宙弦での戦い
「宙賊?あれが?」
私は黒と白が離れた窓に戻って、弦界境線から浮かび上がってくるものに目を凝らした。
黒い船。ルンハオのような帆船じゃなくて、
(蒸気船。)
そうそう、そんな感じ。
思い出の呟きと共に浮かび上がった船の絵と近付いてくる空飛ぶ船を見比べる。ものすごく大雑把に見れば「黒船」という船と似ているけれど、ルンハオと同じく甲板の上は広く平らで、見張りのためのマストと艦橋以外には目立った突起はない。船体の側面にあるのは外輪じゃなくて大きな張り出し。それから後ろ側は鉄の装甲で覆われた頑丈な箱型で、横の張り出しと後ろには気水噴進機が備えられているのか、陽炎のような揺らめきを噴き出している。
こんな場所を飛んでいるのが普通の船のはずはない。間違いなく航宙艦。
それから、航宙艦の上を舞う影が3つ。
(複葉機?ジェット機?)
思い出の知識にもないけれど、それとよく似たものの絵は浮かんできた。
レシプロ機っていうの?プロペラで風を起こして空を飛ぶ飛行機?
だけど今空を飛んでいるのは、確かに2枚重ねの翼と3枚の尾翼があるけれど、プロペラっていうのはついていない。それに翼の形は斜めに後退した台形で、思い出の絵のような横に長いものじゃない。
それが飛んだ後ろの雲が流れる様子で、気水噴進機と同じように何かを噴き出していることは見て取れた。
多分あれは航空機。話には聞いていたけど、実物を見るのは初めて。
「あれはゼベルツァーン級強襲型航宙艦と宙域戦闘機シュラークメッサーだね。ルンハオは炉を起動させるまでまともに身動きができない。このままだと白兵戦になるな。」
突然後ろから声がして振り向くと、カークさんの胸板が目の前にあった。頭の上から、
「あぁ、ごめんね。」
と穏やかな声がして、すっと離れたカークさんは素早く戸棚を開くと荷物をまとめだす。
「あの、あれって宙賊なんですか?」
黒からも聞いたことがまだ現実に感じきれなくて尋ねると、カークさんは私たちを見て頷いた。
「そうだよ。これから奴らはルンハオに接舷して乗り込んでくるはずだから、狭い場所での肉弾戦になる。万が一を考えて貴重品はオレがカーゴに隠す。ティーエとリーヴァは…今の格好でいいよ。2人の装備もオレが隠すから、宙賊に見つかっても抵抗しちゃだめだよ。」
口早に指示をしながら荷物をまとめるカークさん。
「襲撃の時は奴らも気が立っているから、下手に動くと殺されるよ。ティーエもリーヴァも、できるだけ大人しくしているようにね。」
重ねて指示をしたカークさんが立ち上がって荷物を担ぐ。すると、ルンハオの船体が揺れて、轟音が窓の外を通り過ぎた。
窓ガラスに手を当てて音を追うと、近付いてくるものと同じような航空機が2つ、ルンハオを離れて飛んでいく。それは白い宙弦の上に緩やかな曲線を描きながら、こちらに向かってくる黒い航宙艦たちの方へと進路を取った。
「ルンハオも艦載機を出したか。あの動きなら煌糸顕現炉を起動させるまでの時間稼ぎかな。宙賊が怯んでくれれば儲けものってところだね。ああ、相手さんやる気だよ。ダメだな。」
カークさんが窓を覗き込んでからため息を吐いた。
言われてみると、相手の3機でルンハオの艦載機2機の上へ向かって上昇している。艦載機も負けじと上昇しているけれど、気のせいかな?相手よりも遅いみたい。
「ルンハオは艦載機も旧型だね。あれじゃただのご挨拶だ。宙賊にしてみれば航空機だって貴重な獲物だから撃墜はしないけど、護衛にもならないな。これは勝ち目無いね。」
絶望的な予想を井戸端会議みたいに話したカークさんは、腕時計で時間を確かめて、
「もう時間はないな。オレはカーゴに行くけど、貨物庫は襲撃されやすいから来ないでね。あの航宙艦の船底まで見えたら砲撃がくるから窓から離れること。あとはとにかく目立たないようにね。」
