには火花のように煌めく紫紺の光。
ようやくロボスが立ち上がった。
「ガリエナ、貴様は既に3回死んだぞ。」
ダニーが告げて構えをとると、ガリィは一歩後退り刺突剣を前に伸ばす。
「ありゃあダメだ。びびっちまってる。」
ミックが小声で呟いた。
それが正しいと証明するかのようにダニーが無造作に前に進むと、ガリィは後ろに下がり横に回り間合いをとって刺突剣を振り回す。
突き専用ではあっても四角錐程度には角がある刺突剣は、先端を使えば人の体くらいは容易に切り裂ける。しかも長さのお陰で手元のわずかな動きでも増幅されるから、切っ先は相当の速さだ。
ダニーが2歩前に出て、たなびく旗を受け止めるように刺突剣を掴み取った。それだけで剣が動かなくなる。掴んだまま動かない教師は教え子を試すようにそのまま待つが、ガリィが何をやっても剣は抜けず、とうとう動きを止めてしまった。
その間も俺の目にはダニーの身体を駆け巡る紫紺の煌めきがちらちらと映り続けていて、
「あの光はなんだ?煌糸か?」
思わず声に出してしまった。
「光?なに言ってんだギル?」
ミックの返しに俺は幼馴染が乗る憑奏機の顔を見上げて、ダニーを見て、それからワイマーを見た。
偶然だろうか。彼が操るアルカンスロボスの眼球の動きと俺の視線がぶつかり、直後に逸らされる。
(あの光が見えているのは、俺とワイマーだけか。そうか、王道の剣を使えるからか。)
「いや、後で話すよ。」
ミックへの説明は後にして戦いを見る。ちょうどその直後、ダニーの煌めきが大きく動いて足元から剣を握る手まで身体を流れて収束した。
パキン!
憑奏機の膂力で扱うことを前提に作られているはずの頑丈な刺突剣が、あっさりと折られた。
(とんでもないな。馬鹿力で済む話じゃないぞ。)
唖然としている間に大股でロボスに近付くダニー。ガリィは動揺しているのか、まともな足捌きすらできていない。
近づいたダニーが拳を振り上げ、防ごうとしたガリィの両手を素早く捕らえて頭上に構える。
力比べの体勢だ。
ガリィだって今まで戦いの技を学んできている。アルカンスロボスに生身で力比べなんて、舐められているにも程がある。足を踏み替えて姿勢を整え、ダニーの挑発に応じた。
あっけなく膝をついた。
巧みに憑奏機の膂力を受け止めたダニーが押し返すと、アルカンスロボスの膝はかくんと折れて崩れるように地面に落ち、騎体もそれに続く。
踵を上げ、ガリィの兜の上に置いてダニーが告げる。
「2度死んだぞ。続けるか?」
ロボスの右手が握り締められてから開かれて地面を叩き、降伏の意思を示した。
憑奏機を降りて整列した俺たちは、いつものような説教もなく訓練の終了を告げたダニーに半ば拍子抜けしながら昼食の時間となった。
着替えの最中もその後も全員が押し黙っていて、怪我のために着替えが遅れた俺と、俺を待っていたミックとニールの3人を残して全員が更衣室から出て行った。
「なんだよあれ。生身の方が反応は速いからカウンターはわかるぜ。だけど力比べはわけわかんねぇ。」
ミックが重い口振りでぼやいた。あまりの力の差に途方に暮れた、というところか。
「術技だと思うよ。先生の周りに光が見えたんだ。多分、煌糸を使っていたんじゃないかな。」
自信は無い様子だがニールがおずおずと話すと、ミックは驚いた様子で顔を上げた。
「ほんとか?俺はなにも見えなかったぜ。」
「自信はないよ。チラチラって光っているように思っただけなんだ。ギルは見えていたんだよね?」
話を振られて俺は少し悩む。さっきは思わず口に出してしまったが、どう伝えるのが良いだろう。右手で頭をかいて考えをまとめようとしたがうまくできず、間が空き過ぎてしまってそのまま話した。
「ダニー先生の煌糸は紫がかった紺色だよな。らしくない色だけど、俺にはそう見えたよ。」
あっと声を上げたニールが頷いて、ミックは呆気に取られたまま黙り込む。しばらくしてから、
