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異変

 翌日からの旅は、初日とは少し違っていた。

 朝はいつも、カークさんが私たちに戦い方を教えてくれる。その時間を少し削ってもらった。

 そして私とリーヴァは背中合わせになってからミーティング用の書板に鉛筆を走らせる。

 1から20までの数字を書板いっぱいに出鱈目な場所に書いたら、お互いに交換。カークさんが見ている前で1から20まで数字を探して競争する。3回勝負。

 勝てば朝ご飯のチーズを一切れ、負けた方から貰える。

 3回とも負けたらご飯からチーズは無くなっちゃう。

「面白いこと考えたね。」

 穏やかな声が聞こえるけれど、今は序盤に目を走らせるのに必死だから無視。リーヴァが数える声は私の声より遅い。このままいけば勝てる!

「20!勝ったぁ!」

 ご飯がかかった勝負で負けるわけにはいかないから、最後までペースを守って一勝。

「これ、難しいわ。」

 残念そうなリーヴァの姿に、少し気分が良くなった。

 2戦目は僅差で勝ったけれど、3戦目は隅っこより少し内側に書かれていた11と真ん中の脇にあった15で戸惑っているうちにリーヴァが追い抜いて僅差でゴール。

 チーズを全部取っちゃうのはかわいそうだから、一つは戻してあげようとか思った途端にこの結果。悔しいけど自分のせいだ。

 ほっとしているリーヴァに明日は全勝してやると誓ったところで

「おつかれ。身体を休めた分だけ走ってから戻ろうか。」

カークさんが優しく言う。

 声は優しいけど内容は優しくない。それなりに重い書板と盾を「これは括って持ってね。」と、ロープの使い方の練習を兼ねて背負わせる。そして素振り用の剣は

「それは両手で、こう。」

 頭の上に掲げるポーズ。

 村の周りをダッシュ混じりに追いかけられて息を切らせて宿に戻る。肩と腕が焼けそうに痛いけれど、カークさんは休ませてくれない。

 途中鍛錬をしていた他のチームから応援をしてもらいながら、なんとか走り切った。

「あらぁ、おかえりなさい。頑張ったのねぇ。」

 汗だくの私たちが宿の入り口をくぐると、白が面白そうに声をかけてくる。額の汗を拭う私が背負った書板を目に留めると、

「これが昨日言ってた練習なの?」

 上から覗き込んで聞いてくる。それが周りの人たちの興味を引いた。

 メイヤーさんたちが面白そうに寄ってくる。

「へぇ、視野を広げるためか。眼法の鍛錬とは違うな。」

 そう言って自分のやり方は、と一方的に教え始めるクアンさん。両肩に置いた指先を横へ広げていくやり方は拳法の型の一部になっているそうで、暇なときにやるようにと快活に笑う。

「すぐに出立の時間になる。早く食べる。」

 仏頂面で耳をぴんと張って急かすのは黒。テーブルに着いたまま私たちを睨んで、お皿を指先でつつく。

「あらぁ、少しくらいいいじゃない。ティーエたちだって色んなことを知っておいて損はないわぁ。」

「なら、話しながら食べよう。」

 黒の意向を遮ったのは白とメイヤーさんで、その流れでテーブルを2つ合わせてまとまった2チームの面々は、私とリーヴァを朝ご飯の話のタネにすると決めたようだ。

 ホウシェンでは冒険者の立場が弱いから新入りにはみんなで色々と助け合うようにしていると、それを口実にあれこれ言われ続けて、少し忙しいご飯になった。

 そこに、男の人が2人やってきた。

 1人は背が高くて筋肉質で鼻や耳が潰れた厳つい顔。もう1人はもっと背が高くて、まるで壁のようにがっちりした体格で、立派な顎髭と鋭い目線がちょっと怖い。

 どちらも同じような金属の板と厚手の布を組み合わせた鎧を着てる。

 宿の入り口を通った2人に真っ先に声をかけたのはメイヤーさんだ。

「ディンジァ、ゴドバン、こっちだよ。」

 手を振って2人を招く。すると2人がすると2人がメイヤーさんに手で挨拶してから、鎧の音をさせて近くまでやってきた。

「昨日名乗ったが、チーム『蒼盾衛士』の長を務めるディンジァだ。こちらは副長のゴドバン。」

 まっすぐな頭を上げた姿勢を崩さずに自分たちを紹介するディンジァさん。もちろん顔合わせで知っているし、昨日広場でやってた試武の、剣と盾を打ち合わせるもの凄い音まで思い出せる。

