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船出

「でっかい…これが船なんですか?」

 港の桟橋から海に浮かぶ、砦みたいに巨大な木と鉄の塊を見上げて、私は隣に立つカークさんに問いかけた。

 ここは月門の港。

 ホウシェンに3箇所しかない、圏域港のひとつ。

 目の前にある航宙艦ルンハオは建造から120年を数えた古い船で、元々はラテニア圏域の軍艦だったけれど老朽化に伴いホウシェンに売り払われたものらしい。

 売り払われて使い尽くされて、一線を退いてからもまだ使えるからと冒険者ギルドに貸し出されたそうだ。

 港の桟橋に浮かぶ姿は要所要所に鉄板を張った木造艦で、5本のマストが高々と並び立つ。帆は無いけれど、使おうと思えば使えるみたい。

 カークさんに聞いたところ煌糸構造と法術で強化された船体は水上に浮かぶ船とは比べ物にならないほど頑丈で、そのおかげで100メートルを超える全長を実現できているんだって。

「でも、いくら法術があるからって、これが空を飛ぶなんて信じられない。」

 航宙艦の名の通り、この船は宙に浮く。

 煌糸を活性化させ煌糸力を生み出す機械、煌糸顕現炉。十万都市と呼ばれる数少ない大都市の文明を支えるそれをひとつの船に積み込んで、膨大な出力を使った法術によって空を飛ぶ。

 そうして向かう先はこことは別の大地。

 大空世界は広大無辺の大空が広がり、宙弦が網の目のように張り巡らされている。私が今立っているホウシェンの大地も、それ以外の宙島も全て、この宙弦の網に支えられて大空に浮かんでいる。

