気付き
オリエとグウェンは、複雑な表情で近付いてきて俺から少し離れて立ち止まる。その様子から覗えるのは不満と、多分、やり過ぎたことへの気後れだろうか。
俺はさっきまでの憤りは消え失せて、肩を落とした。
(オリエもグウェンも気分や面白半分でこんな真似はしない性格だ。きっと俺に何かあるんだろう。)
俺が草の上に座り込むと、2人も前に座り、それからお互いに目配せし合う。2人とも、特にグウェンは話しを切り出すきっかけが必要なんだろう。
「オリエ、グウェン、事件のことで心配をかけてしまった。すまなかった。」
そう頭を下げる。
しばらく、無言の時間が続いてから、
「ギルにぃの馬鹿。わかってないし。」
「その事は練習の前に謝ってもらいました。」
と、2人の声。
また怒っている。声の固さではっきりわかる。
ニールと試武をしているスミカのため息まで聞こえる。
「そうか、俺が勘違いしているならすまない。できれば、何を勘違いしているのか教えてもらえないか?」
3人の言葉で俺が的外れな謝罪をしたことは分かった。だけどそうなると、3人はなぜ怒っているのだろう。
わからないものは聞かなければわからない。だから俺は素直に頭を下げた。
しばらく沈黙が続いてから、グウェンの、微かに聞き取れるくらいの、
「私はいいから先にオリエが言ってよ。」
と話す声。
それからしばらくの間、重苦しい沈黙があって、
「ギルにぃは、アルテさんと銀砂亭に行くって教えてくれなかった。」
そう、オリエが呟いた。
口を開きかけたが、なぜか幼いころの、師匠に出会う前日ミックに暴言を吐いた経験が脳裏に浮かび、それを止めた。
(ミックたちが事情を言わないはずがない。ここは黙って聞くべきだ。)
「あぁ、その通りだ。」
「それだけなの?」
俺が認めると、オリエからの問いかけが続く。
何を聞きたいのかと内心訝しむが、今は俺が謝っている立場だ。わざわざ知っているはずのことを聞いてきたのだから、まずはオリエの話に合わせて、俺が教えなかった理由を俺の口から話すべきだろう。
「俺は入学式の式典行進で、アルテが留年していることをうっかり口にしてしまったんだ。それであいつに恥をかかせたから、お詫びに銀砂亭で奢ることになった。」
2人の表情を見ながら説明する。
一瞬2人とも眉を顰めたが、一拍置いても黙っているのでそのまま続けた。
「あくまでアルテに対して俺が失敗したことで、チームとは関係のない話だから、周りには特に話もしないで銀砂亭に行ったんだ。それに、チーム以外の奴らの耳もあるから、あまり巻き込むわけにもいかなかった。」
そう話し終えると、しばらく2人で目くばせしてからオリエが、例の如く唇を尖らせて、
「お兄ちゃんとミックにぃには話したよね。」
低い声で詰めてくる。
「あの2人は昔からの幼馴染だし、誰かには相談に乗ってもらいたかった。だから話をしたんだ。」
俺の考えを伝えると、オリエの表情がはっきりと、だけどいくつもの気持ちに揺れ動くように変化した。
ひどく悲しげで、辛そうで、歯を食い縛って怒りを堪えるようにしてから、
「私だっ…。私は、違うの?」
絞り出すようにした言葉を一度飲み込み、問いかけにして訴えるオリエ。
「え?」
予想外の問いに思わず声が漏れてから、俺はしくじったと後悔した。直樹としての経験が一瞬の閃きとなって、問いかけの意味を悟らせたからだ。
今の一声はオリエの逆鱗を踏んだ。
「私だってスクトゥムの1人だよ?ギルにぃもミックにぃも、お兄ちゃんも、村のために騎士になるんでしょ?私だって、クレストスのために煌術技官になるためにここに来たの。なのにどうして私だけ仲間外れなの?」
言葉の嵐に、その嘆きと悲しみと寂しさに、俺は打ち据えられて顔を下げそうになる。いや、下げちゃいけない。
「ギルにぃが1人で決めていなければ、他のやり方だってあったのに。お兄ちゃんから聞いたよ。領主様にお願いしてお金を用意したって。なんで1人で決めてそんな無理をしちゃうの?私にだって相談してよ!」
