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研究完遂

ティーエは些細な事件を経て秘紋の研究に没頭し、完遂します。

「何よあいつらっ!」

 ガシャン!

 私が投げ捨てた背負い袋がバケツに当たって、大きな音を立てた。

 その音と怒鳴り声に驚いた(かな)が、畑の脇に置かれたベンチの上で跳び上がる。

 身体を丸くしてうたた寝してた格好のまま跳び上がってこっちを見て、その格好のままでぽふっとベンチに落ちた。

「今までリーヴァがどんな苦労をしてきたかも知らないくせに!

 魔導がないってわかった途端に手のひら返して!」

「ティーエ、そんなに怒らないでちょうだい。

 (かな)(えんじゅ)も驚いているわ」

 早足でやってきたリーヴァが肩に手を乗せ諌めてきて、それでも怒りが収まらず、私は止めようとしてくれた彼女にまで詰め寄った。

「リーヴァは悔しくないの!?

 あんなこと言われて、あいつら、リーヴァを邪魔者呼ばわりしたんだよ!

 どうしてそんなに落ち着いてるの!?」

「だって、ティーエがそんなに怒るから……

 ねぇ、ティーエ。マギナシアは、あれが普通よ。

 隠れ里でもそうだったわ」

 悲しそうに目を細めるリーヴァの言葉に、私は自分が何をしたのか悟って黙る。

 魔眼族(マギナシア)の難民たちから受けた仕打ちに怒るのは、誰よりリーヴァが相応しい。

 だけど、私が怒りを先取りして会見をぶち壊しにして出てきてしまって、リーヴァは黙ったままで家までついてきてしまった。

 私は、彼女が気持ちを言葉にする機会を奪ったのだ。

「隠れ里の人たちよりは、きちんと向き合ってくれていたわ」

 続いた言葉が後悔となって頭と肩にずしりと乗った。私だって出会う前のリーヴァの苦境は碌に知らないのだと自覚させられたから。

 それなのに怒っていたのは、同族からの差別の厳しさを受け止めるリーヴァの、諦め混じりの顔を見てしまったからだ。

(だって、リーヴァがあんな顔をしてるの、見たくなかった)

 リーヴァのために怒っているように見せかけて、結局は自分のため。そんな身勝手さと難民たちの態度への悔しさがごちゃごちゃに混じり嗚咽になって、食い縛った歯の隙間から抜け出していく。

 (かな)(えんじゅ)が家の陰からこっちを見てる。(えんじゅ)の髪から嵐の夜空のような暗い花が咲いて落ちた。

(心配かけちゃダメだって、わかってるのに)

