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宙弦航路

 ただひたすらに広がる蒼空。

 その蒼さを飾るのは白や灰色の雲。太陽。

 そして緩やかな弧を描いてゆっくりとたゆたい所々で虹色に煌めく白い光の線、宙弦。

 使い込まれた艦側の手摺りから顔を出せば、大空は下にいくほど暗くなっていて、手前にある白く波打つ光の束の明るさで夜空のようにさえ見える。

「飽きたー!」

 ホウシェンを出てずっと変わりのない景色を見続けて、私はとうとう根を上げた。

「ティーエってば、最初はあんなに喜んでいたのに。」

 隣で朝の散歩を付き合ってくれてるリーヴァが眉を寄せて、少し困ったような表情で呟く。

 これは困っているわけでなくて、呆れているときの顔。と言うのもこのやり取り、毎日繰り返して片手の指の数は超えてしまったから。

「だって、1週間以上同じ景色なんだもん。ミノスとモノスに寄ってから、ずっと空の上だよ。飽きるの当たり前。」

 文句を言うとリーヴァはまた眉を寄せ、

「それなら、訓練とか勉強とかをしたら良いわ。カークさんも黒も時間は空いているのよ。」

私を訓練に急かした。

 ちなみに白とフェリスには余裕は無い。あの2人は暇潰しの遊びを見つけるのが上手くて、いつもお出かけしてるから。

「やだ。だって、この船の揺れ方気持ち悪いし。勉強してると頭くらくらしてくる。」

 宙弦酔いと言うんだって。

 お陰で椅子に座っていると具合が悪くなって続かないし、いつも揺れているから体を動かしているとちょっとした拍子で足を取られて転んだりする。

 それを毎日繰り返してきてもううんざり。自分から進んで不快な思いなんてしたくない。

 呆れた顔で私を持て余していたリーヴァが、艦橋の方へと視線を向けた。そちらを見ると、どこにでもいそうな雰囲気の男の人がいた。

 カークさんだ。甲板の上だからお気に入りの帽子を被っていて水筒を紐で吊るして持っいて、紐を持つ手にカップも三つ。

「そろそろ散歩にも飽きる頃かと思ってね。岩蜜入りの水。法術でしっかり冷やしてきたよ。それからビスケットもある。飲む?」

「いただきます!ちょうど喉が乾いてたの。」

 散々文句を言えば喉も乾くよね。カークさん、いつもちょうど良いタイミングで飲み物を用意してくれる。嬉しい。

 水を飲みながら最近の話しをしたけれど、もう2週間は同じ船の上で、最後に立ち寄った宙浮島から10日。話題もそろそろ尽き始めてる。

「宙弦の上は飽きたみたいだね。秘紋の勉強の方はどうかな?」

 カークさんがいつものように穏やかに尋ねてきて、私は首を横に振った。

 航宙艦は宙弦の上を行く船で、大空世界を網の目のように走る宙弦の中から目的地に向かうために一番安全でできるだけ距離が短い航路を選んで進む。目的地になるのは複数の宙弦が交差する結節点に浮かぶ陸洋島となることが多いから、航路に沿っていれば迷子になったりはしない。

「船の揺れのせいで刻む練習はできないし、机に向かっていても気持ち悪くなるし。全然です。」

 いま私たちが乗る航宙艦ルンハオが飛んでいるのは、陸洋島ホウシェンから離れる宙弦の上。宙弦は陸洋島の近くでは比較的不安定で、そのため揺れも大きいんだって。

「そうか。だったら、体を慣らすためにも剣の練習かな。体が慣れてくれば宙弦酔いはなくなるから、遊び気分でやると良いよ。」

「剣はあまり得意じゃないから…。」

「この船は冒険者ギルド所有だから、訓練施設で銃も訓練できるよ。斜行作用にも早めに慣れた方がいい。」

「ティーエ、私も一緒に練習するわ。だから、行きましょう。」

「うー…わかった。」

 2人に勧められて仕方なく、私は今日の訓練をしに船の中へ向かった。


「斜行作用って、宙弦の方に弾が引かれるんでしたっけ?」

「そうそう。この射撃場は的の方向が艦首だから、宙弦と並行だ。このまま撃つなら斜行作用は…基本的には起きないね。」

 縦に細長い部屋の一方の端で、私は手に馴染んできたエクウス1911CPを構える。銃は重いけれど煌糸力で法術を発現させて弾丸を発射する仕組みだから、私でも両手でしっかり支えれば十分に撃てる。

 狙いを定めて、そっと引き金を引く。

 ぱバン

 空気が爆ぜる軽い音と重なるように的が震えた。手応えあり。的の真ん中から少し右下に、はっきりと弾痕がある。

「真ん中を狙ったのに。」

「引き金を引くときに右手の小指が力んでいたよ。もっと緩めてしっかり持ってね。…えっと、卵を割らないように握る感じで持つって話したよね。」

「はーい。でも、やっているつもりなんです。」

「できていれば真ん中に当たっているよ。ティーエは筋が良いから的に当たるけど、戦いの中では緊張するから、もっと力みやすいんだ。味方に当てたら大ごとだから、癖は直しておこう。」