それだけ言い残すと、素早く部屋を出て行ってしまった。
リーヴァと一緒に部屋に残され、私は再び窓の外を眺める。
「ティーエ、隠れた方がいいんじゃない?目立たないようにって言われたわ。」
「今動くと邪魔になるし、あちこち動いた方が目立つと思う。」
不安げなリーヴァを落ち着かせようと、ふと目に入ったカップと水筒を手に取った。水を注いで、リーヴァに手渡す。
「まず、様子を見ようよ。カークさんが言っていたようになるなら、相手が乗り込んだ場所の遠くに隠れた方がいいんじゃないかな。」
私が自分のカップにも水を注ぐと、リーヴァが呆れた様子で溜息をついた。
「ティーエって、こういうところでは冷静ね。わかったわ。」
そうして椅子に腰かけ、2人で窓の外へと目を向けるとルンハオの船体が軋みながら揺れ、ゆっくりと動き始めた。
ルンハオから飛び出していった艦載機は2機とも相手に追いかけられて、少しずつ引き離されている。その隙に黒い航宙艦が速度を出せずにいるルンハオに近付いてきた。
「宙弦の上でこんな目に遭うなんて信じられないわ。どうしてルンハオが居る場所に現れたのかしら。」
リーヴァが硬い声で疑問を発した。
それは私にも不思議だったのだけど、不意に宙弦潜航の決まりごとが絵になって頭の中に浮かんできて、その答えに納得した私はリーヴァにも説明する。
「ほとんどの船って8潜航単位で潜るから、宙弦の上で点検をする場所ってだいたい同じになるでしょ。それを狙って何日も待っていたんだと思う。」
これは全圏域に共通するルールで、万が一の事故で宙弦潜航ができなくなった場合の救助のために、一回の潜航で潜る距離は決められている。誤差はあるから宙弦から浮上したときに同じ場所に居合わせるなんてことはないけれど、引き裂かれた宙弦の波を観測していれば、獲物がどの辺に現れたのかはわかるはず。
航宙艦の積荷には高価な品物や重要な情報が多いから、獲物は少なくても儲けになるのだろう。
「カークさん、ルンハオは勝てないって言っていたわね。そうしたら私たち、どうなるのかしら。」
不安そうな声は、リーヴァがホウシェンで経験してきたことを思えば当然だよね。私もあんな目に遭うのはもう懲り懲り。
「大丈夫、あの時だってなんとかなったでしょ。カークさんも白も黒も作戦考えてるはず。」
それでもカークさんの態度はいつも通りで不安を感じる必要はないって考えて、私は椅子に腰掛けたままカップの水をグイッと飲んだ。
なんとかなる。なんとかする。
そう覚悟を決めて、絡み合うように互いを追いかける航空機と、弦界境線から迫り上がってくる航宙艦を観察する。
ルンハオの艦載機2機は宙賊に追いやられているけれど、それほど大きく離れる様子はない。ルンハオの援護はできないくらいの適当な距離で、上空を取られてきりきり舞い。そして時々宙賊の航空機から光るものが発射されて、艦載機はそれを避けては高度を落とす。という動きを繰り返している。
「何を撃っているのかしら?偏向法術があるから、当たらないわよね。」
リーヴァが疑問を口に出す。私はルンハオに乗ってから銃の訓練をしている間にカークさんに聞いて、その答えを知っていた。
「航空機や航宙艦には偏向法術は使えないんだって。特に航空機は、機体の周りの空気の流れが偏向されると墜落しちゃうから、全然使えないの。」
「そうなの?航宙艦は大丈夫なのかしら?」
「航宙艦も、使える箇所は限られるみたい。気水噴進機とかは絶対にダメ。」
偏向法術は物体が動く方向を変えてしまう法術で、この世界で飛び道具が圧倒的な武器になり得ない最大の理由。物体の質量が小さくて速度が速いほど強力に作用する性質があって、それは航空機に対する空気の相対的な速さや気水噴進機の噴き出す猛烈な噴射にも働く。