 ゴドバンさんは顔合わせにはいたけれど、それ以外では見た覚えがあまりない。

「隊列の先頭と後ろじゃ話す機会がないから、飯どきくらいは顔を見せなって夕べ声をかけておいたの。いいでしょ?」

 気さくに言いながら場所を開けたメイヤーさんとクアンさんの間に2人が収まって、その分みんなが詰めて、狭いと言い出したフェリスがなぜかリーヴァの膝の上に座った。

「その娘が昨日の話にあった新人か?」

「あんたは相変わらずだね。それはまだ決まった話じゃないって言ったはずだよ。」

 ちらりとリーヴァを見て身がすくみそうな言い方をするディンジァさんを、メイヤーさんが諫める。む、と一声唸って顎を引くディンジァさん。

「こちらとしても頼めるならありがたい話だったからな。気が急いた。すまん。」

 難しい顔で弁解してから、黒に小さく頭を下げる。

 黒の眉間に少しよってた皺が消えて、

「私は黒。それと、白、カーク、フェリス、新人のリーヴァとティーエ。チーム名はない。」

 淡々と私たちを紹介した。「新人の」を強めに言った理由はディンジァさんもわかったらしい。

 固く引き結んだ口がへの字になった。

「おい主人、まず酒だ!いつものやつを持ってこい。」

 突然声を上げたのはゴドバンさん。低くて荒い迫力のある声に宿の主人がすぐに返事をして、ほとんど待たずにジョッキを持ってきた。

 ゴドバンさんはそれを掴むと、

「話をするにはこれがなくては始まらん。」

 1人でジョッキを掲げてから、勢いよく飲み干した。次のジョッキがすぐに出てくる。

 ディンジァさんも隣で呑み始めている。

「相変わらずだねあんたらは。」

 メイヤーさんが面白そうに言いながら自分のジョッキを傾けるけれど、確かさっきお酒を頼んでいたはず。

 私は元は苦力で、家族も知り合いもほとんどお酒を飲まない中で育ってきた。酔っていると仕事をするには危険だと経験的に知っていたから。

 場所によってはお酒の方が安くて、水代わりに飲んでいるとカークさんから教えられ少し意外に思ったくらい。

 これから仕事なのに大丈夫なのかな?と心配しながらパンをかじっていると、メイヤーさんと目が合った。

「ティーエ、そんな目で見なくたって仕事に差し障るような飲み方はしないって。こいつらもその辺はわかっているんだからね。飲まないあんたらの方が珍しいよ。」

 メイヤーさんの言うとおり、私たちのチームでお酒を飲んでいる人はいない。

「オレは昔、酒で大きな失敗をしたんだよ。それ以来、仕事前に飲むのはやめた。」

「へぇ、そりゃ良い話を聞いた。酒の肴ができたよ。」

 カークさんの言い訳をメイヤーさんが捕まえて、カークさんはすっごく嫌そうな顔になる。

 ディンジァさんたちも白とフェリスもそれをネタにし始めたので、私は話の的にならないよう静かにリーヴァのお皿から勝ち取った分だとチーズをもらう。

 あ、ちょっとむくれた。かわいい。

 思わずにやにやしながらチーズを口に運ぶ。プイッと顔を背けるリーヴァ。それからこっちを向いて、

「明日は負けないんだから。」

 唇をツンとさせて誓いながら、自分のお皿に残されたチーズをちぎったパンに乗せてかじる。

「美味しいわね。」

 固いパンを何度も噛んで飲み込んで、こっちを向いた。

「うん。」

 私も笑いながら、リーヴァを真似てパンとチーズを食べる。よく噛んでからごくりと飲み込み、岩蜜入りの水で喉を潤す。

 いつもよりとても美味しい朝食は、いつもよりずっと賑やかに過ぎていった。


 昼間。

 私はツァイシャさんライアスさんの2人とさんと見張りの順番が同じになり、リーヴァも合わせて4人で話しながらカーゴの横を歩く。

「それで、秘紋法と秘奏術っていうのはね…」

 だけどあまり話をしないライアスさんとリーヴァがいて、私は新人だから、自ずからツァイシャさんの法術談義が始まっている。

 この世界には法術と呼ばれる超常現象を起こす技術がある。

 法術に分類される技術にはたくさんの種類があって、それらをざっくりと教えてから、ツァイシャさんが専門にしている秘奏術の話になった。

 様々な法術体系の中でも秘紋法と秘奏術は特に重要なものらしい。なぜなら、カークさんの使う合奏甲冑や隣を走るカーゴや、その他色々な便利な道具を作り出しているのがこの二つの法術体系だから。

 私は法術を使うために必要な染弦という技術を使えない。練習はしたけどどうしてもできないから、その悔しさもあってツァイシャさんの話に聞き入っていた。

「…それで、この『4次元に描かれた煌糸の紋様』を染弦した煌糸を操って直接描くのが秘紋法で、予め用意した構術具から呼び出して描くのが秘奏術。秘紋法の方が高度だって言われているのは、染弦した煌糸の力が消えるまでに必要な秘紋を考えて描くのが難しいからよ。その分、より緻密な秘紋を描けるから強力で正確な術を発現できるの。」

