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修行の終わり

「やればなんとかなるもんだなー」

 乾いた声でミックが言い、分厚い本の裏表紙を閉じた。

 あれから、もうすぐひと月が経とうとしている。


 ジョセフの教えは、最初は面白く感じた。だけど、俺たちは3つしかない練習にすぐに飽きてしまった。飽きていても続ける練習は、今までの稽古以上に苦しかった。

 座学はそれに輪をかけて厳しかった。

 ジョセフは俺たちに渡した分厚い本を、目の前で暗唱してみせた。そして俺たちには字を追いながら彼の言葉を繰り返させた。

「意味を理解しなくてもいいです。ただ覚えなさい。」

 今までと全く違う、学習という鍛錬にまずミックが、そしてニールや俺も根を上げた。だが、ジョセフは言葉巧みに、時には力ずくで俺たちを机に戻し、ひたすら読み続けるだけの苦行を課し続けた。


 ひと月の間にやったのは、それだけじゃない。

 昼食の間、ジョセフは軍務学校での生活や律奏騎兵の生活、そして彼の仲間のことを話してくれた。それは俺たちの夢を身近なものに感じさせ、やる気を繋いでくれただけでなく、彼らの鍛錬に俺たちが関心を持つきっかけにもなった。

 あのカーチスが毎朝、酔いつぶれた翌日でも走り込みをしていると聞いて信じられなかった俺たちは、実際に彼が走っている姿を見て驚き、数日後にはニールがカーチスと一緒に走るようになった。

 最初のうちは途中で走れなくなったが後から来たカーチスの部下が担いで送り届けてくれ、やがて一緒に最後まで走れるようになった。もともと脚力があったニールなので、ひと月の間でも大人についていけるようになったのだろう。

 俺とミックは、ジョセフが独自にやっている鍛錬に興味をもって、朝にも指導をしてほしいと頼み込んで参加した。その途中に走り込みをしたカーチスとニールが帰ってきて一緒に練習する。

 俺たちは、ジョセフの指導だけでなく三者三様の鍛錬を朝に行ってやり遂げたんだ。


 そして、最後の試験だとジョセフが課した分厚い本の暗唱を終え、俺たちは中庭のテーブルで突っ伏していた。

 座学を苦手にしていたミックが何とか暗唱を終え、ジョセフに「よくやった。」と褒められてから、緊張の糸が切れてぐったりしたままだ。

 ちなみにジョセフは、その試験を終えると

「これで私の指導は終わりです。ラドワン様も教えることはないとおっしゃっていました。3ヶ月、よく頑張りました。」

と、俺たちに告げて、それぞれと握手をして立ち去ってしまった。

 俺たち3人だけになってからテーブルの席について、もう15分は過ぎただろうか。

 ミックは時々本の表紙をめくっては「なんとかなるもんだなー」と繰り返している。

 俺やニールも似たようなもので、サミーが出した香草茶と菓子にも手を付けずに椅子に座り込んでいた。

「そーだねー。」

 時々ニールがミックに返事を返すのだが、会話が繋がる様子はない。俺も話をする元気はなく、一口、香草茶をすすった。

 ほのかな甘みと清々しい香りに気持ちが楽になって、俺は立ち上がると2人に声をかけた。

「腕試しでもやろうぜ。」

 緊張して頭を使ったのだから、身体を動かした方が気分が変わる。そう思いながら木剣を手にして2、3度振る。

「よし、やろう。」「じゃあ、僕も」

 ミックとニールも立って木剣を持った。

 3人で腕試しをやるのは久しぶりだ。

 この一カ月、朝の鍛錬と稽古と座学とで精いっぱいだった俺たちには腕試しをするような時間は全くなく、それぞれの鍛錬に集中していてお互いを見るどころではなかったからだ。

