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GRAYHEATHIA*グラィエーシア  作者: 瀬川月菜
第10章
63/193

10−5

 電話が鳴っている。

 夜の闇に響く、家を振動させる機械音。無機質な呼び出し音は、空白を含んでいるくせにやけにはっきりしていて、聞いている者の不安を煽り立てる。

 電話が鳴っている。けれど誰も受話器を取らない。

 ベッドの中にいるアマーリエはぎゅっと目を閉じた。心臓が跳ねまわり、異様に喉が渇く。口の中がべたべたした。何か飲みたい。けれど、そのためにはここを出てリビングに行かなければならない。電話が鳴るあの場所に。

 けれどこのままでは眠れないと、アマーリエは恐怖を押し込めてそっとベッドを抜け出すと、自室の扉を開けた。

 途端に電話の音は吠えるような音量になった。

 首を竦めてその恐ろしさに耐えながら廊下を進み、突き当りから漏れている部屋の明かりに恐る恐るにじり寄って、伺うようにしてその扉を薄く開けた。

「……と言っているだろう……!」

「信じられないわ!」

 びくりと手が震えた。掴んでいた扉をとっさに話し、闇の中に逃げ込む。

 父の声は低く唸るようで、抑えきれない苛立ちで震えていた。

 母の声は厳しく断定的なくせに、悲しみに暮れて、必死で自身を支えているようだった。

 そのまま扉を閉めるか、反転してベッドに戻るべきだったのに、間に合わなかった。

「ならどうしてあの子にあんな名前をつけたの」

「アンナ」

「アマーリエだなんて……『聖母(A Marie)』なんて!」

 誰もが寝静まったような夜更けに顔を合わせた両親が、このような言い争いをするのは稀なことではなかった。明るいうちは穏やかな二人は、アマーリエの姿がなくなると途端に言い争いを始め、変貌する。

 深夜目が覚めてそこに居合わせるのは、今夜が初めてではないはずなのに、いつでも鞭打たれたかのような鋭い痛みを覚えた。じわりじわりと広がる痛みの熱に、一歩も動けなくなってしまう。

「私はあの子に祝福を与えたかっただけだよ、アンナ。そうしたいと思うのは親として当然のことじゃないか」

 穏やかな父の声は、亡くなった伯母の話をするときのものと同じだった。しかしそれは母の神経を逆撫ですることしかできない。

「ならどうしてあんな名前をつけたの、ジョージ。名前なんていくらでもあるわ。私だって候補を作っていたのよ。なのにあなたは勝手に届けを出した。私が絶対付けない名前をつけて!」

「アンナ」

「マリア! マリア、マリア! あなたは昔からずっとそう!」

 わななく母は頭を掻き毟る。

「ずっとあの人のことばかりで、私のことなんて見てもいない。愛してすらいない。でもアマーリエを愛するのはあの子を身代わりにしているからで、ぐっ!」

 ばしん! と打撃音がした。父が母を殴ったのだ。

 沈黙の中で電話が鳴り続けている。警鐘のようだ。

「あの子は、本当に、」

 電話が。

 音が、虚ろな声が、低く湾曲して。

 響いている。響いている。――聞きたくない。

「わたしのこなの?」



       *



 目が開かない。

 全身がだるい。身体が全部石になったかのようだ。

 それでもなんとか手をついて身体を起こすと、途端にぐわんと目眩がした。ものすごい勢いで胃が反転したように感じられ、口を押さえて込み上げる吐き気を堪える。

 無茶苦茶な頭痛に振り回されながら、自分の身に何が起こったのか思い出そうと試みる。

(…………そうだ、リオン殿とお酒を飲んで)

 その結果、酔い潰れた。恥ずかしさのあまり頭を抱え込みたいが、動くと頭痛が増すので額を押さえて呻くことしかできない。

 アマーリエがいるのはよく知っている寝室のベッドの上だったから、きっとあの場にいた女官たちによって運び込まれたのだろう。着ているものも寝間着に変えられていたから、相当面倒をかけてしまったようだ。

 隣室にあった水を一息に飲んで、少し眠気と酔いを払うと、廊下を渡って自室に移動した。談笑する声が聞こえて顔を覗かせると、アイたちとハナの姿がある。アマーリエに気付いた彼女たちは一斉に叩頭した。

「おはようございます」

「おはようございます…………あれ、いま何時……? もしかして授業の時間!? すみませんすぐ用意します!」

「真様、真様、落ち着いてください」

 ハナがいるのだから遅刻したのだと思ったのだが、どうどうと宥められる。

「いつもより一時間ほど多めに眠られただけです」

「そもそも本日は授業日ではございませんので、ご心配なさらず。私がいるのは、こちらをお渡しするためです」

 ハナが椀を差し出した。

「酔い覚ましです。どうぞ、お飲みください」

 どうやら二日酔いになることを見越されていたようだ。冷たいそれを受け取るアマーリエは小さくなるしかない。彼女たちには謝罪と感謝を述べて、酸味の強い酔い覚ましを飲み干した。

