新しい教え
「まず、今日からの教えで得られるものを見せます。」
そう言うが早いか、ジョセフは中庭の片隅に3本立てられている、太い木の杭の前に立った。
それは俺たちが木剣の打ち込みに使っていたもので、あちこち凹んだり割れたりしているが、砦の兵士が木剣で力一杯打ってもびくともしない頑丈な代物だ。
ジョセフは3本のうち左の杭に手を伸ばして触れて立ち、それから振り向いて8歩歩く。
そして距離をとった杭に向かい合うと、
ダン!ッダガン!
激しく地面を踏み鳴らし5mはあった距離を一気に踏み込んで、肘打ちを杭に打ち込む。
杭がたわんで揺れた。
見れば肘打ちが当たった箇所ははっきりと丸く凹んでおり、今の打ち込みの凄まじさを証明している。
ジョセフは俺たちに、全く口調を変えず
「これが八足断歩です。次は、」
と、声をかけてから中腰になり杭に身を寄せ
ズドン!
鈍い轟音が中庭に響いて、杭がミシリと悲鳴を上げた。それから、ジョセフが杭に体当たりをしたのだとわかった。
「これが伏足絶歩です。」
そう言ってから、ジョセフは俺たちの前に戻ってきた。
「これから教えることを十年間毎日欠かさず続ければ、今の技が身につきます。」
変わらぬ口調で告げられても、俺たちは3人とも技の凄まじさに唖然としていて、しばらく何も言えなかった。
やがて
「すげぇ!」
「すごい!すごいよ!」
ミックとニールが歓声を上げて杭へと駆け寄り、二人で騒いでから駆け戻ってきた。
ニールが息を弾ませてジョセフに尋ねる。
「ジョセフさん、今のは『術技』ですか?」
術技とは、煌糸の力を使って超人的な力を発揮する技術だ。騎士の物語には必ずと言っていいくらいに登場するので、実際に見たことはなくとも知っている者は多い。
ジョセフが見せたものが術技なら、今の凄まじい動きも納得できる。
俺もそう思ったのだが、
「いいえ。今のはただの技です。」
と、あっさりとした答えが返ってきた。
「術技は技に上乗せするものであって、基礎とするものではありません。ですから当派では、この程度の技ができない者には術技を教えません。」
続く説明に、ミックが小さく呻く。
「あんなの、俺、見たことないよ。」
その言葉に俺たちは3人とも頷いて、ジョセフを見上げた。
俺の場合、一応は見たことがあった。でも、前世の映画やゲームの中で見たなんて、見たうちには入らない。
そんな俺たちの様子は意に介さず、ジョセフは、一人でサッと腰を下ろし、空気椅子の姿勢になった。脚は肩幅よりやや広く、両手を胸の前に差し出している。
「この形を覚えなさい。」
そのままピタリと動きを止めた彼をしばらく見ていたのだが、彼が俺たちをじっと見ているので意図に気付き、俺はジョセフと同じ姿勢をとった。
と、ミックとニールも、それに習う。
スクワットを太ももが地面と平行になる高さで止めておくだけの姿勢だが、1分もすると足腰の筋肉が引き攣るような痛みを帯びてくる。
すると、ジョセフは俺たちに近付き、1人1人に、ここをこうしなさい、と手を添えながら、姿勢を直させる。その助言のとおりにできると、不思議なほどに足腰の負担が軽くなり、同時に体全体がまとまったような感覚が得られた。
そんな風に、わずかな姿勢の違いも見逃さず丹念に直させる指導が続けられた。
ジョセフの指導は分かりやすく、やっていることは単純なので俺はともかくミックやニールは飽きてしまうのではないかと思った。
しかし、説明のとおりにできると確実に効果を感じられるからだろうか、2人も真剣に稽古を続け、足の痛みに耐えかねて立って身体を動かしてはまた同じように腰を落として習うを繰り返し、気が付けば1時間が過ぎていた。
その次にやったのは、大きく踏み込む動作だ。
腰を落とした姿勢から片足で強く地を蹴り、もう一方の足で加速して飛ぶように踏み込む。
踏み込む大きさの分勢いがつくので、バランスをとって止まることが難しい。だけど、ジョセフは転んでもできる限り遠くまで踏み込みなさいと言い、俺たちは実際に転びながら練習を繰り返した。
その次にはゆっくりと歩く動作。
軸足に重心を乗せて足を上げて踏み出し地につけて重心を移し、と、これで一歩。この一歩に10秒以上かけて歩き続ける。
これが3つの練習の中で一番難しかった。リズムとバランスが定まらないんだ。
俺が感じた印象はミックやニールも同じだったようで、意外にも、足が速くてバランス感覚の良いニールが一番苦戦していた。
