アルテとの約束
模擬戦の日から一カ月ほど経った。
この時期の三学年生は、新しい学年での生活に、学科ごとの専門分野の授業が始まり、さらに学校に不慣れな新入生の指導があって、多忙を極める。
毎日増える課題と日課をこなしながら俺は、模擬戦でのニールの様子が気になって時々声をかけたり、オリエにそれとなく様子を聞いたりした。
ニールはあの時のことは心配ないと言っていて、むしろやる気が出たよ、と鍛錬に熱を入れるようになっている。オリエもおかしな様子はないと言っていたのだから、あの時に俺が感じたのは、勘違いだったのだろう。
そうして不安を一つ解決した俺は、また一つ厄介な課題を片付けるべく、アーチボルド広場の片隅にいた。
シディンは東が外海、南北は湾と川に囲まれた都市だ。全体的には東側が広い四角形だと思えば間違いない。
北のマバラタ川は河口と言うよりも狭い湾の様でいくつもの岬があり、その一部に王城を中心とした城郭部が、城郭部の南西には大聖堂がある。
アーチボルド広場は、この大聖堂の前にあってシディンでも最も歴史ある広場だ。
街の中にいくつもある防御の拠点として律奏騎兵が陣形を組み戦える広さがあり、頑丈な舗装だけでなく防衛用の奏具も設置されているらしい。
空が夕日の鮮やかさから濃い青へと変わりゆく中、広場では一斉に灯った街灯の光が行き交う人々を照らしはじめた。
(スクトゥムも村としては奏具が使われていた方だけど、十万都市はやっぱり桁違いだな。)
シディンはこの王国の王都で、35万人の人口を擁する大都市だ。
この世界では都市の人口がだいたい十万を超えると、拠点としての重要性も考慮して奏具を用いた施設が使われるようになる。
このような施設は律奏機の動力源と同じ煌糸顕現炉を用いた膨大なエネルギーを基盤としていて、施設に使われる技術もそれに見合ったものになっている。
このため、小さな町や村と十万都市とでは地球の近代化前の町や村と都市部くらいの違いがある。スクトゥム村は国境の守りとしての価値があって奏具の普及もされていたが、煌糸顕現炉は無かった。だから街灯一つにしても秘奏士という奏具の扱いを学んだ人の手で光を灯していたんだ。
(俺が帰ったら、スクトゥムも十万都市にしてみせるからな。よく見ておかないと。)
学校で過ごした2年間でシディンとスクトゥム村との違いに衝撃を受けた俺は、故郷をもっと大きくするという目標を持つようになっていた。
守護騎士の立場があるから優遇されているだけの田舎だと俺の故郷を見下す貴族たちを見返したい気持ちもあったが、煌糸顕現炉の恩恵があれば村の生活も剛獣対策もどれだけ楽になるかと考えた結果の方が大きい。
賑やかな広場の風景に改めて決意を固めると、背後から唐突に肩をつつかれた。
「お待たせですよ。」
アルテの声。
振り向くと、頬に彼女の指先が当たる。してやったりと得意げな笑顔で首をわずかに傾げ、返答に迷った俺の頬を追加で2度つつく。
「待ってないよ。俺もつい今さっき来たところだ。」
ささやかな悪戯にはスルーを返すと、アルテはムッとした表情を作ってから
「そういうことにしておきますね。」
顎を上げて上から目線な笑みを浮かべ、それから俺の隣に立つと広場の北側にある豪勢な建物を指差す。
「じゃあ、行きましょう。私、とても楽しみだったんですよ。銀砂亭に行くのが。」
言うなり歩き出すアルテ。
身につけた式典服の生真面目なデザインでも軽やかに見えるくらいに浮かれた様子で、時々振り返って俺を呼びながら足早に広場を渡っていく。
そう、今日ここに来たのは、アルテとの約束を果たすためだ。
シディンで最も有名な、そして最高の料理店、銀砂亭。入学式でアルテに恥をかかせた俺は、そのお詫びとしてこの店で一番のコース、スノーパレードを奢る約束をした…したことにしておく。
この手の話は早く片付けるに限る。前世の経験もあって俺は素早く金策をして、どうにもならないとアルテに謝って頼み込んで、この店での食事で良いと譲ってもらった。
「スノーパレードはまたいつかで良いですよ。」
朗らかな彼女の笑顔に膝が折れそうな気分になったけど。
それはさておき、俺もこの世界で銀砂亭のようなドレスコードが必須の店に入るのは初めてで、正直楽しみだ。
実は貴族御用達のお高い店とか良くない噂も聞いていたが、実際に当たってみれば応対の店員さんは丁寧で、予約をするときも客としてしっかりと対応してもらっていた。
そのときに、聞くは一時の恥だとドレスコードや礼儀作法について尋ねてみた。
そうしたら軍務学校の式典服で十分だと丁寧に説明してもらったのだ。
軍務学校は貴族との関わりが多い学校だけあって、その式典服は校外の公の場でも正式な衣装として容認されるのだそうだ。
冒険者ギルドに登録して稼ぎがあり、将来的には軍の上級部門に配属される可能性がある軍務学校の生徒を無碍にするのは得ではない。
銀砂亭のような超一流店ではそういう判断をしているらしい。
まぁ、学生特典のようなものなんだろう。