 それでも私は嗚咽も涙も止められず、リーヴァに頭を撫でられ慰められながら、立ち竦むだけだった。


「ということは、この艦に定住する線は無くなったってことだね」

 サラダの野菜スティックを齧ってから、カークさんが穏やかに聞き返してくる。

 説明の最中も怒りを隠しきれなかった私には、その穏やかさが冷静になる助けになった。

「えっと、リーヴァはどう思う?」

 カークさんに自分の考えで答える前にリーヴァに話を振って待つと、彼女は目を細めて首を傾げた。

 銀の髪がさらりと流れ、それを左の指で梳きながら後ろに運んで、それから口を開く。

「私は、同族との暮らしに拘っていないのよ」

 指先の仕草に複雑で不安定な気持ちが表れてる。

「ただ、私が一緒にいると、ティーエにも、みんなにも迷惑がかかると思うわ。

 ホウシェンでもあの島でも良い人に巡り合えたけれど、これから先もそうだとは思えないもの」

「リーヴァは迷惑をかけたことなんてない! これからだって無いから!」

 寂しそうな声がいたたまれなくて大きな声になってしまった。だけどそれは、不思議なくらいに強い確信から出てきたもの。

魔眼族(マギナシア)だとか魔導の有る無しとか、そんなので差別するのはおかしいでしょ?」

 カークさんが眉を上げてる。(かな)も首を傾げて怪訝な顔。

 リーヴァさえ小さく首を振ったし、私自身も常識外れなことを言ったのは、頭ではわかってる。

 だけど心の底に染みついた感覚が強い怒りと合わさって圧力を伴って湧き上がり、私の声を借りて言葉になる。

「差別を受けることが迷惑だって言うなら、差別をしてくる奴らが迷惑をかけてきてるの。

 リーヴァじゃないよ」

 その言葉には嘘偽りは一つもない。私の気持ちそのままだ。

 だけど、自分の言葉だとは受け入れ難い違和感に私は口に手を当てて黙り、誤魔化すようにカップへと手を伸ばした。

 お茶を一口含んで、飲み込む。

「まぁ、俺たちは冒険者だ。

 迷惑なんてのはかけて当たり前。致命的なミスでないなら、迷惑以上に役に立てばいいことだからね。

 リーヴァはその点、十分にやってるよ」

 カークさんが雰囲気を和らげようとするけど、そんな彼の態度も気に障った。

「そういう話じゃないです」

 大人らしい気遣いを跳ね除ける一言が我ながら居心地悪くて横を向くと、一番の当事者のはずのリーヴァは、心なしか青ざめて怯えた目を向けていた。

 小さな唇がわずかに開いて聞こえた声も震えてる。

「ねぇ、ティーエ。

 私はここの人たちとは一緒にはいられないわ。

 それが答えでしょう?

 だからこの話は、もうやめましょう」

 自分が彼女にそんな顔を、そんな声をさせていることが、ひどく堪えた。

「そう、だね。

 うん、リーヴァがそう言うなら、やめるね。

 えっと、ご飯なのに嫌な話しちゃって、ごめんね」

 まだ燻ってる怒りを飲み込みながら謝ると、(かな)(えんじゅ)は緊張した笑顔になって頷く。(えんじゅ)の髪から明るい黄緑を中心に複雑な色彩の花が溢れた。

「必要な話だから、仕方ないさ。

 こういう時もあるもんだよ」

 カークさんが落ち着いた声で、強張った空気をさらりと流してカップのワインを一口飲んだ。

 それからは、皆いつもより静かに夕食を終えた。


 魔眼族の一件があってから、私は秘紋の研究に没頭した。

 秘紋を刻み挙動を確かめ理論との違いを探し、時には理論を修正する。

 そんな地道な研究を続けて半年が過ぎたある日、ノーザンベルク十三世の中央艦後部に建てられた実験棟の中。

 ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン!

 矢継ぎ早に煌めいた秘紋から白い光の矢が放たれて、標的の鉄板を穴だらけにする。

 私は支柱に固定された構術具の握りを離して防護壁の扉を開けると、鉄製の殺風景な広い実験場を小走りで標的へ近付いた。

「どの痕跡も狙い通り。

 クルトさん、できました」

 私は、標的を見分し終えて、離れて立ってるクルトさんに報告した。

「昨日までのループ停止実験も12000回全て正常でしたし、予想外の描画混成も起きませんでした」

「毎秒2回の秘紋描画16回の繰り返しでも安定して個別に描画できましたか。

 指向性も十分だったようですね」

「はい。

 瞬光矢(ベクトラアロー)の狙いをわざとずらしたんですけど、ずらした通りに散ってます」

「それでは、これで完成ですね。

 無限ループ現象を起こさないよう確実に停止でき、秘紋の混成も防げるのなら、パフシッド現象を完全に抑制できるようになったと言えますね。

 アルシウス団長閣下はご自身の目で確認することをご所望ですから、日程が決まったら知らせます。明日からは自宅で待機してください」

「え? あの、研究室じゃダメなんですか?」

「あなたは他のを際限なく刻むので、ダメです。

 先日アイデアノートとやらを見かけましたが、放っておけばあれを全部作ろうとする。

 そうでしょう?」

「あー……はい。わかりました」

 研究に没頭するあまり机の上にノートを開きっぱなしにしていたことを悔やみつつ、クルトさんの指示を聞き入れた。

 自宅で待機となれば、この後の言葉も想像がつく。

「今日の午後は、ここと研究室の片付けを。

 ここは部下にやらせますから最低限でいいですよ」

「頑張ります」

 道具と作業場所だけはきっちり整頓してあっても他は資料やら殴り書きして丸めた紙やらで散らかり放題の研究室を思い出し、肩を落として返事する。

「リーヴァを呼んでもいいでしょうか?」

「あの部屋の使用許可を出したのは、君だけです」

「わかりました。

 それじゃぁ、ここはさっさと終わらせますね」

 私は思いっきり息を吐き切って気持ちを切り替えると、頭を上げて片付けに取り掛かった。


 ノーザンベルク十三世中央の艦尾は専用の煌糸顕現炉と気水噴進機と反弦波推進機という原理未解明の推進機関とその他諸々が山ほどある中枢機関区で、艦全体の中でも最重要区画のひとつ。

