戦い過ぎて
「ん…ん?」
固い床。まるでいつかの地下室のよう。
その気付きが意識を恐怖で叩き起こし、私は飛び起きて周りを見る。毛布がバサッと翻った。
見知らぬ広い部屋に不安が湧き上がり、手首を見た。
大丈夫、なんともない。
「ティーエ、起きたのね。」
羽毛のようにそぉっと優しい声がかけられて、私はその主を見た。
「リーヴァ…。」
一気に緊張が抜け落ち着いて周りを見れば、そこは宿屋の一階にある酒場の隅っこ。普段は見ない片付けられたお店の中を普段ではありえない壁の隅から見ると、こんなにも違うんだ。
石畳の床の模様さえ新鮮に思えて視線を巡らせると、手が届く所に置かれたジョッキ。紙が下に挟んである。
その紙を取って開く。
『昨夜は災難だったな。俺の奢りだ。』
誰の字だろう?
「あのね、お店の主人さんがさっき…。」
首を傾げた私にリーヴァが教えてくれ、「そっか。」と呟いて声が掠れていると気付いた。
「後でお礼言わないとね。」
その声でリーヴァに微笑んでから、ジョッキを持って爽やかな香りのする水をこくこくと喉に流す。
喉にこもった熱がハーブの冷涼な香りに洗い流されて、いつもより濃い岩蜜の甘さが荒れた喉を潤し、
「美味しい…。」
飲み終えてホッとしてから呟いた声は、自分の声だとわかるくらいになっていた。
「昨夜は先に眠ってしまって、ごめんなさい。」
毛布を畳んでくれていたリーヴァが細々と謝る。そういえば、あの小悪魔の猛攻に耐えきれず、私より先に机に突っ伏していた。
「悪いのはフェリスなんだから。それに昨日はリーヴァが一番大変だったんだから、私に付き合わなくても良かったんだよ。」
申し訳なさそうな彼女の様子にフォローしてから
「リーヴァは私より早く起きたんでしょ?大丈夫なの?」
彼女の力について教えられたことを思い出し、声をかける。
そっと彼女は頷くけれど、多分無理をしてる。
魔眼族には額に晶眼という目みたいな器官がある。この晶眼は魔導という法術みたいな超常的な力を持っていて、そのおかげでリーヴァは怪我をしても毒を受けても見ている間に治ってしまうし、疲れ知らずに動ける。
ただ、この力は無限ではなくて、使いすぎると晶眼そのものが疲弊してしまう。
「昨日あんなに頑張ったんだから、疲れてるんじゃない?」
念押しすると、
「ちょっとだけだから。」
と微笑みが返ってくる。
ちょっとなはずがない。
リーヴァは昨日、身体に害があるほどに汚れた水の中でずっと手を使って指輪を探し続けていた。 その間、額には淡くゆらめく白い光が糸のように編まれて、まるで角みたいに浮かび上がっていた。
それは晶眼の力が全力で発揮されている証拠で、「凌駕状態」と呼ばれている。つまり無理をしていたってこと。
一日中、暗く不慣れで不快な場所で凌駕状態を続けていたリーヴァは、ようやく指輪を見つけて下水から出た途端に座り込み、しばらくの間動けなくなってしまった。
あの有様を思えば、昨夜フェリスの質問責めの途中に眠ってしまったのも当たり前だ。何度も止めたのに。
(あぁ、大丈夫?とか無理しないで。とか言ったら、反対にそっちへ行っちゃうのか。)
思い出が閃いて、リーヴァへの不安がはっきりした。
今までずっと肩身の狭い思いをしてきた優しいリーヴァは、人に心配をさせるような選択をできない。
私が心配をしていると察したら、多分、ううん、絶対に、無理をする。
「リーヴァ、私疲れてるから、もう少し寝るね。もーやだ働きたくない。」
リーヴァが畳んでくれた毛布を奪い取ってわざと大袈裟に広げて被る。くるんと回って全身を包めば石畳だって平気。そう言い聞かせてごろりと寝転んだ。
(もふつむり)
(そう呼ぶには毛布が固いかも。)
思い出の囁きに反論したら、
「ティーエ、もう訓練の時間になるわ。それにこんなところで寝てたらお店に邪魔よ。ねぇ、ティーエ。」
リーヴァが私の体を揺する。そっと。
優しすぎて逆に寝ちゃいそうな加減で。
「やだ。訓練したくないカークさんならわかってくれる。眠い〜。」
寝たら負けだと眠気に逆らって毛布の中からもごもごと訴える。リーヴァ、聞こえてるかな。
「もう動きたくな〜い。このまま寝る〜。」
