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GRAYHEATHIA*グラィエーシア  作者: 瀬川月菜
第11章
71/193

11−5

 慣れぬ土地での過ごし方にも慣れてきた頃、キヨツグはふといつもと様子が違うことに気が付いた。何やら落ち着かないと思い、周囲を見回してようやく、常に側にいる者の姿がないことを知る。

(オウギがいない)

 ここまではっきりと不在を感じるのは珍しい。都市に来て、キヨツグが油断なく周囲を探るために感覚を研ぎ澄ませていたとしても、不在を感じ取らせないのがオウギの能力だった。ゆえに、誰かに行方を問うても答えを知る者はいないだろう。

 気にはなったが、これからコレット市長との会食が控えていたため、準備に専念することにした。といっても、担当の者が選んだスーツに袖を通し、身だしなみを整え、話すべき事柄を確認するだけだ。

 男性的な魅力を溢れさせるジョージ・フィル・コレット市長は、常に自信に満ち、落ち着いた話ぶりに愛嬌と親しみやすさで評判を取っている。支持率が高いのはそのせいだ。任期も長い。一方、長寿種族ではあるが外見と年齢がさほど乖離していないキヨツグは、彼から見ればまだまだ雛だろう。

 舐められるわけにはいかない、と思うのは、政治家としてもそうだが、彼がアマーリエの実父、キヨツグにとって義父に当たるからだ。

 定刻になり、指定された店に出向くと、すでにジョージは待っていた。

「やあ、族長殿」

「お待たせしましたか」

「いいえ、いま来たところです」

 貸切した店の中を歩いているのは、都市とリリスの関係者、そして店の従業員だけだ。外には報道機関の人間が何名か張り込んでいるようだが、踏み込んでくることはない。あくまで私的な会食という名目だった。

 だが席について早々、侍従が素早く近寄ってきてキヨツグに耳打ちした。

「オウギ様がお呼びです」

 わざわざ人を使って呼び出すなど、らしくない。

 それだけに重要な事柄だと知れた。キヨツグはジョージに断って席を立ち、店の通路の目立たぬところで影のように立っているオウギに近付いた。

「何かあったのか」

 答えはなく、封筒を押し付けられた。読むように視線で促され、素早く開く。

 文言は短かった。

『奥さんに会いました。とてもいい子だね。

 愛しているよ。どうか幸せに』

(……これは)

 誰からのものなのか。何故オウギがこれを携えてきたのか。聞き捨てならない文言が記されていることを問いただそうとした瞬間に、オウギが口を開いた。

「――三時間後、命山から声明が発表される」

 虚を突かれて思わず言葉を飲み込んだ隙を突くように、彼は淡々と、驚くべきことを口にした。

「発言主は命山の主。声明の内容は、現族長の出自を明かした上で、その立場にある理由と正当性を訴えるものだ。また命山はその後ろ盾になることを宣言し、異議ある者は申し立てるようにとの文言が添えている。先んじてリリス、次いで都市に伝わるように手配された。先に耳に入れておく」

「……聞いていない」

 かろうじて言えたのはそれだけだったが、オウギには響かなかったようだ。表情はないながらも、だから先に耳に入れた、と言いたいのだろうが、そういう問題ではない。

 ここに至って目眩がしそうになる。拾い集められた情報をもとに、何故このような事態になったのかを推測した。

「……エリカが、命山に行ったのか」

 そうして命山の主に会い、このような行動に取らせるに至ったのだろう。どうやらアマーリエの行動力を甘く見ていたようだ。一度逃げられそうになったのだから、思い詰めた彼女の行き着く先をもう少し考えておくべきだった。

 だが後悔しても始まらない。三時間後には命山の声明が出る。

 もう一度手の中の書簡を見た。古風な単語を用いて記されたそれは、気安さを滲ませながらも、あえて短い内容にしたのだと感じ取れるものだった。何を書こうか吟味して、数多の言葉を飲み込んだ結果、これなのだ。