この辺の話は直樹としての経験を活かして店員さんに質問をして確かめたことだ。お陰で今から店に入るにも、余計な緊張をせずに済む。
さて、まずはアルテをエスコートしないとな。
店の前の石畳に入るあたりでアルテの右側に出て、左手を掌を上に向けて低く差し出す。
アルテがぎごちなく右手を乗せた。
「少し緊張しますね。ギ、ギルはなんだか慣れてませんか?」
アルテに合わせて歩きだすと、いつもとは違った固さのある口調で話しかけてくる。
「あぁ、一応騎士の家の出だから、こういうことも教えられているんだ。」
俺は予め考えておいた説明をした。
(まさか、前世で経験したとは言えないからな。それに、家で学んだのは事実だから。)
俺だって緊張していないわけじゃないが、緊張しすぎずにやれる自信はある。それは日本での人生で何度か、こういう場面を経験してきたからだ。
(天音も、この世界に来ているのだろうか。)
不意に、いくつかの経験の中から一番緊張していた、一番鮮烈なあの時の記憶が蘇る。
俺がここにいるなら、天音がいる可能性だってある。シゲの流派のように日本のものが伝えられているということは、この世界は地球と何か繋がりがあるはずだ。
そんな考えをしていると、唐突に左手を握られた。
いや、俺の手に力が入っている。意識せずアルテの手を握りしめてしまったようだ。
それで驚いてアルテも握り返してしまったのか。
「入口ですよ?」
思わぬ出来事と声に我にかえると、アルテがじっとこちらを見ながら首を傾げた。
「ん?あぁ、大丈夫。行こう。」
自分の行動に戸惑いを感じたが、ここで動揺するとアルテを不安にさせてしまうかとさっと切り替えて、俺は店の出入り口の前に立つ店員に話しかけた。
「ギルバート・オースデイル様、ようこそお越しくださいました。本日は貴重なひと時に銀砂亭をお選びいただきましたこと、厚く御礼申し上げます。」
出入り口から案内されて重厚な扉をくぐり、中のホールに入ると、上品な燕尾服を着こなした中年の男性が、一分の隙もない見事な作法で俺たちを出迎える。
彼がやってくるまで待たされたと感じるほどの間もなかったが、待ち構えていたと思うほどにすぐでもなく、その間の取り方と歩いて一礼する振る舞いだけで、彼がこの道のプロなのだとはっきりわかる。
「ありがとう、サイモンさん。今日はよろしくお願いします。」
俺が挨拶を返すと、サイモンさんは
「これは勿体ないお言葉を。どうぞ、何事もお気遣いなく申し付けください。」
丁寧な言葉遣いで一礼し、それから横に控えていた召使い姿の女性店員たちに目配せした。
「店内をご案内いたします。どうぞこちらへ。お召し物はその者たちにお預けください。」
彼が俺たちの横に立つと、女性店員の中から2人が一歩前に出てお辞儀してから、俺たちの脇に控えた。
「よろしく。」
俺が声をかけてから外套の留め具を外すと、控えていた店員が慣れた手つきで外套を持ち、自然と腕が袖から抜けると素早く外套を畳んで、俺たちの後ろをついてくる。
アルテは人に服を脱がせてもらうのだと理解できなかったのか、自分で外套を脱いでから俺を見て、慌てて店員に渡していた。
渡された店員は落ち着いて受け取り、後についてくる。受け取るときにアルテに小声で何か言っていて、聞いたアルテが安心した様子だったから、上手くフォローしてくれたんだろう。
(助かった。アルテに声をかけるのを忘れてたよ。意外に緊張していたのか。)
内心でほっと一息つく。アルテはこういう店が初めてなのだから、気をつけないとな。
案内されてホールを通り奥にある扉の前で立ち止まると、アルテが固い笑顔を向けた。
少し話をして、緊張を緩めた方が良さそうだ。多分、俺も。
「シディンで一番と呼ぶにふさわしいホールだね。あのシャンデリア、学校のホールの明かりと比べたら申し訳ないくらいだ。」
「本当、虹が散りばめられているみたい。公爵様のお屋敷より華やかですよ。」
話しかけると、アルテは高い天井を見上げてうっとりと返事をする。
「公爵様?」
予想外の言葉につい聞き返すと、アルテはキョトンとした表情で答える。
「知らなかったんですか?私、ザンダルガム公爵様の推薦で入学したんですよ。」
知らなかった。
バーナード・メリダルクス・ザンダルガム公爵は王家に連なる由緒正しい血筋で国王からの信頼も厚く、シディンの南に位置する十万都市ハースランドを治める大貴族にして律奏騎士だ。
優れた政治家で民衆からの人気も高いと言われているが、伝統や格式を重んじる人物で身分にもこだわりが強いとも聞いている。
そんな人物にアルテが推薦されたというのは、正直信じ難いのだが。
「ギル、もしかして信じてないですか?」
表情に出ていたのだろうか。アルテの冷ややかな問いかけに胃が縮む思いをしてから、
「そうじゃないよ。初めて聞いたから驚いたんだ。」
言い繕うが、思ったよりも早口になってしまった。
そこに、サイモンさんが控えめな声を挟む。
「お待たせいたしました。どうぞお入りください。」
助かった!