そして、航空機は空気の流れと翼の形状から生まれる揚力で空を飛んでいるから、それが乱されれば一発で墜落してしまう。
航宙艦は法術で浮かび上がるから墜落はしないけれど、それでも飛行中は空気の影響を受けているし、気水噴進機の噴射の向きが勝手に変わればまともに飛ぶなんてできない。船体へと向けば船が壊れるかもしれない。
だから、陸地での戦闘では威力を発揮しにくい銃器や大砲なんだけど、空を飛ぶ兵器相手には十分に通用する。その反面法術は構術にかかる時間のわりに射程距離が短くて、空戦ではほとんど役に立たない。
「宙賊が近づいてきてる。もうすぐ船底まで見えそうだから、逃げる用意をしないと。」
黒い航宙艦の艦首、船なら水に沈んでいるはずのところに頑丈そうで角張った多分鉄で覆われた突起が見えて、私はリーヴァを促した。
(衝角。)
思い出がその突起の正体を教えてくれて、私は宙賊がこれから何をしてくるか想像できてしまった。艦の前面に偏向法術を張っても航宙艦の大きさと出力ならそれほど影響はない。そうやってルンハオの砲撃を防ぎながら接近して衝角をぶつけてくるつもりだ。ルンハオは煌糸顕現炉を止めていた分だけ宙賊よりも速度が出ていないから、多分逃げ切れない。
「急ごう。もう時間ないかも。」
一旦窓から離れると、私は部屋の中に残された荷物をまとめ始めた。リーヴァも一緒に、時々窓を見ながら持ち出すものをポーチに入れて身に着ける。それから額に着けているサークレットを隠すようにバンダナを巻いた。
「隠せているかしら?」
確かめてくるリーヴァに一回りしてもらって、バンダナがサークレットを隠しているのを確かめた。それから窓の外を見ると、黒い航宙艦はもう白い波の上まで完全に姿を現していた。
慌てて窓の内側に備えられた鉄の扉を閉じ、太い留め金をスライドさせて固定する。
以前、人売りの一団に捕らえられていた時に私たちは言いつけを破って戦いの様子を見に行ったことがある。そのせいでカークさんに迷惑をかけて、流れ弾が当たる状況に自分たちを置いていた。
同じ失敗は繰り返さないようにしないと。
「やっほー!楽しくなってきたね!」
隠れる場所を考えているところに陽気な声をかけられて、私たちは飛び上がってから頭上を見た。
「こっちこっち。まだこそこそしなくても平気だよ。」
フェリスが私たちを手招きする。
いま私たちがいるのは、ルンハオの通風路の中。
前々からフェリスが好奇心任せに探検していたらしくて、宙賊が現れたと知った彼女が私たちをかくれんぼに誘ってきたから、教えられたとおりに部屋を出て通路の天井から潜り込んだ。
それから、私たちはフェリスの案内でどこかに向かっている。
「待って、服が引っかかったわ。」
リーヴァが私の前で身をよじる。私は小柄だしフェリスは楽幼族で元から小さい体だからいいけれど、リーヴァは、えっと、
「リーヴァって私より大きいもんねー。色々とー。」
思わず口に出しちゃった。
通風路自体は大人の男の人が這ってギリギリ通れる幅で上には数本の金属管が走っている。
リーヴァがおしりを上げた拍子に金属管の繋ぎ目に引っかかったのは運が悪かっただけだってわかってる。でも、なんか悔しかったし。
「こんな時に何を言っているのよ。それよりティーエ、おしりのところ、取ってちょうだい。」
リーヴァが通風路の一方に体を寄せながらお願いしてきたから、私は彼女の足と壁の隙間に体を入れて手を伸ばす。
良く見てみるとリーヴァの服は管を補修するために上から被せられた金属板のところ、板を締めるためのボルトに引っかかっていた。おしりのポケットのボタン穴に。こんなことってある?
