新たな師
カーチスが立ち去って、俺たちが見知らぬ男性の様子を窺うと、彼は丁重な礼をしてから自己紹介を始めた。
「私の名はジョセフ・レンドルフです。よろしく。」
カーチスよりも拳一つ分くらい背が高い上に、姿勢が良いのでなおさらに高く感じる。
そんなジョセフに見下ろされて居心地が悪かったので、俺は中庭にある卓と椅子を指差して、みんなでお茶を飲みながら話し合うことを提案した。
「わかりました。」
意外なほどあっさりとジョセフに受け入れられて、俺たちは椅子に腰掛ける。
歩く様子や腰掛ける仕草から感じたのは、「パリッとアイロンをかけたスーツみたいな人。」だ。
動きがきちっと型通りで隙がなく、それでいて柔らかさも感じさせる。
カーチスよりもずっと軍人らしい人だと考えながら、俺は呼び鈴を鳴らして女中のサミーを呼び、飲み物を頼む。
サミーが戻ってくるまで、俺たちはお互いに自己紹介をして、事情を話し合った。
ジョセフはカーチスの部下らしい。ただ、2人が通っていた武術の道場ではジョセフが先輩で、実力も優っているそうだ。
「ですから、私が指導するよう命じたカーチスの判断は正しいのです。」
響きの良い低い声で、ジョセフはカーチスの考えを肯定して説明を終えた。
すると、
「兄弟子なのに部下なんて変なの。でも、あいつに習うのは嫌だったからいいや。早く始めようぜ。」
ミックが背もたれに体重をかけバランスをとりながら、周りを促した。初めて会う相手への振る舞いではないが、きっと師匠に教えてもらえない不満が態度に出ているんだろう。
その態度にニールが、
「ミック、やめなよ。ジョセフさんには昨日の事は関係ないんだから。」
と注意する。だが、ミックは姿勢を変えずに言い返そうと
「だってさー」
まで言ったところで、
「ミック!シャンとしなさい。騎士になれないよ!」
と叱る女性の声が館の方から飛んできて、ミックは慌てふためいて椅子ごと後ろに転んでしまった。
「ば、ばーちゃん。早いね。」
転んだ勢いでくるりと回って、ミックが動揺した声で返事をする。
やってきたのはサミーだ。ミックの祖母であり俺の乳母でもある彼女は、普段は女中としての仕事にふさわしい態度でいるが、ミックの振る舞いに関してだけは目の色が変わる。
「ジョセフさん、うちの孫が失礼な態度をしまして、すみません。後できっちりと言いつけますので、お許しください。」
50を過ぎた年齢ながら若々しい足取りでお茶を乗せたお盆を運んできたサミーは、テーブルにそれを置くと、ジョセフに頭を下げて謝る。
「スザンナさん、お気になさらないでください。」
サミーに愛称ではなく本名で応えたジョセフは、ミックが立ち上がって席に戻るのを待った。
そんな彼に礼を言って、サミーはテーブルにお茶のカップを配る。飾り気のないカップには、父が気に入っていて取り寄せている香草茶が注がれた。
それから俺はティーカップを手にとり口をつける。
「お召し上がりください。」
俺が勧めると、ジョセフは礼を言ってから教科書に書いてあるかのような見事な作法で、お茶を飲んでカップを置いた。
その振る舞いに俺は、ジョセフは貴族の出身だと確信する。
同時に、彼等についても興味が沸く。カーチスの振る舞いは、お世辞にも貴族らしいとは言えなかった。そんな彼の同門の兄弟子であり部下であるジョセフは、貴族として相応しい礼儀作法を身に着けている。
(この人とカーチスって、どういう関係なんだろうな。カーチスが部下なら、当然だと思うけど。)
そう思っているのは俺だけではないらしく、ミックやニールも、いつもよりは背筋を伸ばしてお茶を飲んでいる。口数も少ない。
いや、ミックは、サミーの目があるからだろうけど。
そうして少し緊張感のあるお茶を飲んでから、俺は話を切り出した。
「ジョセフさんに指導をいただけることは嬉しく思います。元はラドワン師の言いつけですから、異存はありません。」
俺がそう言うと、ニールが口を開く。
「待ってよギル。僕らは騎士になるんだよ。あんな戦い方を習うことはないよ。」
ニールの意見に、俺より早くミックが
「俺は、強くなれるならいいよ。あいつは嫌いだけど、きっと、教えてもらえば強くなれる。」
と反対した。ニールはミックに、「あんなのは騎士の戦い方じゃないよ。」と言い返したが、そこにジョセフが割って入る。
「私は、カーチスの戦い方を教えるつもりはありません。」
それが意外だったのか、ミックとニールはジョセフを見て黙ってしまった。俺は、なんとなくそうなると思っていたから驚かなかったが、それはそれで疑問もある。
「僕らはラドワン師から剣の教えを受けてきました。ジョセフさんは、何を教えてくださるのでしょうか。」
俺たちは師匠の言いつけでカーチスに習うことになり、カーチスがジョセフさんに役を投げたのだから、まずはジョセフさんが何を教えてくれるのかは確かめなくてはならない。
「剣であれ拳であれ、基礎となる身体の使い方は同じです。それを指導します。」
穏やかではあるが、芯を感じさせる低い声でジョセフが答える。俺はカーチスの戦い方に合気道や古武術に近いものを感じていたが、ジョセフが「拳」と答えたので、彼等が学んだ武術が徒手空拳を主にしているのだと推測した。
「それは素手での戦い方でしょうか。」
俺の質問に、ジョセフは首を横に振る。
「それは教えません。もっと基礎的な鍛錬の方法です。」
彼の答えに、ミックがつまらなそうに口を開く。
「よくわかんないからさ、早くやろうぜ。」
見れば、ニールも退屈そうにカップを弄んでいた。2人にはこういう会話は退屈なのも当然だ。貴族の作法では招いた側、つまり俺が座を閉じない限り席を立つことは無礼となるから、我慢して席についているのだろう。
そこで、俺は適当にジョセフと話をまとめてからカップを皿に伏せて、「良きひとときの巡り合わせに感謝いたします。」と定形の祈りを捧げる。
するとジョセフは、作法の通りに胸の前で両手を組み、
「良きひとときの席にお許しをいただき感謝申し上げます。」
と応え、それから皆で稽古場にしている中庭に、適当な距離を置いて広がった。
「始めさせていただいてよろしいでしょうか?」
ジョセフの問いかけに俺が頷くと、彼は真っ直ぐに立った姿勢で両手を胸の前に運び、右拳を左掌で包んでから一礼し、
「これより、本日の行を始める。」
腹の底に響く低い声で、告げた。