わがままを言い続けていると、やがて私の体を揺する手が止まって。
「仕方ないわね。」
諦めた声。
すぐに膝と体の下に腕が差し込まれる感触があって、私は毛布ごとリーヴァに抱き上げられた。
「ここでは体にも悪いから、部屋で寝てちょうだい。」
疲れた様子の声。心の中でガッツポーズを決めた。
そのまま階段を登るリーヴァに運ばれていく。
多分、リーヴァの額には白い光の角が現れているはず。まだお客さんはいないし、他の人が起きて来た気配はないから良いけど、無茶はさせちゃった。
「リーヴァありがとう。」
毛布越しにお礼を言うと、ため息ひとつ。
魔眼族は力が強い。カークさんたちから聞いた話では晶眼の魔導が働いて力を増していて、凌駕状態ではさらに強くなるそうなんだけど、リーヴァと訓練の合間に確かめたことは少し違っていた。
思い出が語るには
(多分、身体が全部速筋。)
ピンとこないのだけど、人の身体を動かす筋肉には2種類ある、らしい。力が強くて瞬発力がある速筋と、それらは弱い代わりに疲労に強く持久力がある遅筋。
でも、魔眼族はほとんどが速筋で、普通ならあっという間に疲れてしまうはずだけど魔導で回復させながら動いている。だから同じ体格の他の人族よりも力があるように見えるだけ。
それでも普通なら10秒間しか発揮できないはずの全力を続けられるのは、知らない人からしたら意味不明だ。
(100m走のペースでマラソンを走れば世界新記録。)
思い出のツッコミも納得だし、この力には続きがある。
どう見ても力強さとは無縁な体格のリーヴァだけど、今軽々と私を抱えて歩いている。それは凌駕状態の回復力が働いているから。
人は普段、本来の筋力の半分も使えていない。人の身体はそんな力に耐え続けられるようにはできてない。
だったら、本来の力に耐えられず傷ついた部分を片っ端から治してしまえば?その魔導を前提にした身体を持っていたら?
それをやっているのが今のリーヴァ。私を抱えて階段を登るために、自分の身体が傷つく痛みを受けながら全力を使ってくれている。
晶眼の魔導が痛みをやわらげるらしいけど、痛いものは痛いはず。
そんな無茶をさせてしまうわがままに罪の意識がチクリと胸を刺すけれど、私は心をちょっとだけ鬼にした。
やがて優しく身体が揺れて、ガチャリと扉を開く音。
私を抱えたまま軽々と部屋に入り、リーヴァはそっと私をベッドに下ろした。あ、ちょっと待って毛布が。これは計画になかった。
「リーヴァ助けて毛布が取れない。」
くぐもった声で助けを呼びながらもがく。手足を動かしているつもりだったけど、
「あらぁ、可愛らしい芋虫ちゃんだわぁ。」
毛布越しに白の声が聞こえた。私が想像した通りの言葉付きで。
「ごめんなさい、起こしてしまって。」
謝りながらリーヴァが毛布を取り、
「ぷはぁっ。」
私は縛から解かれて深呼吸する。
「芋虫ちゃんが孵ったらティーエになっちゃったわぁ。それ、新しい遊びかしら。」
白の声に顔を向けると、彼女はゆったりとした寝間着姿で立ち上がり、前屈みになって私の頭を小突く。
(うわぁ、なんかドキドキする。目に毒?うん、目に毒。カークさんが逃げるのもわかる。)
ちょっと顔が熱い。
「まだ起きるには早いのに、子猫ちゃんに起こされちゃったのよねぇ。どうしたらいいかしらぁ?」
さっと熱さが引いた。多分血の気も引いた。
白は寝起きが悪い。迂闊に起こすと間違いなく不機嫌になるのは一緒に暮らすようになって散々わからされた。
「えっと、昨日はフェリスのせいで眠れなかったからもう寝るね。おやすみ!」
「え?あの、その、」
「リーヴァも寝るの!ほらっ。」
何をやっても火に油。それがわかっていたから逃げに徹した。リーヴァの手を引っ張って「きゃあっ」ベッドに引っ張り込むとバサッと毛布を被る。
「あらあら、今度は2人で蛹になるのねぇ?それなら、」
ぎしり、とベッドに重みがかかる音。ダメだ逃げられなかった。と思った途端に白の動きが止まる。
「白、うるさい。」
黒の声。
黒は寝起きが悪い。丁寧に起こしても間違いなく不機嫌になるのは一緒に暮らすようになって嫌になるくらいにわからされた。そして黒は白のお姉さんだ。
(助かったあああああ!)
