伯爵との対峙
勢いよく横付けた指揮車両に目を見開いた伯爵がエリンから離れて数歩下がり、従者たちが彼の前で守りを固めた。
しかしカーチスが脚付きの担架に乗せられて姿を見せると、伯爵は彼を見下ろしてから後続の運搬車両を、その荷台に載せられたアルクストゥルスと彼を数回見比べてから満足げに笑う。
「遅いぞカーチス君。さぞかし苦戦したようだな。
しかもたかが村一つにこれほどの被害を出すとは、律奏騎兵に相応しいとは言い難いなぁ」
嫌味な口調に、カーチスの隣に立つジョセフが待機の姿勢のまま、腰の後ろで拳を握るのが見えた。
カーチスは部下の心情を察したが、相手は律奏機大隊の隊長で航宙艦イセルの指揮官だ。
しかも後ろの従者たちは腰に手を置いている。拳銃でも剣でも素早く抜ける位置だ。
偏向法術をかけていない状況では、銃の優位は圧倒的になる。
迂闊にぶん殴ればこちらが蹴落とされるか下手をすれば命を取られる羽目になるのだから、ここはカーチスが上手く話を進めなければならない。
「待たせてすまなかったな大隊長さんよ。だが、お望みの相手は連れてきているぜ」
カーチスは敢えて普段通り、礼を失した横柄な態度でオーゼクビスに応じた。
前々から素行に問題があるとされていたカーチスだ。この場でも彼に非があるとなれば、指揮官としてカーチスを罰する口実ができる。
オーゼクビスはあっさりと乗ってきた。
「なんだその態度は?
カーチス。確保対象を捕らえてくるのは当然のことだろう? それなのに女を1人捕まえるだけの任務で貴重な律奏騎兵を大破させた貴様なぞ、軍にいる価値もない。そうではないかね?」
キツイ口調で一言返し、それから担架に腰掛けたカーチスを見下ろし笑いを含ませて言い聞かせるように調子をつけて、ネチネチと顔を近づけてくる。
アルコールの臭いが顔にかかるが、カーチスはそれを無視してエリンに話しかけた。
「エリン、用意はできているな。確保対象はここで降ろしてくれ。俺の隊ではイセルに移送するのは荷が重い」
「了解」
伯爵から自由になったエリンが機装車両に入る。
「確保対象の女については、大隊長殿にお任せしますよ」
「ほほう。平民上がりの割に分を弁えているようだな。殊勝な心がけは褒めてやろう」
カーチスがこの場でオーゼクビスにティル・イーを受け渡したなら、彼が現場に出て目標を確保したという名目が立つ。
功績を譲ると暗に示したカーチスに対して優越感丸出しな態度で息を吐きつけてくるオーゼクビスだったが、
バキッ!
豹変しカーチスの顔を殴りつけた。
突然の暴行に左の腕と足が使えないカーチスは体勢を崩して担架から落ちかけ、ジョセフが素早く支える。
そこにオーゼクビス伯爵が口を挟み声を荒げた。
「勝手に話を進めるな。
おい平民上がり、貴様は何様のつもりだ?
私に恩を売ったつもりなら大間違いだ。
そもそも、なぜ鴉を撃ち落とした? 我が隊の鴉をだ。
お前には不審な行動があったと報告が上がっているのだぞ」
ジョセフが支えている手を乱暴に引き剥がしカーチスの襟を掴み上げた伯爵は、首を吊し上げて迫る。
「こうされたらお前はどうするのだ? 証拠はあるのだぞ」
伯爵も軍務学校を卒業した律奏騎士だ。カーチスの痩せ気味の体くらいなら多少震えはするが引き上げられる。
(ブラフだな)
彼の震えと表情と、そして煌糸の揺らぎからカーチスは彼の思惑を読み取り瞬時に判断を下した。
「何のことですかね。俺が受けた命令にはそちらの鴉のことは書かれていませんでしたよ」
平然とシラを切る。
「とぼけるつもりか? 白状すれば軍法会議にかけずに済ましてやらんこともないぞ」
伯爵はさらに顔を近付けて脅迫するが、彼の威圧はカーチスが知る何人かの強者とは比べ物にならない。
「ああ、そう言えばあの村は鳥を使った通信で他と連絡をしているようだったので、部下に『不審な動きをする鳥の類は撃ち落とせ。作戦の妨げになる恐れがある』とは命じておきましたね。
うちの部下は優秀なんで、怪しい奴は全部落としてましたよ。
それで撃ち落としたかもしれませんが、それは命令書に鴉のことを書かなかった奴の責任だ。
罰するなら間抜けな立案者をどうぞ」
もちろん嘘だ。
実際にはカーチスたちは予備中隊の管理下ではない鴉の存在に気付いていたし、クィ・イーとの戦いが始まると同時に全てワイツが撃ち落としている。
気位の高いオーゼクビスが自らの策で罠にかけてやったカーチスの言い分を聞かないことは当然のことだ。だからカーチスは敢えて横柄な態度に軽蔑を滲ませ、伯爵の感情を逆撫でして切り返してくる判断に枷をかけた。