胸に突き刺さる痛みに背中が丸まり自身の迂闊さへの怒りがこめかみを打つが、俺は気持ちを露わにしたオリエの顔から視線を逸らさないよう、彼女の想いを聴く。
(オリエももうこんなに大きくなっていたんだ。)
この世界は命の危険と隣り合わせで、その分、子供たちは早くから子供なりにでもその現実と向き合う。だから、大人になるのが早い。
剛獣狩りを見た頃からオリエとは、ミックたちと比べたら縁が遠くなっていた。
俺の心の中では、オリエはあの頃の、よちよち歩きで「ギルにぃ遊んで」と舌ったらずに駆け寄ってきたオリエだったのだけど、実際には俺が思う以上にしっかりとした考えを身につけていたんだ。
俺に直樹としての経験があることが、大人としての視点が、それを見逃す原因になっていた。そしてその悪影響はオリエだけでなく、周りの友人たち全てに当てはまるのだと理解した。
『お前さ、頭はいいけど、なんか違うぞ。』
幼かった頃のミックの声が脳裏に響く。
「なんてことだ。」
俺は呻いた。
父さんと向き合うことができたあの日、直樹であることがギルバートであることの妨げとなっていたのだと自覚し、あの時からギルバートとしての気持ちを素直に出して生きてきていると思っていた。
それは間違いだった。
直樹であることは今も俺を間違わせ続けているし、そしてそれは、多分、これから先もずっと続く。
(俺はみんなと同じにはなれない。だけど同じにならなきゃならない。)
オリエの訴えたことを、その原因の原因まで考えて行き着く先は、それだ。それを俺は直感的に悟っていた。
「ギルにぃ、わかってくれたなら、もういいよ。」
オリエの声。
慰めと思いやりを感じるその声は、沈み込んだ俺の態度を反省のそれだと感じ取ったからなのだろう。
「オリエ、すまなかった。確かに俺が間違っていたよ。」
その誤解を解くことはできない。
そう思いながら、俺は謝罪の言葉を口にする。
「わかってくれたなら、もういいよ。あのねギルにぃ、アルテさんも、ギルにぃが一人で背負うのは嫌だったの。ギルにぃはアルテさんのこともわかってなかったの。だから、アルテさんにも謝って。」
「そうか…そうだな。約束するよ。」
アルテがロルフさんの目の前でやったあの振る舞いの意味がやっとわかった。俺はアルテのことも見えてなかったんだ。精霊の加護を理解するよりも、アルテを理解する方が先だったのに。
俺が項垂れて約束すると、オリエは一度深呼吸してからグウェンを見た。
「じゃあ、私はもういいよ。次は、グウェンちゃんの番。」
「え?私の話はもういい…かな。ギル先輩、反省しているみたいだから…。」
顔を赤らめて消え入るように呟くグウェンの肩を、オリエが叩いて励ます。
「ダメだって。グウェンちゃんのことだってわかってもらわなきゃ、ギルにぃはまた同じことやるよ。絶対にわかってないから。」
「グウェン、きちんと聞くから、話してくれないか。」
オリエとは様子が違うグウェンの気持ちを測りかねながら、俺も話を促した。こういう機会は逃したらダメだ。
「は、はい。」
小声で返事をしたグウェンは、伏せがちな目線を時々俺に向けては逸らし、肩を丸めたまま話す。
「ギル先輩は、入学式で、アルテ先輩に恥ずかしい思いをさせたって言ってました。」
言いづらそうな様子でところどころ区切りながら話すグウェン。内気な性格の彼女にはこうして声に出すこともつらいのかもしれない。
そう心して耳を澄ませる。
「それで、あの、私も入学式で、すごく恥ずかしかったんです。」
表には出さないようにしながら、俺は内心首を傾げた。入学式で?俺はなにかしただろうか。
そこで話が途切れて、俯いてしまったグウェンをオリエが横から励ます。
風で揺れた木の葉がこすれ合う音まで聞こえそうな中、
「マルガン…岩窟族の風習で…、男性が女性の手を褒めるのは結婚を申し込むことなんです。」
おずおずと口を開いたグウェンが、それから早口で言い切った。
(え?)