 だから艦体そのものも煌糸構造も他よりさらに強固で、また人の立ち入りも制限されてる。

 その甲板に向けてクルトさんが操る浮遊盤に座って降りながら、私は鉄骨の支柱に支えられた実験棟を見上げた。

「実験棟も、これで見納めですか?」

「パフシッド現象を抑制可能になった以上は、ここを使う必要はありません。

 この空域を離れるまでには解体します」

「そうですか」

 何ヶ月も使い、この1ヶ月は泊まり込むこともあった実験棟が無くなってしまうと思うと寂しさを感じて、声が小さくなった。

 浮遊板が甲板の少し上で停止して、クルトさんの浮遊板に引っ張られて動き出す。

 本来なら人が走るより早く移動できるはずだけど、今はゆっくり歩くくらい。

「元々現象の暴発で艦の煌糸構造を破壊されないための施設です。

 航行の妨げになりますから、このままにはしておけません」

 クルトさんは合理的だ。私の見方とはだいぶ違う。

「私からしたら、専用の煌糸顕現炉と煌糸構造がある施設なんてもったいなくて壊せないんですけど」

 視点を合わせるように話を変えると、クルトさんは前を向いたまま肩を震わせた。

「確かに、これだけの施設はディアシス圏域全体でも20は無いでしょう。

 本艦はこの手の物資については潤沢ですし、建築も真名騎や憑装騎がありますから、大した手間ではありません。

 ルミタニアの従者も手を貸してくれますからね」

「やっぱり施設としては破格だったんですね。

 ここに来てから、常識が壊れることばかりで」

「無理もない。

 我々も本艦に乗った直後はずいぶん困惑しました。

 あぁそうだ。構術具(シグラム)と銃の調子はどうですか?」

 急に話題を変えたクルトさん。

 脈絡のない流れに私は何かまずいことを聞いたかと不安を感じつつ、構術具の感触を思い出す。

 私の構術具はツァイシャさんから贈られたものなのだけど、過酷な繰り返し実験の序盤で故障してしまいクルトさんに修理をお願いした。

 その3日後に何故か銃まで修理することになって、時間は予定よりかかったけど無事に終わっていたから、気にはしないようにしてたのだけど。

「修理をしてもらってから少しバランスが変わった気がします。

 多分、交換してもらった部品のせいですよね。

 慣れれば問題はないくらいですけど、どうかしたんですか?」

「いやぁ、修理を担当した鍛治師から色々言われましてね。

 なんでも『杜撰な改造をしたせいで本来の性能が損なわれとる』だそうで、かなり手を加えたようです。

 先ほどの話で、伝えていなかったことを思い出しまして」

「はぁ」

 話の繋がりがわからなくて、気の抜けた返事をしちゃった。

「実験棟と修理になんの関係が?」

 思ったままに尋ねると、クルトさんが右手でメガネの位置を直す。

「負荷の大きい箇所の補強と摩耗の激しい部品について、通常の素材では試験に耐えられないと判断しデミオリハルコンを使用しました。

 そのため時間がかかってしまったのです」

「部品を作るために手間がかかったんですね。

 納得しました。エウクスなんかは秘紋を使えるように改造しちゃったし」

「あぁ、そちらは鍛治師が『銃器は碌に知らんが、これは素人細工だ』と呆れていましたね」

 きつい一言をもらってしまって沸いた疑問には蓋をした。これは後でカークさんに聞いてみよう。

 拘りが強そうな鍛治師さんの相手をしたクルトさんはきっと大変だったと思う。

「えっと、なんか、色々あったみたいで……

 すみません」

「はい? あぁ、彼らは職人肌ですからね。

 慣れていますよ。

 司令塔に入りますから、徽章を確認してください」

 苦労をかけたことを謝るとあっさりと受け流され、浮遊盤の向きが変わると聳え立つ司令塔が目の前にあった。

 出入りを許可する奏具の徽章が襟にあることを確認してすぐに、私たちは司令塔へと飛び込んだ。


 研究室の掃除を終えて日が暮れて、家に帰ると夕食が待ってた。その席で。

 カークさんの手から落ちたカップがテーブルに落ちてがたんと音を立てて、お茶が彼に飛び散った。

「カークさん!?」

 驚いてカップを落とすなんてあまりにも彼らしくない。私まで驚いて椅子から立つと、カークさんは我に返ってカップを戻してタオルでお茶を拭く。

 そして拭きながら、震える声で

「デミオリハルコンって言ったかい?」

 信じたくないと言いたげな様子で聞いてくる。

「はい。

 クルトさんは補強と摩耗の大きい部品に使ったって言ってました。

 特別なものだとは思ったけど、聞き損ねちゃって」

 答えを言ってる途中で、カークさんが驚いた理由に気がついた。

「もしかして、すごいものなんですか?」

「もしかしなくてもすごいものなんだよ」

 間髪入れずに返事。白い目線のおまけ付き。

「クルトさんに“御礼”を言うために、詳しく」

「その部品1つあれば余裕でこの家が買える。ホウシェンでな」

 ごふっ

 血を吐くかと思った。

 咽せ込んだ私の背中をリーヴァが撫でてくれてるけど、それを気にする余裕はなかった。

(部品1つでこの家?

 ええと、だったら全部合わせたら?)

 元々構術具は高級品で、エウクス1911CPだって複奏式っていう炸薬と法術を併用できる特殊な拳銃で、つまりお値段は相当なもの。

 それに加えて部品一つで家が買える?

(研究優先で無視してたけど、あのほんのり光ってる黒い部品、いくつ入ってたっけ……

 1、2、3、4軒、5軒6け……)

 頭の中で数え始めて、それがこの家の絵になった。

 周り中を家に取り囲まれる想像に耐えきれなくて、私は頭を抱えて突っ伏した。

(研究が進まなかったのはわかるけど、クルトさん、なんてものを使っちゃってくれたの)

