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遭遇

 宙弦潜航は、ルンハオが白い光の波を掻き分けながら宙弦の上に浮上して終えた。

「ティーエ…ティーエ?」

 誰かが私の肩を揺すっている。誰か?ええと、違う。そう、リーヴァが。

 どうしてわからなかったんだろう?

 誰を?ええと、リーヴァを?ティーエを?それは誰?

 違う、私…ティーエ?

「ティーエ、大丈夫?顔が真っ青よ。」

「…大丈夫。」

 何もかもが曖昧になった意識の中で聞かれた言葉をそのまま返す。

「休ませた方がいい。いつか倒れた時と似てる。」

「困ったわねぇ。」

 女の子たちの声。

 すぐに体を押さえていたベルトが外されて、細い腕で力強く抱えあげられた。

「ベッドは用意しておいたよ。毛布を固定してあるから、外すのを忘れないようにね。」

「ありがとうございます。」

 大人の男の人の声にリーヴァがお礼を言って、そのまま私は運ばれる。彼女の額に白い光。

 その光にほっとした。そうしたら、あまりに大きすぎて感じることもできなかったものが感じられるようになって、身体がびくりと固くなる。

 それは恐怖。

 抱えられた温かさに解きほぐされた真っ暗で冷たい塊が私の心を塗り潰す。誰かの声が聞こえるけれど心も体もこわばってしまって返事すらできない。

 そしてすぐに目の前が真っ暗になった。


「おはよう、ティーエ。気分はどう?」

 目を覚ますと私が寝かされていたベッドにかかっていた重さが動いて、顔を上げたリーヴァが覗き込んできた。頬にシーツの跡。彼女がベッドに突っ伏して眠っていた証拠は、私が正体に気付いた頃には消えてしまった。

「おはよう、リーヴァ。もしかして、私また倒れたの?」

 以前にも私が急に意識を失ったことがあったし、その時も目を覚まして最初に見たのはリーヴァの、心配を押し隠した表情だった。だから今度もかな?と思って尋ねると、リーヴァは困った顔で頷いた。

「3日間眠っていたわ。目が覚めてよかった。」

 そっと額を撫でられて、冷たくやわらかな掌の感触に目を閉じる。

「ずっと怖い夢を見ていた気がする。」

 その夢の中で藻掻き続けて、ようやく浮かび上がった。そんな気持ちで呟いた。身体中が重くてだるいし、変な冷たさも感じる。

「そうなの…ずっと熱と汗がすごかったわ。着替えた方がいいかもしれないわね。起きられる?」

 気遣いながら尋ねられて、やっとじっとりとした冷たさの原因を理解できた。

「うん、大丈夫…じゃないみたい。リーヴァ、手を貸して。」

 起きていられそうな感じはあったけど、体のだるさは起き上がるには重すぎた。

 リーヴァの手を借りて起き上がり、腰に枕を当ててもらうと座っていられたから、それからはリーヴァが服を脱がせて身体を拭く作業に身を任せる。

「リーヴァ…報告…。」

 冷たい声にリーヴァが驚いて振り向く。いつの間にか開かれた扉の隙間から顔を覗かせていたのは黒。声に見合う不機嫌そうな半眼に口を引き結んだ顔で、じっと私たちを見つめている。

 頭の上にある黒い耳が片方だけ見えていて、ひらりっと伏せられた。

(拗ねてる。)

 黒は私たちより年上だけど、意外なほどに感情的。いつもの淡々とした冷静な態度はそういうところを「私はお姉ちゃんだから」って隠しているうちに馴染んでしまったと、白から聞いたことがある。

「黒、心配かけちゃった。ごめんね。もう大丈夫。汗が気持ち悪かったから拭いてもらっていたの。」

 言い訳をしようと慌てるリーヴァより先に私が声をかけると、黒がむっとした表情のまま部屋に入ってくる。

「そう。だったらいい。」

「すぐに声をかけてって言われていたのに、ごめんなさい。」

 納得はしていない様子の黒。リーヴァに謝られて、大きな溜息を一つついて、それでようやく機嫌は収まったらしい。いつもの憮然とした表情で私に顔を寄せた。それからちょこんと額を合わせる。

