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話せばわかる?

 みゃぅ

 甲高く弱々しい声が聞こえて、様子をうかがう。

 子猫を思わせる鳴き声の主は冷たい鱗に覆われた肌を引くつかせ、人とは逆に上から開く瞼をかすかに開いた。上り始めた太陽の光が瞳に輝いている。

 布越しに頭をそっと押さえて、

「お願い、大人しくして。大丈夫だから。」

 声を落ち着かせながら語りかけた。

 大きな傷は塞がったから、私とリーヴァはカークさんに教えられてこの子が暴れないように押さえる用意をしていた。砂竜は立派な剛獣だから子どもであっても顎や尾の力がすごい。間違って噛まれたら私の指くらいはなくなってしまうだろう。尻尾はリーヴァが持って押さえている。

 だけど、子竜はわずかに身じろぎをしただけ。

 ぐったりと力のない感触が手に伝わってきて、本当に大丈夫なのかと不安になってカークさんを見た。

「多分血が足りないな。内臓もやられていたようだ。でも、後はこいつ次第だよ。」

 子竜の容体を診てから鎧を軋ませて立ち上がったカークさんは、左手を2回握りしめてから槍の握りを持ち、右手で背中から剣を抜いた。

 穂先を失った槍の握りを守る覆いに空色の光が走り、うっすらとした光で盾が描かれる。鎧を着こんだ体を隠せるくらいに大きな丸い盾を構え、カークさんは巨大な砂竜と白と黒との戦いに体を向けて、それから、一瞬だけ私に視線を走らせてから訊く。

「治せる限りは治したけど、そいつ、どうするんだい?」

「あの砂竜に返します。」

「キレて暴れている砂竜にかい?上手くいった話は聞いたことないよ。」

「試した話はあるんですか?」

「ないねぇ。」

 ため息交じりに話を切ったカークさんは、

「フェリス、リーヴァを連れて離れてくれ。遠くからでも見られれば満足だろ。」

「しっかたないなー。」

フェリスに頼んでからリーヴァを手で制した。

「奴の足は速いからね。2人を担いで逃げるのは無理なんだよ。それにティーエが言い出したようだから、ティーエがやるべきだ。」

 いつもの穏やかさがない平坦な声で押し止められ、リーヴァは私を見る。

「大丈夫だって。これでも前は水汲みを毎日していたんだから、その子を抱えていくくらいはできるって。」

 彼女の心配を和らげるために握りこぶしで応えた。

 不安は無い。

 さっきから別の誰かのように自分を見る感覚が続いていて、不思議なくらいに落ち着いている。

「無茶はしないでね。」

 リーヴァが子竜を抱え上げて、私に渡す。

「任せて。」

 抱きかかえると重さと冷たさがずっしりと両手にかかり、身をよじった子竜の動きに足がふらつく。

 なんの。

 元は苦力なんだ。これくらいどうってことない。

 踏ん張って体を支えると、私の腕に子竜が爪をかけてしがみついた。それでバランスを取り戻し、腰を伸ばして立つ。

「いたたた。よしよし、しっかりつかまっててね。」

 丈夫な布地の服を着ていても肌まで食い込んだ爪に顔を顰めながら声をかけ、よいしょ、と抱え直す。

 体力が無いのだろう。子竜は私の肩に頭を乗せたままじっとしている。

「それじゃ、行ってくるね。」

 首をひねって後ろの2人に笑いかけ、私は歩き出した。


 重ねたガラスを叩き割るような耳障りな音を放ち、盾が砕かれた。

 目に見えない盾に閉じ込めていた音が衝撃波になって奴の爪をほんの少し遅らせて、そのわずかな猶予でかろうじて爪を避ける。光の網から撒き散らされる力場と飛び散る土砂が残りの盾を一掃する。

