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初仕事

「もうやだぁ!」

 私は叫んだ。

 暗くてじめじめして汚物の臭いに咽せかえりそうな下水道。その中での仕事が我慢できなくなったから。

 たった今私の足元をぬるりと滑り抜けて気持ちをへし折った何かがパシャっと水音を立てて後ろへと泳ぎ去っていく。雨具越しでも感じたあの不気味な感触が蘇り、

「リーヴァあ、今日はやめようよ。見つからないよ。」

 汚水に両手を突っ込んで水底を探っているリーヴァに、私は思わず泣きついた。

 リーヴァが身を起こしてこちらを見る。

 魔眼族の特徴、額の第3の目からはうっすらと光が浮かんで白く儚げな角の様に見える。その薄明かりがリーヴァ自身の繊細な、それなのに汚水に塗れて汚れた顔を照らしている。

「リーヴァもこんなに汚れてる。ねぇ、もう帰ろ。」

「帰るなら今夜は飯抜き。依頼はしっかりやる。」

 泣き言を続ける私にピシャリと言いつけたのは黒。

 黒というのは冒険者をするための偽名で、本名は知らない。着込んだ雨具のフードの中で、彼女の頭の上にある猫の耳がもそりと動いた。

 獣粧族、獣の力を身につける魔導を備えた人族。様々な獣の血筋がある中でも黒はミャ・コン、つまり猫の魂を受け継ぐ血族の生まれ。

 彼女は私たちにとって冒険者としての先輩で先生だから、やはり言い方も厳しい。

「ティーエ、魔眼族の、晶眼のことは教えたでしょう。私の方が毒にも病気にも強いの。だから、ティーエは通路の方を探してちょうだい。」

 さらにリーヴァからまで、いつものように自信の無さそうな弱々しい話し方で、でもしっかりと言われてしまって、私は水路から両側にある通路へ上がる。

「こんな中から指輪ひとつなんて、どうせ見つからないよ。見つからなかったって報告すればいいのに。」

「愚痴らずに働く。無駄飯食らいって呼ばれたくはないでしょ。がんばれ苦力くーりー。」

「苦力は探し物なんてしない。」

 黒の叱咤に文句をこぼした私は諦めて、ランタンの〜ただし温かな火ではなくて法術で冷たい明かりを灯してある〜光で床を照らし、ろくに掃除もされずに溜まった汚泥を棒でかき分ける。

 黒のため息。

 チラリと横目に見ればリーヴァが黒と顔を見合わせて困った様に微笑み、それから身体をかがめて汚れた水の中に、その手を突っ込んだ。

 水の中を探るのに手袋は邪魔だから、素手だ。

(綺麗な手なのに、汚れちゃう。)

 私は心の中でそれを嫌だと思いながら、自分の、手袋をした手を見る。

 単純で辛い肉体労働を生業とする苦力の生活は、任されていたのは子ども向けの仕事ではあったけど、私の手にいくつもの小さな傷を残し、肌を荒れさせていた。

 リーヴァの手は、彼女の繊細な容貌にふさわしい細やかで滑らかな、私から見たら宝石みたいな手だ。

 魔眼族の晶眼は身体の傷を瞬く間に癒してしまう魔導を備えている。だけどどんな傷でも跡形無く治せるわけでもないらしい。

 それなのに、あの手を、あんな風に扱うなんて。

「だいたい、こんなところに間違って指輪を流したシェンさんが悪いんじゃない。早く出てきてよ。」

 不満を声に出すと、思い出の指輪を流してしまったと嘆いていた依頼主の肩を落とした様子が、依頼を受けたときの、後悔と不安と申し訳なさから明るさを取り戻した表情が、脳裏に浮かぶ。

(何か良い方法ないかな。)

 なんとかして探し出してあげたい。

 気持ちはとても強いのだけど、どうしたら良いのかわからない。そのもどかしさが苛立ちになって、私は乱暴に棒を振った。

 棒は泥の下の石畳に当たって耳障りな音を立て、

「ティーエ、気が散るからやめて。静かに探す。」

黒に叱られた。

「だいたい、この仕事は貴方が受けた仕事。冒険者になると決めたのもティーエ。貴方が見つけてきた初仕事。きちんと働け。」

 追い討ちまでされて、私は返事もせずに汚泥を棒でつつく。

(そんなのわかってる。)

 ただ、リーヴァが魔眼族だからって一番汚れる仕事をしているのが、匂いに敏感な黒が顔を顰めながら私たちの仕事を見てくれているのが、自分の不甲斐なさのせいに思えて情け無い。

 何が混ざっているのかわからない塊を棒の先で崩して、もう同じことを何回やったんだろうってうんざりしていると、頭の中に、一冊の分厚い「辞書」と、「竹串」の絵が浮かぶ。

 一瞬のうちに辞書という薄い紙を綴じた言葉の目録を竹串という丈夫だけど細い木の串で刺し通すやりかたが、その手応えが、それを読んだ別の本が、頁を捲る手触りが、私の中に広がって。

