奇襲
アルクストゥルスは歩きながら森の中に法術を打ち込んでいたが、突然立ち止まると、つがえようとしていた矢を宙に放り出した。
矢が解けて消えるまでに次の矢を作り出してつがえ、空に向けて弓を構える。
『ガッシュ!重質量と加速だ。切らすなよ!』
『応!任せろ!』
光像板からカーチスとガッシュさんの声がしている間に矢が放たれ、森の梢すれすれをヴェルミールに向けて飛んできた影がそれを避け空へと舞い上がる。
皮膜の翼で森の上空を飛ぶのは、巨大な蝙蝠だ。広げた翼の左右の幅は10mを軽く越すだろう。その大きさのためか、まるで鷲のように悠々とした飛び方でヴェルミールの頭上を旋回している。
「カルムフレーダ。厄介な相手ですが…これはまずい。」
ジョセフが光像板を見て、厳しい声を発する。
「カーチス!そちらにノートチス!」
『上が先だ!』
木々の合間から馬でも丸呑みにしそうなほどに口を開けた大蛇がアルクストゥルスめがけて飛び出す。だがそれを巧みに躱したアルクストゥルスは、黄色に黒の縞を持つ身体をのたくらせて回り込む大蛇を無視。右手に作り出した矢を素早く弓につがえて引き、蝙蝠に放つ。
矢は宙空でさらに加速したので目で追うこともできず、直後に蝙蝠がアルクストゥルスに顔を向けて甲高く鳴いた。
光がほつれて線を引き、蝙蝠の眼前に矢の形の像を一瞬残して消える。
アルクストゥルスの矢は法術で作ったものだ。あの蝙蝠は鳴き声でそれを防いだのか。
俺が思った、その途端に蝙蝠が羽をバタつかせて落ちる。なぜだ?
落下する先には、地面を蹴り砕き木々の隙間を縫って走り寄るヴェルミールの姿があった。
「師匠が何かを投げたんだ!そしたらあいつが落ちた!」
ニールの驚きの声が終わると同時に蝙蝠は体勢を立て直したが、高々と跳んだ赤い律奏機の長剣を避けるには遅すぎた。
頭を胴から切り離された蝙蝠は森に落ち、それから、ヴェルミールが木々の陰にふわりと姿を消した。
「さすがはヴェルミールです。矢を防いだ隙に投剣で羽を切り裂き、さらに森の中であの体捌きとは。」
ジョセフが落ち着いた様子で話しながら、光像板を確認する。
「そして、クレストスも。カーチス、危なかったですね。」
俺たちが師匠と蝙蝠を見ている間にアルクストゥルスは左手にあった小さな盾と左腰の装甲を壊されていた。
クレストスがその前に立って、噛みつこうとする大蛇を大きな盾で防いでいる。
『ジョセフ、上官に対して厳しすぎないか?俺の機転がなければ、まだ蝙蝠が飛んでいたんだぞ。』
カーチスの声が光像板から聞こえる。
愚痴をこぼしながらもアルクストゥルスはクレストスの周りを這う大蛇を矢で狙い、背後を取らせないよう牽制している。大蛇に当たった矢は大半が弾き飛ばされ防がれている。でも、アルクストゥルスは2種類の矢を射ち分けていて、数本に1本の割合で放たれる矢は蝙蝠を狙ったときのように空中で加速し、大蛇の鱗を貫いていた。
ノートチスと呼ばれている黄色い鱗の大蛇は身体を傷つけてくる矢を警戒しているのだろう。アルクストゥルスを注意するためにクレストスを攻めあぐねている。
攻められずにいるのはクレストスも同じだ。
なぜか父は大蛇に対して過剰に距離をとって戦っていて、俺にはその理由がわからなかった。だけど何度目かの体当たりを防いだ大盾の下側が砕けて、その破片が飛び散る様を見て、あの大蛇には何か特殊な力があって矢を防いだり盾を砕いたりしたのだとわかった。
ジョセフにそれを聞くと、彼は頷いて説明してくれる。
「そうです。ノートチスは『破砕の鱗』という衝撃波を身にまとう魔導を有しています。攻防だけでなく動きを早めるためにも使える厄介な能力です。」
「それに、クレストスの足ばっかり狙ってきてるんだ。ズルイよ。」
「アイツ、蛇だからな。」
ジョセフの話を遮ってこぼれたニールの不満に、ミックが短く突っ込んだ。
「そうだけど、あれじゃクレストスの剣が当たらないよ。盾だって下は防げなくなっちゃった。」
ムッとしたニールが言い返す。