さっきとは違って、迂闊なひと声を口に出すことは何とか抑えた。いや、声が出ないくらいに、頭の中が真っ白になっていた。
真っ赤な顔で下を向いてしまったグウェンと俺をにらみつけるオリエと後ろで笑い出したミックと「笑い事ではございませんの。」ミックが地面に投げつけられた叫び声と
「ごめん!知らなかったとはいえ、すまなかった!」
ようやく話を理解した俺は、頭を地面につけて謝った。まさに土下座の姿勢で。
「ギル先輩やめてください。知らなかったってわかっています。だからそんなことしないで。」
半ば驚きを含む声でグウェンが声をかけてきたが、俺は顔を上げなかった。
「グウェン、俺はマルガンのことを学校の図書館で調べたんだ。マルガンだけじゃない。みんなのことを学ぼうと思って。だけど、それが間違っていた。」
どうして俺がこんなに謝っているのか、たぶん、グウェンには伝わっていないだろう。一気に言い切らなければ。そう感じて、話に割り込ませないよう矢継ぎ早に言葉をつなげる。
「さっきのオリエのこともそうだ。俺は自分で調べただけで、実際に身近にいるグウェンと話をして、岩窟族を理解しようとしなかった。教えてほしいと相談すればよかった。だけどしなかった。そのせいで今まで、グウェンに恥をかかせたと思いもせずに先輩面してきた。俺はみんなとの向き合い方を間違えていたんだ。だから謝らせてくれ。すまなかった。」
一気に言ってから、一呼吸置いて、声を落ち着かせて続ける。
「一方的に話をしてしまったことも謝る。俺はグウェンに入学式で恥ずかしい思いをさせ、それを今まで気付きもしなかった。それは、知らなかったでは済まないことだから、俺がなぜ謝るのかをわかってもらってから、謝りたかった。」
「ギルは相変わらず考えすぎだよなぁあいてててて!」
ミックの横槍が、胸に刺さる。
幼い頃のあいつの一言がどんな意味があるのかもっと真剣に考えていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。
「ギル先輩、気持ちはわかりました。それに私、もう気にしていませんから、大丈夫です。あの、顔を上げてください。」
グウェンの言葉に俺が顔を上げると、彼女とオリエはさっきまでの険しさから変わって、穏やかな表情で俺を見ていた。
「ギルにぃって、昔から一言言うとそれ以上を考えてくれるけど、時々外れた方に行っちゃうのよね。ギルにぃらしいんだけど。」
「そうなんだ。だけど、マルガンのことを知ろうとしていてくれたのは嬉しいな。」
2人の会話にほっとして、背筋を伸ばして話に加わる。
「2人ともありがとう。これから先に間違ったままやっていかずに済んだよ。言い難いことなのに、きちんと向き合って話しをしてくれたお陰だ。ありがとう。」
会釈程度にしながら礼を言うと、右の肩に、後ろから、全く気配を感じさせずに手が置かれた。
「ギルバート様、お話を終えたとお考えのご様子ですけれど、まだ、わたくしがおりますの。」
スミカだ。
口調はいつもと変わらないのに、背中に冷水を流し込まれたような冷たさが走る。
「さっきので仕返しは済んだんじゃないのか?」
「代表して仕返しはいたしましたけれど、まだわたくしへの謝罪のお言葉はいただいておりません。」
「確かに迷惑はかけたけど…いや、まず話を聞くよ。」
代表して、というところには疑問を感じたが、しかし俺に落ち度があったのは確かなのだろう。オリエとグウェンが話をする機会を設けたのもスミカだ。言い分は聞いておくのが筋だ。
「ギルバート様は、この学舎の女生徒にとって銀砂亭が持つ意味をよくわかっていらっしゃらないご様子ですの。」
スミカの話はそんな前置きから始まった。そして直樹の頃、それなりの年齢で女性との付き合いもあった俺には、その前置きだけで言いたい事はなんとなく想像がついた。
「男に誘われて銀砂亭のディナーは、みんなの憧れってことか?」
「…ただの男では足りませんけれど、おおよそはそのような意味になりますの。」
「だったら、アルテは俺のミスに付け込んだお詫びとしてでも、いや、だからこそ抜け駆けをになるな。」
スミカがわずかに言い淀んだ理由はわからないが、俺の問いかけに目をいつもより大きく開けた表情は、俺の推測が間違っていないのだと語っていた。
「またギルバート様を読み違えておりましたの。わたくし、少し驚いてしまいましたわ。」
いつもの微かな笑みを浮かべ、スミカが話を続ける。
「けれど、お話しが捗るのは助かりますの。そこまでおわかりでいらっしゃれば、事件のことでどの様な噂が広まるかも想像していただけますわね。」
俺は、この世界についての認識を改めながら頷いた。
この世界の子どもは大人になるのが早い。そうでなくても新入生は12歳、最上級生なら18歳。
