剛獣狩り
砦の壁の向こうに巨大な兜が見えた。
壁よりも高く突き出した兜には眉間から伸びる5本の角があり、それらが交わる位置には透き通った深い緑色の宝珠が1つ据えられている。
父が駆る律奏騎士、クレストスだ。
身体の半分を隠せる大きな盾と砦の壁に隠されているが、それでも重厚な装甲をまとった巨体は先に見た2騎よりも大柄だとわかる。
「ギル、あれがクレストスなのか?」
ミックが俺に聞いてきた。俺は、小さいころに父に手を引かれて砦の格納庫で見せられた巨大な鉄の塊を思い出しながら答える。
「あぁ。細かい形は覚えてないけど、あの頭の宝珠は間違いないよ。」
クレストスの眉間にある宝珠は、今も緑の光を揺らめかせ光っている。
「クレストスの『神碧』だね。すごいな。僕、見るの初めてだよ。」
ニールが弾んだ声で窓から身を乗り出し、「俺もだ!」と一緒になって乗り出したミックが手を滑らせたところを、後ろからジョセフに服を掴まれ引き戻された。
ミックがニールを掴んでニールが俺を掴んで3人とも硬い床に転がった。だけど、俺たちは転んだ痛みも掴まれた事も気にせず、すぐに窓に駆け寄って外を見た。
ちょうど父がクレストスの上に姿を現す。
人々が一際大きくクレストスの名を連呼する。その響きが体を震わせ、俺は父が、律奏騎士としてどれほどの信頼を得ているのかを肌で感じた。
父は、直樹としての歳月を足した俺より年若い。
だけど今クレストスの上に立ち人々の歓声に応える父は、俺が知るローランド・クレストス・オースデイルとは別人の、ずっと大きくて遠い存在のようだった。
俺は、その隔たりに心の中で何かが疼くのを感じながら、父がクレストスに乗り込むのを見つめていた。
人々の声は唐突に吹き鳴らされたラッパの音と共に止まり、ドラムとラッパが勇猛なリズムを響かせる。
力強く轟く音色に、やがて笛のような高い旋律が交じりはじめた。
その音はさらに大きくなり律動して、かつて訪れたヨーロッパの大聖堂で聞いたパイプオルガンように荘厳な音の連なりとなって、人々が奏でていたリズムを圧倒する。
大きく耳慣れない音に、ニールが耳を押さえながら
「こんな音聞いたことないよ。」
と叫ぶ。その震えた叫びに
「でも、みんなクレストスに手を振ってる。クレストスが出しているんだ。」
と、ミックが唸るように応えた。
ジョセフが、いつものように落ち着いた低い声を、少し大きめに発する。
「これはクレストスの煌糸顕現炉を起動する音です。」
彼の説明が終えると同時に気高い音の連なりは唐突に静まり、柔らかく奏でられる笛の音が秋風のようなささやかさで続いた。
ジョセフが再び口を開く。
「律奏機は煌糸顕現炉が活性化させる煌糸力で駆動します。炉からの煌糸力は騎手の煌糸構造により染弦され、騎体に巡らされます。」
クレストスの全身に、山吹色の煌めきが流れた。
それが騎体に溶け込むように消え、
重い金属が擦れて軋む音と共にクレストスが動く。
五本の角を持つ頭部が持ち上がり兜の影になっていた仮面がこちらを向く。
目が合った。
機械であるはずの眼は、しかし不思議と人の温かみを感じさせる。そしてそれ以上に、強い決意と闘志が、山吹色の煌めきとなって溢れている。
俺たちが見下ろしていたはずの双眸は、今は塔よりもずっと高くあって、俺たちを見下ろしていた。
「騎体に巡らされた煌糸力は騎手の煌糸構造を完全に複写して騎体内に再現し、騎体は騎手の身体そのものと化します。」
ジョセフに言われなくてもわかる。
クレストスの目線の動き、立ち方、周りの人々に応える手。
あれは父の動きだ。
父を師として剣を習ってきた俺たちには明らかだった。
「律奏機は人体を模して作られています。鋼の骨格、マスルスレイヴと呼ばれる単機能ゴーレムの筋肉、複合材の皮膚。これらは煌糸構造によって結合され強化され、生身に比してはるかに重い騎体を駆動させます。」
クレストスが盾を構えて歩く。