(マーフィーの法則。)
起こる可能性があることは必ず起こる…だからって今起きなくてもいいじゃない。
思い出の呟きに少しげんなりしてから、引っかかった服を外そうと力をかける。
「リーヴァ、少し体を戻して。上手く取れない。」
声をかけて動いてもらい指で引っ張って外す。
「やっと外れた。これでいいよ。」
「ありがとう。フェリス、待たせちゃってごめんなさい。」
「大丈夫だよ。ティーエに後ろになってもらってよかったね。」
声を掛け合ってから私たちは再び進みだした。進みだしてすぐに、
ズドン!
鈍く響く音がして、通路が震えた。
「艦砲が当たったね。でも大丈夫だと思うよ。」
楽しげに話すフェリスの言葉に、私は思わず身を震わせる。艦砲がどういうものなのか知らないんだけど、あんな大きな音がするなんて、当たったらただじゃ済まないでしょ。
「本当に大丈夫なの?」
「うん。多分ね。」
聞き返してみたけど説明はない。ただ、楽幼族であるフェリスの危険を察知する力は本当にすごい。あのカークさんが敵わないって言ってた。これは信じるしかないかな。
「それより早く早く。こっちだよ。」
私よりも小柄なフェリスはするすると狭い通風路を進んでいく。砲撃の音が何度か聞きながら分かれ道を右へ。左へ。梯子を上へ。それにつれて通風路を走る管の数も増えていく。
「ここからは静かにね。見つかったらお仕置きだよ。」
フェリスが注意をしてきたから、私は気を引き締めた。通風路の中に隠れている時点でまずいのは当たり前だよね。見つからないようにしないと。
息を潜めながら進んで辿り着いた先は、今までより太い通風路になっていた。一方に分かれ道が3つあって男の人たちの声が聞こえていたけれど、スドン、とものすごい音が響いて思わず耳を塞ぐ。
そんな私たちを笑いながらフェリスが突いて、分かれ道に案内してから突き当りの金網を覗き込む。
「宙賊どもめ、舐めやがって!当たったのはどこだ、被害報告!」
野太い怒声が耳に飛び込んできた。
いいのかな?と不安に駆られてリーヴァを顔を見合わせたけれど、フェリスが再び手招きしてきたから金網まで進んで覗き見た。
「艦長、左舷第3砲室、応答ありません。」
「くそったれ。救護班と大工班を回せ!海兵はいらん。あんなところからは乗り込んでこねぇ!甲板から動くなと念押ししておけ。」
(艦橋だ…。)
思い出が呆れたように呟いた。
呆れる気持ちは私もわかる。ルンハオの行動全部を決めるところでしょ。こんなところに入り込んでたってバレたら、絶対にヤバい。通風路だったら楽幼族がかくれんぼで済むかもしれないけど、ここは間違いなく懲罰もの。自分の状況がわかって思わず後退り。
「一度見てみたかったんだ。大丈夫、宙賊が来て混乱してるから、気付かれないよ。」
そんな私たちの近くに来てから、小声だけど自信満々にフェリス。いくつもの色を持つ大きな目が好奇心できらっきらに輝いている。まさかこの子…。
「だけどバレたら、2人も一緒にごめんなさいしてね。」
「共犯にするつもりだったの?」
連れてきた目的を朗らかに打ち明けた小悪魔は、絶句した私たちに楽しそうな笑顔を見せてから金網に戻った。




