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GRAYHEATHIA*グラィエーシア  作者: 瀬川月菜
第11章
70/193

11−4

 どこをどう戻っていいのか、帰り道に不安があることを見抜いたリリスは、アマーリエを導きながら話すともなく語った。

「私には他に子どもが二人いるんだ。二人とも何百年と前に別れたきりで、いまも生きているのかはわからない。それくらい昔の話だったから、この時代になって三人目を儲けるなんて思ってもみなかった。生まれてくる子どもがどうすれば幸せになるだろうと考えて、命山で閉じ込めて育てるべきじゃないと判断したんだよ。大勢の人間と接して、変わりゆく世界を見るべきだってね」

 途方もない時間を生きて、子どもたちも十分に育って自立し、子孫たちに血が脈々と受け継がれているのを見守っていたはずが、身ごもってしまった。それはどれほどの驚きだっただろう。思いがけぬ出来事だったにちがいない。

「私も地上に降りられればよかったんだけど、私と夫はこの島を支える要石みたいなもので、長期間命山を空けることはできない決まりになっているから、あの子を育てるために一緒に山を降りるわけにはいかなかった」

 島、という表現に興味を惹かれた。人はみんな、自分たちの生きる場所を小大陸と表現するけれど、この人はそれよりももっと小さな島という言葉を用いている。

 リリスの語りは続く。

「そのとき、かつて命山で暮らしていて、公子だったセツエイに請われて山を降りて結婚したライカが、あの子を引き取ると申し出てくれた。それが最良の選択だろうと思って、私の子であることは言わなくていい、二人の息子だということにしてほしいと頼んで、託したんだ。ライカはいまでも報告の手紙をくれるよ。それであなたのことも知った。とても可愛い娘がキヨツグの側にいるって聞いて、すごく嬉しかったし、会ってみたいなって思ってた」

 まさかこんな形で会うなんてね、と肩を竦めたとき、庭を突っ切っていた道が舗装されたものに変わり、建物が見える場所までやってきた。

 どうやらここでお別れのようだった。

「長々と勝手な話ばかりして、ごめん。聞いてくれてありがとう」

「いいえ。こちらこそ、聞かせてくださってありがとうございました。キヨツグ様には、リリス様にお会いしたことだけお話ししておきます」

「別に言わなくてもいいよ……って思ったけど、命山に行ったってことは知られるから、説明が難しくなっちゃうか。アマーリエの好きなようにしてくれて構わないよ。ああそれから」

 突然、リリスはくすくすと笑い始める。

「困ったことがあったら、夫を頼って。きっと助けてくれるから」

 アマーリエは目を瞬かせた。地上に降りているとは聞いたけれど、会ってわかるものなのだろうか。

 すると彼女は少し、悪い顔になった。

「年々人と関わりを持ちたがらなくなってる気難し屋なんだけど、悪いやつじゃないから。絶対あなたのことも気にしてると思う。だって彼の好みど真ん中なんだもん」

「……好み?」

「か弱くて可憐な存在に弱いんだよ。彼らって庇護欲が強い生き物なんだよね。リリス族の元々の性質だから、キヨツグもそういうとこあるんじゃない?」

 どうしよう。ちょっと心当たりがある。

 だがそれを彼女に言っていいものか、アマーリエが固まっていると、リリスは噴き出した。心底おかしそうに笑い声を立てて、浮かんだ涙を拭う。

「ごめんごめん、ちょっとからかった。ああでもおっかしい。べったべたに甘やかしたいけど自制してる感じ、目に浮かぶわー」

「は……う……」

 はいともいいえとも言えず呻くことしかできない。リリスの笑う声が、木漏れ日の中に溶けていく。

「あ、あの、旦那様のお名前は、なんていうんですか?」

 困った挙句にそう尋ねると、彼女はあっさり答えてくれた。

「セン。彼の本当の名前は(・・・・・・・・)センっていう。無愛想の極みって感じの奴だけど、もし顔を合わせることがあったらよろしくね」

 その笑顔でわかった。リリスは、自身のことを化け物だと表現していても、長く生きていることを後悔なんてしていない。苦しみも悲しみも受け止めた上で、喜びを見出している。たとえば、自分と一緒に生きていけるその人と共にあることを、自らの生に重ね合わせて幸福だと思っている。

 それは、生き続けるかぎり愛しているということ。それを続けることは、永遠に近いところにいるということ。

 始祖で、竜だという彼女の夫はいったいどんな男性なのだろう、とアマーリエは想像を巡らせ、なんとなく、笑わないし喋らない無愛想なキヨツグの姿を思い描いた。いつか会ってみたいと思った。

 ずっとこうやってなんでもない話をして笑っていたいと思わせるような、優しい時間が流れていたが、そうして言葉が途切れ、アマーリエとリリスはそのまま見つめ合った。

 なんだか、別れがたい。

 このままここにいれば、リリスは恐らくアマーリエを守ってくれる。安心させるために手を尽くしてくれるはずだ。まるで世界から切り離されたようなこの場所で、地上の出来事は何もかも遠くなる。

 けれど、リリス族の中にいて、その生き方を選びたいと思ったから。

 戻らなくては。帰ってくるキヨツグを迎えるために。

「……ご機嫌よう、リリス」

「うん。さよなら、アマーリエ」

 別れの言葉は短く、あっさりと交わされた。

 アマーリエが建物に入ってしばらく進み、ふと振り返ると、もうそこには誰もいなかった。彼女がまとっていた空気が風となって解けるようにして、眩い木々や花を揺らしているだけだった。

