謹慎
朝になった。
俺はベッドから起きて着替えてから顔を洗いに、と扉の鍵を外したところで、昨日の出来事を思い出す。
「今日から自室で謹慎だったっけ。」
あの襲撃の後、俺はアルテの話を聞きながら寮まで帰った。話を聞く時間と万が一を考えて回り道をしたせいで門限には大いに遅れて、俺たちは寮監のロルフさんに大目玉を喰らうことになった。
その場で事情を詰問され、反省文を書かされ、当座の処罰として俺は2日間の自室謹慎を命ぜられた。
(アルテが怒ってたな。機嫌、直っていればいいんだけど、あの勢いだったからな。)
俺に対する襲撃の巻き添えだったと言うことで、アルテの処罰は1日の謹慎。それはおかしいと反論したアルテが聞き入れないロルフさんに激昂し、詰め寄って掴みかかるところを俺が押さえて落ち着かせた。
(俺が原因に聞こえるように報告したのが裏目に出たな。あーあ。まさかあんなことになるなんて。)
その後の出来事を思い出し、思わずため息が漏れる。
落ち着いたアルテが反省文を書き終えて2人で退室を命ぜられた直後だ。寮監室から出ようと扉を開けた俺の後ろで、
「おいっ、やめろ!」
と慌てたロルフさんの声。
何かがぶつかりガラスが割れる激しい音。
俺が振り向くと、俺の後をついてきていたはずのアルテはまだ寮監の机の前にいた。
机の向こうでは彼女を制止しようとしたんだろう。ロルフさんが手を伸ばした姿勢のまま固まっている。
そのロルフさんの視線を辿ると、壁際にある質素だが重厚な書棚のガラス扉が割られていて、机の上にあったはずの(アルテが投げつけたんだろう)木のトレーが、散らかった書類と一緒になって床に落ちていた。
「寮規則第25条第4項第7号と第42条第3項第5号及び同条第5項の規定により悪質な備品の破損行為は反省室での禁錮処分ですね直に行きますから自室には戻りませんよ!」
アルテが立て板に水の勢いで捲し立てて、
「ギルはフォローしそうですけど、無用ですよ。」
俺をむすっとした表情で睨みつけてから、部屋を出て行ってしまった。
沈黙。
ロルフさんが黙ったまま一度椅子に腰掛け、立ち上がって床の書類に手を伸ばす。
あまりの気まずさに耐えられず、俺は申し出た。
「片付けましょうか?」
「不用だ。部屋に戻りたまえ。」
眉間に皺を寄せ眼鏡の位置を直すロルフさん。彼の淡々とした固い声に、俺は部屋を後にするしかなかった。
(あの馬鹿。ザンダルガム公爵に迷惑はかけられないんじゃなかったのか。)
黙々と書類を片付けていたロルフさんの姿が脳裏に浮かび、俺はもう一度ため息をついた。
そして扉から離れたところに、ノックの音がした。
「ギル、起きているんだろ。話は聞いたぜ。」
ミックだ。
扉を開けるとミックだけでなく、厳つく広い肩を小さく丸めたニールもいた。
「おはようギル。ロルフさんに教えてもらったよ。大変だったんだね。」
「朝の鍛錬に出ようとしてたところに聞かされたから、みんなビックリしてたぜ。お前、やらかしちゃったな。」
「ミック、ギルが悪いわけじゃないよ。」
ニールの穏やかさとミックの軽口と、聴き慣れた幼馴染の声が沈みかけた俺の気持ちを掬ってくれて、俺は、
「いや、スミカに話を聞いていたのに手を打たなかったからな。お、それ、俺の分か?」
思わず笑いながら言い返した。
それからニールが持っている、簡素な食事が載せられたお盆に気付いた。
「そうだよ。ロルフさんが、ギルの分だから持っていくようにって。」
「謹慎中だから黒パンと水だけだってさ。そうそう、アルテにはスミカが持っていったぜ。」
「そ、それとロルフさんからの言伝もあるから、謹慎中だけど許可されているんだ。ええと、、部屋に、いいかな。」
お盆を受け取り、ニールの緊張した口ぶりに2人を改めて見た。ミックがスミカのことを口にしたのも、そういうことなんだろう。
「寮監の指示なんだろ。俺が拒否できるはずないじゃないか。悪い話でないことを祈るよ。」
げんなりと落ち込んだ口調で答えて、俺は2人を部屋に入れて扉を閉めた。
「それで、なんの話だ?」
俺が椅子に腰掛けて尋ねると、ミックが扉の脇の壁に背を預けたまま、
