守護騎士の称号
今朝は昇級式と、その前に執り行われる入学式での新入生を案内する役目がある。
そのためいつもより早く正門前に集合する日程なのだが、腕試しに熱くなった俺たちが大慌てで寮へ戻り着替え終えたら、遅刻寸前の時間になっていた。
寮の玄関で顔を合わせた3人は何も言わずに校門へ走る。
最後の曲がり角を曲がると、
「ギル!シゲとスミカも!何してたんだよ早くしろよ!」
ミックが校門付近に集まっている学生たちの中から声を張り上げて、走る俺たちを呼んだ。三学年の生徒と新入生がそれほど離れてはいないがそれぞれのグループに集まっているのが見える。
一番足が遅いスミカに合わせているので俺とシゲは余裕がある。だけど、初級生の頃から断固として着続けている和服を乱さず走るのは、体術に秀でた彼女にとっても難しいことらしい。
普段なら優雅に返事を返すはずのスミカは汗を額から拭って足を早めた。
「歩くのはあんなに早いのに、走るのは遅いって、不思議だよな。」
逆に感心しながら横を見て走る俺に、スミカは目を剃刀の様に細めて微笑んだ。
ゾッとした。
この2年間で学んだことのひとつだ。スミカは怒るとこんなふうに笑う。
「あ、いや、悪い意味じゃなくてさ。なぁシゲも、すごいって思うだろ?」
シゲは何も言わない。
無口だからではなく、昔からスミカを知っているからだ。
ミックたちのところに着く直前まで俺の言い訳は続き、着いた直後に時間を知らせる鐘の音があたりに響いた。
「間に合うかヒヤヒヤしたよ。」
ニールが肩で息をしている3人を見下ろして、野太いが、安堵した様子の声で言った。
「ギルバート様に何度も求められましたもので、皆様にご心配をおかけしてしまいましたの。」
スミカの、息を整えながら目線を下げた弁明に、
周りの、特に教師と先輩たちの視線が俺に突き刺さった。
走った汗が冷たくなって俺は慌てて言い訳する。
「申し訳ありません。朝の自主練習でタチバナ殿とアズマイ殿に試武を申し出たところ、負け続けとなりまして熱くなってしまいました。」
あーそういうことかーと当たり前に受け止められた発言に、眉間の皺がさらに深まるのを感じた。
俺がこの2人に敵わないのは周知のことで、それをわざわざ言わされ、周りからは当然と受け止められて、正に苦虫を噛み潰したような気分だ。
「調子に乗って悪かったな。もういいだろ。」
そんな気分で吐き出した俺の言葉も意に介さず、スミカは俺の顔を見ておっとりとした微笑みを浮かべている。
さっきの意趣返しは済んだようだが、三学年となり初めて同年が集まる場所でこの仕打ち。
俺はこれから大丈夫かと、不安を覚えた。
すると、いつの間にか俺たちの近くに来ていた数人の集まりから、男が1人、その不安を煽るような声音で話しかけてきた。
「おはよう、クレストス卿。新入生のエスコートに賑やかな登場ですね。」
「ワイマー、俺の家名はオースデイルだ。それに、騎士になっていないから『卿』も要らない。」
素早く反論した俺を、顎を上げて鷲鼻の先から見下ろすように笑った彼は、周りの連中に言い聞かせるように声を大きくする。
「いや、西方の守護騎士を代々受け継ぐスクトゥム御領主の跡取りであるのだから、騎士も同然ではないですか。私は守護騎士の役目に敬意を表して、クレストス卿とお呼びしたのですよ。」
ワイマーの取り巻きと、周りで見ている三級生の何人か、少なくはない数が声を抑えて笑う。
相変わらずだ。こいつは新入生の頃から俺を目の敵にしていて、何かにつけてこんな風に突っかかってくる。
そして、こいつの仲間が言いふらした「守護騎士のお陰で騎士になれると決まっている。」という都合の良い嘘を信じた連中は、だいたいこんな真似をやってくる。
(貴族らしいって言えばその通りだけどさ。)
心に浮かんできた思いの通り、ワイマーは背が高く無駄なく鍛えられた身体に、整った鷲鼻、明るいブロンドの髪と碧眼に加えて身についた自然に優雅な立ち振る舞いに服装と、貴族の御曹司を絵に描いたような容姿の持ち主だ。
それと、婉曲な嫌がらせを使うあたりも。
父さんに言い聞かされていたから良かったが、あいつが言ってきた「クレストス卿」を肯定したり無視したりするとまずいことになる。
家名を律奏機の名称とできるのは、聖騎士だけだ。だから俺の師匠、聖騎士ラドワン・ヴェルミールの騎体は家名と同じヴェルミールと名付けられている。
そして、俺がクレストス卿と呼ばれたことを否定しなければ、相手にはまだ学生の身分である俺が、立場を弁えずに自分を聖騎士並だと思っていると吹聴する根拠を与える。
父さんもこの手の嫌がらせには苦労したそうだ。何しろ、言い負かすための論争を仕掛けてくる相手に向き合わなければならないのだから。
