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GRAYHEATHIA*グラィエーシア  作者: 瀬川月菜
第9章
58/193

9−3

 離宮に設えた控え室に向かっていると、人の言い争う声を聞いた。

「いいじゃないですか。私は彼女の親類なのよ?」

「申し訳ございません。こちらにはお通しすることができません」

「だったら彼女を呼んでくれればいいのよ。私はね、アマーリエの、」

 少し低い、気の強さを感じさせる声を聞いて、アマーリエは駆け出した。こちらに気付いた女官たちが腰を浮かせる。

「真様、いけません!」

 押し問答していた女官もまた面をつけていたが、髪形からアイだとわかった。彼女が動きを止めると同時に、向かい合っていた相手の女性が振り返る。

 彼女は灰色のスーツを着ていた。一糸乱れずに結い上げられた金色の髪、晴れた夏空のような青い瞳がまんまるに見開かれ、アマーリエを認めた途端喜びに輝く。

「アマーリエ!」

「イリア!?」

 抱擁されながらアマーリエはぱちぱちと目を瞬かせた。

 明るくて賑やかで、始終楽しげで、行動力の塊である、愛すべき従姉。イリア・イクセンだ。

「……本当に、イリア?」

「あらひどい言い草。まあ仕方ないわね、久しぶりだもの。私だってぶったまげたわよ。政略結婚、だなんて!」

 ぶったまげた、なんて俗語は久しく聞いていなかったので若干慄く。だがスーツを着ていても常識的な枠に収まらず、自分を保ち続ける彼女が彼女らしい。けれどそれにしても、どうしてリリスにいるのだろう。

 そう思ったとき、彼女の襟にバッジが光っていることに気付いた。

「イリア、もしかして異種族交流課にいるの?」

「当たり! おじさまのコネじゃないわ、実力よ」

 イリアは片目を瞑る。親戚の集まりがあると、同じ年頃の子どもたちをまとめていたイリア。引っ込み思案だったアマーリエは彼女によく連れ回されたものだ。運動も勉強も彼女は常に一番だったけれど、褒められることを求めるより、好きなことをしていて結果がついてきたという気楽さがあって、羨ましかった。

 そんな彼女が、市職員の花形である異種族交流課の外交官になった。想像した通りとも思えたし、彼女らしいとも感じて、笑ってしまった。

「やっぱり夢は政治家?」

「もちろん! そのための人脈作りの最中よ。ねえ、あなたの話も聞きたいわ! 少し話しましょうよ、時間あるんでしょ?」

「私はいいけど、イリア、仕事は?」

 意見の取りまとめをして後ほど話し合いを再開する予定だったはずだ。

「大丈夫よ、こっちの会議はしばらくかかると思うから、後から参加する方が時間を無駄にせずに済むわ」

 あっけらかんと言いすぎなのでは、と思いつつ、アマーリエはアイたちを伺った。小さな頷きを返されたので、しばらく外しても問題なさそうだ。

「それじゃあ……ちょっと散歩しようか。といっても私はここのこと、あんまり詳しくないんだけど」

「行こう行こう! ここに来るまでに綺麗な場所があったのよ。近くで見たいから付き合って」

 イリアに連れられて庭に出る。付かず離れずの距離を置いている女官たちは、久しぶりに親類と会ったアマーリエを気遣っているのだろう。

 庭園には水路が通っており、石造りの橋がかかっていた。鬱蒼と茂る緑はまるで森のようで、赤い屋根の東屋が建っている風景は、芸術家たちが描く古い東洋の風景のようだ。

「さっきのあなた、とても堂に入っていたわ。ずいぶんリリスに慣れたみたいね」

 聞き様によっては嫌味だが、イリアにそんなつもりはないとわかっていたから、アマーリエも素直に頷いた。

「ありがとう。でもまだ勉強中なの。族長の妻らしい振る舞いなんて全然わからなくて、みんなをがっかりさせてばかりで……」

「昔からアマーリエは自分に自信がなさすぎるわ。あなたのことだから、その勉強、すごく真面目に取り組んでいるんでしょう? 堂々としていればいいのよ。そうすればきっとすぐに中身も追いつくわ」