「2人とも見えたのか?俺だけわからないなんてな。」
そう呟いて肩を落とした。
「僕だって、色まではわからなかったんだ。ギルに言われて気付いたんだからね。」
ニールの声も暗い。
俺から何か言っても聞かないだろうと様子を見ていると、どんよりとした更衣室の空気を追い払うようにミックが頭を振り、
「わかんねぇのは仕方ねぇや。でもギル、お前見えるんだな。すげえな。俺たちでもできると思うか?」
真っ直ぐに姿勢を伸ばして張りのある声で聞いてくる。俺は迷わず頷いた。
「あぁ。ミックと、それからワイマーと試合をやってわかった。師匠たちが教えてくれたことを突き詰めれば必ず見える。そして使える。昔ジョセフさんが、技が使えないうちは術技を教えないって言ってただろ。きっとそういうことだよ。」
そうだ。俺たちは同じ人から同じことを学んできた。今回はたまたま俺が階段を一段早く上がっただけのことだ。2人だってすぐに追いついてくるだろうし、まだまだ上がある。
昂る気持ちをそのままに答えると、ニールも納得したように顔を上げた。
「そうか、ギルはあのとき煌糸が見えていたんだね。だから師匠の剣が使えたんだ。」
「だったら、ダニーのアレだってやればできるんだな。ギルに先を越されたのは悔しいけど、すぐに追いついてやるぜ。」
「簡単に追いつかせやしないぞ。詳しいことは寮で話すから食堂へ行こうぜ。腹が減ったよ。」
軽口を言い合った俺たちは3人で肩を組んでかけ声をかけ、それから食堂へと向かった。
「ギルにぃ!その腕どうしたの!?」
俺たちが食堂に着くと真っ先にオリエの声が飛んできて、続いて本人が駆け寄ってきた。
「訓練中の怪我だよ。2週間で治るってさ。これくらいで大声出すなよ。」
掴みかかりそうなくらいに詰め寄られて、俺は手短に説明する。しかし納得した様子はない。
「そういうことじゃなくて。何があったの?憑奏機の訓練なのにそんな怪我するの?」
矢継ぎ早の質問に思わずミックとニールを見てから、
「オリエ、まずは落ち着いてくれないか。事情を話すにしても席について落ち着いて話したい。」
半ば途方に暮れつつオリエを宥めた。
「オリエ、ギルも僕らもまだご飯を食べてないんだよ。早くしないと昼休みが終わっちゃうだろ。」
「だけどお兄ちゃん、いきなりこんな格好を見せられたら驚くよ。」
ニールも宥めようとしたがオリエに言い返され、広い肩を困った様子で丸めて俺を見た。
「驚かせてすまなかったな。ところで、飯を受け取るにもこの腕では不便なんだが、手を貸してもらえないか。」
一言詫びてから頼む。するとオリエは口を尖らせながらトレーを持った。
時間はギリギリだったが食事を受け取り、皆が待つテーブルへ。アルテが周りの目を意に介さず手を振って呼んでいる。
よく顔を合わせる面々が集まったテーブルの一つ、俺とアルテが担当している新入生たちがまとまっている席に着く。
「今日はカームも来ていたのか。ちょうど良い。話しながら食べようぜ。みんなも待っていてくれたんだな。ありがとう。」
珍しく昼食の場に出てきていたカームに声をかけて、俺はさっそくパンに齧りついた。
周りの席の面々はまだ食事の途中で、人が居なくなりつつある食堂の中、この一角だけが賑やかだ。俺たち3人がなかなか来ないので時間があるからと食べ始めたところなのだろう。
「ギルが来ないからお腹ぺこぺこだったんですよ。」
アルテが面白がる口調で文句をつけてくる。笑いながら水を飲むと、ランダルがにこやかな調子で話しかけてきた。
「ギル先輩がワイマー先輩にやられて遅れてくるって話しを聞かされて、俺たちみんなで待ってたんですよ。ほんとにやられちゃったんですか?」
「やられてねぇよ。勝負はギルの勝ちだぜ。誰から聞いたんだそんなこと。」
軽口にミックが突っ込みを入れると、
「同期のみんなが話してたっすよ。でも、あのワイマー先輩に勝つなんて本当っすか。どうやったんですか?」
陽気な口調で聞き返してくる。