「ニール、これは剛獣との戦いであって、戦争法で定められた戦場ではありません。相手はどんな手を使ってでも生き延びようとしている獣なのですよ。」
ジョセフが、ニールを窘める。
ニールはまだ納得できない様子で、部屋の真ん中にある机で指揮をしているカーニィさんを見た。
カーニィさんはそんな息子に気付いていた様子で、ニールと目を合わせると一度頷いてから指揮に戻る。
俺はその様子も見てはいたが、実際には父の戦いが気になってどうしようもなかった。
凶禍変異体との戦いで鋼の体軀を持つ律奏機でも壊されるのだと目の当たりにしてから、俺の心の中にはいくつもの不可解な何かが湧き上がってきていた。それがクレストスから目を逸らすことを許さずにいる。
ニールが、口を引き結んだ俺の隣に来て窓の外を睨む。カーニィさんとのあのやり取りでニールが何を感じたのかはわからないけど、親子だから通じるものがあるんだろう。
黙ったままで大蛇と戦う律奏機を見ている。
その姿に、俺は自分を釘付けにしている何かと似たものを感じた。
これはなんだろう
そう感じたのも束の間、クレストスの盾がさらに砕かれ、それを知らせるミックの叫びに、俺は戦いへと引き戻される。
あの大きな盾の半分を砕かれ失ってはいたが、クレストスとアルクストゥルスはノートチスとの戦いを有利に進めていた。
クレストスが守り、アルクストゥルスが射つ。
父は大蛇の動きを先読みして防いでいて、攻撃を跳ね除けたところにカーチスが矢を射て傷を負わせている。
言葉にすれば簡単だが、ノートチスは盾で防がれても衝撃波を纏った尾を振ってクレストスの足を狙ったり、空中で不意に動きを変えて狙いを外したりしていて、一筋縄ではいかないのが明らかだ。
「俺、弓なんてって言ったけど、あいつすげえな。」
ミックが呟いた通り、攻撃を防いでいる父だけでなく、カーチスの技量も凄まじい。
下手な射手ならクレストスに当てかねないだろうに、アルクストゥルスは大蛇の鱗を貫く矢を、クレストスが跳ね除けるタイミングに合わせて射ている。
ノートチスは不規則に体を揺らし矢を避けようとするのだが、アルクストゥルスは確実に傷を負わせていた。
両手では足りないほどの攻撃を仕掛け、それに等しい数の矢傷を受けて、大蛇の動きが目に見えて鈍ってくる。
そこに、森の中から二つの赤に彩られた律奏機が現れ、歩いてきた。
ヴェルミールだ。
『ローランド、神碧にて森を見よ。スラグディガの変異体が足らぬ。』
光像板から師匠の声が聞こえて父が応え、クレストスはうずくまるようにとぐろを巻いて頭を下げた大蛇から距離を取る。
『こっちはもうお終いだな。手間をかけさせやがって。』
矢をつがえたアルクストゥルスが動きを止めた大蛇に狙いを定め、カーチスが言う。すると、
『カーチス、まだ其奴は生きておるぞ!』
師匠が語気を強めてカーチスに警告した。
その直後に、大蛇が跳んだ。
とぐろを巻いた姿勢から一瞬で、全身を宙へと躍らせたのだ。クレストスへと迫る長い体からは鱗と血飛沫が撒き散らされている。
自分の身体を傷つけて跳んだ?衝撃波をとぐろの中に放って爆発させたのか。
直観的に俺は、ノートチスの捨て身の戦法を理解していた。あの獣は自分の身を引きちぎりながらも鬨の声を放ったクレストスを倒す選択をしたんだ。
それ以外に生き残る術はないから。
しかし、捨て身の一撃は冷静に構えた盾に防がれた。盾に牙を突き立て動きを止めた大蛇の頭に矢が深々と突き刺さる。
ついに力尽きたノートチスは、跳躍の勢いで長い身体を曲げつつ、辺りに撒き散らした自身の血や肉片と共に力なく落ちていく。
何か、ゾッとするような違和感。
窓から身を乗り出してクレストスを見る。
遠間からは、半分砕かれた盾を持つ巨体の前に落ちる大蛇の血が、地面に黒く円を描いていた。
(黒すぎる…血じゃない…影?)
「下だ!影ができてる!」
違和感の正体に思い至った俺はとっさに叫ぶ。だけど、俺が言い終わるより早く影の中から現れた獣は大蛇の死骸を押しのけながらクレストスに襲いかかり、砕かれた盾の下から懐に潜り込み左の膝に食らいついた。