颶錨狩り
颶錨狩りが始まります
「貴様ら、気勢を上げろ!」
野太い声が森に響く。
「おおおおおおっ!」
色とりどりの服を着た戦士たち。それぞれが特徴的な容貌と衣装の獣粧族が50人、適度に間を開けたゆるい陣形を組んで雄叫びを上げた。
陣形の先頭で掛け声をかけたのは、ザングンさんだ。
艶やかな革鎧と厚手の服を身につけているけど、逞しい腕や脚は素肌をさらしている。
頭の上の丸みのある耳やお尻から伸びている太めの尾は黄色に黒の縞模様。
「颶錨どもを叩き出せ!」
「おおおおおおっ!」
虎魂の血族の群れの長は右の拳を高々と掲げて、それから力強く指を開いた。
その手から身体へと黄金色の煌めきが走って、爪が鋭く伸びる。
露出した肌から顔の周りまでも黒い縞模様のある獣毛が覆う。
(本当に獣人になっちゃった。魔法があるんだから不思議じゃないけど)
思い出が見せてくれた画像の虎が、別の絵のように人の形をとって仁王立ち。
さっきまでより腕も足も一回り太くなって長さも違うし顔つきや姿勢まで変わっている。脛から下なんて、どう見ても骨格まで変化している。
ザングンさんだけじゃなくて、陣形を組んでいた戦士たちも獣の姿を纏った。
ざっと思い出が見せてくるイメージと比べれば、数の多さで目についたのは狼。次に猪。それから人数は少ないけれど、猛禽っぽい鳥と蝙蝠、鴉、兎、蟹、鯱、蜘蛛、蟻、蠍、蛇。
人の形をしていて服は着ているけれど、腕が羽根になったり尻尾が伸びたり、いきなり近くでやられたら絶対驚くと思う。
「いくぞ!」
虎人が吼えてとんでも無い高さまで跳躍し、しなやかに着地して森へと駆け込んでいく。
獣人の戦士たちも人間離れした速さで走って、這って、空を飛んで、彼に続いた。
「獣粧ってすごいね」
夜行性の颶錨が熟睡している時間を狙って湖を渡った私たちは、岸辺で森へと攻め込んだ戦士たちを見送った。
人が姿を変えて森へと飛び込んでいく姿に圧倒されて、感嘆のあまり呟く。
「神獣粧はもっとすごい。あれで驚いていたら、この後は心臓が止まることになる」
淡々とした声音で、でもいつもより少し胸を張って、黒が忠告してきた。
「こーんなにおっきくなるのよぅ」
と両腕を大きく空に向けて広げる白。
「嘘でしょ。それじゃ律奏機よりも大きそう。いくらなんでも大げさ」
思い出が質量保存とかあれこれ言ってくるのをスルーしながら笑うと、白が半眼になって見下ろしてきた。
あ、これはちょっと怒った時の目だ。白が同族のことで出鱈目を言うはずなかった。
「信じないならいいわよぉ」
手を振ってしゃらんと爪飾りの鎖を鳴らし、白がそっぽを向く。
「あ、白、ごめんなさい。でも、本当にそんなに大きくなるの?」
失言を謝ってから他の人に尋ねようとしたけれど、黒はもちろん知らん顔。
これは後が怖いパターンだ。
琴従姉妹の他の4人は少し離れたところで打ち合わせをしていて、灰がこっちに加わりたそうにチラチラ見ているだけ。
「ル、ルトナさん?」
一縷の望みをかけてルトナさんの様子を窺った。
「ここは、見てのお楽しみと答えておくのが良さそうね」
首を傾げて肩を竦めるルトナさん。額の複眼が艶やかに光る。
そんな仕草も絵になるけれど、私としては話の糸口を繋げてほしかった。
「ティーエのおかげで後の楽しみが増えた。
さぁさぁ、私たちは戦舞を奉じる頃合い。
ティーエもリーヴァも持ち場に行って」
黒が微笑みながら私を突き落とす。
「待って、白、黒、ごめん口が滑ったの!