男女関わらずアルテと俺がそういう仲かと噂になるのは当たり前だ。迂闊だった。
「念のためにお伺いいたしますけれど、ギルバート様はアルテ様とお付き合いをなさっていらっしゃいますか?」
即座に首を横に振った。
「いいや、そういう気持ちはないよ。」
俺の一言に、スミカの表情が幾分柔らかくなる。
「左様でございますか。そのお答えでようやく人心地つきましたの。わたくし、噂を否定しておりましたのですけれど、もしも噂の方が正しいのであれば、お二方に申し訳ないと不安でございました。」
俺の様子を面白がっている様な笑顔のスミカに釈然としないものを感じながら、その言葉の意味は理解できた。
「スミカにはずいぶん苦労してもらったんだな。ありがとう。それと、あいつらのことを教えてもらっていたのに、それを活かせなくて迷惑をかけてしまった。」
彼女は俺が思っていた以上に大変だったということだ。そして、俺があいつらの襲撃も含めて計画を立てていればそんな苦労はさせずに済んだ。
「すまなかった。」
それを詫びると、スミカは数秒ほど俺を見定めるように見下ろしてから、口を開く。
「ギリギリ及第点にしておきますの。けれどもギルバート様。わたくしは皆様と一学年の頃からのお付き合いがありますのに、今年から知り合ったアルテ様に先を越されたというのは、順番が違うと存じますの。」
いや待て。と言いそうになって口を固く閉じ直した。
アルテに対してそういう感情は持ち合わせていないが、スミカに対してはもっと無い。しかし、ここで口を挟むと逆に意識していると取られかねない。
「わたくしは前々から同じチームとして命の危険があるお仕事も受けてきておりますの。それなのにアルテ様にだけはお詫びで銀砂亭というのは、釣り合いがよろしくないのではございませんの?」
「いや、それは…」
「それに、オリアーナ様とグウェンミル様のお気持ち、頭を下げておしまいなどと思っていらっしゃるのですか。」
抗議を仕掛けたところを口調をわずかに変えたスミカの牽制に封じられ、そこに
「ギルにぃには悪いと思うけど私だって行きたい。」
「アルテ先輩がそうなら、私も…。」
2人の控えめな言葉がトドメを刺した。
これは、何を言っても無駄だ。そう肩を落とした俺に、スミカが優しげな声で語りかけてくる。
「それではギルバート様、今回のお詫びとして…」
一度言葉を切りオリエとグウェンに目配せして
「「「スノーパレード、よろしくね。」お願いします。」ご手配くださいまし。」
目の前が文字通り真っ暗になった。
落ち着くまで黙っていると、ありがたいことに3人とも俺を待ってくれている。ミックが大笑いする声が聞こえるが、気にする余裕なんてこれっぽっちもない。
それでも、黙ったままというわけにもいかないな。
「わかった。ただ、今すぐは無理だ。」
3人からまとめて要求された難題に、俺は呻くように言った。スノーパレードを3人にとなれば、今の俺にはどうしようもない。主に懐の寒さが。
「事情は存じておりますので、卒業までゆるりと待たせていただきますの。お二方も、よろしいですわね。」
スミカが確認すると、オリエとグウェンが頷く。
「それでは、お話しは終わりにいたしますわ。もう時間ですの。」
話がまとまるやさっと踵を返すスミカ。俺に声をかけようとしたオリエたちにも声をかけて帰り支度を始める。
散々笑い転げたミックが俺の肩を何度か叩いて励まし、ニールが労りの声をかけてくれて、それでようやく俺は立ち上がって荷物を担いだ。
寮への帰り道、今までになく重い足を引きずり仲間たちの一番後ろを歩いていると、俺の前にいたシゲが立ち止まり、ポケットから何かを取り出して俺に差し出す。
「これは?」
受け取ってみると、それは手のひらに簡単に収まるくらいの四角く薄い袋だった。鮮やかな色合いの刺繍で飾られ口を巾着のように細い紐で閉じられたそれは、俺に直樹の頃の記憶を思い出させる。
「某が国元を離れる折に、兄上より渡されたものでござる。ギルはこの国にて洗礼を受けたが故いらぬ世話かと思うたのだが。」
珍しく歯切れの悪いシゲに、俺はふと
「もしかして、お守りか?」
なんとなく浮かんでいた記憶の通りなのか確かめた。
シゲが頷く。
「厄除けのお守りにござる。女難にもご利益があると、兄上が申しておった。」
その説明に入学式から今までの出来事が一気に駆け巡って、俺は思わず顔を顰めた。
「なぁ、シゲ。」
「む?」
「俺って、そんなに女運悪いか?」
「…。」
絞り出した問いに、シゲは黙り込む。
シゲは寡黙だと言っても口が利かない訳じゃない。黙り込むならその理由がある。そして、余計なことも言わない。
「なぁ、シゲ…。」
長い沈黙に不安になり、俺が声をかけると、シゲがそれを手で制して、
「言い表し様がござらぬ。」
短く言い切った。
心底堪えた。