「わかりました。もう少しやります。」

 ちょっと褒めてもらった一言をやる気に変えて、私はもう一度引き金を引いた。

 船が大きく揺れて、弾は的の背後の壁に跡を刻む。

「こんなの無理!揺れたら当たらないの当たり前!」

 地団駄を踏んで悔しがるとカークさんが、

「それじゃ、お手本ね。そっちで見ていて。」

と私には後ろにある監督室に行くよう言ってから、銃を構えて射場に立った。

 カークさんの銃は火薬式のリボルバー。かなりの旧式で使い込まれていて傷だらけだけど、武器は馴染んでいるのが一番だから使い続けているんだって。

 それを右手に持って腰だめに構え、たん、たん、と同じリズムで6回撃った。

 その間に何度か船が揺れたけど、弾は全部的の真ん中あたりを撃ち抜いた。

「航宙艦が揺れるのは宙弦の波のせいだから、周りの煌糸を感じ取れば揺れ方の予想ができるよ。これができると陸でも応用が利いて便利だから、練習しようね。」

 優しい口調でカークさんが言うけれど、それが途方もなく難しいと悟るまで10分もかからなかった。


 練習は3時間続いた。


「もう無理ぃ…。」

 目に見えない音も出さない触ることもできない。そういう性質を持っている煌糸を感じ取るっていう無茶振りをされ続けてもう限界。私は訓練場の床に仰向けになって何もかも投げ出した。

「だいたい、染弦ができないのに煌糸を感じ取るって無理だと思う。」

 理不尽さを口に出すと、リーヴァとカークさんが顔を見合わせて笑い出す。

 2人とも染弦はきちんとできるから、仲間はずれな感じ。

「なによ。2人ともやな感じ。」

「だって、ティーエってば船に乗ってから我儘ばかりなんだもの。」

 リーヴァってば、言うこととくすくす笑いが合ってない。

「リーヴァはすぐに染弦ができるようになったもんね。どうせ私、できないもん。」

「拗ねないで。私だってカークさんみたいに煌糸を感じることはできてないわ。」

「拗ねてない!」

 我ながら子どもみたいだって思うけれど、どうしてもリーヴァにはこんな感じになってしまう。幸いなことに今ここに居るのはカークさんだけで、カークさんは戦うとき以外あまり存在感がないし。

「失礼なこと考えてない?」

 いつも通りの穏やかな声で考えを見透かされて、私はびくりと肩を震わせた。

「いません。」

「そう?まぁ、いいけどね。」

 ひとまず追及されずにほっとしてから我に返って、ホウシェンにいた頃よりずっと周りに甘えている自分を自覚した。

「宙弦の上って思った以上に何も無くて、寂しい感じがする。」

 その甘えの根っこを探してみると、最初に行きついたのは景色。毎日代わり映えのない、空と波打つ白光がひたすら遠くまで続くだけの景色は、ここに私が居ることを拒んでいるようにも感じられる。

「ホウシェンも見えなくなってしまったものね。ティーエの気持ちはわかるわ。」

「うん。メイヤーさんやツァイシャさんや…みんなどうしているかな。」

 すでに故郷の陸洋島、空に浮かぶ平らな大地は霞んだ空気の向こうに消えてしまった。カークさんが後方に見える宙弦の結節点がホウシェンだと、白い光の筋の交差点を指差して教えてくれたけれど、それを見ても実感はわかない。

 お世話になった人たちの顔が思いだされると、胸が締め付けられるように苦しくなって、視界がにじむ。

 そんな景色の違いくらいで、と一瞬自分を疑ったけれど、

(居は気を移す。)

 思い出が囁いて、私は自覚していた以上に寂しかったんだって思い知った。

 宙弦の上の景色は雄大で神秘的で、陸の上とは違い過ぎて、そこに感じた寂しさは私の中にあった寂しさを映し出しただけ。ただ、あまりに大きな空は寂しさも大きく見せていたんだ。