ちょっとリーヴァ、ルトナさんも、待ってってば!」
そしてルトナさんに背を押されリーヴァに手を引かれ、控えの方へと追いやられた。
狩場となっている森は、突入の時の勢いに反して静かなままだった。
獣粧族の戦い方は忍び寄ってからの不意打ちが多いそうで、突入の前に気勢を上げるのも、相手の注意をこちら側に引きつけるためだと説明されていた。
そして森の静けさと対照的に、だけど厳かに、琴従姉妹たちの舞の音が響いている。
私はリーヴァとルトナさんと一緒に優美な舞を見守りながら、ここが狩場の中だということが気になっていた。
「ルトナさん、この森には颶錨以外にも剛獣がいるんですよね。
あんなふうに目立つ音を出すと、危ないんじゃないですか?」
私は自分の武器を確かめながら、ルトナさんに尋ねた。
手に馴染んできた拳銃のエウクス1911CPと、リボルバー拳銃型の構術具。構術具にはルンハオでの旅の間に刻んだ戦闘用の秘紋セットを装填してある。
「もちろん剛獣はいるわ。
でも、舞巫女様は戦舞で戦士たちを守ってくださるのだから、襲ってきたときには私たちが守るのよ。
ところで、噂をすれば影ね」
答えるながら、ルトナさんは森の左手を睨む。
「来るわよ」
「え?」
突然の警告に驚いたほんの一呼吸の間に、ルトナさんは隣から消えていた。
ガキキン!
硬い物が激しく打ち合わされた音。
とんでもない瞬発力で跳躍したルトナさんの姿を、その音でようやく見つけた。
森の梢から飛び出してきたらしい大きな蛇を空中で迎撃したルトナさんが、落下する途中で何かに引っ張られるように横へと動き蛇の尾の一撃を躱して、木の幹に着地した。
着地、と言うのが相応しいと思う。
両足を大きく広げた姿勢で2本の剣を構え真横に張り付いている姿からは、木の幹が地面のように見えるから。
(本当に蜘蛛みたい)
顔や手足の肌が露出していた部分を毛の生えた甲殻で覆った姿は本当に人型の蜘蛛のようだ。
そして本物の蜘蛛のように垂直の幹を這い上がって、太い枝の上で合図の笛を取り出した。
ピュイイイ!
ルトナさんが笛を吹き鳴らしてから枝を蹴る。梢が揺れて葉が落ちて、彼女は高度を上げた大蛇へと切り掛かった。
彼女の背丈より3倍以上は長い大蛇は、首から体の半分くらいまで広く平らになっている。特に頭側は幅があって、先が尖った団扇みたいに広がり風を捉え、フワッとした動きで剣を避けた。
「飛錨。 1!」
ルトナさんの声に、私は固唾を飲んで武器に手を伸ばした。
飛錨っていうのは確か、黒から聞いていた話では颶錨の変異元の剛獣だったはず。
ギルドの区分では凶化変異体に相当するってことだから、いつか戦った砂竜と同じくらいの脅威。まともに相手するなら、合奏甲冑が必要になる。
(獣粧族でも、結局は生身。
1匹だってとんでもない強敵だから、援護した方がいいよね)
私は腰のホルスターから銃と構術具を抜いて、安全装置を解除した。
左手に持った構術具をリーヴァに向けて、シリンダーを切り替えながら引き金を引いていく。
「リーヴァ、光衝盾」
「わかったわ」
あらかじめ決めておいた通りに、リーヴァが籠手を着けた左手を差し出した。
最後の引き金を引くと構術具から投射された複数の秘紋が統合され再描画され、リーヴァの籠手を基準として彼女の全身を隠せる大きさの陽炎のような盾を発現させる。
「ルトナさんの邪魔にならないようしないと。
横から行くよ」
私が走り出し、リーヴァは私よりも剛獣側を、剣を右手に構えて走る。
「横からって言っても、動きが早すぎるわ」
「私たちは倒す役じゃないから、飛錨の注意を引けばいいよ。
銃でやるから、きちんと守ってね」
木々を蹴って跳躍し空中で軌道を変え変幻自在に飛錨を攻めるルトナさんの動きは、私たちが先読みできるものじゃない。
リーヴァが位置取りに迷っていたから、私が先行して銃を構えた。
すぐにリーヴァが私の前に来て、力場の盾を前にかざす。
「飛錨の魔導は翼膜の縁にある爪を発射するのよね。
大丈夫、受け止めてみせるわ」
「よろしく。合図をしたら、一歩右に動いて」
「わかったわ」
相談をしてからルトナさんの動きを目で追った。
跳躍は本当に目にも止まらない程に早いけど、飛錨とまともに打ち合える力はないみたいで徐々に押されてる。