 ゆったりと庭を歩きながらそんなことを話した。イリアが異種族交流課に配属希望を出した理由、採用されたことについても聞いたけれど、彼女らしくて笑ってしまった。気を置かないでいい会話はずいぶん久しぶりで、心が安らいでいくのを感じた。

「ねえ、アマーリエ」

 イリアは声を立てて笑うアマーリエを見ていたが、ふと真剣な顔つきになって、声を落とした。

「聞きたいことがあるの。あなたの旦那様について」

「キヨツグ様のこと? 私にわかることなら」

 アマーリエが答えると、彼女はぐるりと周囲を見回し、離れたところで控えている女官たちに目を向けた。

「……リリス族は視力も聴覚もとても優れているんですってね。だから私たちの会話は聞こえているだろうけれど、あなたにも考えて欲しいから、言うわ」

「……イリア?」

 低く呟いたイリアはアマーリエに向き直った。

 それまでの明るい雰囲気を払拭して、見たこともないような硬い表情で告げる。

「都市は、キヨツグ・シェン族長を疑っている。密告があってね……彼は族長家の血筋ではなく出自不明の養子で、本来なら族長となるべき人間が別にいるというものだったわ」

 意味がわからないアマーリエは眉をひそめたが、ある人の言葉を思い出してはっとなった。

 シズカも言っていた。キヨツグの出自、それから簒奪者という言葉。言いがかりだと思って半ば聞き流していたけれど、まさか本当だというのか。

「……心当たりがあるのね?」

 顔色を変えたアマーリエをつぶさに観察して、イリアが言う。

 アマーリエはとっさに顔を伏せた。だめだ、ここにいるのはたとえ従姉でも、アマーリエの言動一つでリリスやキヨツグを危機に晒すことになってしまう。だからいまは、何も知らないふりをして都市の思惑を聞き出すこと、リリスの秘密を不用意に明かさないよう、冷静に徹することだった。

「私には、よくわからない。それらしい発言は聞いたことがあるけれど、何も知らされていないから……都市がキヨツグ様を疑っているのはわかったけれど、それをどうしようっていうの?」

「あなたの結婚は同盟の対価でしょう? だからもし新たに族長が立つようなら、あなたをその人物に嫁がせるべきではないか、っていう声があるの」

 アマーリエは凍りついた。

「だから都市は、キヨツグ・シェン族長がこのままリリスを統治できるのか、その能力があるのかを疑っているのよ。彼が族長として揺るぎないのなら結婚は続行されるし、そうでないのなら変える必要がある、ってこと」

「だ……だからって、また私を」

 続きは恐ろしくて言えなかった。――また私を売るのか、なんて。

 するとイリアはかすかに首を振った。

「都合のいいことを言っているのは他の市長などのごく一部よ。コレット市長は、離婚については同意するけれど、あなたは都市に戻すべきだって主張している。あなたを再婚させるのは父親として許し難いのだろうっていうのが周りの見解だけど、当たり前よね。この時代に政略結婚なんて、人道に悖るわ。良心があれば胸は痛むはず」

 言外に一部の政治家たちを批難して、イリアは青ざめているアマーリエをいたわるように見つめる。

「だから、新人だけど私が来たの。あなたの従姉である私がね。ねえアマーリエ、あなたから見て、キヨツグ・シェン族長は族長にふさわしい人物かしら? このままリリスを治めていくことができると思う? 彼の周囲に不穏な気配があったり、彼の立場が危うい状況だったりしないかしら」

 アマーリエが感じたのは、真綿で締めつけられるようなかすかな失望だった。

(私は、本当に、何も知らない)

 リリスの状況も、この国の常識も。彼の出自が取りざたされてしまう理由や、それを伏せられていたわけ。夫であるキヨツグのことを、何も。

 お互いを知るために心を明かそうと思っていたのに、彼はそうではなかったという悲しみで、身体が冷えていくのがわかる。いつか話してくれるつもりでいたのかもしれないけれど、他人の口から聞きたくはなかった。