(地道にやるしかないのね。)

 幼い頃から私の中に現れる不思議な思い出。その思い出にまで叱られた気分になって、私は考えるのをやめた。


「やあ、おやえり。」

 仕事を終えて宿に戻った私たちを、カークさんが、いつものように穏やかで当たり障りのない口調で出迎えてくれた。

「大変だったみたいだね。さっき、主人の声がこっちまで聞こえたよ。」

 下水で汚れた私たちはさっき、酒場を兼ねた宿に表の入り口から入ろうとして、慌てた店主さんに大目玉を落とされた。

 それで放り出されて、裏口から宿の裏庭に入ったところ。

「黒が教えてくれれば…。」

 あのとき、黒はちゃっかりと私たちから離れて先に帰っていてと他所に行ってしまったのだけど、その黒がいま目の前で髪を拭っていて、思わず文句を言いかける。

「冒険者ギルド直営とは言え酒場にあの格好で入ると思わなかった。ティーエたちの常識はどうなってるの。」

(私たちが疲れきっているってわかっていてやったな。)

 リーヴァと目を合わせてから、私は長い黒髪を拭く黒を睨んだ。ビロードのような煌めきがパラパラとまとまり落ちて、彼女が頭を振るとバサッと音を立てる。

 頭の上の猫の耳がパタパタっと震えてから、頭の横にある人の耳から髪の毛を払いのけてから、猫耳を覆わないようにタオルで巻く。

「ひとつ勉強になったはず。どれだけ疲れていても判断できるように。」

「黒さんは厳しいね。はいお二人さん、これで顔を拭いて。それから岩蜜入りの水だよ。身体を洗うお湯もあるからね。」

 泥と臭いをぬぐい取ったところに、心地よく冷えた水の微かな甘味が体に染みる。クロにあれこれ言う余裕もなく、私たちはカークさんが差し出した水を飲み干して、それから

「お湯もあるの?高かったんじゃないですか?」

息をつきながら尋ねる。

 ホウシェンは冷涼な砂の大地。今いるこの街、長背は川と海に面しているけど、だからといって綺麗な水が簡単に手に入るはずがない。

「買ったのは飲み水だけだから、気にしなくて良いよ。」

 穏やかな、特徴がないことが特徴みたいな表情で返事を返されて、私たちは顔を見合わせた。

「黒さんが持っているからね。洗い場はあっちだから、3人で使ってね。そうそう、喚んだ水は身体に毒だから、飲まないようにね。」

 カークさんが指で指した方には、庭の一角が薄そうな壁で区切られている。あれが洗い場なんだろう。

 それはわかったけど、喚んだ水って?

 思い出と一緒に首を傾げてカークさんに聞こうとしたら、

「早くしないと夕ご飯、フェリスと白さんが全部食べちゃうよ。」

 一息早く忠告されて、私たちは洗い場に走った。


 大急ぎで洗い場に駆け込み服を大きな桶に放り込む。

 どうせ女3人なんだから裸なんて気にしない。ご飯が先。ご飯が先。とにかく早く!

 黒が手に持った、長さ30cmくらいの棒を桶にかざす。

 紫の光が煌めくと、棒の先からざぁっと湯気の上がるお湯が注がれた。

「うわぁ、便利!」

 すごく急いでいたのに感激の声が抑えられなかった。今までこんなのは見たことがない。その上頭の中に思い出が溢れ出す。蛇口とかシャワーとかを思い出すけれど、目の前の棒は無い。

 それが私には、思い出の私にも、ものすごい驚きで、滔々と流れ出すお湯から目が離せなくなってしまった。

「早く洗う。ティーエが一番向いてる。ティーエ…人の話を…リーヴァ!」

 私ほどではないけれど呆気にとられていたリーヴァへ黒。

 躊躇う様子はあったんだけど、黒と一言二言交わしたリーヴァ。

 その間私は黒の手元から流れるお湯に夢中で、

「ごめんなさいティーエ。」

 リーヴァの細い身体からは考えられない力強さで、洗濯物と一緒に桶の中へ放り込まれた。


「リーヴァひどい。」

 何度目か覚えていないけど、同じ文句を口にして私は洗濯物を踏んづけた。桶に放り込まれた恨みを込めて、灰汁に浸った服を力一杯踏んづける。

(この黒いのは黒のだ。)