ただ、圧倒的に優位な機動力で押される方向をコントロールして、琴従姉妹たちから離れる方へ誘導してるみたい。
目まぐるしく動き回るルトナさんが一際太い木の幹に着地したところで、私と視線を合わせてウインク一つ。
彼女の攻め方が、飛錨の前方から押し引き交えたものに変わった。
(狙えってことだよね。
飛錨は大きな蛇で、翼膜の魔導で体を浮かせて空を飛んでる。
長い体と尾でバランスを取ってるから、一番動きが小さいのは……重心、翼膜の下の付け根)
私は剛獣の動きを観察してから、拳銃を構えて狙いをつけた。この射線ならルトナさんに当たることはない。
「リーヴァ、撃つよ」
合図をしてから引き金を引く。
たんたんたん
弾丸は法術で加速され、意外に軽い音で発射される。1発が飛錨の胴に当たって、鱗が弾けてきらきらと飛び散った。
私のエウクス1911CPは普通の狼くらいなら一発で仕留める威力がある。だけど、全長5メートル以上で胴回りが私の肩幅より太い蛇に対してはほぼ無力。
それでも、鱗を割られた飛錨は予期せぬ痛みに気を取られたのか私の方に頭を向けた。
まんまるでのっぺりとした感情の欠片も感じられない黄緑色の目が、私を捕える。
リーヴァが私の前に出た直後に翼膜のフチに複数の煌めき。直後に目の前が白く輝いた。
私たちの周りで土が弾け飛んで、リーヴァが構えていた盾が薄れて消える。
(一度で全部持ってかれた)
リーヴァの籠手にかけた光衝盾は石礫を逸らす程度の力場に加えて、より威力のある、つまり重くて速い物体に対しては強烈な加速効果で受け流す機能を持っている。
これは私がルンハオの船旅の中で研究して編み出した法術で、力場の盾に瞬光矢の加速効果を閉じ込めてある代物。
加速効果はカークさんが使う合奏甲冑用の槍でも弾ける代わりに回数や量の制限がある。そして飛錨は一撃で全てを吹き飛ばしてしまった。
予想以上の威力に、胃の辺りがギュッとなる。
「リーヴァ、一度退いて! 盾をかけ直す!」
私の法術は時間がかかる。
リーヴァが魔眼族で傷を癒す晶眼の魔導があると言っても、体が真っ二つにされたら追いつかない。光衝盾を瞬時に破れるなら余裕でそのくらいの威力はあるはずだから、まずは身を隠さないと。
「引くって、どこに!?」
リーヴァが迷って立ちすくむ。
(あっ、本気で戦うのは初めてだから?)
そうだ、私たちはこんな相手とまともに戦った経験がない。特にリーヴァは、人売りに捕まっていた頃の経験から危険に対して動けずに耐えようとする癖がある。
今までの訓練と実戦で大丈夫だと思っていたのに、リーヴァは凶悪な魔導相手に伏せようともしない。
(だめ、そんな隙を見せたら)
飛錨が冷たい瞳を彼女に向けた。野生の獣に躊躇はない。多対一の状況で、敵を減らせるチャンスを見逃すはずがない。
「伏せて!」
叫びながらリーヴァに飛びつくと同時に、剛獣の翼膜がチカチカっと光った。
どさっと2人で倒れ込む。襲ってくると予想していた痛みの代わりに、木々をへし折る轟音。
地面から伝わってきた振動に、私は顔を上げた。
ルトナさんが飛んでた。
地面に落ちた飛錨が、片方の目に剣が刺さった頭を振って暴れている。
その頭の周りでルトナさんが振り回されていて、光の加減で彼女と飛錨を繋ぐ細い糸が一瞬見えた。
(蜘蛛の糸)
思い出の呟き。
蜘蛛の糸は同じ太さの鋼鉄よりも強いの?
それで、ルトナさんが何をしたのか理解した。
私が作った隙を逃さず飛錨に飛びかかって剣を目に突き刺し、自分の魔導で作った糸を剣に結んで振り回されて、今は大蛇の首を翼膜ごとぐるぐる巻きにしているところだ。
実際、激しく振り回されているように見えてルトナさんの態勢は崩れていない。
「ティーエ、怪我はない?」
リーヴァが私を気遣って、私は今も危険に晒されているのだと思い出した。
「大丈夫。それに、早く離れた方がいいよ。
偏向法術も使って」
戦いを見守りながら、頭を下げて歩き出す。今更だけど、偏向法術を思い出した。
飛錨はルトナさんを振り解こうと必死でこちらに気付いた様子はないけれど、あの尻尾で地面を叩いて石礫を飛ばされたら、無傷ではすまないと思う。
それに飛び道具がある相手に、どうして忘れてたんだろう。
思った矢先にルトナさんが吹っ飛んだ。飛んでく先には一際太い木がある。
(ぶつかる!?)
