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GRAYHEATHIA*グラィエーシア  作者: 瀬川月菜
第9章
57/193

9−2

 ヒト族の外交官の立ち入りが認められている離宮は、境界に程近いところにあった。シェン家の別荘だったが、ヒト族との交流が求められるようになった折に、その場所を外交の場として利用することになったのだそうだ。

 馬や馬車を走らせ、アマーリエは離宮に到着した。道中聞いたのは、面会を求めてきたのは都市の外交官、異種族交流課の数名ということだった。ヒト族と相対するとあって、周りにいるリリス族はみんな顔に面を着用している。アマーリエはこちらに来たときのことを思い出しながら、素顔を風にさらしていた。

 異種族交流課の職員は、映画のセットのような旧東洋風建築のリリスの離宮ではかなり浮いていた。だがスーツとネクタイのお役所人からすれば、いかにも西洋系の血を引いているアマーリエの格好は仮装に見えることだろう。

 キヨツグの入室に従って、彼に次ぐ席につく。

 衣擦れの音が消えた後、十分な間を置いてから、キヨツグは胡座や正座で待つ一同を見回してねぎらった。

「待たせて申し訳ない。よく参られた」

「お目通りが叶い、恐縮です。ご相談とお願いがございまして、この場を設けていただきました」

「報道が来ている」

 キヨツグが切り込めば、代表の職員は言葉を詰まらせ、やがて流れ出した汗を胸元から取り出したハンカチで拭い始めた。表情にも声にも感情のないキヨツグの一言は、含みがなくとも聞く者に強いプレッシャーを与えてしまう。

「は、はあ。す、すでに、ご存知で……?」

「リリスの領域に不用意に立ち入る者がいるゆえ、抗議するつもりでいた。それにしても数が多く、妻に事情を聞かなければ武力を行使するところだった」

 そこで都市の人々は控えているアマーリエに目をやり、戸惑った顔をした。特に代表者の顔色が悪いが、アマーリエはようやく彼が誰なのか思い出し、穏やかに微笑んで一礼した。

「ご機嫌よう。お久しぶりです、皆様。あなたは確か、モーガンさん、でしたか?」

 確か、政略結婚について父に聞かされた日だったか。市庁舎の市長室を訪ねた際に父と話していた外交官で、嫁入りのときにも見送りの中にいた。もうずいぶん昔のことのように思える。不思議と怒りも何も湧いてこない。

「は……はっ!」

 汗を流れるままにして平伏するモーガンに、アマーリエは自らの立場を思いながら語りかけた。

「リリスにマスコミが押し寄せていると聞きました。私が送ったメールが原因だと思います。友人への近況報告のつもりが、都市を無用に騒がせたことをお詫びします」

「反応を予測しきれなかったことも詫びよう。かの都市は遠い。噂の否定をしたいところだが、どのような状況か、想定外の噂が広まっていることも、把握しきれずにいる。そなたらの情報提供を請いたい」

 流れるように並べ立てたアマーリエとキヨツグに、モーガンは何も言えず青い顔をしていた。世間話なんてそんな馬鹿馬鹿しい誤魔化しを、などと笑い飛ばせる人物ではないようだ。そうしてリリスの土地で交渉役をやらされるのだから、彼は貧乏くじを引かされているにちがいない。

 ということは、都市側は、ここはリリスに譲っても構わないと思っていることか。リリスが主導を取るように仕向けているのは、何か裏があるかもしれない。

「都市での対応は如何するつもりだ?」

「は、はあ。記者会見を開こうということになりまして。ええ。この同盟が対等な関係の上で成立したものであると公表するわけです。はい。つきましては、リリス族の皆様にもご出席願えないかと、そのようなご相談です」

「しかし我らは都市に赴くつもりはない。また、リリスにヒト族が入ることも認められぬ」

 キヨツグは強気に出た。モーガンを揺さぶろうとする。

「我らが対等な立場で同盟を結んだと公にするならば、アマーリエ・エリカがリリスにいることをなんと説明する?」

「アマーリエ様については、一時的に都市にお戻りいただき、世に広まっている噂の払拭をお願いできればと思っております」

 キヨツグのまとう気配がわずかに剣呑さを帯びた。都合のいいことを言っているモーガンを警戒しているのは、彼だけでなく、その場に控えて話を聞いているリリス側の官吏たちもそうだった。