「ロルフさん、『寮監室に私物を忘れた間抜けがいたが、今日中に持ち主が申し出なければこちらで処分する。』だってさ。朝食の時にみんなに聞いていたんだけど、ギルとアルテにも確認してくれってさ。」
はっきりとした口調で答える。
「みんな笑ってたよ。ひどいよね。」
ニールが沈んだ声で続けた。
寮監室にわざわざ行く生徒はいない。そしてその少数の生徒の中、昨日は門限破りから備品損傷までやらかした奴がいたのだから、寮監の話に出てきた間抜けが誰なのかは、ほとんどの生徒が気付くだろう。だが、
(これってもしかして、気を遣ってもらったのかな。)
昨夜の渋い表情で書類を片付けていたロルフさんの姿を思い出して、彼の意図を考える。
門限を破った俺たちはすぐに寮監室で叱責され、サイモンさんに頼まれた届け物を渡す隙がなかった。その上あの騒ぎで、俺はその存在をすっかり忘れて部屋に戻っていた。
(お互いよく知っているようだったから、開けば、いや、箱だけでも送り主は想像がつくだろう。そして申し出が無ければ処分。そういうことだろうな。)
「ギルは、心当たりがあるのかい?」
おずおずと問いかけてきたニールに、俺は首を横に振ってから
「さぁな。少なくとも俺じゃないよ。」
はっきりと答える。付き合いが長い2人なら、俺がわざと嘘を言ったと分かるはずの言い方だ。
「あー、そっか。なら俺たちも安心だ。」
「ギルじゃなかったんだね。」
俺の意図をしっかりと納得した様子の2人に気持ちが楽になって、つい顔が緩む。
すると、2人もくつくつと声を抑えて笑い出した。
しばらく外にわからないよう3人で笑いあってから、ミックが口を開いた。
「知っているはずだけど、一応謹慎中の注意も伝えておけって言われているんだ。これも寮監殿の指示だからな。きちんと聞いて、わからないことは質問するように。」
途中からロルフさんの口調を真似て言い終えたミックはドアから離れて机の近くまで近づき、声を抑えて、
「それでさ、本当は何があったんだ?ギルが女連れで門限破りした挙句、処分に不満で暴れたとか噂になってるんだぜ。」
面白そうに聞いてくる。
俺は少し困って答えあぐねた。
「その話、嘘じゃないけど、肝心なところが見事に抜き取られてるな。」
考えながら答えると、2人は顔を見合わせて頷く。予想はしていたんだろう。腑に落ちたという様子だ。
「やっぱりな。アイツらだろ。せこい真似しやがって。」
「ギル、噂は僕らもなんとかするから、詳しいことを聞かせてよ。」
「そうだぜ。やられっぱなしにしておくと、アイツら図に乗るからな。」
ミックとニールが怒りを滲ませる。
(頼もしいな。2人がいてくれて良かった。)
心強い味方に励まされ、俺は顔を上げて事情を話した。
襲撃の様子から寮監室での出来事まで、アルテの加護については省きながら話し終えると、2人は明らかに引いた表情になっていた。
「アルテさん、そんなことしたの?」
驚きを隠さずにニール。事件よりアルテの方がインパクトが強かったみたいだ。
「俺だったら、休みが謹慎で潰れなくて良かったって思うけどな。」
ミックが腕組みしながら首を傾げる。
「アルテは2人とも門限破りは同じなのに処分が違うのはおかしいって思ったみたいだよ。あいつは俺に巻き込まれただけだし、逃げてから門限に間に合わないことを承知で回り道をさせたのは俺なんだから、違って当然なんだけどな。」
そういえば、ロルフさんに説明をしている時からアルテの表情が違っていたような気がする。俺の話を確認するためロルフさんが問いかけても、「間違ってはいませんよ。」と、ずいぶん硬い言い方だった。
思い出したら頭が痛くなりそうだ。
ミックが持ってきた水を一口飲むと、2人は顔を見合わせてから、
「ま、噂についてはなんとかしとくぜ。」
「アルテさんは、スミカさんが上手くやってくれるって言ってたよ。ギルは怪我もあるんだから、お大事に。」
それぞれ声をかけてくれ、ミックが俺の肩を叩いた。
「長話してたら怪しまれるし、自主練もあるからもう行くぜ。のんびりし過ぎんなよ。」
それからニールが
「じゃあギル、また夜に。」
と声をかけて、部屋を出て行く。
