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GRAYHEATHIA*グラィエーシア  作者: 瀬川月菜
第11章
67/193

11−1

 王宮から出てしばらく走っていると、リリスの国に広がる初夏を感じた。

 草原は緑を濃くして、太陽に負けぬよう分厚く鋭く、しなやかな葉を茂らせている。ところどころに位置する小さな林はこんもりと膨らみ、水田に放された鳥たちは泳ぎ回る一方、家畜が木陰でのんびりとうたた寝をしていた。

 人の姿はあまりなく、時折行商人らしき馬車を追い越したりすれ違ったりするだけだ。だからこの不可思議な一行は特に見咎められることなくその日の行程を終えたのだった。

 リオンの小隊が準備していた食料や水をもらい、アマーリエは一息ついた。着の身着のままで出てきてしまったのはよくなかったかもしれない、と思うのは、こうして周りに面倒を見られているからだ。だがあのとき準備をするから時間が欲しいなんて悠長なことを言っていたら、リオンはこうして同行してくれなかっただろうとも思う。

「落ち着いたようだな。馬旅は慣れていない様子だったが、それなりの手綱さばきで安心した。だが、そろそろ冷静になって、引き返したいと思い始めたのではないかな?」

 からかうようにリオンが言って、アマーリエは首を振る。

「……いいえ。軽率だったとは思うけれど、引き返すことはしません」

 リオンは小さく笑みを吐き出し、毛布を差し出す。

「身につけておきなさい。春の夜は冷える」

 受け取ったそれを身体に巻くと、冷たくなっていた身体が温まるのがわかってほっと息が漏れた。周囲を見回す余裕も出てくる。

 リオンの兵たちは夜営の準備をするために火をおこしたり、天幕を張ったり、馬の水や餌を与えている。手馴れた様子で、静かに言葉を交わしながら、みるみるうちに野営地を完成させていく。

「あなたに馬と剣を教えたのはユメ御前か?」

 アマーリエは軽く目を見張った。

「よくわかりましたね」

「打ち合ったときにな。こちらを見る彼女が指導者の顔をしていたので、剣を教えているのは御前で、となれば馬も教えているだろうと思った。あの人の指導は厳しいわけではないが、努力せねばならないと感じさせるな。時々教わったが、褒めるくせに『もう一度やってみましょう』の繰り返しで辟易した」

 思い出したのかくつくつと笑っている。なんとなく想像がついてアマーリエも笑みをこぼした。そう、確かにユメは、穏やかなのに有無を言わせないところがある。

「リオン殿は、どなたから剣を習ったんですか?」

 返すようにアマーリエは尋ねた。

「オウギからですよ。名を言って、顔がわかるかな」

 キヨツグの近くにいつも影のように控えているが、顔を思い出そうとすると朧げだ。常に気配を殺し、人目につかないように行動している素振りがある。

 頷くと、リオンはどこか複雑そうに唇を歪めた。

「戦う術を習いはしたが、あれもよくわからぬ人だ。長らくキヨツグの護衛官をやっているが、普段何をしているのか、どこで暮らしているのか、誰も知らない。そもそも口をほとんどきかんのだ。ただ剣は恐ろしく強い。剣だけでなく、戦闘に関しては他の追随を許さん腕前だ。いまのリリスで最強と謳われるヨウやユメを負かしたという噂がまことしやかに囁かれていたが、勝負を挑もうにも姿がないので、真偽は定かでないが、まあただものではなかろうな」

 誰の記憶にも残らないように行動し、気配を消しているのなら、よほどの達人なのだろう。ヨウやユメを上回るなんて想像もつかないけれど。

 そこでリオンは言葉を切り、周囲に聞こえないよう声を潜めた。

「名乗っている『タカサ』という家名も、オウギという人間がいるタカサ家は見つからなかった。何者なのかさっぱりわからない」

 アマーリエは驚き、不審に思って尋ねた。

「調べたんですか?」

「私ではなく、キヨツグがな」

 いささかむっとしたように言い返される。

「オウギに何やら疑問を抱いたらしいが、結局はうやむやに終わったようだ。それとも、真実を察してうやむやにしてしまったのか。そのどちらかだろう」

 すでに終わったこととして語っているが、アマーリエには不安しかない。正体不明の人物がキヨツグの近くにいるのを、許していいのだろうか。

「……オウギ殿って、どんな人なんですか?」

「見た目、ではなく人柄の話だな。有り体にいうと、無口、無表情、無愛想の権化といったところかな。護衛官の職務に忠実ではあるが、何を考えているかまったく読めん。稽古のとき私の調子がよくないことを見越して、根を詰めすぎる必要はないと言って早めに切り上げたり、王宮にいる馬や猫なんかがまとわりつくままにさせていたりと、情がないというわけではないようだが」

 聞いている限りでは危険人物というわけではなさそうだが、やはり心配だ。

 だがアマーリエはこうしてやきもきしていても、キヨツグ自身がオウギを側に置いても構わないと判断したのなら、言えることは何もなさそうだった。あまり覚えていないオウギのことを思い出してみても、さほど嫌な感じはしないから、いまは注意して見ておくくらいか。

 こうして話をしてみると、落ち着いた、けれど軽快な話ぶりをするリオンは、やはり気持ちのいい人物だと思った。これまで意地悪だったのは、アマーリエが頼りなさすぎたせいだ。突然こんな風に距離が縮まった理由はわからないけれど、以前と比べて地に足がついたのかもしれないと思うと、前に進めていると感じられて安心した。