 ひたすら、困惑した。命山の主が実母であることは、それとなく養父母に聞かされていたが、互いに直接の関わりを避けてきた。向こうがそれを望むのなら、特に接触する必要はなかろうと納得していたのだ。それがいまになって、曖昧にしていた関係性を公表しようとは。

 命山の宣言によって、反族長派や血統を重んじる保守派は沈黙するだろう。その分、キヨツグには子孫を残さなければならないという重圧がかかる。そして次に揺らぐのはアマーリエの立場だ。

「その宣言は、エリカについて触れているのか」

「真夫人の求めに応じたと理由を明かし、二人の結婚を寿いでいる」

 キヨツグが最も危ぶむのは、血統を重んじるあまり、アマーリエを貶め、別の結婚相手をあてがおうとする動きだった。だがこの宣言がアマーリエの要請で行われたと言及されていて、命山の主がアマーリエを尊重するなら、彼女を排除しようとする輩は静かになる。

 立場が固められるのなら、それに越したことはない。いくつかの懸案事項はあるが、王宮に戻った後に処理できるはずだ。問題は、キヨツグが現在都市にいて、都市政側の人間がその布告を耳にする現場に居合わせるという状況だ。

 コレット市長はどう受け止めるだろう。ヒト族とは異なる種族としてのキヨツグを嫌悪するか。それとも政治的に受け止め、認めるか。接した時間が短すぎて推し量ることができない。

 だが命山の宣言を止めることは不可能だ。キヨツグは命山によって任命される族長であって、その動きを制止する権限は持たない。

 にわかにリリスたちが忙しく出入りし始めた。どうやら別に命山の使者がいたらしく、外交を担う者たちに知らせがあったらしい。ついにこちらを見つけて、興奮したような、青ざめたような強張った顔で、キヨツグが話を終えるのを待っている。

 それを見たオウギがするりと離れた。

「どこへ行く」

「仕事がある。しばらく外す」

 まるで姿を消していくようにして他の者とすれ違い、出て行く。

 キヨツグは追わなかった。常と変わらぬオウギの言動と、書簡を携えてきた彼は何を感じたのだろうと思いを馳せ、一瞬のうちに振り払うと、リリス族一行と合流すべく一歩を踏み出した。

 ――命山の主の信書を携え、その動きを伝えるお前は何者なのか、と問うても答えはないと知っていたからだった。



 その日、リリスの空に現れたのは巨大な影。

 長い首、巨大な皮膜の翼を持ち、白銀の鱗に覆われた生き物は、長寿種族のリリスにとっても初めて目の当たりにする存在だった。

 リリス族の始祖、宙の一族――竜、と呼び表されるそれは、まるで自らの姿を見せつけるようにリリスの空を飛び、特に王宮の上空に姿を表すと、高らかに鳴き声を迸らせた。

 まるでそれを見計らったように、命山の使者が竜の姿を背にしながら声明を読み上げる。

 真夫人アマーリエ・エリカの求めに応じ、長らく秘してきた族長キヨツグ・シェンの出自について公表する。異議ある者は命山にて申し立てよ。我が心を動かしたいとけなき花嫁と愛しき末子に祝福あれ。――そのような内容だった。

 驚愕を伴って命山の声明は広がっていき、キヨツグが族長であることはリリス族にとって正しく、長くなるであろうその治世を期待する声は、自然と高まっていった。宙の一族が姿を現したのはその正当性ゆえだ、という認識も当前のものとして受け入れられていった。


 雨雲が晴れたかと思うと小雨が降り始めた。水晶のような雫が世界を彩っていく。

 天気雨が降る空にこの世ならざる竜の姿を見たときの、感動と感謝を、そして遅れて届いた、祝福の言葉を、アマーリエは一生忘れないだろう。

 自分の行いが、キヨツグのためになったのかはわからない。けれど自分のどうしようもなさを超えていかなければならない覚悟を持つきっかけにはなった。

 キヨツグは、神と竜の血を引く異種族。

 対してアマーリエは、ただのヒト族。

 それでもどうか祈らせてほしい。いつか必ず隔たれようとも、少しでも長く――永く、あの人を愛していられますように、と。

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