「ルールがあるから勝ったけど、実際は俺の負けだったよ。この通り怪我までしたからな。お前も騎兵学科だろ。絶対に通る道なんだから、少し詳しく話すよ。みんなもいいかな?」
周りが頷き返すのを確かめて、俺は戦いの様子と怪我について話しはじめた。
食事のための限られた時間なので手短にだが、ミックとニールも話を補足してくれたので大体のところまで説明できた。
王道の剣と煌糸については話を伏せ、最後はダニーの化け物じみた戦い方で締めくくる。
「術技とはどんなものなのでしょうか。」
ダニーの話を聞いてから、固い口調でスフィーが尋ねてきた。獣粧族である彼は魂獣乃法という魔導を生まれつき身に帯びている。そしてその魂獣乃法が煌糸との干渉を制限するために法術に由来する技術を苦手としているらしい。
「俺も使えるわけではないから聞き齧った話になるんだが。自分の身体の中にある煌糸を制御して法術によく似た効果を発揮する技術らしいな。」
身体操作の延長線として煌糸の操作を行うので法術のような複雑な手続きも奏具のような道具も必要としない代わりに、発揮できる効果は限られるとも言われている。
俺たちに八足断歩や伏足絶歩を教えてくれたジョセフさんは術技も使えると言っていたが、彼の流派にある「技ができない者には術技を伝えない。」という取り決めの通り、俺たちにそれを見せたことは一度も無かった。
俺はそのことをみんなに説明してから、
「技ができるようになるまでは危険らしいから、今はとにかく技を磨くのが大事だってことだな。」
締めくくる。スフィーは納得しきれていない様子ではあったが「わかりました。」と頷いた。
「他に聞きたいことがあるなら、寮でも良いから声をかけてくれ。」
そんな彼に一言付け加えてからまた雑談混じりに訓練での出来事を話しているうちに、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴る。
「時間だな。俺たちは律奏機構造論の時間だ。みんな、また後でな。頑張れよ。」
名残惜しそうにしている新入生たちと別れて座学に向かう。ミックとニールの相方は先に食堂を出ていて、アルテは俺の隣を歩いてついてきた。
「アルテさん?法術概論はこっちです!」
気付いたオリエが声をかける。だが、アルテは何食わぬ顔で、
「私は昨年に履修済みだから、ギルの講義にお邪魔しますよ。」
言ってのけた。
この学校は軍人養成学校として規律を重視されるが、軍人だけでなく冒険者を育成するという側面もある。規律の範囲内で臨機応変な工夫ができることは暗に求められているところでもあって、それを知っている俺たちはアルテの行動を止められないとよくわかっていた。
ついでに、アルテが怪我をした俺にくっついて回る方が、落第した彼女が去年一度学んだ講義を受けるよりも面白そうだと考えていることも、これまでの付き合いの中で想像できた。
3人で、声にならない呻きを漏らす。
「そんなのダメ!です!」
俺たちの代わりにオリエが叫んだ。まだ新入生で学校の仕組みには疎いからこその行動だ。
慌てた様子でグウェンと共に駆け寄ってアルテに詰め寄ると、その手を引っ張って俺たちから引き離そうとする。
「ダメじゃないですよ。軍務学校規則に、履修済みの科目については試験の合格のみで再履修と認めるって決められているんですよ。」
オリエに引っ張られながら自分の行為の根拠を伝え、
「それより、オリエちゃんが遅刻したら私とギルの責任なんですよ。」
掴まれていない方の指を口元に当てながらダメ押しした。笑顔がとても爽やかだ。
「うーっ…」
唸るオリエの服をグウェンが引っ張る。
そして何かを耳打ちした途端に、オリエは「それよ!」と叫んでから踵を返した。
「規則通りなら良いんでしょ!?また後でね!」
突風のように駆け去る2人。
俺たちも他の新入生の面々も呆れた様子で彼女たちを見送ってから我にかえり、それぞれの教室へ急いだ。