「デミオリハルコンは絶対に壊れない。つまり加工不可能だ。

 だから外してしまったら買うのは好事家くらいだが、それでも相当な額になるだろうな」

 突っ伏した頭の上から追撃の声。

「すごいねティーエ! お金持ちだね!」

「お金に困ったらそれを売ったら良いの。

 何かあっても安心なの」

 フェリスと(かな)まで加わったけど、2人の言い分は一切聞けない。

「売るわけないでしょ。

 これはツァイシャさんたちからもらった大事なものなんだからね」

 顔を上げて言い返すと、にっこり微笑んでるカークさん。

「ここしばらくそれなりに出来るようになってたから油断してたよ。

 売るような羽目にならないためにも、今夜一晩、しっかりお勉強しておこうか」

 いつもより低い声は、地の底から聞こえてきたように思えた。


 地獄のお勉強会の翌日から急に事態が動き出した。

 まずはアルシウス団長の立ち合いで秘紋妖精系統(シグラム・ピクシーズ)の動作試験。

 緊張はしたけどなんの問題もなく試験は終わり、次は獣粧族(ハシュワーヌ)たちとの協議。

 そこでも私は研究の結果を示さないとならない。

 秘紋技術に馴染んでる極星の旅団(ノーザンアルバ)とは真逆の獣粧族(ハシュワーヌ)相手だから、伝え方には工夫がいる。少なくともザングンさんを居眠りさせないように。

 準備に追われて10日が過ぎ、その日がやってきた。


 再び、ノーザンベルク十三世の講義室。

 ハシュワーヌ側の顔ぶれは前回の3人に加えて30人以上に増えていた。

 それに合奏甲冑を着込んだ警護を含め、極星の旅団(ノーザンアルバ)の人たちもたくさん。全員合わせたら100人は超えるだろう。

 なんでもそれぞれの血族の長が話を聞きつけ、我も我もと押し寄せてきたそうだ。

 その人たちを実力で篩にかけてなんとか絞り込んでこの人数ということで、多分全員が神獣を扱えるレベル。

 とんでもない集団に殺気立った目で睨まれながらで正直恐怖さえ感じつつ、平静を保って説明を始めたんだけど……

「論より証拠だ。見せてみろ」

 私が始めて10秒も経たないうちに、ジュンハオが立ち上がって説明を止めた。

 獣粧族(ハシュワーヌ)側のトップの意向だ。

 彼らの気性もあるし、早く済むならその方がありがたいから、素直に応じることにする。

「……わかりました。それでは、あの標的に対してEach-Echoを使った法術を」

「そうではない」

 再度話の腰を折って、ジュンハオが演台の前までやってきた。

 近くで見ると威圧感が半端ない。ザングンさんみたいな巨体ではないのに、彼以上に大きく見える。

「ティーエ、そなたらがノーザンベルクの障壁を破る際に用いた秘紋を、新たに作ったもので見せてみろ」

 ジュンハオはそう命令しながら、自分の胸板の真ん中を右手で示した。

 獣粧族(ハシュワーヌ)たちがどよめいた。ザングンさんすら驚いているのだから、全く話になかった行動だろう。

「確か、煌糸構造破壊は狙って起こせる。

 だが、その破壊も意図せぬ失敗の産物。

 そうだったな」

