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GRAYHEATHIA*グラィエーシア  作者: 瀬川月菜
第15章
99/193

15−5

 スタッフの数は最低限に絞られたから、少々医学をかじったアマーリエにもできる仕事はたくさんあった。リリスの人々も、真夫人が働いていると知ると安心するらしい。挨拶をしたり、困っているようなら声をかけたり、子どもの相手をしたりと、あちらこちらへと動き回る。

 忙しいと、裏方では看護師たちが殺気立ってしまう。アマーリエが消毒しなければならない器具を集めて持ってきたところで、女性看護師の一人が目をきつく釣り上げて叫んだ。

「ちょっと! あそこの担当、誰!? 薬出てないんだけど!?」

「ああ、あの子でしょ? そういえば見ないわね。どこにいるのかしら」

 話題になるその人に、アマーリエも心当たりがあった。のんびりした気質の看護師で、効率や素早さを要求されるこの現場の雰囲気に馴染めていない、と見ていてすぐにわかる人だったからだ。

 きっときつく注意されるだろう。そう思ったアマーリエは、作業を終えると、外を見回りながら、その看護師の姿がないか探してみた。

 そんなアマーリエに真っ先に気付くのは、常に行動をともにしているユメだ。

「何か気になるものがございましたか?」

「ああ、違うの。ちょっと人探し。もし見かけたら声をかけようと思っていて」

 ユメが名前を知っているのかはわからなかったので、髪の色や体型を伝えると、心当たりがあったらしい彼女は「ああ」と頷いた。

「その方なら、奥の天幕に荷物を運び入れていました。台車を押していらしたのですが、この通りの地面なので、ひどく苦労なさっていたので覚えております」

 手を貸したかったが、アマーリエの側を離れることはできないし、医療関係者でない自分が無闇に手を出すのもどうかと思ったという。ユメの語る看護師が、汗をかきながら時間をかけて荷物を運んでいる姿が容易に想像できた。もしかしたら、まだそこにいるのかもしれない。

「様子を見にいってみようと思うの。どの天幕が教えてくれる?」

 ユメが連れていってくれたのは、テントが数多く立ち並ぶ場所から少し離れた備品や備蓄を収納している場所だった。リリス族らしく高い視力を持つユメは、アマーリエの側にいながらも看護師がこちらに向かっているのを見たのだそうだ。

 関係者以外立ち入り禁止となっていて、必要な物品を出し入れするとき以外はひっそりとしているので、ここにいるだけで悪いことをしているような気持ちになる。

 とにかく、誰かに何か言われる前に看護師を見つけようと、入口が開いているテントがないか、辺りを見回す。だがここでも、耳のいいユメが物音のするテントを見つけ出してくれた。

「失礼します……」と言いながら覗き込んで、アマーリエは目を点にした。

 物資が入っていたのだろう空箱が転がり、その中身は派手にぶちまけられている。包帯は土で汚れ、注射用の薬液が入っている大事なアンプルはケースから飛び出してばらばらになっているし、点滴袋は破れたものがあるらしく、濡れてしまった書類が散らばって、見るも無残な状況だ。

 それらを必死に片付けていた看護師は、立ち尽くすアマーリエに気付いて振り返ると、泣きそうな、恥じ入ったような微笑みを顔に貼り付けた。

「あ、え、えっと、す、すみません、荷物を持とうとしたら倒しちゃって……あ、当たりどころが悪かったみたい? で、積んであった箱にぶつかって、倒れてしまって……」

「大丈夫ですか? 手伝います」

 叱られるなり、厳しいことを言われると思ったのかもしれない。震える声でなんとか笑みを形作ろうとする彼女の側にしゃがみこんで、散らばってしまったものを品物ごとにまとめていると、涙をこらえて鼻をすする音が聞こえてきた。

 ユメにも手伝ってもらったおかげで、地面にあったものはすべて回収できたようだ。恐縮した看護師に何度もお礼を言われた。

「お礼を言われるほどのことじゃありません。それよりも、同僚の方々が探していたようなので、戻った方がいいかもしれません。薬が出ていなかったと聞いたので、何か準備をし忘れていたんじゃないでしょうか?」

 それを聞いて看護師は真っ青になった。

「わ、忘れてた……!」

 慌てた様子でテントを飛び出していく。残されたアマーリエはユメと顔を見合わせた。この荷物は、このままにしておくつもりだろうか。

「……とりあえず、どれがどんな状態か、記録して、誰かに伝えておくようにしようか」

「はい」

 苦笑するユメとともに、品物を改めていく。包帯や紙類などの消耗品は、どうやら破棄するしかなさそうだ。でもワクチンの入っているアンプルが無事でよかった。

 そう思ったとき、爪先に何か当たった。足を退けると、そのアンプルが一つ転がっている。危うく見落とすところだった。

(危ない危ない……一応、ラベルを確認、)

