煌剣折り
「そう落ち込むな。お主らは洗礼前だ。あれだけやれただけでも大したものよ。」
3人で額を突き合わせて座り込んでいる俺たちに師匠が声をかけた。
カーチスは、勝負を終えると
「こんな茶番に付き合わされたんだ。今夜はたっぷり飲ませてもらうぞ。」
と師匠に言い昼飯だと村へ行ってしまったので、中庭にいるのは俺たちと師匠だけだ。
「カーチスは、あれでも一人前の律奏騎兵よ。多少使えるようになったところで、子供が敵う相手ではない。」
それでも俺たちは黙り込んでいた。
この2ヶ月打ち込んだ稽古で強くなったから大人相手でもやれると思っていたところを叩き伏せられたのだ。
俺だってふてくされているくらいだから、ミックやニールは尚更だろう。
「やれやれ。カーチスには愚痴られそうだが、一つ聞かせてやる。」
動かない俺たちに根負けしたのだろうか。師匠が話し始めた。
「カーチスはな。弓使いでありながらシディンの騎兵学科を第五席で卒業した奴よ。正規の騎兵でも騎士でも、あいつを負かせる奴はあまりおらん。」
「第五席って上から5番目ですか?」
ミックが不満げな表情で尋ねると、師匠は横に首を振りながら
「その通りだが、あやつ、『首席になると式典に立たされて面倒だ。』と言って、卒業評価試合の決勝で反則をやらかしてな。」
ミックとニールが呆気にとられている隣で、俺は(なんで騎兵になったんだよ)と呆れていたが、師匠が続けた話しは、さらに俺を呆れさせた。
「卒業評価は、律奏騎兵での一対一の模擬戦よ。威力は制限されるが本物の武器と法術を使って戦う。戦う場所も狭いが、あやつは弓を使っておった。」
つまり、矢避けの法術を使える状態の一騎打ち。弓矢を使うには不利な状況なのに、カーチスは優勢に勝負を進め、そして勝てたはずの勝負を投げた。
ただ単に、面倒だから。
「それだけの腕がありながらの振る舞い。面白かろう?だから弟子として認めたのだ。」
言い終えた師匠は快活に笑うが、俺たちは言葉もなくそれを見上げるだけだった。
その様子すら面白がっていた師匠に、しばらくしてニールが問いかける。
「あの、反則って、何をしたんですか?」
待ってましたと言わんばかりに師匠が破顔した。
「それよ。あやつが何をして負けたか。それが面白いのよ。」
嫌な予感がする。
「あやつはな、試合相手の両手両足を射止めてから、顔面に蹴りを喰らわしたのさ。流石にあれは呆れたわ。」
そういう師匠は心底愉快そうに笑う。だけど俺たちは
「うわぁ」「なにそれ」「ひでぇ」
呆れと軽蔑と驚きが混ざったまま顔を見合わせていた。
律奏機に対しての顔面攻撃は、俺たちでも知っているくらいの禁じ手だ。実戦でも非道な振る舞いとされる。
それを、相手を動けなくしてからやったなんて、酷さ2倍だ。
師匠の話しは続く。
「シディンの軍務学校では、首席から第四席まで卒業式で勲章を与えられる。上から煌剣・金剣・銀剣・銅剣と呼ばれておるが、あやつに負けて首席になったやつも、面を蹴り割られて煌剣の授与は絶対に嫌だと拒否してな。その年の煌剣勲章は無し。だから、あやつは『煌剣折り』などと呼ばれておるのよ。」
「じゃあ、あの人は強いんですね。」
「おぉ、そうだ。話が逸れたが、つまりはそういうことよ。お主らが負けても当然なのだ。気にするな。」
師匠としては、慰めのつもりなのだろうが、俺たちの表情は晴れなかった。
「しかもな、その騒ぎでどこもやつを雇おうとはしなくなってな。結局わしに泣きついて来おった。」
あのときの顔は見ものであったと笑う師匠。
笑うところかなと思いながらも、俺たちは神妙な表情でお互いに見合っていた。
ミックとニールから読み取れるのは「ちかよりたくない。」という気持ちだったし、それは俺も同感だ。
だが、
「あやつにはそれだけの強さがあるのだから文句は無かろう。明日からはカーチスがお主らを教える。わしだと思って習え。」
師匠が、仕方がないとばかりに言った。
「うそだろ?あんな奴と稽古なんて嫌だ!」
ミックが叫んだ。
師匠への言葉遣いも吹き飛ぶくらいに嫌なのは全員同じで、俺たちは不満をぶつけるが、師匠は気にせず
「わしは明日から、ローランドに頼まれた洗礼式の準備で忙しい。時々は見てやるから怠けるな。」
と切って捨てる。
俺はもちろん、ミックやニールも父の名を出されたら文句は言えない。
師匠の命令を受け入れるしかなかった。
一月後の洗礼式まで、あのいい加減な男に習うのだと気が重くなった俺たちは、師匠が「午後の稽古に間に合わなくなるぞ。」と声をかけてきたので、重い足取りで弁当を置いてある木陰へと向かった。