 しかし、アマーリエはくっと唇を強く結んだ。

 打ちひしがれているだけでいたくなかった。自分が何をしたいのかはわかっていた。

「キヨツグ様は立派な方だよ。リリス族はみんな族長を『天様』と呼んで、まるで王様のように仰ぐから、発言力はものすごく強い。臣下たちには慕われているし、反発する派閥もあるけれど上手く押さえ込んでいるみたいだった」

 キヨツグに問題はないと伝えたけれど、どこまで本気と受け止められたか、彼女の表情からは読み取れない。だからアマーリエは、自らの疑問を率直にぶつけた。

「どうすればキヨツグ様への疑いを晴らすことができる? あの方の治世が磐石だと確信が持てればいいの?」

「都市側の反論を封じ込められる根拠があることは効果的だと思うわ。何が起こっても彼の族長としての立場が揺らがないこともそうだけれど、誰が見ても納得出来るくらいの有力者の支援を受けていることがわかれば、彼が族長にふさわしくないなんて声は小さくならざるを得ないでしょうね」

 アマーリエは拳を握りしめた。

 そのとき、静かに滑り寄ってきたアイが頭を下げながら告げた。

「真様。そろそろ日も落ちてまいりましたので、お戻りください」

「おっと、長々と悪かったわね。時間を取ってくれてありがとう、アマーリエ。話せてよかったわ」

「……ええ、私も」

 にこやかに手を振って、見送りはいいと断って颯爽と去っていくイリアを見送っていると、冷たくなった風が吹いて、アマーリエは身体を震わせた。けれど、この震えは不安からくるものだとわかっていた。

(聞かなくちゃいけない。キヨツグ様に)

 イリアが去った方向を無表情に見ながら、内心で苦々しい思いをしているであろうアイ、そして控えている女官たちを見回し、彼女たちの口を開かせるよりも、彼自身の口から聞きたいという思いから、アマーリエは誰にも何も言わず、部屋に戻った。



       *



 アマーリエは離宮に所蔵されていた本を読んだり、音楽室に置かれていたリリスの楽器を弾いたりなどして、キヨツグが戻ってくるのを待っていたが、会議は夜更けまで行われ、先に休むように、という連絡を受けた。

 お言葉に甘えてベッドに横になったアマーリエは、夢うつつにため息を聞いた気がして、眠い目をこじあけた。

 部屋には手燭の淡い光があり、その近くに大きな影があった。薄暗いその場所で照らされた彼の瞳が、動物の目のように輝いているのが見えた。

「……キヨツグ様」

 声をかけると、ベッドに腰掛けていた彼がこちらを見て、手を伸ばしてきた。

「……起こしたか」

「いいえ……会議、決まりましたか」

 アマーリエの頬を撫でていたキヨツグは頷いた。

「……来月、都市へ行く。お前とライカ様には留守を頼む」

「わかりました。お気をつけて」

 キヨツグは肘をつく形で自らも横になりながら、アマーリエの髪を梳く。はっきりと目が覚めているわけではないアマーリエも、ぼんやりとされるがままになっていた。

「……従姉殿が来ていたそうだな」

 女官たちが耳に入れたのだろう。ならばイリアが何を話していたかも聞いているはずだ。そう思って大きく息を吸い込む。

「異種族交流課の職員になっていたそうです。今日、初めて知りました」

「……どういう人物だ」

「子どもの頃から意志の強い人でした。賢くて、なんでもできて。立ち回りも上手くて、要領がいいんです。敵は作りたくないって言いながら、敵に会うと燃えるタイプなんですよ。異種族交流課に配属希望を出したのは、穴場だったからって言ってました。所属している女性職員が少ないから、そこで一番になって名を挙げて、必ず政治家になるっていう夢を叶えるわって」

「……少々、風変わりに思える」

「でしょう。だから私、大好きなんです」

 くすくす笑いを敷布の中に押し込めていると、キヨツグもかすかに笑ったようだった。そうして見上げていると、彼の顔には濃い疲労の影があった。そういうものを表に出さない人なのに、何か気がかりがあるのか。