「もういい。熱は治まっている。立って歩くのは…無理そうだから、今日は休むこと。暇なら話し相手をつける。フェリスと白とカーク、誰がいい?」

 私が腰の後ろの枕で体を支えているのを見て取ると、黒は淡々とした声でテキパキと指示をする。話し相手は嬉しいけれど、フェリスと白はあり得ない。絶対におもちゃにされる。

「座学を聞かせてほしいってお願いは、ダメ?」

 お願いをすると、黒は口をへの字にして不機嫌そうな顔をした。黒い耳がひらりと動く。

 私たちの座学担当は黒だ。名前に挙げなかったのは話し相手になる気がないわけじゃなくて、いつも私が座学を嫌がっているからだと思う。

 だけど黒が教えたがりなのは今までの付き合いでもわかってる。頭の上でひらひら動く猫の耳がその証拠。

「わかった。時間は空ける。リーヴァ、食事ができるようなら食べさせて。無理は禁物。」

 私の視線に気が付いた黒がふいっと顔を逸らして立ち上がり、リーヴァに指示をしてから部屋を出ていった。

「リーヴァも一緒に勉強しようね。あ、なんだかお腹すいた。」

「ええ。ご飯を用意するわね。」

 私が誘うとリーヴァはくすくすと笑ってから、二つ返事で賛成した。


 私の体調が崩れるからと言ったって宙弦潜航の予定が変わるはずもなく、ルンハオは数日の点検を挟んで宙弦に潜り、その度に私は倒れた。

 それでも少しずつ慣れて通算4回目、目的地までに予定していた回数の半分をこなしたところでようやく、宙弦の白い光の中から浮かび上がる景色を見終えることができた。

 潜っているのは本当に一瞬で、白い光が窓を埋め尽くしてしばらくしてから、パキン!と何かが割れる音と軽いショックがあって、次の瞬間には窓から光が引いていく。

 外に見える景色がどこか違っていて宙弦が描く紋様が変わっていて、確かに船が移動したのだと実感できた。

「やったー!」

 窓の景色を確かめてから私は嬉しさのあまり飛び跳ねて、椅子のベルトを外して窓に寄った途端に船が揺れ窓枠にごつん。

「潜航の直後は揺れが特に強いと教えたはず。」

 黒が呆れるけど、気にならない。

「いたたた。大丈夫、初めて浮かぶところまで見られたんだから。」

 頭をさすりながら改めて外を見ると、宙弦の白い光の濃淡が波打ちながら静まっていく。航宙艦がこじ開けた部分が閉じていく過程で起きる現象らしい。初めて見られた。嬉しい。

「もうこれで、潜るたびに気絶してるなんて言わせないもの。」

 部屋に振り返ってぬ胸を張ると、みんなはくすくすと笑いながら立ち上がって、行動を始めていた。

「ティーエが気を失わなくなって良かったわ。」

 私が倒れるたびに運んで看病をする羽目になってたリーヴァが優しげに微笑み、白と黒は軽い調子で手を振って部屋から出ていく。カークさんとフェリスはもう姿が見えなかったけれど、私が自分の荷物を固定から外したところでカークさんだけ顔を出した。

「一応寝床と飲み物は用意してあるから、2人は休んで様子を見てね。何かをし始めてから具合が悪くなるといけないからね。」

 そう言い残すと、すっといなくなってしまう。

 実はカークさんが一番忙しい。彼のカーゴにはみんなの荷物が積まれていて、他にも彼が使っていた合奏甲冑から外した「替えのない部品」も隠してある。

 そういう事情もあって、宙弦潜航でカーゴに異常がないかを調べるのはいつもカークさんの仕事だ。

 カークさんが用意してくれてた水筒とカップを棚から取り出し、リーヴァが注ぐ。ただ見ているわけにはいかないから、私はベットの毛布を固定しているベルトを外して、それからゴロンと横になった。