 私には実感がないのだけど、そういうものらしい。

 そして、朧げに光る宙弦は空に浮かぶ島々を繋ぐ航路でもある。

 この航路を使い宙島と宙島を行き交う船。

 それが航宙艦。


 一通り説明を終えたカークさんは荷物を船に載せるからと言って、新しく買った中古のカーゴの所へ行ってしまった。

 代わりにやってきたのは白と黒。リーヴァもいる。

「あれ?フェリスは?」

 足りないお子さまの姿を尋ねると、白が半眼で船を指差した。

「アレが航宙艦を見て大人しくしているはずがない。」

 わかりきったことを聞くなと顔に書いた黒が答える。

「あ、うん。そうだね…。」

 間抜けなことを聞いたなーと頭をかくと、

「早く乗りましょぉ。」

白が急かす。そこに後ろから声をかけられた。

「いたいた。間に合ってよかったよ。」

 メイヤーさんだ。隣にはディンジァさんもいる。

 冒険者はいつ危険に巻き込まれるかもわからない、そして危険から我先にと逃げ出すわけにはいかない仕事。

 だから普段からそれなりの装備はしているものなのだけど、今の2人は正装に近い格好をしていて武装をしている様子がない。

 珍しい装いに新鮮な印象を受ける。

「メイヤーさん、ディンジァさん。一体どうしたんですか?」

 ここにいる理由と服装と両方の意味で私が驚いて尋ねると、メイヤーさんが答える。

「どうしたって、見送りに来たのよ。圏域港は船に乗らないのに立ち入る奴には厳しくてね。だから代表で2人だけ。」

 なるほど。私たちも武装については厳しく制限されているけれど、圏域を繋ぐ船なのだから襲撃だけでなく密輸や密航の危険もある。見送りだって武装解除は不思議ではない。

「忙しいだろうに。感謝する。」

 黒が淡々とした声で2人にお礼をしている。私とリーヴァも頭を下げた。

 白は嬉しそうに2人と話し始めている。だけど、

「残念だけど、長話はできないわねぇ。もうすぐ出港だわぁ。」

そう言ってすぐに話を打ち切ってしまった。

「フェリスやカークもいるから、わたしは先に乗っているわよぉ。メイヤー、ディンジァ、じゃぁねぇ。」

 簡単にお別れの挨拶を言って、船に乗り込む階段へと歩いて行く。

 予定の時間まではもう少し余裕があるのに?と不思議に思っていたら、黒も挨拶を終えて行ってしまう。

 話すことは話し尽くしていたけど、名残惜しい気持ちと見送りに来てくれた嬉しさで、私とリーヴァはしばらく2人と話をした。

 そして時間になる。

「それじゃ、ティーエ、リーヴァ、元気でね。また会いましょう。」

「死なないように上手くやれ。」

 2人が私たちに声をかけ、ディンジアさんがメイヤーさんに「言い方ってものがあるでしょ。」と肘打ちされた。

「ありがとうございます。」

「ありがとうございます。それから…お元気で。」

 私たちも言葉を返して、それから2人と順番に両手を握り合い、それじゃ、とお互いに手を振って、私たちは船に向かう。

 見上げるような高さにある甲板まで上る階段。

 その階段を私たちが登りきるまで、2人は見送っていた。


 ぶおおーっと大きな汽笛の音が鳴る。最初は何の音かわからなくてびっくりした。

 割り当てられた部屋の窓から外を見る。

「いちいち驚いていたら、これから大変なことになる。落ち着いて。」

 黒が冷めた様子で注意してきた。

「だって、白も黒も乗ったことがあるだろうけど、私たちは初めてなんだから。」

 窓の外を見たまま言い返す。

「そうじゃない。航宙艦の旅では陸洋島ではありえない経験をすることになるから、目を回して台無しにしないように忠告している。」

「子供じゃないんだから、目を回したりするわけないよ。うわ、動いた!」

「はぁ…。もういい。」

 足元が揺れて私が叫ぶと、黒はため息をついてお小言をやめた。

 窓から見える景色がゆっくりと動いている。右から左へと、そして桟橋と港が離れて行って、真下に海が見えるようになった。巨大な船はゆったりとした揺れ方で、ふと気が付くと海面に大きな波を立てて進んでいた。

 月門の街並みが離れていく。早い。

 ぎしっと船体が軋む音。思わず身体を固くすると、床が足を押し上げる不思議な感覚があった。

 波の音が変わる。

 船体が水をかき分ける力強いリズミカルな音が軽くなって、突風の中に土砂降りの雨の音が混じってから消えていく。

 想像よりもずっと簡単に、船は海を離れた。

「飛んでる…の?」

「そうみたい。ほら、鳥が飛んでいるわ。」

 窓と同じ高さに、列になって空を飛ぶ鳥の姿が小さく見えた。徐々に下へと下がっていく。

 やがて一度は後ろに消えていた月門の街が視界に収まり、町だけでなく周りの海岸線までが一望できた。その景色も小さくなっていって、再び後ろに見えなくなる。

 いったいどれだけの高さにいるんだろう。

 そう思いながら、もう早さを感じないくらいに遠ざかった海を見下ろしていると

 ぶおお~ぶおっぶおっぶおお~っ

 汽笛が鳴る。

「2人とも、椅子に座ってね。ベルトで体を固定するんだ。」

 カークさんが船員さんの指示を繰り返す。私たちは急いで部屋の中に固定された椅子に腰かけた。肩とお腹を固定するベルトをぎゅっと締める。

 カークさんが締め方を確認してくれて、それから自分の席に着いた。

 しばらくしてもう一度汽笛が鳴る。

 それから、深呼吸一つくらいの時間が静かに過ぎた。

 突如、全身が激しく揺さぶられた。

 航宙艦ルンハオの巨体を揺るがす振動と、黒が使う爆轟の法術のような、あれよりもずっと大きな音が遠くから轟いて、息が詰まるような強さで背中が椅子に押し付けられる。

 爆音は途切れずに私たちを押さえつけ、船はぐんぐんと速さを増していく。それが窓の外で流れる雲を突き抜いてまた突き抜いていく速さで目にも見えた。

「航宙艦って、こんなにすごい音がするんですね!」

「うん。気水噴進機の仕組みって、要は爆発だから。それにこの船は古いから、なおさらね。」

 重圧に慣れて何とか絞り出した感想にカークさんが慣れた様子で答える。

 理屈は聞いていたけれど、全く分かっていなかった。

 法術で喚び出した水を加熱し一瞬で蒸発させる。それを連続で行い膨れ上がった水蒸気と空気を一方向に噴射する推進装置。

 水蒸気って言われたって、湯沸かしからぴゅーって音を立てて噴き出すあれくらいだと思っていたのに。

 あぁもう、思い出は黙って!解説はいらないから!

