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GRAYHEATHIA*グラィエーシア  作者: 瀬川月菜
第10章
61/193

10−3

 ハナの授業の後、午後の予定を調整して、アマーリエは医局を訪れた。

 先に知らせていたので、シキが待ってくれており、アマーリエに椅子を勧めながらお茶を淹れて「リオン様が来たんだってね」と言った。

「おかげで大変だよ。薬の補充をしたいからってものすごい数を言ってくるんだから」

「わ、ごめんなさい、邪魔をして。忙しいなら、戻った方がいいよね」

「いいよいいよ。大丈夫。実はちょっと嘘ついた。ほとんど作り置きで間に合ったからね」

 それで、とシキはアマーリエの前に茶器を置いて言った。

「今日はどうしたの? 母さんなら午後から街の診療所に行ってるけど」

「あなたに会いたかったの」

 お茶の表面ばかりを見ていたアマーリエは、ぎょっとしたシキの頬がうっすら染まったことには気付かない。

 アマーリエにとっての情報源は主に女官だが、信頼して打ち明け話をできる人はやはり限られてくる。その中でシキを選んだのは、彼はアマーリエに嘘は言わないし、秘密にしてほしいと頼んだときに聞き届けてくれると信じたからだ。

「教えてほしいの。――族長って、戸籍はどうなってるの?」

「こ、戸籍?」

 初めての言語を聞いたとばかりに瞬きをした彼は、やがて眉を寄せた。わざわざ医局に来て尋ねる事項ではないと思ったのだろう。

「いったいどうしたの? 天様の戸籍って」

「戸籍が見たいの。キヨツグ様と、出来れば、リオン殿の」

「戸籍なら文部で管理しているけれど、どうしていま、戸籍なの?」

 動揺を落ち着かせたシキは根気強く理由を尋ねてくる。

「……キヨツグ様のことを、知りたくて」

 逡巡した挙句、微妙な嘘をついてしまった。

 膝の上で拳を握り締める。本人の留守に乗じて、身辺を探るような真似が褒められたことではないとはわかっている。キヨツグが話すと約束してくれたことを反故にするような真似だとも。

 けれど指環を奪われた、その理由が、アマーリエが無知であることなら、せめてキヨツグのことは知っておきたかった。

 深く視線を向けていたシキは、小さく息を吐いた。

「誰かから聞いたんだね?」

 アマーリエは青ざめた顔を上げた。心臓から、足や指先に震えが走り、ぐらぐらと頭が揺れた。知りたかったことを知ろうとし、隠されていたものを暴いた、その報いだった。

「じゃあ、本当なの? キヨツグ様は」

 足元が消えるような感覚を味わいながら、呆然とそれを口にした。

「キヨツグ様は、前族長とライカ様の子どもじゃない……?」

 シェン家の人間じゃない。それは直系ではないということだ。

 彼に投げつけられた呪いめいた言葉が蘇る――『どこの誰の子とも知れぬ』『簒奪者』というあれらが、本当のことだとは思いたくなかった。従姉が懸念した、キヨツグの地位が危うくなる可能性を思い、身を震わせる。

 だが、と必死に手繰り寄せるようにして可能性を考えた。

 そもそも、この政略結婚では、キヨツグが候補者を調査したように、都市も彼について身辺調査を行ったはずだった。いくらリリスの土地に足を踏み入れることができなくとも、噂くらいは拾い集めていただろう。だからイリアもアマーリエにあんな話をしたのだ。

 けれどシキが公然の事実としてキヨツグの出生の秘密を認識しているのだとしたら、都市に対して意図的に隠されていた、ということになる。協定違反と謗られても仕方がない。

(キヨツグ様がシェン家の出身じゃないのだとしたら、この結婚の意味はどうなる? リリス族の長とヒト族の有力者の娘の結婚だという触れ込みだったのに、族長が、正しくないのだとすれば)