自分たちのベッドに戻る白の気配を背に感じながら、心の中で勝鬨を上げる。そっと頭に触れた手にリーヴァの様子を伺うと、やっぱり疲れていたみたい。何か呟きながら寝息を立てている。
「起きたらお仕置きよぉ。」
隣からの一言で私の眠気はどこかに飛んでった。
目が覚めたらリーヴァはいなかった。白と黒も。フェリスも。
毛布を押しのけて身体を起こすと、枕元に水筒。リーヴァの字で、「ティーエへ。お水です。」と書いてある紙。
ほんのりと甘い水で人心地ついたら、
「あー、あー」
喉の調子を確かめる。うん、大丈夫かな。
昨夜は着替えずに眠ってしまったから着替える必要はないけれど、シワになったままの服には抵抗を感じた。
冒険者の衣服は苦力と同じで機能性最優先なのだけど、求められる機能が段違いだから、お世辞にも寝心地が良いとは言えない。
そんなわけで寝間着に着替える生活に慣れ始めていた私は、「せめてこれくらいはね。」と服を引っ張って形を整え、タオルで顔を拭いて部屋を出た。
この建物は冒険者ギルドの連絡所で、2階は宿、1階は酒場になってる。
酒場の店主が連絡所の仕事もやっているので、私は昨日の仕事の報告をするために階段を降りて、筋肉がしっかりついた厳つい体格だけれど愛嬌のある表情の店主を探そうとした。
でも、私が階段を降り切る前にお子様がとんできた。
「おはようティーエ。昨日は楽しかったね!」
フェリスが足元に絡んでくる。
「おはようフェリス。相変わらず元気ね。」
「うん!」
まだ掠れの残る疲れた声を全く気にせず元気な笑顔。
このバイタリティが小さな身体のどこから出てくるのか、もうわかりたくない。
「みんなでご飯を頼んだんだよ。早く早く!」
私が手を握られて引っ張られていくと、酒場の端っこにあるテーブルに白と黒と、2人の向かい側にはカークさんがいた。
「おつかれさま。ご飯、もう頼んじゃってあるけど、それで良いかな?」
穏やかさの他には個性が無いカークさんの声にテーブルを見ると、黒パンとチーズ、それに荒地イモと野菜のサラダ。2人分がひとまとめでお皿に盛られてあって、隣にはいつものように岩蜜入りの水が入ったジョッキ。
「カークさん、ありがとう。」
感激に震える声でお礼して席に着く。さりげなく私たちがよく食べるメニューを頼んでくれているあたりに気遣いができてる。
お祈りを捧げてパンを手に取る。固い黒パンはよく噛まないと飲み込みにくいけど、その分食べた満足感がある。
パンを一口味わってから気がついた。
リーヴァは私より早く来ていたはずなのに、ご飯には手をつけてなかった。
思わずリーヴァを見ると目が合って、それから困ったような微笑みが返ってくる。
(待っててくれたんだ。)
「疲れているでしょう?はい。」
私が口を開くより早く荒地イモと野菜を取り分けた小皿を置かれて、「ありがとう。」どっち付かずのお礼をしてからイモを取る。
荒地イモは痩せた土地でも育つ拳大の歪に丸っこいイモで、チーズを乗せて蒸すと最高に美味しい。
(じゃがいもと玉ねぎ)
思い出が脳裏に甦って、見た目や名前だけでなくその風味や食感も思い出される。すごく似てるけど少し違う。