そこまでやって、昼になった。
どの稽古でもジョセフの説明はわかりやすく、丹念で、細かい部分まで俺たちが実感できるように教えてくれていた。
考えてみれば、父親のローランドも師匠も、基本の繰り返しの中で間違いを指摘することはあっても、それをどうすれば正しくなるのかはあまり教えてくれなかった。
だから悩みながら木剣を振る日も多かったのだが、ジョセフは細かい部分まで教えてくれるので答えがわかりやすく、単純な練習なのに面白さを感じるくらいだった。
4人で昼食を食べながらそんな話をすると、ミックとニールも、ジョセフの指導はわかりやすく楽しいと賛成する。
「ありがとう。」
落ち着いた声でそう言うと、ジョセフは、
「私は一カ月しか教えられないので説明を交えて指導していますが、本来はラドワン様のように自分で考えるようにさせる稽古法を用います。その理由は、師の動作を見て真似ることで、相手の動きを見る力が養われるからです。」
と、自分の教え方と師匠との違いを説明する。
「俺たち、師匠の動きはみっちりと見させられたもんな。」
軽口をミックが言うと、俺とニールが一緒に頷く。
俺たちは聖騎士である師匠の剣をひたすら避け続ける稽古をしてきたから、相手の攻撃を見て避ける技術には自信がある。実際、この砦に詰めている兵士の攻撃だって軽々と避けることができ、彼らから感心されていたのは確かだ。
それで慢心していたところを、カーチスに叩きのめされたわけだけど。
と考えていたところに、ジョセフが口を開く。
「相手を見る力より、自分を観る力の方が大事です。自分を見失えば相手の動きが見えていても適切には対応できません。私の稽古では自分を観る方法を教えますが、単純ですので、とてもきついですよ。」
そう言われて、ニールがハッと顔を上げた。
「最初に僕がやられたのって、ミックがやられて、どうしたらいいかわからなくなってた時だ。」
ジョセフが頷く。
「そうですね。あの試合は見ていました。それにカーチスは、ニールは見る力があるので、逆に見せてやれば誘うのは簡単だと言っていました。どんなに早く動いても、予想した位置に足を出すなら簡単に当てられますよ。」
両手の指で踏み出した足に攻撃を充てる様子を示しながら彼が言ったのは、カーチスとの二度目の試合のことだ。あの時ニールは、試合が始まった直後にカーチスが投げた棒を足に当てられて何もできなくされてしまった。
「じゃぁ、俺はどうだったんです?」
ミックが問いかける。
「ミックは力も技も秀でていますが、それ故に動きが素直でまっすぐです。それはあなたの良いところですが、狙いを読みやすいので、今のままでは格上には通じません。」
厳しい指摘にミックは難しい顔で黙り込んでしまった。
ジョセフが言う通りだ。今までの稽古の中で俺たちがミックに勝てたときもそうだったが、カーチスの様に力を逸らして搦め手で動かれると、確かにミックは弱い。
落ち込む2人と一緒に、だったら2人に敵わない俺なら、と俺も暗い気持ちになった。
と、そこに、
「私は、この一カ月で平民の地位から律奏騎兵になるための最低ラインを教えます。それを理解して乗り越えなさい。できなければ、騎士はおろか騎兵にもなれません。」
ジョセフが穏やかではあるが厳しい声で激する。
俺たちはお互いの顔を見合わせる。
2人の目には、師匠の最初の稽古で倒れていた時と同じ、負けるものかという気持ちがある。
そうだ。ジョセフが教えてくれるのは、「乗り越えれば騎兵になれる最低ライン」だ。
騎士を目指す俺たちが騎兵のラインを乗り越えられないなんてことは、ありえない。
だから俺たちは小さく頷きあって、声をそろえて「はい!」と返事をする。
俺たちは3人でがんばってきたのだから、この3人でならきっとやれる。俺にはその確信があったし、ミックやニールも、きっと同じだ。
ジョセフは、俺たちのやる気に満足したようだ。穏やかな笑みを浮かべて頷くと、自分のバッグから厚い本を3冊取り出して、ドン、ドン、ドンと俺たちの眼の前に置いた。
「技を修めるには座学も重要です。午後はこれを教えます。」
愕然とするミックとニール。こんな分厚い本は、やっと読み書きを覚えた2人では見たこともないだろう。そしてそれは、周りから本の虫だと言われていた俺にとっても初めての重厚さだった。
十数秒前の俺たちの決意は、悲壮感に塗りつぶされようとしていた。