 つまり都市は、アマーリエに嘘をつけと言っている。生贄のように差し出しておきながら、今度は都市を守るために矢面に立てというのだ。

 悲しみに浸って自己中心的な行動に出た結果だ。自らのしたことの報いだと思い知らされるようだったけれど、ここで従うだけでいるのはまっぴらだった。

「私が、都市に行く必要はあるんですか?」

 思ったよりも冷たい声が出た。

 調子を取り戻しつつあったモーガンがぎょっとする。

「わざわざ都市へ行くならば、私は自分の言葉で話したい。そう思う気持ちもありますが、撮影機材を用いれば、私の意志を伝えることが可能ですよね? あらかじめ台本を作っておけば安心していただけますか?」

「真」

 ため息をついたキヨツグがアマーリエを止めた。

「何を話す」

「結婚によって同盟を得たことを。同盟のための結婚ではなく」

 望むとおりに、という言葉を飲み込む。どういう内容でもいい、人が好む話にしてしまえば、リリスと都市への反感は薄れるし、リリスの地が乱されることはないだろう。

「美談でもなんでもいい、お好きに話を作ってください。でも、誰かの思惑で私の居場所を変えられるのは、もうごめんです」

 利用したいならするといい。けれどリリスで生きていくと決めた気持ちを、そう簡単に変えられると思わないでもらいたい。

 歪な笑顔で宣言し、目を伏せた。

「……都市側の考えは、承知した」

 キヨツグが言う。

「互いに譲れぬものがあることもわかった。ゆえに、折り合いをつける必要がある。後ほど場を設けるゆえ、互いに意見を取りまとめるということで、構わぬか」

「かしこまりました。では後ほど」

 それだけで会談は終わった。キヨツグは早々と退出し、アマーリエはそれを追う。外交官たちの目が向けられる気配があったが、振り返らなかった。

 廊下に出て奥へ向かうと、そこにキヨツグの姿があった。追いつくと再び歩みを再開する。

 人気のない離宮だったが手入れはされているらしく、庭木の花は盛りを迎えていた。甘く爽やかな果実のような香りがして、白い花弁がそよりと揺れると、香りはますます強くなる。

「……大胆なことを言ったものだ」

 花を見て目を細めながらキヨツグは呟いた。咎められるよりも明確に、彼の呆れを表現している気がして、アマーリエは項垂れた。

「すみません……でも、私を十分利用してやるところだと思ったんです。私がいれば、都市はリリスを蔑ろにできません。彼らの望む動きに持っていくこともできないでしょう」

「……そうだな。説得力を持たせるために、お前を利用したいと考えているようだった」

 同意見だった。だがそれに対してあまり有能と思えないモーガンが代表としてやってきたのかが疑問だった。もし愚鈍な使者を寄越してリリスを後手に回そうとしているのなら、確かに効果的のように思えるけれど、それだけではない気がする。もしかしてモーガンは有力な人物の縁故者なのだろうか。

「携帯端末のこと、もう少し黙っておけばよかったですね。契約を解除されてしまうと使用できなくなりますし、これからは電子的なやりとりはすべて監視されてしまうかもしれません」

 そのとき、キヨツグが聞いたことのないような深い息を吐いた。なんらかの感情が含まれたそれに、アマーリエは口を閉ざす。

「どうかされましたか……?」

「……お前が、少し怖い」

 怖い、と言われて驚いた。

「……自己保身のために、友人に政略結婚を知らせたのだな。都市での己の価値を計らんとするために。報道によって大勢の知るところになれば、都市とリリスの行いを揉み消すことは難しい。そして今度は、同じく報道を用いて、リリスにとって有利に働きかけようと自らを差し出そうとしている」

 アマーリエは唇を噛み締めて俯いた。

 改めて言われると、自身の汚さを突きつけられたようで、身体を小さくするしかない。

 どうすれば失った信頼を取り戻せるのか考えたとき、自分を利用することしか思いつかないアマーリエは、きっと弱くて汚い。

 けれどキヨツグを好きになってしまったアマーリエは、そんな自分すらも彼に知られなくてはならないのだった。好きになることは明かすこと。相手をよく見ていること。隠し事すら見抜かれてしまうくらい、近くにいるのだから。