 すらすらと話すツァイシャさん。話の途中でふと気になったことがあって、説明の切れ目を待って尋ねる。

「それなら、秘奏術は染弦ができなくても使えるんですか?」

「そう思うだろうけど、無理なのよね。発現させた術の制御には自分で染めた煌糸を使うから、やっぱり染弦はできないとダメよ。」

 期待が失望に変わって目線を落とす。

 落ち込んだ私に、ツァイシャさんが少し早口になって説明を続ける。

「でもね、単純な術なら使えるの。構術具に刻んだ通りの法術を発現させるだけなら、継振筒や顕現炉からの煌糸でも使えるわ。そうやって誰でも法術を使えるようにしたのが奏具よ。」

 それはつまり、秘紋を刻む方法を学べば奏具を作ることができて、奏具を作ることができれば染弦ができなくても簡単な法術を使えるってこと?

 自分の理解を確かめるために質問をすると、ツァイシャさんは

「あくまで簡単なものだけ、ね。」

と付け加えながら頷いた。

「それじゃぁ、ツァイシャさんが使う構術具と奏具って、何が違うんですか?」

 思いつくままに疑問をぶつけたら、ツァイシャさんはちょっと嬉しそうな様子になって、

「お、ティーエちゃん乗り気になってくれたみたいね。よーし、色々教えちゃうわよ。」

弾んだ声で語りだした。

 立て板に水の勢いで聞かされているうちに、内容は講義と言ってもいいくらい専門的なところまで踏み込んでいたんだと思う。無口なライアスさんが近付いて何かをボソッと呟き彼女を現実に引き戻した頃には、私の頭の中はすっかりこんがらがっていた。

「あはははは。ごめんね。こういう話ができる相手ってなかなかいないから。つい。」

 てへっと可愛らしく自分の頭を小突きながらツァイシャさんが謝る。実際知恵熱が出そうなほど難しかったけれど、私はそれでも、仲間の役に立てていない自分への焦りもあって、彼女の話に食らいついた。

「大丈夫です。今までの話って、こういうことで合っていますか?」

 それからさっきまでのツァイシャさんに負けないくらいに、自分で理解したことを聞き返す。もちろん間違っているところはたくさんあったけれど、ツァイシャさんは私が興味を持ったことがうれしかったみたいで根気よく教えてくれた。

 ライアスさんが何も言わないのをいいことに見張りを任せっきりにして、そんな調子で話を続けてお昼間近。隣で話を聞いていたリーヴァは理解を諦めている様子だけれど、私は時々囁いてくる思い出の助けもあって、奏具の仕組みについて基本的なところはわかってきた。

 つまり、超常現象を引き起こす命令がある。

 そして現象を操作するための命令もあって、そういうのを定められた文法に従って組み合わせると、法術が発現される。この手続きに必要な一連の紋様は立体的に描かれて、いくつかをひとまとめにしたアニメーションのように変化する。つまり空間+時間で4次元上に描かれる。

 それが秘紋。

 秘紋というのは複雑な命令を伝える文章のようなものであって、その文法は厳密に定められていて、決まりを守らないと法術は発現しない。発現できても線の引き方とか繋ぎ方とか動かし方とかに無駄があるほど弱い。

 その仕組みを短い言葉にまとめるとすれば、ええと、


(オブジェクト指向のプログラミング言語)


 その言葉と同時に思い出が頭の中に膨れ上がって、私はよろめいた。

 誰かが体を支えてくれた、ような感じがする。

「ティーエ!?大丈夫?」

 リーヴァの声。

 彼女にうわの空で返事をしながら、今までの思い出とは違う、本をめくるような知識じゃない、強い決断を体験を伴った経験が溢れ出して砂の海のように私の意識を沈めていく。

 その重さに足を踏ん張って耐える。

「ちょっと、顔が青いわよ。ティーエちゃんどうしちゃったの?」

 ツァイシャさんが私の顔を覗き込みながら気遣う。

 だけど私には、自分に起きていることより大事なことができていた。流れ込んできた経験と秘紋の話とがまじりあって、言葉にならない考えが頭の中に渦巻いている。

 それが形を得ようとして私を突き動かし、私はツァイシャさんの服を掴んで

「ツァイシャさん、秘紋を、秘紋を描いて見せてください。なんでもいいから今すぐ。」

絞り出すように懇願していた。

 きっとそれが鍵になる。そう確信して。

「そんなことより、カーゴに行くわよ。ライアス、手を貸して!」

 だけどその願いは聞き入れられず、やがて私は目の前が真っ暗になって誰かの声がリーヴァの悲鳴が聞こえて。

 それを最後に私の意識は途切れた。


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