「いた、真殿! 迷子になられたのかと思ったぞ!」

「リオン殿」

 ずいぶん探してくれたらしい。息急き切って駆け付けてきた彼女は、武人らしく何者かの気配を感じたらしい。庭の方に鋭く目をやって、じっと目を凝らしている。

「……誰かいたのか?」

「さっきまで、リリス様が。ここまで送ってくださったんです」

 リオンは変な顔をして「姫が」と呟いた。

「何か、話を?」

「はい、たくさん。答えとなる道筋をくださいました」

 知りたいと思っていたキヨツグのこと。暴かれてしまった自身の醜さや恐れ。他にもとりとめない話をしたようにも思えたけれど、それらはいつか考えるための材料となる。アマーリエがこれからどのようにして生きていくかを選ぶためのものだ。

 いずれ来る別れのことを、思った。それならば。それならば、十分すぎるくらい愛していきたい。自分なりの方法で、精一杯、あの人を。

「あの方が何者かお聞きになったか?」

「はい。でも、全然怖くなかった。とても優しくて温かな、素敵な女性でした」

 女神と呼ばれていても、リリスは決して恐ろしい生き物などではなかった。アマーリエの知らない部分で常軌を逸しているのだろうけれど、彼女は自らをヒト族でありリリス族だと言った、その名乗りを信じよう。アマーリエが目指すものとして。

 リリスが消えた庭を見つめるアマーリエの横顔を、リオンは長い間見つめていた。

「……望みは果たされましたか?」

 アマーリエは頷いた。

「十分なものをいただきました。リオン殿、ここまで連れて来てくださって、本当にありがとうございました」

 リオンは肩を竦めて「それはよかった」と呟いた。

 到着したばかりだったが日が落ちる前に、と再び出発の準備がなされ、大仰にしたくないと言ったリオンの言葉を受けて、見送りには、頑として譲らなかったサオとそれに付き合わされたコウエイがやってきてくれた。

 馬たちは不思議と元気で、落花は疲れを見せるどころか様子を伺うアマーリエの顔に鼻面を押し付けて妙に甘えてくる。なんだろう、何かいい匂いでもするのだろうか。

「おい」

 そうやって落花を構っていると、横柄な声がした。コウエイだった。

 リリス族を体現したかのような高身長と身体つき、美しく整った険しい顔の持ち主であるコウエイに見下ろされると、さすがにちょっと怯んでしまう。

 なんでしょうかと口を開きかけたとき、太い腕がぬっと伸びたのでアマーリエはひゃっと身を竦めた。だがその手はアマーリエを掴むことなく、落花の背にある鞍に触れる。

「……鞍の位置が悪い! これでは馬に負担がかかるではないか。リリスに嫁いだのなら馬を大事にせい。馬を粗末に扱うと、それだけで格下に見られるのだぞ」

「は、はい! 申し訳ありません」

 手を貸そうとすると押しのけられた。鞍の位置を直しながら、コウエイはふと呟く。

「リリスに会ったそうだな」

 真面目な口調に、アマーリエも背筋を正した。

「はい」

「あの方は導きを必要とする者の前に姿を現される。お前があの方に会ったのならば、お前が命山にやってくることは必然だったのだろう。……時代は変わるものだ。異種族がリリスの聖地に足を踏み入れるとは」

 哀愁が滲む口調だった。コウエイが族長だった頃は、確か、リリス族とヒト族の交流はほとんどなかったはずだ。リリス族が開かれようとする直前で、ヒト族にとってリリス族は未知の種族であり、リリス族もまた異種族を知らなかった、そんな時代だ。なおさら感慨も深いのだろう。

 けれどアマーリエとしては、嫌悪されなかったことの方が安心した。聖地を荒らしたと罵られても当然だと思っていたが、ここでもリリスに救われたのだ。彼女には感謝してもしきれない。

「お騒がせして、誠に申し訳ありませんでした」

「謝罪するくらいならば誠意を見せろ。お前は我らの神を動かした。なればお前はそれにふさわしい真夫人でなければならん。女神が守護するに足る娘でなければ、地上の者たちは納得すまい」

 落花の身の回りを確認したコウエイは、満足げに大きく頷いた。

「終わったぞ。さっさと去ね。そして二度と助けを求めて命山などに来るな」

 早々と背を向けてしまうコウエイに、アマーリエは深く頭を下げた。態度は悪いが、族長という身分にあった人が説いたのは、アマーリエにとって必要な教えだった。

 女神が守護するに足る娘。ふさわしい真夫人になること。それがどういうものなのかは、アマーリエが見つけていくべきものだ。

「せっかく来てくれたのに、もう帰ってしまうなんて。残念だけれどまた来てちょうだいね。雲海を見ながらお茶をしましょう、アマーリエ」

「はい、是非」

 落花に跨り、再びリオンの先導で、今度は山を降りる。見送ってくれるコウエイとサオに、アマーリエは声を張り上げた。

「皆様、どうぞお元気で。リリス様にもよろしくお伝えください」

 けれど、彼女もどこかで見送ってくれている気がした。

 そうしてアマーリエは見通せない雲の中を抜け、そこを抜けた先に待つ人のことを思い浮かべながら、リオンの小隊と合流し、リリスの聖地を後にしたのだった。

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