その動作は人間よりゆっくり見えた。だけど全高14mを超える巨体だ。実際には人が走る以上の速度で歩き、守護者の門を出る。
「騎体の重量は、法術で軽減されています。ですから律奏機は道を踏み砕かずに歩けますが、かわりに、人ほど機敏には動けません。」
クレストスは土に浅く足跡を掘りつつ滑るような歩みで先に出ていた2騎の律奏機たちへと向かい、その間に立った。
唐突に、甲高い律動が重なり合って鳴り響く。
ヴェルミールとアルクストゥルスの煌糸顕現炉が起動する音だ。それらはクレストスの時と同じく唐突に鎮まって、2騎の律奏機も立ち上がった。
3騎の律奏機が並び立つ。
白と灰色がかった薄青色のアルクストゥルス
2つの赤に彩られたヴェルミール
2騎の間に盾を構えて立つ、白地に金で飾られた装甲のクレストス。
その巨大さは、重厚さは、力強さは、かつて生きていた地球という世界にあった科学文明の中でさえ目にしたことはなく、彼等が見下ろす姿に、俺は圧倒されてしまった。
そう、彼等は俺を見ていた。
彼等の視線は間違いなく俺に向けられていて、クレストスの眉間にある神碧が深い緑に煌めいて、その中にある眼球のような何かも、俺を観ているのだと、はっきりわかった。
腹の中を鷲掴みにされる様な畏怖に、俺はへたり込みそうになる。だけど、心の底から湧き出してきた別の気持ちが俺を支えて、俺は彼らの視線を真っ向から受け止めた。
クレストスが微かに顎を引く。
すると、彼らは砦の壁、その上と外側とに集まる兵士や冒険者たちを見回し、それからそれぞれの武器を手にとる。
クレストスは巨大な盾と片手用の簡素な直剣を、ヴェルミールは右肩に備えられていた長大な剣を、アルクストゥルスは左肩の支持具に保持した棒の束を展開し接合した長大な弓を構えた。
「諸君!」
クレストスが、父の声を発した。
その轟きは間近な落雷のように俺たちの身体を震わせ、ニールが小さく叫びを上げて耳を塞ぐ。
ジョセフやカーニイは慣れた事なのか落ち着いた様子だが、俺もニールと同じようにしそうになったし、ミックだって拳を握りしめて耐えていた。
「シディン王国を守る戦いに馳せ参じた諸君に、スクトゥムの領主でありこの地を守る騎士であるクレストスとして、感謝の意を表する。」
クレストスが朗々たる声で口上を述べると、集まった冒険者や兵士たちが雄叫びを上げる。
「此度の剛獣災害は、300年に及ぶ記録の中でも例を見ない規模だ。間違いなく厳しい戦いとなる。犠牲となる者も出るだろう。」
クレストスは声を抑え、眼下の冒険者たちを見渡した。
「だが、諸君が恐れをなすことなく、勇猛果敢に戦いに挑むならば、その手で狩った剛獣の身代も報酬も君たちのものだ。」
冒険者たちが喝采と共に武器を掲げると、日の光を反射して、いっとき群れ踊るように煌めく。
「我に仕える兵士たちよ。今こそスクトゥムの使命を果たすべき時だ。我らの後ろには我らの村があり、そしてシディンの国がある。剛獣の侵攻を許してはならない。奮闘せよ!」
檄を飛ばすクレストスに応えるように、砦の壁の上に整然と立ち並んだ兵士たちが敬礼した。
「そして、此度の災害に際して、我らは心強い援軍を得た。我が弟弟子が駆る律奏騎兵アルクストゥルス。さらには我が師でもある聖騎士ヴェルミールが友誼により参戦する。」
クレストスの左右に立つ2騎が武器を掲げ、歓声が上がる。
「この戦力をもってすれば未曽有の剛獣災害であろうと恐れることは無い。諸君らの働きに期待する。」
そう言って言葉を区切ると、クレストスはゆっくりと後ろへ、剛獣たちが潜む森林地帯へと身体を向ける。それに次いで、ヴェルミールとアルクストゥルスも俺たちに背を向けた。
唐突に、辺りが静まり返る。
俺が怪訝に思って冒険者たちの様子を窺うと、彼らは武器を構えて足を踏ん張り、何かを待ち受けるかのように緊張していた。壁の上を見れば、兵士たちもだ。
クレストスが剣を頭上に掲げる。
「これより、剛獣狩りを開始する!」
クレストスが宣言し、そして吠えた。