 3人で等間隔に向かい合ったので、俺は3人の技量が鍛錬でどう変わったのか期待しながら、木剣を構える。ミックとニールも同じように木剣を構え、俺たちは合図を待った。

 合図と言っても俺たちの他には誰もいないのだから、それは号令とかではなく、気まぐれに吹く風とか誰かが不意に立てた物音とか、そういう、動き出すきっかけだ。

 そしてしばらくお互いを窺いながら構えていると、吹いた風が中庭の木の枝を揺らす。

「ハッ!」

 ミックが掛け声と共にダンと地を蹴った。

 その一足でニールに踏み込んで横なぎに木剣を振る。素早い踏み込みにニールは一瞬反応し遅れてしまったが、それでも巧みな体捌きで動きつつ身を沈めて躱す。

 ミックの踏み込みも、ニールの体捌きも、以前とは段違いだ。

 俺は、一歩引いて冷静に2人の動きを見定めていたが、以前とは質の違う動きに驚いていた。ひたすら基礎を積み重ねただけのジョセフの指導と朝の鍛錬は、確実に彼らの実力を高めていたんだ。

 だけど、鍛錬を積み重ねていたのは俺も同じだ。

 ミックがニールの反撃より早く身をひるがえして俺に踏み込みながら木剣を振る。

 早い。

 シンプルな一直線の動きも読めない程の早さがあれば最短最速の脅威だ。俺は冷や汗を背中に感じながら木剣を受け流し回り込み、身を寄せて肩を合わせる。

「フッ!」

 鋭く息を吐いて膝の力を抜き、踵を踏みしめる。

 ズンという音と共にミックの身体が跳ねとんだ。

 体格の差を差し引いてもジョセフのような威力は無いけど、ミックはバランスを崩してたたらを踏む。俺は追撃しようと木剣を振り上げる。が、その脇にニールが滑るように走り寄り突きを放ってきて、俺はくるりと体を回して躱した。

 俺が攻撃のチャンスを逸した隙にミックが体勢を立て直し、俺たちは再び等間隔に向かい合う。

 俺は2人が目を輝かせて不敵な笑みを浮かべていることに気付き、俺も同じ表情をしているのだと自覚した。

 楽しいからだ。

 2人の動きが前と違っていること、そしてそれに応じることができている自分もまた、確実に強くなっているのだと、はっきりした。剣を合わせる相手がいて、自分の力を発揮できる喜び。俺たちは均しくその喜びを感じているのだと、はっきりわかった。

 それが嬉しくて、俺はミックへと足を滑らせてじりりと間合いを詰める。

 木剣は後ろに倒し、間合いを隠す。

 さっきのやり取りで間合いを詰めると危ないと感じたんだろう。ミックが斜めに下がり、俺たちに応じてニールも動いて、3人は正三角形の立ち位置のままじりじりと円を描いた。

 そして次の合図に動き、打ち合って止まる。

 俺たちは日が落ちるまで、笑いながらそれを繰り返していた。


 やがて、サミーが俺たちを呼んだ。

「ギル様、もう暗くなっております。夕餉の時間に間に合わなくなりますので、お控えください。」

 もうそんな時間か?と空を見上げれば、宙弦が濃紺の空に揺らめいて、明るい星が現れていた。白く、時折かすかに虹色に煌く宙弦の揺らめきに、俺はしばらく見入ってしまう。

(楽しかったなぁ。)

 心の中での呟きは、不思議なほどにしっくりと俺の気持ちに収まって、やがて微かな不安を残して融けていく。

「ばーちゃんにいいところで止められちゃったな。楽しかったのに。」

「そうだね。でももう帰らないと。オリエが拗ねちゃう。」

 名残惜しげなミックとニールの会話に我に返り、俺は三日後に迫った洗礼式のことを思い出した。

「ミック、ニール。明日からは洗礼式の式典の練習だよな。やっと俺たち社会の仲間入りだ。」

 俺の言葉に、2人の顔が明るくなる。

「そうだな。いよいよだ。軍務学校に入れるように頑張ろうぜ。」

「うん。まずは初等学校から。」

 2人の返事に俺は

「あぁ。頑張ろう。3人でシディンに行こうぜ。」

と、木剣を握った拳を差し出す。

 2人も同じように拳を差し出して、俺たちは互いの拳を打ち合わせると、力強く頷き合った。

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