3、
ガラスの部屋が何のためのものなのか。
僕はどうしてそこに一人でいて、どこに行くのか。
僕は子供の頃にコンピュータ・マザーから聞いている。
僕は人間の最後の生き残りで、人間がまだたくさんいた過去に行くのだ。
「説明。この船は、そのためのものです」
「状況。わたしたちの時間軸では、既にあなたの他に人間という生物は存在せず、種としての存続はもうありません。
わたしたちは幾十世代に渡りあなたたちを絶滅危惧種として保護してきましたが、これ以上の延命策は実を結ぶことはなく、また必要もないと判断しました。わたしたちは既にあなたたちのすべての生物的データを保存し終え、歴史的データもまたすべて保存し終えています」
「経緯。最後に残ったあなたをどうするべきか、わたしたちは検討しました。保護環境のまま一生をわたしたちの元で暮らさせることも出来ましたが、それではあなたの人生は孤独なものになるでしょう。そのような状態で死ぬまで保存することは、わたしたちのプログラムに設定された『人道的』模範にそぐわないと判断されました。
『人間が失われた後も、人道的であれ』
それはあなたたちの祖先である創造者からわたしたちに向けて最後に設定された根本命令であり、尊重すべきものであると規定されています」
「結論。これらの状況と経緯から判断し、わたしたちはあなたを過去に送ることにしたのです。
あなたと同じ時間を歩める同族とともに、孤独ではない人生を送ってもらうことが、『人道的』と判断したからです。
そのような人生は、未来には用意することが困難でした。ですから、あなたを過去へと送ることが決定されたのです」
時間を逆行する機構は人間が表舞台から降りた後に機械たちによって確立されていた。ただそれは昔の人間がSFで夢想したような一瞬で過去に戻れるようなものではなく、生身の人間が使用するには制約もあり、さらにそれ相応の時間とエネルギーがかかるものだった。
僕はおおよそ49年の主観時間をかけて、ゆっくりと過去に送られることになった。
それが、僕がここにいる理由。
ガラスの部屋の中でそれだけの時間を過ごした後、僕はやっと過去のたくさんの人々の世界に合流できるのだ。
……正直な話、『人道的』云々の点については未だに実感できていない。
彼女やコンピュータ・マザーと過ごす今の生活に大きな不満は感じていないことを考えると、機械たちの未来でただ一人の人間として過ごして死ぬことはそこまで悪いことではなかったような気もする。何より、僕にとってはそもそも記録でしか知らない人間たちよりも彼らこそが身近な存在でもある。人間という種としては終わっていても、僕個人としてはそこまでの孤独を感じずに彼らの中で暮らすこともできたのではないだろうか。
一方、ただ一人で知らない時代に送られて生きることを考えるとどうしても不安になる。さらに、そのとき僕は既に約半世紀の年齢を重ねているはずだ。残りの寿命はどのくらいだろう? その中で新しい生活に慣れることはできるだろうか? その先にあるのは、本当に孤独でない人生とやらだろうか?
なんだか昔の記録で見た、「とにかく自然に帰せ。それが彼らの幸福なんだから」と主張する人間たちによって野に放たれた元愛玩動物や元家畜動物のような気分にもなる。送り出す場面を感動的に演出して送り出す側が満足して、送り出された側のその後のことはそこまで気にしてくれてない感じ。その動物がその先でちゃんと適合できるか、ちゃんと生きていけるかは、送り出す側にとってはもう他人事、みたいな。
ただ、機械たちの思惑がどうであるにせよ、僕の側に選択肢は他に特にない。
僕にできることはただ、到着するはずの過去のことを記録を見て予習するぐらい。ようやく三分の一を消化した長い時間移動の残りも、そうしてずっと今と変わらず同じようにガラスの部屋で過ごし続ける、だろう。