「アマーリエ!」

 シキの強い言葉に彼が近くにいることを思い出す。

「大丈夫。まずはお茶を飲んで、落ち着いて」

 彼はそう言って新しいお茶を注ぐと、アマーリエに無理やり器を持たせた。指と手のひらにじわりと熱が広がっていく。口に含むと、身体の芯がわずかに緩んだ。それを見届けてシキは口を開く。

「いいかい、よく聞いて。天様が前族長とライカ様の御子でないことは、リリスでは知らない人はいない公然のものだ。みんな口にしないだけで、あの方が養子でいらっしゃることは広く知られている。族長がシェン家の人間でなければならないという決まりはないから、長としての能力があれば問題ないと思われているんだ」

 お茶のおかげだろうか、いくつか思い出したことがあった。

 リリス族には世襲制の考え方もあるが、必要であればその立場にふさわしい能力を持つ人間を据えることができるらしい。たとえば、次期族長は公子と呼ばれるが、この直系に万が一があったときのために、他の氏族から複数の公子を立てるという。そして長老などの承認があれば、直系でない公子が族長になることもある。キヨツグの代なら、他に公子だったのはマサキ、それから多分リオンもだろう。

 しかし、それでシェン家以外の出身であるキヨツグが族長である、という状況に問題がなくとも、彼の族長としての立場は不安定になるのではないか。都市が求めた政略結婚の対象とは、リリスの高位の血統を持つことであり、リリス族の権威であること。それがシェン家出身の族長だったはずだ。

「でももしそうだとしても、族長でないキヨツグ様は普通の人、ということだよね?」

「考えようによってはそうだね。ただ、君が見たいと言った戸籍では、天様は前族長と巫女様の御子という記録になっているはずだよ」

 アマーリエは眉を寄せた。

「戸籍を偽っているということ……?」

 だとすれば、提出されたのは加工されていない正しいものだったのか。都市が調査しなかったのも納得がいく。

 だがシキは少し考える素振りを見せた。

「偽っている、というのは正確じゃないかな。アマーリエ、そもそも、あの方が族長なのは、前族長と巫女様だけでなく、命山の方々に認められたからだよ。命山のことは知っている?」

「少しだけ。族長を任命できるし、解任もできる場所だって」

 神山、だという。役目を退いた族長たちがそこに行くと、俗世と切り離され、生き神として崇められるのだ。

「そう、命山は特別な場所だ。長の位を退いた方々が昇るということもそうだけれど、あの山には未だに神がおられるからね」

 アマーリエは目を瞬かせ、疑いを持って呟いた。

「……神様?」

 シキは頷き、確かな口調で語った。

「僕のような一般人は、一生をかけてもお目にかかることはできないけれど、あの場所には本当にリリスの神がおられるそうだよ。何千年と生きて、この世の変化を見守って来られた存在がいるから、命山はリリスの最高機関と言われている。どんな族長も命山の決定には抗えないし、命山の宣言は神の言葉だ」

 神と聞いて、アマーリエはそれを想像してみたけれど、上手く行かなかった。

 都市には明確な神様がいない。都市が文明として機能し始めるずっと前から続くいくつかの宗教や、風習から残された神様や聖人は語り継がれているけれど、都市の人間の多くは特定の神を持たないし、祈り捧げるのは、見守り、願いを叶えてくれる万能の存在に対してだからだ。

「だから命山が認められた天様は正しく族長なんだ。誰の子どもで、どんな生まれだろうとね。まあこれまでそれに近しい前例が見当たらなかったから、跡目争いめいたことはあったし、一部の人間は未だに反族長派として活動しているけれど、君の心配するようなことにはきっとならないよ」

 だからあの方は天様だ、とシキは締めくくった。

「……じゃあ、リオン殿は?」

「リオン姫は前族長と巫女様の嫡子だよ。父が取り上げたから間違いない」

 ならば彼女はどう思っているのだろう。本来なら直系として族長になるのはリオンだったはずだ。しかも北部に送られて、モルグ族と戦う軍を指揮している。キヨツグとリオンの血の繋がらない兄妹には断絶があるのか。

 リオンと初めて会ったとき、少し気になったのだ。茶化した口ぶりだったけれど、何か含みがある、そう感じて。

 どちらにしても謎は残った。

(族長家に生まれたわけではないのに、命山の後ろ盾を持って族長になったキヨツグ様。直系のリオン殿を差し置いて族長になれるキヨツグ様は、いったい何者なの……?)