スクトゥムにはいくつかの宿や酒場がある。
国境の間際にあるこの村は、危険な道ではあっても隣国との交通路の一つであり、それも含めた諸事情から村としては破格の経済規模を有する。
実際に定住人口は町と呼ぶに差し支えなく、一年の間に行商などで行き交う人々も村の人口をはるかに超える。
そんな村の広場から2軒ほど離れた道沿いに、真眼の酒亭という酒場がある。
この村で最も歴史ある酒場と言われており、それに見合う年月を感じさせる看板の下半分には「酒は真の叡智。一切を見通す眼を授ける。」と刻まれている。
店内は意外にも明るく、広めに置かれたテーブルや分厚い板のカウンターなど、古びた感じはあっても程よい上品さがあって、居心地もよい。
一角には衝立で区切られたテーブル席があるところも、村の酒場とは思えない作りだ。
そのテーブル席では現在、ラドワンとカーチスが酒を酌み交わしている。
注がれた酒を干したラドワンをカーチスが明るい声で
「お~、良い呑みっぷりじゃねぇか。とてもジジイとは思えねぇ。」
と、賞賛した。
「ワシの金なのだから、呑むのは当然よ。」
とラドワンが口を尖らせてボトルを差し出すが、カーチスはグラスを引いてから、カウンターを見やってニヤリと笑う。
「そのワインも美味いが、俺としてはあの棚にあるやつがありがたいねぇ。なぁ師匠様。」
カーチスの要求にラドワンの眉がピクリと跳ね、険しい視線を向ける。だが、
「だいたい、今日のあれは仕事にならんぜ。何か理由があるんだろう?」
とカーチスが左右の指を剣に模して交差させながら続けた言葉に、真顔に戻る。
そして、ラドワンは給仕の女性を呼びキープしていたボトルを頼む。それが届くまで口を結んで考え込んでいたが、ボトルを受け取ると、カーチスに差し出しながら問いかける。
「お主、あれを見てどう思った?」
グラス片手にウイスキーの香りを楽しみつつ、カーチスが答える。
「子供じゃないな。」
つまらなそうに口をへの字に曲げた表情は、カーチスが悩みながら話している証拠だ。
「まったくもって面倒なことよ。」
ため息混じりのラドワンに、カーチスがグラスから一口飲んでから、さらに一呼吸おいて話しかける。
「あんたが言っていた通り、成体になりかけだったよ。あとひと月ってところだろう。標準個体より1割ばかり大きかった。」
その報告で、ラドワンは表情を普段のように戻した。最初の話は酒でも飲まねばできない内容だが、誰の耳に聞こえるかわからない場で話すことではない。
だから、カーチスはもう一つの話題、これからの仕事に話を切り替えたのだ。
「予想より早いが、用意は進めておる。ローランドも、話を聞けばすぐに動く。お主にも働いてもらう。」
ラドワンの答えは明瞭だった。それを聞いてカーチスは軽い調子で
「わかった。もうアルクストゥルスは運んであるよ。で、俺は洗礼式まで遊んでいても良いんだろ?」
と返したが、ラドワンは口の端を歪めて笑うと
「そんな訳はなかろう。お主は兄弟子としてあやつらの指導をやれ。やらぬことは許さぬ。」
と命じた。
「はぁ?なんで俺が?あいつら絶対俺を嫌ってるぜ。だいたい、めんどくせぇよ。」
「黙れ。はじめはワシの手伝いをさせるつもりだったが、その酒までねだった欲を見て気が変わったのよ。お主が煌剣を蹴り折った理由はまだ話しておらんが、やらぬなら言う。」
反抗の声を叩き伏せるラドワンの脅しに、カーチスの顔がサッと青ざめた。
「汚ねぇ真似を…いや待て試合の話はしたってことか!?」
「したぞ。」
それがどうかしたのか?と言わんばかりにグラスを干すラドワン。
「テメェ。仕方ねぇ。やってやるが、俺の好きなようにやるぞ。文句は言うなよ。」
忌々しげに吐き捨て、ウイスキーを呑み干すカーチス。ラドワンが笑って応じると、給仕を呼んで片っ端から注文を告げる。
「ここはあんたの奢りだ。文句はねぇな。」
ボトルを奪って自分のグラスに注ぐカーチスが睨みつけても、ラドワンは笑いながら飲み食いを続けていた。
翌日
俺はミックとニールと一緒に、カーチスから習うのかと足取り重く稽古場である中庭へ向かった。
既にカーチスと見知らぬ背の高い男が待っていたので、不思議に思いながら挨拶する。
青い顔で頭を抱えたカーチスは飲み過ぎだと一目瞭然で、訝しげに見る俺たちに
「あのジジイからお前たちを指導しろと言われたからな。きっちりと鍛えてやる。のがこのジョセフだ。じゃあな。ちゃんとやれよ。」
と言うが早いか、瞬く間に立ち去ってしまった。
後には唖然とした俺たちと、呆れた様子の男性が取り残された。