「元気そうね。」

「もう完璧。」

 脇の机にカップを置いたリーヴァが囁く。 

 実はあの恐怖がまだお腹の底に居座っていたけれど、すぐに起き上がってカップに手を伸ばす。

 意味のわからない怖さにいつまでも負けていられない。お腹の底に力を入れてえいっとベッドに座り直して、それからリーヴァがカップを用意するまでじっと待った。

「待たせちゃってごめんなさい。」

 リーヴァが謝りながら隣に座る。謝らなくてもいいのに。仕方ないなー。

「いいよ。それより早く座って。喉乾いちゃった。」

 ベッドの隣を叩くと、リーヴァがそこに腰掛ける。そして2人でこつんとカップを合わせた。

「また点検なんだよね。船が静かなのはいいけど、退屈。」

「それなら…って言っても無駄ね。もう、好きな事をしていたら?」

「待って待って。リーヴァ、見捨てないで。」

「だって、点検の間は船が揺れないのだから、できることがあるじゃない。船の仕事も。」

 リーヴァに素気なく言い返されて、私は肩をすくめてカップに口をつけた。

 宙弦潜航を終えたルンハオはこれから3日間、宙弦の上に浮かんで艦内の総点検をする。船員の人たちは次の宙弦潜航に耐えられるよう異常の有無を確かめて必要なら修理をする。それはこの船の動力源である煌糸顕現炉を止めてまで行う大掛かりなもので、その間は出力の小さい予備炉と継振筒に蓄えた煌糸力で船の動力を賄うから、気水噴進機で進む余裕は無くなってしまう。

 そこまで慎重に点検をする理由は簡単で、宙弦潜航での事故は、その多くが最悪の結果になるから。

 もし点検に不備があって潜航中に何かがあると、船は宙弦の中にある何かと触れて大きな損害を受け、予想と全く違う位置で宙弦から放り出される。

 その時点で重要な機関が壊れてしまうことがほとんどで、そうなったらもう生存の可能性はない。

 だって、一番近い島でも百万km以上の距離がある。運良く気水噴進機を使えたとしても、どれだけの時間がかかるかわからない。そして船に積まれた水と食料には限りがある。

 そういう事故の教訓が語り継がれているから、宙弦潜航前後の点検をしている船員さんたちは正真正銘の必死だ。ルンハオは冒険者ギルドの船だから、私たちまで雑用に駆り出される。

 その分船賃は格安なんだけど、慣れない仕事は結構きつい。

「今までは具合が悪いからカークさんたちがティーエの分まで仕事をしていたのよ。」

 仕事のことを考えていたところにリーヴァがダメ押しをしてきて、思わず窓の外に目を向けた。

『苦力はこんなことで挫けないって言ってなかった?』

 黒が言いそうなことが頭に浮かんで、

「今は休めって言われてるから休んでるの。明日からは働くもん。」

 後ろめたさとか不甲斐なさとか不満とか色々混ざった気持ちを吐き出して不貞腐れた気分で窓を見る。白い光の波の上に灰色の雲が広がっていた。それが気になって窓に近付く。

「リーヴァ、あの雲、こっちに近付いているみたい。」

 私が指さすと、リーヴァもやってくる。

「暗い雲ね。もしかして嵐になるのかしら?」

「そうかも。何か用意した方がいいかな。汽笛、鳴るよね?」

 宙弦は大空世界というとてもとても広い大空の中に浮かんでいる。空なのだから当然、雲もあれば嵐もある。船に乗ってから教えられた航宙艦での約束事を思い出しながら雲を観察していると、その手前の弦界境線の上で何かが動いた。

「あれは何?」

 ルンハオから左後ろの方向だ。私が指さすとリーヴァも一緒に目を凝らす。

 境線から少しずつ、柱のようなものが上がってくる。まるで船のマスト…ううん、本当にそうだ。

 それから、雲の灰色の中にも小さな影。

 カンカンカンカン!

 突然鐘の音が鳴り響き、1分もしないうちに白と黒が部屋に飛び込んできた。

「邪魔、どいて。」

 黒が私とリーヴァを窓から押し退ける。乱暴だけど、私は彼女の表情を見て文句を引っ込めた。

「宙賊がくる。ティーエ、リーヴァ、すぐに装備を整えて戦闘準備。」

 彼女らの表情は、人売りや野盗との戦いのときに見た顔と同じだった。


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