その違いがいつもより煩わしい。
でも、これはご馳走だと気持ちを切り替える。
苦力の頃にはなかなか食べられない、贅沢だった食事だ。冒険者って体力気力勝負だから、お金に困っても飲み食いに妥協はしないらしい。
度を越した贅沢はしないけれど、その中でならできるだけいいものを食べる。そういう感じ。
「ティーエ、依頼主への連絡は?」
私が3口パンを飲み込んでから、黒が聞いてきた。
「昨日簡単な報告はしてあるけど、詳しくはこれから。今日中には連絡がつくから、ここで待ってろって。」
ギルドの連絡員もやっている店主の指示を思い出して答える。
依頼主が来たら指輪を確かめてもらってから手続きをしてもらい、依頼達成。
ギルドに支払われた謝礼金から手数料を引いた額が私たちへの報酬になる。
下水の中の指輪探しなんてたいした額にはならないけれど、私たちにとっては初めての報酬だ。
その使い道はもう決めてあって、私はリーヴァと目を合わせて一緒に、ちょっと悪い笑顔で頷きあった。
「それなら、どちらかは宿に残るから訓練はできない。代わりに私が座学を教える。どちらでもいいから何を学ぶか決めて。」
私たちの様子には全く無関心に黒。
「黒、いいの?」
と尋ねると、
「白やこれが座学を教えるなんてできるはずがない。」
それが当たり前だと、なぜティーエはわざわざ聞くのかと、そんな表情でフェリスを見ながら答える黒。
白は笑いながら黒を肯定していて、フェリスはリーヴァに何かを聞き始めている。
カークさんは、あ、いた。パンを齧ってる。
「カークさんはいいんですか?」
私たちに戦い方を教えてくれているのはカークさんだから、予定を変えるとなれば意見は聞いておかないと。そう思って確かめると、
「2人より1人の方が楽だからね。構わないよ。」
そう答えてジョッキに口をつけた。
「じゃあ、私が宿に残るから、リーヴァはカークさんと訓練でいい?」
そろそろ質問責めに入りそうなところに助け舟を出したら、リーヴァはほっとした様子で2度頷き水を飲む。
話が途切れたフェリスには白が話題を振って、こちらから気を逸らしてくれた。厄介者と言いながらも扱い方を覚えて上手くやっているんだから、仲が悪いわけじゃないんだよね。
「話が決まったなら、ティーエ、報告してから部屋へ。私は先に行ってる。」
ご飯を終えた黒はそう告げるとさっと席を立って階段を上がっていってしまった。
「昨日の仕事も付き合ってもらっちゃったし、悪いことしちゃったかな。」
無愛想な態度に不安を覚えて呟くと、
「そんなことないわよぉ。あれでも楽しんでいるから大丈夫。安心して教えてもらいなさいな。」
白が顔を寄せて囁く。なんでそんなに色気出すの?私相手だと無駄でしょ?
つい腰が引けてしまってからそんなことを思ってもそれこそ無駄。落ち着いて落ち着いて。
「そうなんだー。ありがとう白。ゆっくり教えてもらうね。」
あぁ、声が固い。見なくてもわかる白があの笑顔で声は出さずに笑ってる。
「部屋行ってる。」
その場にいるのが気恥ずかしくなって立ち上がったところに、
「そこの嬢ちゃん。昨日の仕事の話だ。来てくれ。」
店主が声をかけてきた。