 船体が傾く感覚。

 椅子に押し付けられる苦しさと轟音の中で窓の外を見ると、海が見えた。

 きらきらと波打つ水さの向こう側が徐々に明るくなっていく。少しずつ透き通っていく海の向こう側には月と星々が。

 そして、ゆったりと曲線を描いて空を横切る宙弦の光が、海を通して揺らめいている。

 海はどんどんと厚みを失って薄くなっていき、やがて雲となって霞となって、


 船は空にあった。


 窓の外にはもう、陸地も海もない。


 空だけが、ある。


 身体の重みが真下からズレる変な感覚があって、窓の外の空が上へと流れた。

 船体が回転して、ズレた重さの向きと船の上下を合わせる感じ。

「う…。」

 リーヴァが口を押さえた。私も同じようにして喉の奥から込み上げる吐き気を飲み込む。

「2人とも、もう少し我慢してね。宙弦に乗るまでは不意に揺れるから、吐くと危ないよ。」

 穏やかな声にもう一度唾を飲み込み頷いた。

 白や黒も辛そう。フェリスはいつもと変わらずはしゃいでる。それとカークさんはいつの間にか革袋を手に持っている。

 始まりとは違って気水噴進の轟音は少しずつ小さくなっていき、強い風の音を残して消えた。

 椅子に押し付ける圧迫感も無くなっている。

「ベルトを外しても大丈夫だよ。気分はどうかな。」

 椅子から立ち上がってカークさんが声をかけてくる。

「これだけは慣れないのよねぇ。」

「宙弦の上は好きになれない。」

「そうかな?楽しいよ?」

 白と黒が疲れた様子で身体を伸ばし、それから部屋の扉へと向かう。フェリスも一緒だ。

 それを横目に私は何とか立ち上がり、リーヴァの様子を窺う。目が合った。お互いに頷く。

 確か、部屋を出て…。

「具合が悪いなら、扉を出て右の突き当たりだよ。」

 カークさんの気遣いが終わる前に、私たちは部屋を飛び出した。


「具合は良くなったかい?」

「はい。この景色を見たらもう、すぐに。」

 カークさんに声をかけられて我に帰り、私は返事をした。そしてまた船縁の壁に手をかけて外を眺めた。


 10分ほど前。

 気分転換をした方が良いとカークさんに誘われてやってきたのは航宙艦ルンハオの広い甲板。元々は律奏機という巨大な人型の兵器を載せるため、航行に必要なもの以外は真っ平らな木の床が広がっている。

 見えるのはマストと甲板への出入り口になる中枢部とその上に突き出した艦橋。それから細かな機器類くらいで、あとは周りの船縁を落下防止用の私の胸くらいの高さがある壁が囲んでいる。

 そこから見えるのは、全てが空。

 ホウシェンとは全く違う風は少し鉄のような香りがあって冷たいけれど、船に酔った私たちにはそれが心地よかった。

 少し休んであたりを見る余裕ができると、左側の船縁に空ではない何かが見えた。

 船縁に近付いた私は、驚きにあっと声を上げてしまった。


 そこに見えたのは、大地だ。


 周囲を薄い海に囲まれた平らな大地が、一面の空の中、船の左後ろに斜めになって浮かんでいる。

 冒険者になって地図を見ていたから、すぐにわかった。

 あれはホウシェンだ。

 ものすごく大きなはずだけど、実際に視界に収まらないくらいに大きいけれど、目の前の景色は今までの体験と違いすぎて現実感がない。

(地球平面説?)

 思い出が呟く。

 万有引力とか太陽系とか、そういうのとは違う現実に有り得ないと何冊も本をめくってから黙り込んだ。


 もう大丈夫だとカークさんに伝えてから、改めて、リーヴァと一緒にホウシェンを眺める。

 地図で学んだ知識が、目の前に浮かぶ大地の一角、その地形にぴたりと当てはまる。

「ねぇ、リーヴァ。」

「なに?ティーエ。」

 私は少しずつ遠ざかっていく海と陸の境目を指差した。

 そこには、すでに暗くなりつつある他とは違い、ささやかな光の点が集まって小さな蜘蛛の巣のような形を描いている。

「あれ、金沙湾だね。みんなと出会った街。」

 懐かしさと共に告げると、リーヴァはじっと大地を見つめる。

「そうね。あの明るい湾と岬の形。金沙湾だわ。」

「私が住んでいたのは、金沙湾から武谷への街道があっちで…あの辺りかな。」

 地図を辿るように大地を指でなぞり、私は生まれ故郷の町を探す。

「ねぇリーヴァ。金沙湾の右上にある、あの川は見える?そうそう。その近くの、暗くてわかりにくいけど、小さな山があるの。」

 指の動きに合わせてリーヴァに教えるようにして、言葉で記憶を確かめながら、私は故郷を示した。

「ひとつだけ灯りが見えるわ。」

 そこには、小さな小さな光がひとつ。

 そうそう。町で1番の金持ちが寄付だと言って据え付けて自慢をしていた明かりがあった。

「うん。あれが私の故郷。リーヴァと初めて出会った場所。」

「そうなの?金沙湾からあんなに近かったのね。」

「うん。こうして見ると…。」

 私は、故郷の家族の姿を、苦力の日々を思い出して、言葉を途切らせてしまった。

 なんて言ったらいいのだろう。

「ティーエ?」

 リーヴァが心配そうに囁く。

「うん。あの町って…私が生きてきた世界って…。」

 金沙湾までの馬車の旅を思い出す。悲しくて辛くて悔しくて苦しかったあの道のり。

「あんなに、小さかったんだね。」

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