 体重と怒りを乗せてもうひと踏み。

 力を込めすぎてお湯が飛び散るけど、どうせみんな裸だし、私が一番汚れてるし、リーヴァも黒も笑ってるし、気にしない。

 力一杯踏んでいるうちに、いつの間にか私まで笑ってた。

 しばらく踏み続けてクタクタになって。

 リーヴァが「えいっ」と桶をひっくり返し、服を絞って桶に戻してお湯。また踏んづけてひっくり返して。

 冒険者の服は厚手で丈夫だから重たいけれど、リーヴァが力一杯絞ってバサリと広げた頃には、私たちの身体の汚れもだいたい流されてた。

 仕上げにお湯を浴びる。こんなふうに使えるなんて、苦力の頃には想像できなかった贅沢だ。

 黒がなぜか別に用意しておいた冷たい水で身体を流してから、洗い場の中タオルを身体に巻いて3人で空を見上げていると、こんこんこん、と壁を軽く叩く音。

「黒さん、そろそろ良いかな。」

尋ねるカークさんの声。

「ちょうど良い頃合。干してあるから、よろしく。」

「はいよ。」

 黒の答えに返事が聞こえて、それから

「ティーエ、また驚かないように。」

 注意の意味を聞き返そうとした途端、

 シュワアアッ

 一度にお湯が沸き立って鍋から吹きこぼれたみたいな音がして、肌にチリリと引き攣るような感触。

 声も出なかった。

 目の前で桶から流され洗い場の排水に溜まっていた水が瞬く間に消えていく。洗濯物は不自然に踊っていて、止まってから立ち上がって触れると、完全に乾いていた。

 乾いていたと言えば、私たちの身体も。

 桶の中も乾ききっていたけど、洗い場の床や排水の底には少しだけ水が残ってる。

「法術で喚び出した水を送り還した。当然乾く。普段は使えないけど、冒険をしているとこう言うやり方に頼る時もあるから、慣れて。」

 当たり前のような口振りで黒が説明する。

「うん。法術って、すごいんだね。」

 それまでのことは頭から吹き飛んでしまって、洗濯物を掴みながら呟いた。リーヴァは何も言えずにいる。

 くきゅううぅぅ

 私のお腹が文句を言った。


「それでそれで、指輪が見つからなくてどうしたの?」

 素揚げにされた砂潜りの頭をもぎとりながら、弾んだ声でフェリスが聞いてきた。砂潜りは思い出に浮かんだザリガニに似ていて実際にエビの仲間なんだけど、足が太くて横に歩く。味はエビ。美味しい。それが大事。

 だからフェリスはご馳走にありつこうとプチプチと手足を捥いで殻を剥いて、でも、その間もいくつもの色彩に彩られたキラキラした目を私に向けている。

「少しは落ち着いて食べさせてよ。」

 角張った外見にはそぐわないぷりぷりとした白身を噛みちぎって飲み込んで、私はチーム一のお子様にお願いだけしてみる。

「落ち着いて食べていいよ。それで、スコルシザーが出て、それから?」

 期待するだけ無駄という期待を裏切らない笑顔。

 外見的には私より少し小さいくらいにお子様なフェリスは、実際には立派に成人した楽幼族。

 子供の体で成長が止まる人族で、中身もお子様で好奇心任せで止めようが無い困りものだけど、白と黒につきまとっていて離れないから、必然的に私にも絡んでくる。

「ティーエの初仕事なんだもの、私もどんなふうに頑張ったのか興味あるわぁ。」

 砂潜りは素揚げされても硬い殻と違ってサクサクした歯応えになる太い足もご馳走。それをつまみながら、意外にも白までフェリスに乗ってきた。

 黒とは双子らしいけど、その容姿は正反対の白。もちろん偽名。

 黒は小柄で真っ黒な髪と瞳で黙っていたら楚々としてお人形みたいなんだけど、白はすらりとして長い手足、道を歩けば男の半分は間違いなく振り返る艶やかな肢体とそれが分かっている仕草。

 しかもミャ・コンの血族に伝わるエキゾチックで露出の多い服と真っ白で癖っ毛の短髪が活動的で、悪戯っぽい表情に似合ってる。

 そんな白は、いつもならフェリスの口数の多さから逃げるのだけど、今夜は私たちの話を聞きたくて待っていたみたい。

「今夜、眠れるといいわねぇ。」

 初めてフェリスと出会った夜の出来事を否応なく思い出させられて、私は飲み込みかけた砂潜りの肉を喉に詰まらせて咽せる。

「大丈夫?」と優しく背中をさすってくれるリーヴァに手で応えながら息を整え、決意した。

 この場で全部話す。

 私たちは全員相部屋だ。冒険者に倹約は必須だから。

 カークさんはいつも人がいると眠れないからと言ってどこかに行ってしまうけど、黒も白もフェリスもリーヴァも同じ部屋。

 そして、法術で気配を隠せる黒も、私じゃ足元にも及ばない体術を使う白も、本気で付きまとうフェリスからは逃げられない。逃げられないからチームをやってる。

 つまり、この場で全部話してこの子の好奇心を満たしておかないと、仕事で疲れているのに、みんな眠れない。

 納得できた。だから白は、フェリスの側についたんだ。

 そっと私の前に、岩蜜入りの水がたっぷり入ったジョッキが置かれた。カークさんだ。

 一口飲んで喉を潤し、

「それで、下水道を奥に進んだらね……」

 みんなの安眠を両肩に背負って、子悪魔との戦いが始まった。

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