2人を見送ってから部屋の鍵をかけ、朝食の前に鍛錬をしようと素振り用の木剣を手にする。二、三回降って部屋の中では手狭だとわかり、俺は少し考えてから、部屋の真ん中で中腰になり、ジョセフさんに習った鍛錬の姿勢をとった。
(今日は長くやろう。)
どうせ時間は有り余るので、すっかり慣れて日課となった鍛錬に変化をつけようと思いつき、それから今日明日の2日間の使い道を考える。
(アルテが教えてくれたことは、話をまとめて日記に書いておいた方がいいな。あいつらにもどこまで話していいか考えておく必要がある。まずはそこからか。)
何をやるかはあっさりと決まり、それからはじっと中腰を保ったままで、昨日の帰り道にアルテが教えてくれたことを思い返す。
(アルテも言っていたけど、迂闊に人に言えることじゃないな。)
精霊の加護の力は、その具体的な内容を聞けば確かに、あまりの強力さに秘密にしなければ危険なものだと思える代物だった。
日記に書くために頭の中で内容をまとめてみる。
(精霊魔術と交歓魔術。よく知られている精霊魔術は、染弦した煌糸の力を対価として、精霊に術を使わせるものだったな。)
アルテの話はここから始まった。
彼女が使うのは、精霊魔術ではなく交歓魔術と呼ばれていて、精霊魔術とは似て非なるものなのだそうだ。
魔術として見れば精霊魔術と同じこともできるが、それに加えて精霊たちが自発的に手助けをしてくるという大きな違いがある。
精霊魔術は精霊の感覚では契約した仕事になり、交歓魔術は精霊自身の意思による手助け。このため、アルテは同じ精霊の力を借りるとしても、例えば弟のカルミアのような精霊魔術の使い手に比べて少ない負担で大きな効果を持つ術法を発現できる。
また、精霊は煌糸構造の身体を持つ生命体なので俺たちには感じ取れないが、大抵の場所に存在している。
普段は彼らも俺たちの世界には無関心なのだが、アルテがいる場合は話が別になる。加護の対象であるアルテに手助けをするため彼女の関心に応じて物質の世界に対しても興味を持ち、干渉を始めるのだそうだ。
煌糸への感受性が物質的な生物よりも遥かに鋭敏な彼らは、生物の活動による煌糸の変化も容易く読み取る。
だからアルテは、彼女を害しようとする意図を持って話しかけてくる相手が、その感情による煌糸の動きを読み取った精霊が教えてくれるので、すぐにわかる。
『わかりたくない時は、みんなにお願いしておかないとならないんですよ。』
話を聞いて驚いた俺にそう付け足したアルテの、寂しそうな表情が脳裏に浮かんだ。
相手の気持ちが、気持ちだけが筒抜けというのは、どんな気持ちだろうか。少なくともアルテにとっては、喜ばしいことでないのは明らかだ。
それに、精霊たちは俺たちと考え方も物事の感じ方も、大きく違っているらしい。だから、彼らの気遣いがアルテに不利な結果となることも少なくはない。
(物心つく前から人とは全く考え方が違う精霊たちと関わってきて、プライバシーの欠片も無い生活と、周りとは違いすぎる現実を背負わされてきた。それでもあんな風にしていられるアルテって、すごいよな。)
アルテの話では、幸いにも両親が精霊に詳しく理解があり、幼いうちから対応の仕方を一緒になって考えてくれたのだということだ。これはフェア=レイアの文化によるものもあるんだろう。
それだけに、ラテニアに来てからの苦労は相当なものだったと思う。
(それでも俺には打ち明けてくれたんだ。それに、最初から助けてもらっていたんだから、俺もしっかり応えないとな。)
アルテの話と今までの出来事から俺は意思を新たにし、それからさらに記憶を手繰る。
そこからの話も、俺にとっては驚きだった。
精霊たちはアルテに何かを教えるだけでなく、彼女の感情や要求に応じて、現実にも働きかける。
アルテが楽しい時、嬉しい時には、彼女の周りの精霊たちは、「そういう雰囲気」を作り出す。
生物の煌糸に鋭敏な精霊たちは、生物がなんとなく影響されている環境的な煌糸の揺らぎも把握していて、それを操作して弱々しく間接的であるが俺たちに干渉しているそうだ。もちろん、悲しい時や寂しい時にも、彼女のあらゆる感情においても、同様に。