「嘘をつけ! 貴様はわかっていてやったに決まっている。
しかも情報小隊からは村に赤い霧が上がったと報告があったぞ。加えて貴様の隊が不審な装備を持ち込んだという噂もある。
まさかと思うがカーチス、違法兵器などを持ち込んでおらんだろうな」
予想通りの展開にカーチスは内心でほくそ笑み、内心を包み隠して問い返す。
「違法? 何のことやら。
部下が信号用の赤色発煙弾を誤射しましたが、視界確保の邪魔になるのでその場で片付けました。ちなみに誤射をやったのはあんたが俺の下につけた、マットだ。流れ弾で大怪我をしたが、あいつも同じ証言をしますよ。
それと、そちらの小隊から報告も上がっていますよね。『赤い煙が上がった』と」
カーチスが灼熱の霧を持ち込んだ証拠が無い限り、赤い煙をそれだと判断することはできない。
噂はあくまでも噂だ。
そこに加えて謀略のために送った手下の名前を持ち出されて、オーゼクビスの顔に赤みが増した。
カーチスはさらに畳みかける。
「それより、あの傷跡の男は足を切っても繋ぎ直して戦おうとしてたんで、ここも早めに引かなければ追撃に晒されます。
あいつが動き出すまでにどれだけ手間がかかるかは知りませんがね」
赤ら顔から血の気が引いた。
「なぜトドメを刺さなかった?!」
「大隊長もご存知の通りアルクストゥルスはこの有様で、甲冑小隊は戦闘続行不可能でした。
足を切り落としたとは言え、あの化け物と生身でとやり合える手駒なんざナップサック中隊にはありませんよ」
伯爵自身が広めたレッテルを使って切り返すと、一度息を止めた伯爵は再度首まで真っ赤になって大声を上げる。
「そんな根性だから貴様らはダメなんだ! 貴様の不甲斐なさのための私まで危険に晒すなど、懲罰では済まさんぞ!」
新たな口実を得て声を荒げた伯爵の気勢を、鈴を鳴らすような声が割って入り打ち消した。
「クィ・イーを倒したのですか?」
ティル・イーだ。
名前はすでに聞いていたが、カーチスは初めて見る彼女の姿に畏怖を覚え口を閉ざし、オーゼクビスは驚きの表情を浮かべて固まった。
金の髪は長くよく手入れされていて、透き通るような肌に刻まれた幾何学模様の傷跡。華奢とも言える体付きだが姿勢はしっかりしていて、手足の枷の重さを感じさせずにいる。
その琥珀色の瞳には、強い決意。
カーチスは彼女の思惑についての予想が正しかったと確信し、そしてそれを実現させるわけにはいかないと口を引き結ぶ。それから、
「ああ。手強い相手だった。お陰でこの様さ。
戦う前にあんたたちのことをよく知っていればやりようもあったが、それはお互い様だな」
少女の雰囲気に呑まれないよう気力を込めて言葉を返した。
「万全で戦いに挑んだクィ・イーの足を斬るとは思いませんでした。貴方は強き戦士です」
淡々とした高く繊細な声にも端正な表情にも、そして煌糸の揺らぎにも、少女の感情は窺えなかった。
まるで蛇か昆虫と話をしているような違和感。
カーチスはやりにくいと口をへの字にした。
幸いなことにオーゼクビス伯爵は彼女に気押され黙ったままだ。
「そいつはどうも。お褒めいただいたついでに、あいつが追いかけてくるまでの時間を教えてもらえねぇか?」
話を繋ぐために問いかけると、意外にも素直に答えが返ってくる。
「さほどかかりません。おそらく、あの月が中天に差し掛かる頃には戦えるでしょう」
答えに頭上の月を見上げたカーチスは、それがほとんど真上にあることを確かめてから心の中で呟く。
(あと30分あるか無いかってところか。似たような剛獣と比べれば妥当だな。
しかし普通ならとぼけるか遅く答えるところだろ。クィ・イーといい、こいつらの頭の中はどうなっているんだ? 駆け引きにならねぇ)
半ば呆れつつ、カーチスはオーゼクビスに話を振って状況を動かそうと試みる。
「だそうだが、大隊長殿。
相手は1人だから、騎士様たちがやれば勝てるかもしれませんよ。
もっともクィ・イーって奴は沢山いるそうだ。俺は奴らの鳥を撃ち落とさせたが、いずれは異常に気付く。
あいつらは空を自在に走るのだから、間違いなくこの簡易拠点も見つかっているぜ」
太々しい口調で断言したカーチスに一歩後退り、オーゼクビスはやっと口を開いた。
「だったら何だ! 調子に乗るなよ平民が。わかっているならさっさと撤収しろ! 拠点撤収は貴様の責務だぞ!」
声を荒げてがなり立て、一呼吸。
「それとな、カーチス。貴様の罰は艦で徹底的に調べてからきっちりとくれてやる」
平静を装ってから、
「覚悟しておけ!」
カーチスが座る担架の支えに蹴りをかます。
「ぬあっ」