 確認して、と思ったところで、アマーリエは首を傾げた。その印字が何を意味するのか、すぐにはわからなかったからだ。

 ラベルには「Saline」とある。見覚えのある単語だが、普段の生活で口にするような西洋古語ではないように思う。なのに身近なものだったように感じられて、まじまじとそれを見る。

 そうして、その気付きはとんでもない衝撃となってアマーリエを揺さぶった。

 スライドを切り替えるようにして浮かぶ、いくつもの景色――大学の大教室、うたたねをする生徒たちの背中、蛍光灯の不自然な白さに、蛍光マーカーを引いた教科書と、ページ下方の区切り線の下に記された、専門用語の注釈は。

「真様? 真様、いかがなさいました?」

 気付いたユメに肩を掴まれるが、アマーリエはそれを振り解くと、「Vakzin」と記載されている箱に飛びついた。厳重な封印やテープを無造作に剥ぎ取り、ケースからアンプルを掴み取る。

 小さな容器に貼り付けられたラベルの「Saline」の文字。溢れてくるのは「Saline」「Saline」「Saline」「Saline」ばかりで。

 それらは、アマーリエを絶望へと突き落とすものだった。

「あ……」

 声が出ない。

「あ、あ……」

 恐怖のあまり何も言えなくなる。目眩と吐き気がひどくて立っていられない。膝をつき、それでも姿勢を保っていられず、手をつく。指まで真っ白になっているのが見えた。きぃいん、と耳鳴りがする。

(立ち止まっては)

 何度も繰り返した言葉が、いまもまた、アマーリエの疑心を押さえつけようと浮かび上がってきた。けれど、警鐘のごとく打ち鳴らされるのは、アマーリエがその可能性を心のどこかで考えていたからだ。

 もしそれが正しく「Saline」であるなら。

 ――リリスたちに投与しているのは、ワクチンではない。

(立ち止まってはいけない)

 アマーリエはぐっと歯を食いしばり、心の声を押さえ込んだ。血色を失って白くなった手を固く握り、大きく息を吐いて前を見る。

 立ち止まるな。止まったら最後――進めなくなってしまうから。

 身体を支えてくれていたユメは、アマーリエの眼差しを受けて息を飲んだ。けれどアマーリエは、自分がどんな顔をしているのか、よくわかっていなかった。

「――何も言わずに手を貸して。わけは後で話すから。お願い」

 ユメは唇を結んで頷いた。

「御意。わたくしは真様の剣であり盾にございますれば」

 白々とした刃のような返答を受けて、アマーリエはこれからしようとしていることのために、人を差し向けることや、人員を配置することなどをユメに指示していった。王宮にいるアイにも伝言を差し向け、協力してくれるその人に話をつけて根回しするよう頼んでおくことも必要だ。

「私は一度王宮に戻って報告を待つ。証拠を押さえたら知らせて。すぐに動くから」

「承りました」

 アマーリエは気分が悪くなったという言い訳を用いて、王宮にある自室に戻った。伝言を受け取ったアイが手を回してくれ、協力者に面会を取り付けてくれた。そうして呼びつけられたカリヤは、嫌そうな顔を隠さずにやってきて、アマーリエからワクチンが偽物である可能性を聞き、心底軽蔑しきった様子で吐き捨てた。

「こうなるんじゃないかと思っていましたが、本当に、油断も隙もない」

「面目ありません。見抜けなかった私の落ち度です。……そういう状況で、厚かましいお願いであることは承知の上ですが、お願いがあります」

 淡々と謝罪し、次の行動を告げるアマーリエに、カリヤはどこか興味を惹かれた様子だった。そして聞かされた内容にこめかみを押さえ、ため息をついた。

「……確かに、私が動くのが最良でしょう。かしこまりました、引き受けます」

 カリヤに引き受けてもらった直後、ユメから知らせが来た。

 それは、ヒト族のテントに出入りしているリリス族の医官複数人と、ワクチンを保管している保管用テントをその視力でもって遠方で見張っていた護衛官たちの証言をまとめたものだった。

「申し上げます。――『対象の物品の使用を確認』」

 アマーリエは瞑目した。無意識に唇を噛み締めていたと、痛みを覚えてから気付く。

 呼びたい。その名前を口にしたい。何故なら、それはいつだってアマーリエに救いをもたらすものだったから。

「『証拠物を入手し、医官に送致いたしました。次のご命令を』とのことです」

 けれどアマーリエが目を開いて告げたのは、その名前ではなかった。

「では、命じます。――武官を招集後、医療用天幕を包囲してください。誰一人、逃がすことのないよう」

 あなたの名前を呼べない。

 けれど心を殺せば、こんなにも簡単に同胞を裏切ることができる。裏切ったのはあちらの方が先だと、己を正当化できる。

 けれど一欠片の良心の声にアマーリエは従った。

 終わらせるのは、この手でなければならないのだ。

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