 ただの人、とは思えない。

 では誰が彼のことを知っているだろう。キヨツグに近しい長老たちか。だが見た目以上の年齢の彼らは、きっとアマーリエを簡単にいなしてしまうだろう。

 気がつくと、左手を撫でていた。触れる薬指は空白で軽い。

 もっと確実で、取引ができる誰か。アマーリエの不安を慮って気遣ってくれる人。

(ライカ様なら)

 キヨツグを引き取ったなら、何か知っているはずだ。話ができるタイミングが限られているが、誠意を持って頼み込めば、ヒントくらいはくれるかもしれない。

(それでもし何もわからなければ、命山だ)

 キヨツグを推した最高機関なら確実だろう。しかしどのように訪れるのか、入ることができるかすら謎だ。だからここはまず情報を集めるところから始めよう。

「色々ありがとう、シキ。最後に一つだけ教えてほしいことがあるの」

「なんだい?」

「リオン殿の好きなものってわかる?」

 シキは戸惑った様子で首を傾げた。

 アマーリエは空っぽの指に触れるのを止めて、ぎゅっと拳を作ると、にっこり笑った。

「正面から行こうと思って」



 リオンの部屋を訪れると、来客中のようだった。声は複数。男性のもので、あまり聞き覚えがない。興奮しているのか声が大きくなっているが、何を言っているかまではわからない。

 そのときすっと席を立ったアイが部屋の外に姿を消し、しばらくすると戻ってきて、アマーリエに何人かの名前を耳打ちして、こう言った。

「……反族長派と目される方々です」

 思わず隣室に目を走らせ、小声で囁く。

「……詳しく聞いておくべきところだよね?」

「そう思って近くに潜ませました。後ほどご報告できることがあるかと思います」

 キヨツグの不在中、リオンの元に反族長派が接近しているとくれば、何を話しているかは想像に難くない。直系であるリオンに族長になれとでも言っているのだろう。

 もしリオンがそれに頷くようなことがあれば、何とかしてキヨツグに知らせる必要があると思っていたが、反族長派は数分と経たずに帰っていったようだ。聞き耳を立てていた女官はすぐに戻ってきた。

「皆様、リオン様に族長になるよう申し上げておりましたが、当のリオン様が……」

『リオン様こそ族長にふさわしい』

 そのようなことを遠回しに言い立てられたリオンは、彼らの主張を一通り聞いた後、苦笑を漏らして言ったのだそうだ。

『お前たち、先日まで滞在していたというマサキにも同じことを言っただろう。嘘つきは好かぬなあ。それに、つくならもっと面白い嘘にしてくれ。私を鼓舞したいなら、もっと芸を磨いておいで』

 その後は誰が何を言っても、つまらないとかそれしか言えないのかと言って、ついにはみんなを怒らせたのだという。

「リオン様らしいといえば、そうなのですが……」

(まったくそのつもりがなくて追い払ったのか、私が来ているから誤魔化したのか、どっちなんだろう)

 アイもそう思うから、笑いながらも気にした様子なのだろう。リオンを知っている人は、彼女が叛意など持っていないと思うのかもしれないが、キヨツグがヒト族と結婚したことで思うところがまったくないというわけではないだろう、と想像できてしまう。

 そのうち、リオンに付いている女官がアマーリエを呼びに来た。

 アマーリエは近くに置いていた大荷物を抱え込むと、部屋に乗り込んだ。

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