しかし間抜けな声を発してバランスを崩したのは伯爵の方だ。
担架の前に立ったジョセフが蹴り足を払いのけただけで恰幅の良い身体がへろへろと回り、倒れかけたところを従者の助けで持ち直す。
「意見具申」
立ち上がりかけたオーゼクビスの間近にジョセフが顔を突きつけ、機先を制した。
そのまま上官の許可無く続ける。
「大隊長殿の行為は負傷者保護を義務付けた戦争法及び関連諸法に反しております。おやめください」
意見具申ではなく告発と言うべき態度でオーゼクビスを見下ろす部下を眺めつつ、カーチスは目配せをしてエリンを呼ぶ。
エリンがカーチスの意図を汲み、隣に立つ少女に声をかけて連れてきた。
「子爵の倅風情が生意気な口を聞くな。貴様の家なぞマーブレン王家に連なる我がオーゼクビス家に比べれば雑草と変わらんのだぞ!」
伯爵はジョセフの向こう側で大声を上げていて気付く様子もない。
喚き声を聞きながらカーチスは、ティル・イーと改めて向き合った。
「俺はカーチス・ウィリアム・モリヤだ。
手短に話すが、あんたをイセルに乗せてやることはできなくなった。部下たちを故郷まで返してやる義務があるからな。
後のことはあの男がやるさ。それが指揮官の責務だ。
できれば穏便に済ませてほしいと思っているがね」
小声で伝えるカーチスが部下の向こうで喚き続けている男を顎で示すと、ティル・イーは目を細めて見つめてくる。
真意を見抜こうとする視線を受けながらも、構わずカーチスは話を続けた。
「あの村の海岸にでかい奴が居座っていたな。アレがあんたの御番なんだろ?
ネタはバレた。そう言うことだ。
すまねぇな」
かすかに眉を寄せた少女にカーチスは自分の予想が正しいと確信を得た。
しかし、
「謝る必要はありません。クィ・イー・アレ・ツァイヤツァムは、宙渡りです」
次いで告げられた言葉に不穏さを感じ、カーチスは絶句する。
「逃げるのならば逃げなさい。ですが、彼は必ずあなた方を見つけます」
声に感じた冷たさは気のせいでは無いだろう。
「おいカーチス、部下にどんな教育をしているのだ?! これは貴様の責任だぞ!」
ジョセフを押し除けたオーゼクビス伯爵が声を挟んできた。十分に時間を稼いでくれた部下は伯爵を冷たく見下ろしつつ一歩引き、ティル・イーはカーチスに背を向けて一歩進み出た。
カーチスは少女と向き合い立ち止まった伯爵を見やってから舌打ちを一つ。
それから、部下たちに命令を飛ばす。
「ジョセフ、もういい。大隊長殿のご命令の通りさっさと退くぞ。
予備中隊に命じる! 拠点設備は放棄して早急に撤収しろ。急げ!」
即座にエリンがティル・イーから離れ、ホーガンとアルカがカーチスに駆け寄って担架ごと運ぶ。
「勝手なことをするなと言っただろう! おい、奴らを捕えろ! うぉっ!?」
オーゼクビスが唾を飛ばしながら叫び従者たちに命じるが、その襟首をジョセフが掴んで吊し上げた。
背後には律奏騎士が起動している状況だ。
まさか反抗はあるまいと思い込んでいた中での暴挙は従者たちの不意をつき、彼らは混乱して動きが止まる。
伯爵が慌てた声を発した。
「な、何のつもりだ?!」
「貴様の所業はすでに把握している。
だが、貴様に教える価値はない」
冷たく言い捨てたジョセフは襟を掴む手を離し、拳を伯爵の弛んだ腹に添えた。
ズン!
自然体で立つジョセフが踏み締めた足元で砂が弾け、オーゼクビス伯爵は腹にめり込んだ拳の威力にバネ仕かけの如く跳ね上がり宙を舞った。
「げはああっ」
受け身も取れず落下して強かに身体を打って衝撃に叫び、立ちあがろうとして膝を立ててから腹を抱えてうずくまる。従者たちが伯爵に駆け寄り、一人はジョセフを捕らえようとしたが体当てひとつで派手に吹き飛ばされた。
「おげえええっ、おのれええげええっ」
伯爵は胃の中身を吐き出し呻きながら、彼に背を向けて立ち去るジョセフと撤収しつつあるカーチスたちを睨みつける。
その目の前にティル・イーが立った。
指揮車両に乗せられたカーチスは戻ってきたジョセフと共に彼らの姿を一瞥し、苦々しく呟く。
「お前余計なことするなよ。しかし……」
痛い思いはさせても構わないとは思っていたが、これから伯爵がどうなるかは簡単に想像できる。
しかし、彼の振る舞いとカーチスの立場、イセルや部下たちの無事、こちらに向かっているだろうクィ・イーとティル・イーの決意。
これらを考えるなら、他にやりようがない。
「俺をぶん殴って満足してくれていたなら良かったんだが。見捨てるのは忍びねぇな」
「自業自得です。カーチスは甘すぎる」
冷たく言い切った部下が扉を閉じた。