「シキが心配しておりました。自分が余計なことを言ったせいで、無茶な飲み方をしたのではないかと」

 リオンの好物であるお酒のことを教えてくれたのは彼だ。けれど普段飲まないし飲めないくせに、宴会を主催するなんて無謀なことをしたアマーリエが悪いのだ。

「ごめんなさいと、ありがとうを言っておいてください。……おかげで、少し話をすることができたって」

 リオンがキヨツグについてどう思っているのか、聞くことができた。踏み込んだ話はできなかったが、キヨツグのことを知りたいアマーリエにとっては十分な収穫だ。

 着替えをし、特別に消化のいい朝食を食べていると、アマーリエが具合を悪くしていると聞いたらしいユメが見舞いに来てくれた。お茶を飲んでゆっくりと過ごしているうちに、酔い覚ましが効いたのかずいぶんと楽になっていた。だがすでに王宮中に『真夫人、二日酔いになる』の報が回ってしまっていたことだろう。乾いた笑いが出てしまう。なんとも情けない。

「本日は休日といたしましょう。このところ忙しなくしておりましたもの」

 昨夜のことをよく覚えていない分、リオンともう少し話をしたかったし、可能ならライカから話を聞きたい。反族長派の行動を把握しておく必要もあったし、そもそも普段から課している乗馬と剣術の稽古を休んでしまうのはよくないのではないか。そんな風にして、やりたいこととやらなければならないことが浮かび、なかなか休むと決断できない。

 そもそも、休むことそのものが後ろめたいのだ。何もかも足りていない自覚があるから、のんびりすることに躊躇してしまう。

「真様、あの……」

 考え込んでいたアマーリエの元に、ひとりの若い女官が進み出た。まだ見た目通りの年齢の彼女が、よく年上の女官たちに指示されて仕事をしているのを知っていたのだが、アマーリエに自分から声をかけてくるのはとても珍しい。

「はい。どうかした?」

「あの……」

 そわそわと落ち着きない彼女が視線を巡らせると、同じ年頃の女官たちが小声で何かを言いながら腕を振り回しているのが目に入る。いったいどうしたのだろう。

「あの、あのぅ……」

「うん、ゆっくりでいいからね」

 控えているアイの眉がぴくぴくと動いているので、大丈夫だと微笑んでみせる。ようやく決心したように彼女は身を乗り出して、顔を真っ赤にして叫んだ。

「あのっ! 外に参りませんか!」

 アマーリエは目を瞬かせる。外、というのは散歩しようと言いたいのだろうか。

 だがこれに反応したのは年かさの別の女官だった。

「あなたたち、リオン様の兵が試合をしているところに真様をお連れしようとしているのでしょう。自分が見たいもののために真様を理由に使うのではありません。はしたない」

 ぴしゃりと言われ、彼女たちは小さくなった。

「……試合って?」

「ご説明します」とアイが請け負った。

 リオンの軍団は、将軍である彼女を筆頭に見目麗しく勇猛果敢な使い手が揃っていると有名なのだそうだ。彼らは王宮に戻ってきている間も訓練を欠かさず、今回も稽古と称して、リオンの前で御前試合をしているというのだった。

「御前試合……それは見応えがありそうだね」

 都市の古い映画で、登場人物が闘技場で戦う光景を見たことがある。本来、このような場で戦う際には本物の武器を使用していたのだと聞かされ、興奮するクラスメートがいる一方で、野蛮だと眉をひそめていた者もいた。

「真剣を使うの?」

「いいえ。御前試合ですが、彼らは戦線から一時帰還し、休息を取っている身ですから、必要以上に怪我を負うことのないよう、竹刀や木剣を用いているそうです」

 人が痛めつけられる瞬間や、血が流れるところを見たいわけではなかったけれど、技を見せ合う試合は是非見てみたいと思った。彼らのような武士には決して敵わないが、アマーリエも身を守るための剣術を学んでいる身なのだ。

「少し見に行ってみようか?」

 悄然としていた少女たちが顔を輝かせて歓声を上げる。大人組の女官たちは呆れ、渋い顔だ。アイ、ユメ、ハナも口々に言う。

「真様、そのようにあの者たちを甘やかすのはいかがなものかと……」

「いくら竹刀とはいえ、彼らは手加減いたしませぬ。見ていて気持ちのよいものではないかもしれません」

「怪我人が出るので、医師としては御前試合を推奨したくはないのですが……」

 そうですわと筆頭女官補佐のセリに続き、年長者たちから賛同の声が上がる。年少者の女官たちが萎縮したように身を縮め、唇を尖らせる。声をあげられない彼女たちを見て、アマーリエは決めた。

「御前試合は言い訳なの。リオン殿に会いたくて。……それを理由にしないと、酔い潰れた後で、どんな顔でリオン殿に合えばいいのかわからないんだよ……」

 ため息をついてぼそぼそと恥を告白すると、くすくすと笑い声が上がった。

「……仕方がありませんわね。かしこまりました。支度をして参りましょう」

「わたくしがご案内いたしましょう。リオン様には先触れを出しておきます。

 アイがため息をついて手を打つと、女官が動き始め、ハナとユメは一礼して下がっていく。アマーリエは、ハナには酔い覚ましの礼を、ユメには先触れの礼と後ほど合流する約束を交わして、着替えを始めることにした。だが動いた途端にひどい頭痛に襲われて呻けば、またあちこちで忍び笑う声がした。

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