その父さんの苦労を思い、今までこれをはじめとした嫌がらせの数々を、ありきたりな言い訳で耐えてこなければならなかった理由を思い出して、俺は、ふぅ、とため息をついた。
それをどう捉えたのか、彼の口は素早かった。
「クレストス卿もわかってくれま…」
「黙れ。」
調子に乗った相手のセリフに、入学以来初めて、ありきたりではない一言を叩きつける。開いた口が止まったところに、俺は畳みかけた。
「我がオースデイル家は西方守護の役目を与えられたが故にクレストスを賜ったものである。それを如何様であろうとすげ替える発言は守護騎士の役目への侮辱だ。ワイマー・シアボルド、謝罪の上、改めたまえ。」
毅然とした一撃に、ワイマーが目を見開いた。だが、彼には貴族として生まれついた矜持がある。怯んで周りを見たり腰が引けたりはせず、すぐに顎を引き俺を睨みつける。
「これは大層な要求だ。ご覧なさい。貴方の大袈裟な物言いに新入生たちも戸惑っていますよ。私に対する尊大な物言いと、皆さんへの不快な発言の罪、貴方こそ謝罪しなさい。」
俺を尊大に睨みながら、自分の発言が当然だと態度で示しつつ何も知らない新入生を盾にする。
新入生たちは確かに俺たちを、不安げな様子で遠巻きに見ている。時間が差し迫る中のことだ。俺とあいつは否応なく彼らの記憶に残るだろう。
「ワイマー、君は勘違いをしている。私は、守護騎士の役目に対して謝罪しろと言ったのだ。私に対してならば大袈裟だという君の指摘も正しいが、君は守護騎士を、それを定めたお言葉を侮辱しているのだ。わからないか?」
周りから、疑問の囁きが湧き上がる。
そしてワイマーは俺の意図に気づいたのだろう。唇を引き結び、腹に力がこもる。
「ギルバート!貴様…」
「君は守護騎士を命じた王のお言葉を侮辱した!西方の守護騎士クレストスの名を、一介の学生に過ぎぬ私に対して、しかも家名として用いた。これがどれほどのことか、公爵家の跡取りたる君がわからぬはずはあるまい。」
機先を制し堂々と発した声は、彼が抗おうとした言葉をねじ伏せて響く。
すると、彼らの一団から、優美に波打つ髪を揺らしブーツの踵で小気味よく足音を立てながら、1人の女生徒がワイマーに近付いた。
俺への嘲りの表情を隠そうともせず、ワイマーに耳打ちする。
微かな舌打ちの音。
平静に見えても目には怒りを漲らせ、彼は
「なるほど、君が言ったことにも一理ある。同学年の中でも君は優秀な側だが、守護騎士の役目に相応しいほどではない。そんな君に発奮を期待しての言葉をかけたのに、王命への侮辱だと受け取られるのでは、取り下げるしかないね。」
滔々と述べ立てた。
こいつの言うことには根拠がある。
この2年間、俺の成績、特に実技については上の下と言ったところで、他者に対して誇れるほどのものではない。
それに対してワイマーは座学も実技も学年トップを競うくらいで、彼が俺に対する物言いも、軍務学校なら不当とは言えないものではある。
「王より賜った役目への侮辱だと認め、取り下げるのならば、それで十分。」
だけど俺は、俺個人への侮辱は無視して、必要な部分だけ返した。彼の左の眉尻がピクリと動く。
落ち着いた声で、しかし、顎を上げて俺を見下した姿勢のままで、ワイマーが一歩進み出た。
「もう新入生たちも待ちくたびれている様だね。お互いに式典のこともある、気をつけようじゃないか、オースデイル卿。」
「そうだな。彼らの門出が良き思い出となるよう、お互いに尽くそう。シアボルド卿。」
俺の返事に彼は、もう一度左の眉尻を動かすと、踵を返す。彼の取り巻きも続くが、1人、さっきの女生徒だけが俺を一瞬睨み、立ち去った。
ワイマーたちが離れて、俺は黙って見ていてくれた友人たちの輪に戻る。ミックやニールは、三学年になるまでは嫌がらせに立ち向かわないようにという父さんや師匠たちの指示を知っていた。
それで俺が耐えていることも分かっていたから、2人とも笑っていた。ミックに至っては
「やっとやり返したな。スッキリしたぜ。」
と言ってくるくらいだ。
ニールはミックを止めながらも本音は同じなのが明らかで、大きな体で目立たない様に顔を下に向けて声を出すのを堪えていた。
「ギルバート様はなぜ反論なさらないのかと以前から不思議に存じておりましたのに、驚かされてしましましたの。」
スミカが小さな声で微笑むと、シゲは
「見事で御座った。」
と、短く、しかし力強く言う。
信頼している友人たちに褒められるのは、満更ではない気分だ。
そんな気分のまま皆で話をしていると、時間を知らせる鐘が鳴り響く。
「新入生を迎えに出向く時間だね。ほら、向こうにみんな並び始めてるよ。」
ニールが、声を弾ませて校門の前に並ぶ新入生たちを示す。そして俺たちもまだ子供らしく騒ぐ彼らを眺めながら、案内役の列に向かった。