 このいまは、それが辛い。

 キヨツグが肩を引き寄せた。不意だったのでよろめいたが、触れられたところから伝わる温もりに、ほっと息を吐いていた。

「……責めているのではない。だが、これまで頑なに閉じこもっていたとは思えぬ、その思い切りの良さを危うく思ったのだ。自らを削ることを厭わぬお前を知って、恐ろしいと感じた」

 肩を抱く手に力が込められる。

「……お前がすべて負い、傷付く必要はない。お前の居場所は、この世界、リリスの、私の元にある。私の手があることを、忘れるな」

 手を添えると、指先が薬指の環に触れた。絆の証の存在は心にそっと染み込んでくる。

 一人で背負わなくていい。助けがあることを忘れるな。彼はそう言ってくれている。

「……政は私の領域だ。必要なときには手を借りるが、お前を矢面に立たせる気はない」

「じゃあ、どうするんですか?」

 キヨツグの答えははっきりとしていた。

「――都市へ行く」

 リリス族の中でも抜きん出て美しい顔には、特に何の感慨も浮かんでいない。ただ草原の太陽の光を受けるキヨツグは、翳りのない正しさの塊のように思えた。

「……同盟を結んだのだから族長である私が顔を出すのは道理だ。公的に都市へ足を踏み入れるという特例を作ることになるが、リリス族の反発があったとしても、我らがヒト族に友好的であると示す良い機会となろう」

 リリス族が、ヒト族の都市に立つ。

 目が回りそうだった、どのような騒ぎになるか、あまりに大きすぎて想像がつかない。リリス族を守るつもりがまさか族長を動かすことになるなんて。

「も……モルグ族が攻撃してくる理由になりませんか……?」

「……お前と結婚した時点で敵対の意思を示したに等しい。今更だろう」

 同盟を強調するような行動は、現在休戦中のモルグ族を刺激しないかと思ったが、キヨツグはそれも承知しているようだった。言葉にならなかった。本当にいいんですかとか、怒っていませんかとか、私はどうすればいいんですかなんて疑問がぐるぐる回る。

「すみません……私がしたことで、キヨツグ様がこんな……」

「……良い。いずれそうせねばならないと思っていた。それとも、都市に赴き、懐かしい人々に会いたかったか?」

 アマーリエは首を振った。

「もう巻き込みたくはありませんから……」

 友人たち以外に父と母の姿が脳裏に浮かんだけれど、その姿を封じ込める。

 キヨツグは黙ってアマーリエの頭を撫でると、一度肩に手を置いてから立ち去っていった。離れていたところで待っていた官吏が立ち上がり、その後ろに続いていく。これから会議を行うのだろう。また自分なんかのために時間を使わせてしまったとアマーリエは肩を落とした。

(懐かしい人々に会いたかったか、なんて聞いたのは、気持ちが高ぶって家出されることを心配されたのかな)

 それとも政治家としての顔を見られることを避けたかったか、だ。

 年齢も立場もある男性の、仕事をしているときの言動を幼い頃から見てきたアマーリエだった。仕事に携わる彼らは、プライベートとは違う、厳しくて、どこか残酷なくらい冷静な顔をしている。そしてそれを、身近な人に知られることを避けたがる節がある。父を思い、キヨツグもそうだろうと思ったのだ。

 きっとキヨツグは望むものを手中にするために様々な布石を打つ。それはきっとリリスのためであると同時に、アマーリエを守るためでもあるはずだった。

「……心配をかけたくないのにな」

 誰か責任の取り方を教えて欲しい。自分のしたことが彼に責任を負わせる結果になってしまった。守られて、守られて守られて、何も出来ないのかと思うと、たまらない。

 もう怖いものなんて何もないと、何でもできそうな気がして行動してしまったけれど、小賢しいだけだった。都市の外交官と渡り合っていたキヨツグは、威厳に満ちて揺るぎなかったというのに。

 それにふさわしくあらねばならない。

 隣に立つには、側にいるためには、もっと知らなければならない。けれど『人』を知るためには必要なものがある。己の心という等価だ。

 だからアマーリエは自らに問う。

 ――私は、彼を知るために、自分の心を差し出す覚悟があるの?

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