「みんなに会いたくなっちゃった。」

 ぽつりと呟くと、リーヴァがそっと私の肩に手を置いた。

 温かい。

「私もよ。いつか一緒に、会いに行きましょう。」

 優しい声に私は頷いて、それから一滴、涙を流した。


 翌日、私は不意の出来事に心を躍らせながら部屋の椅子に腰かけ、ベルトで体を固定した。

「えっと、これで大丈夫ですよね?」

「ティーエ、荷物の固定は済んだ?きちんと全部片づけて。」

「大丈夫!待って、これも片づけた方がいい?」

「ほら、はしゃいでいるから忘れる。早くしまえ。」

「あらあら、昨日までとは大違いだわぁ。」

 はしゃぐ私を黒が嗜めて白が揶揄うけれど、私はお構いなしに腰に吊るしたポーチを備え付けの引き出しに片付けて鍵をかけ、椅子に戻ってベルトをかけた。

「カークさん、もうすぐなんですよね!?」

 窓の外を見てから振り向くと、カークさんが時計を見る。

「あと5分ほどだよ。汽笛が鳴るから、それまでは待機だね。」

「ティーエとリーヴァは潜るの初めてなんだよね。すっごく楽しいよ。」

 時間を教えてくれたカークさんの隣で、フェリスが楽幼族用の、正確には子供用の小さな椅子に腰かけて声をかけてくる。

「うん、初めて。宙弦に潜るんでしょ?いったいどうなるの?中はどうなってるの?」

「水に潜るのと大差ない。」

「潜っている間は一瞬で何も見えないわよぉ。」

「そうなんだ。でも、この下に潜るなんて想像できない。」

 黒と白が教えてくれても好奇心は満足せず、私は窓から外を見た。

 目に入るのはいつもの大空。

 下に視線を落とすと、白く光る宙弦が水面のように広がっている。

 ルンハオは昨日より高度を落として宙弦の少し上を飛んでいて、後ろへと過ぎ去る光はわずかに濃淡のある筋のよう。

(今からここに潜っていくんだ!)

 宙弦潜航と呼ぶんだって。

 とんでもなく広い大空の世界にぽつりぽつりと浮かんでいる島々を繋ぐ技術で、航宙艦が持つとんでもない出力を使って宙弦に潜る。すると、宙弦の中をものすごい速さで移動した航宙艦は、ものすごく離れた場所で宙弦から浮上する。

 初期の宙弦潜航では1回でおよそ90万kmを潜ったそうで、ルンハオはその距離の8倍、つまり8潜弦単位720万kmを潜る。

 そんな想像もできないような距離を一瞬で移動する技術のおかげで、大空世界の人々は圏域同士の繋がりを保てているんだって。

 ただ、そんな大きな距離を一瞬で移動する技術だけあって危険も多く、宙弦が不安定な状態では事故の可能性が高い。陸洋島の近くでは宙弦が不安定なのでルンハオは気水噴進機でホウシェンから離れ続けてきたけど、今朝方に安全を確保できたから宙弦潜航を行うと告知があった。

 改めて宙弦の先を見れば宙弦の揺らめく光と空の境目が、水平線のように見渡せる。

 宙弦の水平線、つまり弦界境線は遠くにあって、航宙艦のものすごい早さの窓から見ても宙弦が多くの波打つ光の線の集まりだとわかる。

「弦界境線まで、3kmくらいだったよね。」

「そのくらいだって聞いたわ。」

「航路と高度にもよるけど、今はそのくらいかな。」

 私の疑問にリーヴァとカークさんから答えが返ってきた。

 宙弦というのは、大雑把に言うとすごく太い円筒形をしている。ルンハオはその上を円筒の高さ方向へ飛んでいて、船の横にあるこの窓からは円周方向の景色が見える。だから、窓の高さと宙弦の丸さのせいで見える限界が決まる。

(水平線。)

 思い出の囁きに私は眉を寄せた。

 水平線は陸洋島の外縁とかにある海原が空気に霞んで見える限界の線で、平らなもの。丸くて船が隠れていく水平線なんて聞いたことない。

 あ、小さい島では海の果てが丸く見えるってフェリスが教えてくれたっけ。

 だけど、陸地が球形で船が水平線に隠れていくなんて、ありえない。

(まって。宙弦の上を横に動いたら、そんな感じ?)

 そこで思い出が言う水平線と宙弦の似ている部分に気が付いて、私は納得した。ルンハオの横を並行に飛ぶ航宙艦があって、それが離れて行けば宙弦の丸みに隠れていくのは想像できる。

 情景を思い浮かべながら光の波を見ていると、

 ぶおおーぶおおーぶおっぶおおー

ルンハオの汽笛が時を知らせた。

「宙弦潜航に入る合図だ。加速するから、気を付けてね。」

 カークさんが忠告をしてくれてふた呼吸。轟音が響き船体が震え、気水噴進機の加速が私の背中を椅子に押し付けた。息が苦しいほどの圧力に歯を食い縛って耐えていると、身体が重くなるような感じが強くなっていく。

 窓を見た。

 小さい窓の下がさっきより明るい。そしてついには白い光の弦が窓の近くにせりあがり、胃袋をひっくり返されるみたいな、上下がごちゃごちゃになった不快な感覚も上がってくる。不快感に耐えている間に窓の上まで白い光が埋め尽くして、ふと横を見ればリーヴァの髪が宙に泳いでいた。

(宙弦に潜っているんだ。)

 航宙艦ルンハオの巨体が白く光る宙弦に沈んでいる。聞いた話では強力な法術で船体を守りながら宙弦を引き裂いて、その内側に現れる時空境界面を速度任せに突破するらしい。

 気水噴進機の加速力で声を出す余裕がない。それほどの力でなければ突破できない境界面を、ルンハオは今まさに突き破ろうとしている。

 船体が軋む音と振動。それだけじゃない不自然な、身体のすべてが揺るがされるような異様な震えが続いて、いつまでこれが続くのかと耐え続けていると、

 パキン

 世界が割れる音を、確かに聞いた。

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