「リオン殿は、周りのことをよく見ているんですね」

 彼女は唇を曲げただけだった。皮肉と受け取ったのかもしれない。

 その日は野営し、次の日の朝早くに出発した。

 遠くにうっすら雲のかかった峰が見えてきた。麓に張り付いた苔のような街の姿も捉えられるようになる。その場所が、リリスの聖地である命山なのだった。

 命山の街は、想像以上に人の姿があった。だが旅装か、白い袴姿の男女が多い。また馬で進む道なりに、石像や祠が並び、人々は一歩進むごとにそれらに向かって両手を合わせている。どうやらこの街は、そんな風にして信仰の対象が道を作っているらしい。

 どこか生活感が薄い街だった。線香や蝋燭の煙と、古びた旗や布がはためく道は、静かで冷たく、色がない。異界の風景とはこういうものなのかもしれない。

 リオンは街を抜けたところで小隊に待機を命じ、アマーリエだけに後に続くよう告げた。

 それは山を登る道だった。馬で登れるよう、荒削りだが道が均されている。だが街とは違って喧騒は遠く、しばらく進んでいくと人の気配はますます遠ざかっていった。やがて視界が白く煙る。恐らくは雲の中を突き進んでいるのだった。

 すうっと冷たいものが遠ざかっていく感覚の後、視界が晴れたそこに、巨大な門がそびえ立っていた。

 黒々とした瓦と、年月を経て黒く変色した木材が組み合わさった、神域らしく質素ではあるが威圧感のある門だ。固く閉ざされたそこに、リオンは声を張り上げた。

「シェン家の一の姫、リオン・シェンだ! 開門を願う!」

 すると門の屋根の下、見晴らすことができる窓辺に、門番が姿を現した。アマーリエは目を見張った。白い袴姿なのは聖職者だからだろう、なのに槍を手にしているのだ。

 だがここはリリスの最高機関。この先に住むのは、生き神に位置付けられるリリス族の人々であり、また本物の女神なのだ。その人々を守るために戦う人がいて当然だろう。

 音を立てて扉が開く。

 びゅうっと山からの風が吹いてアマーリエは身を竦ませた。震えが走り、急に怖くなった。リリスではない自分が、門の向こうに足を踏み入れていいものか。こちらを見下ろす門番たちは、もしかしたらアマーリエがヒト族と知って怒りを覚えているかもしれない。

「真殿」

 強い口調で呼ばれて息を飲むと、リオンが真剣な顔をしてこちらを見ている。

「行こう。ついて参られよ」

 アマーリエは息を吸って、背筋を伸ばした。

 小さくなる必要はない。私は真夫人。リリス族長の妻だ。

 落花の首を軽く撫でて、手綱を握りなおす。アマーリエの意思を受け取った落花が歩き始め、門をくぐり抜けてしばらくすると、それが閉じる音が聞こえてきたが、振り返らなかった。

 また雲がかかって、視界が閉ざされる。

 話し声を拒絶するかのような山の空気に、自身すら曖昧になる白い世界では、その道のりはひどく長く感じられた。このまま出てこられないのではないかと思うほど、周りが見えない、自分がどこにいるかわからない。

 このまま進んで大丈夫だろうか。道を外れていないだろうか。視界がきかなくてリオンの姿が見えない。頼りはアマーリエを乗せて進んでくれる落花だけだ。

「……落花」

 思わず名前を呼ぶと、落花は大きく頭を上下に振った。しっかりしなさい、と言われた気がして、アマーリエは胸を張る。

 迷いはすぐに落花に伝わる。たどり着くのだと信じていなければ、きっと道を外れてしまうだろう。

 キヨツグのことを知るためにここにきた。何度心を凍えさせられようとも、この願いと望みを抱いて進む。後悔なんてしたくないから。

 その思いが道を開く。

 目覚めるように雲が消えた。途端にごうごうと鳴る冷たい風に煽られ、息を詰める。それまでの風景が一変して、いつの間にかかなり高い山の上にいた。見下ろす遥かな地上は青く、白い雲が動いているのが見える。雲海だ。

 いつの間にこんな高いところまでやってきたのか。まるで瞬間移動したかのようだった。とてつもない高度のはずだが、不思議と息苦しくない。むしろ空気が澄んで清々しい。

 道はまだなだらかな坂となって続いていた。落花に揺られてそこを登りきると、また風景が変わる。

 先端を削り取ったかのように真っ平らな場所があり、その広々とした場所に朱塗りの建物が建っていた。何かに似ていると思ってすぐに気付いた。王宮だ。それも神殿の規模を大きくしたような建物なのだ。

 そうしてその建物から現れたのは、袴姿の男女だった。馬の口をとってリオンに声をかけている。

「よくぞ参られました、リオン姫」

「急な訪問を詫びる。こちらは今代の真夫人だ。すまないがコウエイ様とサオ様にお取り次ぎ願いたい」

 応じるリオンはどこかほっとしているように思えた。

 アマーリエもまた下馬して落花を預ける。こちらを見た命山の者たちは、アマーリエがヒト族だと知って目を見張った。問うようにリオンを見たが、彼女が頷いたのでその驚きを押し込め、深く一礼する。そうしてその中で最も年長と思しき男性が口を開いた。

「お噂はかねてより聞き及んでおります。ようこそ、命山へ。異種族の方がいらっしゃるのは、何百年ぶりかのことと思います」

「お、お出迎え、恐れ入ります。事前にお知らせもなく押しかけてしまい、誠に申し訳ございません、私は、」

 慌てて名乗ろうとしたそのときだった。

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