見ていてヒヤッとしたけどルトナさんは空中で軌道を変えて幹の周りをくるんくるんと回って、ぴたりと真横に着地する。
飛錨が一段と激しくもがき出して、枝葉が震えた。だけど自分の胴より3倍以上太い木に縛りつけられた大蛇は、飛ぶことも離れることもできずに暴れるだけだ。
暴れ続けて疲労したのか、飛錨の動きが鈍ってきた。
ルトナさんは遠間から糸を吹き付けて大蛇の身体を覆っていく。飛錨はまた暴れ出したけれど、今度の糸は粘着性があるみたいで体にくっついて絡まって、すぐに木々の間に吊るされて動けなくなってしまった。
「凶化変異体を1人で倒せるなんて、ちょっと信じられない」
「カークさんでも、甲冑がなければ戦えないって言っていたのに」
初めて目の当たりにした獣粧族の力に、私もリーヴァも呆然としたまま立ち尽くす。
そんな私たちが見ている前で、ルトナさんは剣を牙の生えた口で咥えてゆっくりと滑らせながら飛錨へと歩み寄る。
そして、てらてらと艶かしく液体が滴る切先を飛錨の目に当てて、一息で突き刺した。
束縛された大蛇が激しくもがいて、しばらくもがき続けていたけど逃れることもできず、やがて弱々しく震えてから動かなくなった。
(蜘蛛の食事)
思い出の呟きといくつかの本と映像が脳裏に浮かぶ。なるほど、わかった。
飛錨はルトナさんの消化液を目から突き込まれて、脳を溶かされてしまったんだ。
獣粧を解いたルトナさんが、私たちに目線を送りながら右手を上げてウインクひとつ。
獲物の隣でポーズを決めてる姿に私は、白と黒だけを見て獣粧族をわかったつもりになっていた自分の浅い理解を痛感しながら、固い笑顔で手を振った
その後も時々剛獣が襲ってきたものの、私たちが特段何かする必要もなく撃退され、おかげで落ち着いて獣粧族の戦い方を見学できた。
その一方で琴従姉妹たちの舞は続いていて、もう2時間以上になる。
舞は所々で1分にも満たないくらいだけど、誰かが抜ける振り付けがある。
琴従姉妹たちはその抜けた合間に、白酒という甘い飲み物を口にして一息ついては舞台に戻っていく。
つまり、ほぼぶっ通しで踊りっぱなし。
「よく体力続くね。はい、白酒」
「琴従姉妹なのだから、できて当たり前」
言葉少なく答える黒に小さな盃を手渡し、飲み終えたら受け取った。
それから清めた布で、彼女の額の汗を拭う。
「ルトナが、助けられたと言っていた。
ティーエが飛錨に隙を作ったと」
「危なかったけどね」
敵の力を甘く見てリーヴァまで危険に晒してしまった記憶に、苦々しい気分になる。
「反省しているならいい。次に活かしなさい。
それより、ええと……」
語尾を濁らせた黒が眉を寄せた。
(黒が何かを言い淀むなんて、珍しい。
どうしたんだろう?)
迷っていた間に黒はいつもの憮然とした表情になって、私と目を合わせてきた。
「例え弱くても立ち位置と機会を見極めれば、敵に致命的な隙を作らせることができる。
獣粧を持たない猫魂の血族の戦い方は、これに尽きる。
そしてティーエは、これができた。
もう私が教える必要はない。
よくやった」
淡々とした口調で一方的に告げて立ち上がり、さっと私の頭を撫でてから、足早に舞台へ。
背丈より長い柄の曲がった筆を優雅に振り、濃紫の光で中空に紋様を描いて舞い始めた。
その紋様が、ぼやけた。
「照れ臭いからって言い逃げは狡いよ、黒」
後半はまともな言葉にはならなかったけれど、それでも私は言い切った。
「ティーエ、どうしたの?」
後ろからリーヴァがきて、私の前で身を屈める。
「どうして泣いているの?」
さっとタオルを取り出したリーヴァが、涙を拭ってくれながら尋ねてきた。
「黒が、黒がね。
『もう教える必要はない。よくやった』って、そう言って、いつもみたいな冗談じゃなくて」
嗚咽を堪えて息を整える。
「褒めてくれたの」
こんなところで泣いていたら、ルトナさんたちや他の人たちからも丸見え。
場所とタイミングを測って不意を討つ。
それが猫魂の血族のやり方だって言ってたけど、黒ってば酷いよ。
「黒のバカ。御礼なんて言ってやらない」
「言わなくても、わかると思うわ」
立ち尽くしている私の肩を、リーヴァがそっと抱えてくれた。
もし面白いと感じたり続きが楽しみと思ったりしていただけましたら、お手数でも評価などいただければ幸いです。
たぶん、知命を超えたおじいさんが2分くらい小躍りして喜びます。