「ジリ貧。」

 草笔(ツァオビー)を振り再び音の盾を揃えるけど、同じ結果になるのは目に見えている。

 『重ね』を2回くらった砂竜は、それだけで技の弱みを理解した。つまり私だ。

 『重ね』は必ず草笔(ツァオビー)での印から始まる。私を守りに立たせている限り『重ね』は使えない。

「こっち見なさいよぉっ!」

 白が光の網を避けて法術。鱗に刻まれる三条の傷。

 かすり傷だ。奴は気にもしない。『重ね』でなければ威力が足りない。

 あれから砂竜は白の牽制を徹底的に無視して、常に不規則に回り込むようにして罠への誘導を妨げながら私だけに攻撃を集中している。

 私たちが魂獣乃法(ジョウ・コン・ドゥ)で強化された身体を持っていても、元々の力が違い過ぎる。獣粧できないミャ・コンではこれが限界。

 このままじゃいずれ疲れて捕まる。

「カークは何してんのぉ!」

 白が叫んだ。あいつがテンパるのは久しぶりに見た。

 ティーエが連れてきた幼体を治しているはずだけど、それでこいつが大人しくなってくれるとは限らない。そろそろ逃げるべき。

 だけど、逃げたらこいつはティーエたちに向かう。

 やっぱりジリ貧だ。

 網を広げた尻尾の薙ぎ払いを伏せて避けて吹っ飛ばされて、盾を張り直して再び走る。

 無理、逃げよう。

 ティーエたちはカークに何とかしてもらう。

 そもそも作戦を狂わせたのはあの子だ。ここまで付き合っただけでも十分。

 せめて仕切り直しをしないと身が保たない。

 今まで使っていない罠の目の前で隙を作る。奴が回り込むことまで見越してわざと無駄な切り返しを挟んだ。

 間髪入れず横振りの爪。しまった奴の方が早い。

 拘束の法術に捕らえられた分だけ間合いが足りず、躱し損ねた私の目の前を光が掠めて全ての盾を打ち払う。衝撃波を殺すために地面を転がり受け身の勢いで走り出すと、地面ごと罠を砕く轟音が後ろから響いた。

 白も逃げてる。見なくてもわかる。

 奴の咆哮を背中に受け、礫に打たれて痛む身体に鞭を打って全力疾走。

 もうヤダおうちのこたつに潜りたい。


「2人は何とか逃げたね。砂竜が来るよ。」

 盾を構えたカークさんが、いつもの口調で言う。

 朝日に照らされた砂混じりの荒れた斜面に、冷たく乾いた風が吹く。その風を引き裂くように響く砂竜の咆哮が全身を震わせる。100メートル以上はあるのに凄い声。

 そんな思いを他人事のように見つめながら、私は子竜の動きに気付いた。

 私にしがみついたまま頭をもたげて後ろに、つまり私が向いている方に首を捻り、

 ぴゃぁ

 小さく鳴いた。

 こんなか弱く鳴く生き物があんな風になっちゃうのかーと感心する。

(クロコダイル)

 思い出の呟き。

 ワニ?生まれたばかりだとそんな大きさなんだ。じゃぁ、この子は大きい方かな。

 思い出から溢れ出た本の記憶と抱きかかえている子竜と、そして母親であろう砂竜を比べていると、さっきの勢いより明らかに遅い歩みに違和感を受ける。

 角から角に瞬く光の網も細く揺らいでいて、進み方だって右左と落ち着きがない。

 私たちが歩いて近づくと、ついには頭を低くして立ち止まってしまう。

(襲うつもりがないのかな?そうだ、さっきは…)

 砂竜が子どもを見ていたあの目を思い出して、足を止めて考える。

「ティーエ?」

 すぐにカークさんが止まって怪訝な様子で呼びかけてきた。

「カークさん、たぶん、砂竜はカークさんを警戒しているんです。離れてください。」

 考えをまとめて、覚悟を決めてお願いする。眉間にしわを寄せたカークさんに

「砂竜はこの子がいるってわかったら光の網を解いてました。今は光がずっと弱いです。きっと、迷っているんだと思います。」

 しっかりと目を見て説明する。そこからもう一押し。

「それに、カークさんなら、砂竜が急に襲ってきても、間に合いますよね。」

「…ギリギリならね。そうなったら痛い思いをするよ。」

 確かめると渋面で認めるカークさん。

 彼は強い。そしてその実力に自信があるから、事実を事実として答えてくれる。

「ごめんなさい。私はいいですから、お願いします。」

 カークさんの鎧は砂竜の攻撃を防いでから軋んだ音を立てている。きっと痛い思いをするのは、まずカークさんなんだろう。だから一言謝って、それから覚悟を伝えた。

「わかったよ。」

 短く答えて、カークさんは私から離れた。


 それからゆっくりと目の前までやってきた砂竜は今、頭を掲げて鼻先を私に向けて、じっとしている。見上げ続けていて首が痛くなりそう。

 ぴゃぁあ

 抱えている子竜が鳴いた。

 さっきまでより元気そうな声に、砂竜が喉を鳴らしたんだと思う。ガラガラと大きな石を入れた樽を転がしたような音が聞こえる。

 ぴゃあぴゃぁ?

 子竜が足と尻尾をバタバタさせる。

 ここまできて襲ってこないなら、砂竜がこの子に害を加えることはしないはず。

 私に対しては別だけど。

 慎重に、ゆっくりと、砂の上に子竜を下ろす。

 砂を踏む音もさせないように静かに後ろに歩くと、私が下がった分だけ砂竜が近づいて、よたよたと這っていた子竜に鼻先を近づけた。

 小さな角が、潰れた丸みのある三角錐のような頭の上顎に沿った縁に並んでいる。

 その角に光が煌めいて、光の網が子竜に触れた。

「待って!」

 最悪の予想に一歩踏み出してしまう。

 だけど子竜は嫌がる様子も無く、むしろ喜んでいるような鳴き声を上げながら光の網に支えられて宙に浮かび、器用に網から網へと運ばれて砂竜の頭の上に乗せられてしまう。

 石樽を転がすようなあの音。さっきとは何か違うけれど、その意味はわからない。

 やがて砂竜はカークさんを、それから辺りを一瞥して、頭に発した細やかな光の網で子竜を支え、巨体にふさわしい速さで歩いて去って行った。

 ぴゃあ!