内心胸をなでおろした俺はアルテを促して、開かれた重厚な扉から落ち着いた装飾がされた小さな部屋に入る。この店には似つかない、10人いれば狭さを感じるほどの部屋だ。
俺たちが入ると扉が閉じられ、さらに内側にあった引き戸が部屋の中にいた店員によって閉められた。
その店員は入り口の脇に立って壁の金属板に手を当てると、
「上へ参ります。部屋が揺れますので、お気をつけください。」
と、俺たちに声をかける。
(は?)
呆気に取られた俺の足にかかる重みが増した。
「ギル?この部屋、動いていますよ?」
俺の肘を掴んだアルテが、声は抑えながらも驚いた声を上げる。
(間違いない。エレベーターだ。)
俺は別の意味で驚いていたが、とりあえず肘を掴むアルテの手を上から握って
「大丈夫、上の階に上がるだけだ。」
と、安心させるように応える。
考えてみれば当たり前で、律奏機なんてものを建造できる技術がある世界でエレベーターを作れないはずがない。
ただ、この店は高級店であっても一般人が経営しているものだ。兵器である律奏機とは位置付けが違う。だから、エレベーターという機械技術の産物が使われていることに俺は驚いてしまった。
それに、多分、あの金属板に手を触れている店員は奏具の扱いを学んでいる。
煌糸顕現炉から煌糸の力を得られても奏具の制御は簡単ではない。煌術技官までいかなくても、秘奏師くらいは必要だ。この店はそれができる人材を、このエレベーターのために雇っているのだ。
(高い訳だよ。)
俺が支払った額を思い出して納得したところでエレベーターは止まった。
「5階でございます。」
金属板から手を離した店員が引き戸を開け、外の戸が開けられるタイミングに合わせて告げた。
サイモンさんについてエレベーターを出ると、そこは吹き抜けがある広間になっていた。
「オースデイル様の申し付けの通り、窓際の席を用意しております。」
そう告げて、俺たちを案内するサイモンさん。
南の窓に面した席に着くと、
「綺麗。」
アルテが、窓からの眺望に呟く。
既に夜。
5階の高さから見えるのは、まず左に重厚な大聖堂、そして正面から右には街灯の光に飾られたシディンの夜景、南西の山脈が縁取る暗い稜線。
その上に広がる夜空には星々と月と、天を跨ぐいく筋かの雄大な弧、宙弦の光。
シディンは万が一の防衛のため、建築物の高さを厳しく制限されている。立った律奏機の視線を遮ぎらないように3階以上の建物はほとんど無い。
その例外の一つが銀砂亭で、俺は予約するときにできるだけ高い階からの景色を見られるようにサイモンさんにお願いしておいたのだ。
(無理を言った甲斐があった。ジョセフさんにお礼をしないと。それと、カーチスにも。)
街灯に込められた法術の光に浮かび上がるシディンの街並みを見下ろして、俺は店への口利きをしてくれた師匠たちに感謝する。そして、この借りは簡単には返せないだろうけど、お礼の手紙は明日にでも送ろうと決心した。
アルテは普段目にすることがない景色に感激しているのか、さっきから立って窓の外を見たままだ。
サイモンさんは何も言わない。俺たちが夜景を楽しむ時間を大切にしてくれているのだろう。
「ごめんなさい!とても綺麗だったから、つい…」
しばらくして、アルテが周りの様子に気付いて、俺が引いていた椅子に下を向いたまま腰掛けた。