「はい。おっしゃる通りです。

 ジュンハオ様のお話はわかりました。そちらをお見せします」

 私は構術具のシリンダーを開いて刻紋石のケースを抜き取り、構成を変えてシリンダーを閉じた。

 エウクス1911CPにもNullSet-Nereidをセットする。

「準備はできました。よろしいでしょうか?」

「間近で見極める必要がある。ここを狙え」

 一切臆さず心臓を示すジュンハオに、私は構術具を突きつける。再び獣粧族(ハシュワーヌ)たちの、今度は怒りを含んだ唸り声。

 ジュンハオはひと睨みで彼らを静めると、眉間に刻まれた皺を深くして私を見下ろす。

「お前が正確な仕事をしたなら、パフシッド現象は起こらぬ。始めろ」

「はい、始めます」

 私は躊躇いなく引き金を引いた。順序通りにシリンダーを回して引き金を引き、秘紋を描いていく。最後にエウクスを突きつけて引き金を引くと、ジュンハオの胸元に構成され静止していた煌糸力場が解けて消えた。

「消えたな」

「はい。これが正常な動作なんです」

「なるほど。あの時は光の渦が障壁を食いながら広がっていたが、今は重なり合って停止した紋様になっていた。

 ティーエ、そなたは十分な仕事をしたな」

 そう告げると、ジュンハオは獣粧族(ハシュワーヌ)たちに向き直って右手を掲げた。

「我が目でティーエの秘紋が改められたことを見極めた。

 この娘は既に誓言の身。争乱の元となることは無いと認める。

 これでそなたらも文句はあるまい!」

「一切無し!」

 ジュンハオの声が講義室に響いて、まずザングンさんが応えた。次にこさとさん、ルジェイ、それから額に黒い複眼がある初老の男性と続く。彼の声を皮切りに獣粧族(ハシュワーヌ)たちはジュンハオの言葉を認めていった。

「これでお前の件は終わりだ。

 この地に留める必要もなくなった。

 旅に出るのであろう。身体には気をつけろよ」

 意外な言葉に驚くけど、ジュンハオは素早く背中を向けて、私に口を挟む隙を与えなかった。

「アルシウス殿、重要な案件故に我々も多くの群が影響を受けており、龍乃揺籠(ヤォラ・ナルン)全域にこれを伝え収めるには迅速を持ってあたる必要がある。

 長話はこれで終わりとしても良いかな?」

「構いません。

 先ほどの協議でそちらの外交官はルジェイ殿と決まりましたから、以後は彼を通じて連絡をします」

「即断に感謝する。

 皆、ゆくぞ!」

 颯爽と大股で講義室を出ていくジュンハオ。獣粧族(ハシュワーヌ)たちも彼に従う。

 ただ、最後に。

 あの額に複眼を持つ男の人と付き人らしい少女だけが私をじっと見つめて残っていて、彼は数秒遅れで踵を返すと右足を引きずって少女の助けを借りながら仲間の後を追い、扉の向こうへ姿を消した。


もし面白いと感じたり続きが楽しみと思ったりしていただけましたら、お手数でも評価などいただければ幸いです。

たぶん、知命を超えたおじいさんが2分くらい小躍りして喜びます。

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