 最後に、子竜の鳴き声が一度だけ聞こえた。

 ありがとう、嬉しい、かな?

 言葉一つ通じなかったけれど、何一つ話はしなかったけれど、気持ちは通じたのだと思う。

 砂竜の巨体はすぐに周りの丘を越えて見えなくなった。


「元気に育つといいな。」

「オレとしては新人さんがもっと落ち着いた考えになってくれると嬉しいね。」

「う…」

 近くまで戻ったカークさんが私の独り言にキツいツッコミを入れてきた。

 おまけに思い出まで呟いてる。

 うるさい!

 野生動物の餌付けとか、そういうのじゃないから!

 ダブルのお小言に内心ガッカリしたけれど、それでも私の気持ちは晴れやかだった。

「ティーエ!」

 リーヴァの声。離れて隠れていた場所から、こっちに走ってくる。そして、

「カーク!5時の木の茂み。ラスト!」

 フェリスが叫ぶやいなや、カークさんが光を放って走った。斜め後ろにあった茂みから男が2人走り出す。

 逃げ切れるはずがないと判断したのだろう。2人は短剣を抜いて、抜いてから10秒後にはあの重そうな鎧に踏み押さえられてしまった。

「カークさん、やっぱりすごい。」

 呆気に取られながら呟くと、その近くに

 ひらっ

と動く黒いものふたつ。

 黒がぴょこんと頭を出して5歩くらい離れたところから白も姿を見せる。

 ぱっぱと服を叩いて砂を落とした2人が、

「あれくらい任せるべき。」

「活躍をカークに取られちゃったわぁ。」

 カークさんに文句を付けてやってくる。あ、カークさんがすごく嫌そう。あれってもしかして怒ってる顔?

 砂竜から逃げた2人に言われたことと、借りを作ってしまったことと、言い返したいけど返せない感じ?ちょっとかわいそう。だけど、

 あぁ、なんだかいつもの空気に戻った感じがする。

「ティーエ、無事で良かったわ。」

 リーヴァが私の隣まで駆け寄って肩に手を置いた。優しい暖かさにホッとして、


 なにこれ寒い…違う…

「ティーエ!ティーエ?!」

 身体中が強張り震え、背中に冷たさが流れる。息が詰まる。苦しい。目の前が暗く…リーヴァの声が遠くなっていく…。

 ガチガチと歯が鳴る音だけが聞こえ続けて砂竜と向かい合ったあのときからの記憶が継ぎ接ぎの紙吹雪になって私を埋めてゆく。記憶の一欠片が恐ろしく重くてその重さが私に積もって

 恐ろしい?

 そう、怖い。

 砂竜の巨体が岩も木も砕く光の網が夜を引き裂く吠え声があんなものが怖くないなんてどうかしてる。

 違う、どうかしてた。私が。

 どうして今になって?

 そんな疑問は思った途端に恐怖に埋め尽くされて、両膝に冷たく硬い感触。掌にも。

 ようやく私は、吠え声が自分の叫びだと気付いた。

(解離)

 思い出の呟き。知識がぱあっと広がって、私は自分に何が起きていたのかを知った。

 私は幼い頃から周りから疎まれ続けていて、売られてからは心を折られるような酷い目に遭わされて、私の中には痛みを受け止めるもう1人の私が。

 わからない。これはただの知識。そんなふうになっているはずはない。私は私なんだから。

 だけど、今私が感じているのは、本当なら砂竜と向かい合ったときに受けたはずの、恐怖。それは、一切の根拠がなくても確信できる実感。

 そんなはずはない。

 だけど私は砂の上で四つん這いになっている私に気付いて、心が不思議と軽くなっていると感じていた。

 そんなはずは…

 ぺたんとお尻を砂につけて頭を上げると、心配そうに覗き込むみんなの顔。リーヴァが真っ青。色白だから尚更に青く見える。

 周りが何か話しかけてくる。曖昧な意識のまま返事をしているうちに私はリーヴァに抱き上げられた。

「大丈夫よティーエ。すぐに休めるところまで運ぶわ。」

 緊張で固くなった声。だけど優しい細やかな声。

「うん、大丈夫だね。」

 湧き上がる安堵に抗えず、私は深い眠りに落ちた。

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