 キヨツグに何を言うべきか考える。

 闇の流れのような漆黒の髪と、銀色に光る黒い瞳を見ていると、ますます彼を遠くに感じた。この離宮にいて面を着けているどのリリスよりも、またどんなヒト族よりも、彼の黒は強い。どんな生物も血が混じってしまったこの時代に、彼だけが純血のままでいるように思える。

「……エリカ」

 時間を無為にするアマーリエを、キヨツグが静かに呼ばわる。

「……都市から帰還した後、時間が欲しい。話しておかねばならぬことがある」

 アマーリエはゆるりと瞬いた。

 時間が欲しい、と言っているのだと気付いて、深いため息が出た。イリアがアマーリエに耳打ちした話に関連しているのだろう。彼自身の、誰にも触れさせたくない秘密に関わるものであるならば、無理に聞き出すべきではない。心を明かすまでに時間を要したアマーリエに、キヨツグを詰る資格はない。

「……はい」

 答えを聞いたキヨツグは詫びるようにわずかに目を細めた。

「……おやすみ」

「おやすみなさい」

 不安はある、けれど、ここにこの人がいる。だから大丈夫。自らに言い聞かせるようにして、横になるキヨツグを見つめ、明かりが吹き消された闇の中で目を閉じた。失いたくないのならば、行動する。そのための力を養うために。

(キヨツグ様の地位を確かにできるものが、多分一つ、ある)

 アマーリエの知らないその場所。書物で調べただけだが『最高機関』と銘打たれているそれ。

 ――命山。族長を任命、解任できる組織。

 そこにいる人々の力を借りれば、きっと都市を説得できるはずだ。




 王宮に帰還したアマーリエたちから、キヨツグの都市訪問を知らされた王宮は、にわかに騒然となった。出発まで残り一ヶ月、素早く、だが念入りに準備が行われていく。

 キヨツグはヒト族外交官と話をするために、彼らが滞在している離宮と王宮を行ったり来たりする日が続き、アマーリエはアマーリエで、学習や稽古の時間に追われていた。

 いつの間にか、花の季節は緩やかに過ぎ去ろうとしていた。丘に咲く花をともに眺める機会を逸してしまったことに気付いたのは、キヨツグの出立の前日だった。リリスに来て初めての夜、彼が語ったエリカの名を持つ花を、今年は見ることができなかったのだった。

 出発の日、キヨツグは夜明け前から祖廟に詣でて丁寧に祈りを捧げていた。アマーリエは正殿の正面の広場まで見送りに出た。彼に堂々するリリス族たちはみんな面を着用しており、キヨツグもまた覆いをつける予定だったが、その前にアマーリエに別れを告げた。

「行ってくる」

「いってらっしゃいませ。ご無事をお祈りしております」

 深々と下げた頭を上げると、顎に手を添えられた。

 人目も憚らず降りてきた唇が、アマーリエのそれに触れる。

「……!!」

 アマーリエにだけ「してやったり」という顔を見せた彼は覆面で顔の半分を隠してしまった。ぱくぱくと真っ赤な顔で言葉を絞り出そうとしたアマーリエだが、周囲の笑い声を聞いて、諦めることにした。ここであたふたして余裕のないところを見せると威厳に関わるし、初心だと思われるのも嫌だ。額を押さえながら顔を背け、素っ気ないふりで抗議に変える。

 しかしそれも、予感と不安で小さくなっていった。

 考えすぎだと言われても、もしこれが今生の別れになってしまったら、などという妄想めいたひどい想像に襲われる。万が一そんなことになってしまったときに後悔したくないから、顔を上げた。精一杯の笑顔で送り出す。

 キヨツグは抱きしめることで応えてくれた。

 出発の号令がかかり、都市へ向かうキヨツグたちを見送り、祈る。

(どうか、無事で。私のしたことがあの人を傷つけることがありませんように。そして、あの人のいないこの国を守れるように)

 どうか私がこれ以上醜いものになりませんように。

 祈ってしまうのは。

 きっと、自分では止められない大いなる何かの存在を感じていたからだった。

 都市の方角にはいくつかの雲が浮かんでいた。それが大きな雨雲となって空を覆うことがないよう、願うことしかできないけれど、彼を守るために、アマーリエはここで出来る精一杯のことをやるつもりだった。

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