入学式の式典行進で彼女が掛け声を上げ、そこから行進の雰囲気が変わっていったあのとき。俺は、彼女の声に答えた俺たちの勢いが周りを動かしたと思っていた。
それもあった。だけど、それだけじゃなかった。
アルテの気持ちに反応し、彼女を手助けした精霊たちが、行進する俺たちの雰囲気を変えていたんだ。俺たちの誰も気づかないうちに。
それは、精霊が自発的にやっていることで、法術のように煌糸を強く作用させていないこと。
自然な範囲の出来事だから俺たちにはそよ風が吹くのと区別がつかない。
アルテはそう説明していた。
その話を理解した途端に、俺の背中に冷たいものが流れた。アルテの力の恐ろしさがわかったからだ。
同時に、ザンダルガム公爵がアルテを保護している理由も理解できた。
(アルテは周りの士気を操作できる。)
その結論に、思わず唾を飲み込んだ。
どんな戦いでも、士気を挫かれて勝てるはずはない。
戦う意思が無ければどんな大軍も兵器も術も智略も無価値だ。劣勢であっても士気が高ければそれだけで圧倒的に有利だ。
それを一個人が、単にそう願うだけで、戦うと決意するだけで、悟られずに変えることができるとしたら。
軍を預かるものにとってこれほどの脅威は他にあるかと考えても、俺には思いつけなかった。
(アルテは、いつもは手助けをさせないようにしているって言ってたな。精霊が何をするのかしないのか、か。俺もよく考えておかないと。)
鍛錬をやめ、机の上に日記を開いてペンを持つ。
椅子に腰掛けてから、頭の中でまとめておいた内容を箇条書きにした。
『精霊の加護
・交歓魔術、精霊魔術より負担が少なく大きな効果
・アルテの注意に応じて生物の感情を読み取る
・アルテの意思に応じて雰囲気を操作
・アルテが止めない限りは、精霊が自発的に行う
・交歓魔術以外は自然現象の延長で法術ではない』
それから、俺は机にかじりついてアルテの話を細かく思い出し、疑問や問題と対策をノートに書き連ね続けた。
公爵が絡んでくるほど重要なことに加えて謹慎中で時間があったこともあるけど、なんとなく、この事はこうして考えておかなければならないと感じられたからだ。
黒パンを齧りながら乱雑に書き、ペンが止まったら鍛錬しながら考え、考えたら書き連ねる。
そうし続けているうちに気がつけば夕方になってしまっていた。
(あぁ、そうか。)
赤く染まった夕暮れの空。
その空の彼方にゆっくりと揺れる宙弦を窓から見て、俺は気付いた。
(『これ』は、俺にとって、全く未知のものなんだ。完全に経験の通じないことなんだ。香坂直樹の人生にも、ギルバート・オースディルの人生にもなかったことに、これから向き合っていくんだ。)
曖昧に感じていた不安。
律奏機は、要はアニメでよく見た巨大ロボだ。戦いの技も法術も似たような知識はあったし、何より、ギルバートにとって周りの皆がわかっているものだった。
もちろん実際のそれらは俺の想像とは違う代物だったけど、それでも、理解するための下地はあった。
だけど精霊の加護は、いや、精霊という全く未知の何かが身近な人に及ぼすリアルな影響は、俺にとって完全に未経験なものだった。
理解できないものだと直感で理解できていた。
だから不安だった。俺はどうしたらいいのか?と。
それを振り払うためには、徹底的に考え抜くしかないのだと、俺はわかっていた。だから一日中こうしていたんだ。
(もう大丈夫だ。)
と、俺はペンを置いた。
不安を不安だと理解した。そして、多分、俺はこのことで咄嗟の判断をすることになっても、なんとかできる。
理解できていないままなんとかできる。
その実感があった。
突然に空腹感が襲ってきて、俺は立ち上がる。
考えに熱中していたけど、朝食用の黒パンしか食べていない。少し身体を動かして気を紛らわせよう。
謹慎が解けたらアルテに確かめることが山ほどある。
他のみんなにも。
だけど、あいつらなら悪いようにはしないはずだ。
そう決めてゆっくりと身体を動かしていると、しばらくして廊下から聞き馴染んだ足音が聞こえてから、ドアをノックする音がした。




