8 魂の底に
「決断のときだよ、おじさん」
メルが厳かに言った。
「何を……言って……?」
「おじさんだって、なんとなく気づいてるんじゃない? この世界は【浄化の白炎】が見せている幻覚。本物のあたしは、世界のどこにもいない」
メルの額から首筋、胸の間、脇腹……と、ひと筋の赤い血が伝っていった。
思い出す。
元の世界での、無残な彼女の死体を。
思い返す。
メルを失ったときの、悲しみと苦しみ、怒りと憎しみを。
「とっくに失われた存在だ、って」
寂しげに微笑むメル。
「ランク7スキル【浄化の白炎】──おじさんは『選別』のための試練を受けているの。帝国軍と戦って──何を感じたの? 何を思ったの? 何を願ったの?」
メルがたずねる。
「おじさんの戦う理由を──その根源を、教えて」
その背後に何かが浮かび上がった。
マントとフードを身に付けたシルエット。
フードの中身は骸骨で、右手に巨大な鎌を持っていた。
さながら、白い死神だ。
「おじさんの心の真実を。嘘偽りがあれば、『審判の鎌』がおじさんの精神を刈り取り、破壊する」
「メル……!」
「あたしは審判役なの。おじさんの心にもっとも強く残る存在──ゆえに、選ばれた」
その表情は、硬い。
「さあ、教えて。おじさんの戦う理由を。その根源を」
さっきと同じ台詞を繰り返すメル。
俺の、戦う理由か。
「……そんなものは決まっている」
俺は彼女を見つめた。
子どものころならともかく、年ごろの少女になってからは彼女の裸身など見たことがない。
初めて目にする裸体はゾクリとするような艶があった。
もちろん、欲情したりはしないが、一抹の気まずさとも罪悪感ともつかないものを覚えてしまう。
俺はわずかに視線をそらし、告げた。
「帝国兵を殺すためだ。お前たちの無念を晴らすためだ。戦争を、終わらせるためだ」
村を滅ぼされたときの、心の苦痛は、絶望は──今も俺の中で残り続ける。
それを晴らすためには、戦い続けるしかない。
いつか癒えることがあるのか、永遠に苦しみが続くのかは分からない。
だけど、俺は選んだ。
戦うことを。
殺すことを。
「戦争を終わらせる、とは? 帝国軍を皆殺しにでもするつもり」
「奴らが降伏しないかぎり、そうなるだろうな。俺は戦えば戦うほど強くなる。これからも成長を繰り返していけば、不可能じゃないはずだ。奴らを全滅させることも──」
「望むものは殲滅。それがおじさんの戦う理由?」
当たり前だ。
そう言おうとして、ハッと口をつぐんだ。
「なんだか、悲しいね……あの優しかったおじさんが、そんなふうに……」
メルが泣いている。
血の涙を流している。
「【最高神】により転生の権利を得たイレギュラーよ。汝の魂は【光】にあらず」
メルの頭上で『死神』の声が響いた。
「それは──【闇】である」
鎌が振り下ろされる。
「っ……!」
突然の攻撃に戸惑いつつも、体の方が半ば勝手に反応していた。
跳びすさって攻撃を避ける。
「がっ……!?」
吹き荒れた衝撃波が風の刃となって俺の体を切り裂いた。
「こいつ──」
俺は反撃の【ソニックフィスト】を放った。
が、俺の拳は『死神』の体をすり抜けてしまう。
「我は実体ではない。汝の魂を審判する役割を持った概念にすぎぬ」
告げる『死神』。
「さあ、汝の魂を見せよ。その奥底にある真実を。我はそれを裁く」
「俺を、裁くだと……」
「おじさん……」
メルが悲痛な表情を浮かべた。
「恨みとか怒りだけじゃない。おじさんの心の奥には、もっと別のものがあるんじゃない?」
「何……?」
「思い出してよ、おじさん。帝国と戦うって決めたときに、おじさんが感じた想いを。志した願いを」
「想いと、願い──」
「【闇】に捕らわれていたら──『死神』に殺されちゃうよ」
思い返す。
俺があのとき考えたことを。
感じたことを。
願ったことを。
誓ったことを。
メルや妹夫婦、村人たちを殺した帝国の奴らを皆殺しにする。
そんなドス黒い衝動だったはずだ。
「俺の中にあるのは……やっぱり【闇】ってやつじゃないのか」
自問する。
それから『死神』を見据えた。
来るなら来い、という気持ちで。
帝国の連中を殺して、殺して、殺しまくる──。
誰になんと言われようと、それは俺の中の真実だ。
その気持ちでずっと戦ってきた。
裁けるものなら、裁いてみるがいい。
俺の心は、変わらない──。
「本当に?」
メルがたずねた。
「本当に、そうなの? おじさんの心には、もっと」
「イレギュラーよ、汝はやはり【闇】だ。ゆえに、滅すべし」
メルの言葉を遮り、『死神』の鎌が再度振り下ろされる。
避けきれずに足を斬られた。
「ちいっ……」
激痛にうめきながら、俺はなおも立ち上がる。
「滅すべし」
さらに繰り出される鎌。
転がりながら避けるが、『死神』の攻撃は鋭い。
「ぐっ、うう……」
腕や足、胸や腹、と体のあちこちを切り裂かれていく。
「このままじゃ、本当に滅ぼされちゃうよ! おじさん、自分の本当の心に目覚めて! 自分の本当の心と向き合って!」
メルが叫んだ。
「お願い──」
「俺は……」
もう一度、思い返す。
俺と同じような目に遭う人が、これ以上増えないように。
俺と同じような目に遭う人が、いなくなるように。
帝国の連中を止める。
大切な人たちを失う悲しみを──増やしたくない。
「それは復讐じゃない。それは怒りや恨みじゃない」
メルが俺を見つめ、
「その気持ちは──使命感だよ。おじさんは、自分にしかできないことを背負って、戦っているんだよ……」
耳元で、ささやいた。
体中に電流で打たれたような衝撃が走る。
メルの一言が、俺の中の何かを解き放ったかのようだ。
「おじさんにしかできないこと。おじさんだからこそ、できること。それを忘れないで」
「メル、俺は……」
「もう気づいてるでしょ。本当は、あたしから言われなくても」
突然、メルの姿が薄れていく。
「イレギュラーよ、汝の魂の底に【光】を確認した。『選別』を終了する」
『死神』も同様に薄れ、消えていく。
「あたしはもういないけど、心はいつもおじさんの側に」
「待て、行くな。メル、もう少し!」
どんどん薄れていくメルに、俺は必死で手を伸ばした。
たとえ夢か幻の世界だとしても、せっかく再会できたのに。
もう少しだけでいい、顔を見せてくれ。
声を聞かせてくれ。
頼む、メル──。
だが……気がつけば、俺は元の場所に戻っていた。
メルは、どこにもいなかった。
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「愛弟子に~」「固定ダメージ」に続く3作目の3万超えになりました。読んでくださった方、ブクマや評価を下さった方、本当にありがとうございます~!