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GRAYHEATHIA*グラィエーシア  作者: 瀬川月菜
第2部 Lilith 第8章
53/193

8−5

 長いような短いような一日を終えたアマーリエは、寝殿でキヨツグを待っていた。ハナとの医薬学の授業で出た話題について彼と話し合うためだ。

 遅くなっても待っているつもりだったが、彼は思ったよりも早くやってきた。

「お疲れ様でございます」

「……うん」

 上着を受け取り、お茶を勧めると、彼は席に着いた。上着を壁に掛けながら話を切り出す。

「今日、ハナ先生の授業があったんですが……」

 淹れたばかりのお茶を静かにすすっているキヨツグに、そこでどんな話になったのか思い切って打ち明けた。静かに聞いていた彼は正面に座ったアマーリエをじっと見て、口を開く。

「……薬師の見習いをしたい、それも、王宮の外へ降りたい、というのか」

「はい。座学しかできていませんから、実習ができないかとハナ先生にご相談したんです」

 するとハナは、自らが赴いている街の診療所のことを話してくれた。王宮医官である彼女は外に往診に出て、街の医師たちと情報交換をするのだという。彼女はそこならアマーリエも実習ができるのではないかと言ってくれたのだ。もちろん無給で、言うなればインターンシップである。

「特別扱いしない見習いとしてなら、月に二度ほど、手伝いに来るのは構わないとハナ先生は言ってくださっています。お許しをいただけないでしょうか?」

「……確かに、何でも役目をやると言ったのは私だが」

 キヨツグは考えている。やはり族長の妻が医師見習いをするのは難しいだろうか。責任問題になる可能性をなるべく排除しておきたい気持ちはわかるけれど、無理だというなら納得できる理由をくれるはずだった。

「……お前に無理はないのか?」

 現在のアマーリエの習い事は、ハナの医薬学、サコの礼儀作法、ユメの乗馬と剣術の四つだ。ハナとサコの授業は午前中に行い、午後は乗馬と剣術に当てていたが、ユメからは授業を早朝にするのはどうかと言ってもらっている。

 それを話すとキヨツグは苦笑の気配を滲ませた。

「……根回しの必要性は説いたが、もう実行に移すか」

「そういうわけでは……」

 こうしたいということを身近な人たちに説明しただけなのだが、キヨツグは何か別に思うことがあったらしく手を振った。

「……学習と実技は違う。見習いとなるなら、責任を持たねばならぬ」

「ハナ先生にも言われました。でも、責任がない仕事なんてありませんから」

 キヨツグは束の間目を瞬かせ、かすかに微笑んだ。

「……ハナにも同じことを言ったか」

「え? はい、言いましたけれど……」

 そういえばハナもいまのキヨツグのように目をぱちくりとさせて、笑った気がする。何かおかしいことを言っているのだろうか。

 考えている間に、キヨツグが告げた。

「……よかろう。いまのお前ならば望むものになれようし、リリスを知る良い機会だ。ハナの指示をよく聞き、しっかり励め」

 アマーリエは顔を輝かせて頭を下げた。

「はい! ありがとうございます、頑張ります!」

 湧き上がる喜びでにこにこしながら、アマーリエは淹れたまま放っていたお茶を手にとって一息ついた。反対されるかもしれないと思っていたから、応援してもらえるとほっとした。

 街で働くからといってきっと直接難しい薬を調合することはさせてもらえないだろうし、患者を診るときの手伝い程度の仕事だろうけれど、ただの医師見習いのアマーリエとして働ける機会を存分に活かし、キヨツグの言う通り、リリス族を見てみようと思った。そうすればたとえ一人になっても生きていけるかもしれない。

(でも……キヨツグ様は、私を一人にすることはないかな……)

 ぼんやりと甘い気持ちになって、はっとした。

 愛されていると思うからこんなことを考えるのだ。頬が熱くなった。こういうのを惚気とか色惚けなどというのだろう。

 好きだという気持ちが許されると、色々止まらないものらしかった。もっと見ていたいし、見ていてほしい。側にいたいし側にいてほしい。キヨツグはリリス族の長だからすべてをアマーリエのものにすることはできないけれど、それでも出来ることなら縛り付けてしまいたいとか、私だけを見ていて、と思ったり、する。

(……私って、欲深い……)

 罪悪感と自己嫌悪でため息をつくと、キヨツグが器を置いた。

「……何か気がかりがあるのか?」

 アマーリエのため息を聞いてしまったらしい。急いで首を振る。

「な、なんでもないです! ちょっと、考え事を」

「……『欲深い』とはなんだ?」

 目をぱちくりとさせたが、アマーリエは瞬間的に真っ赤になった。考えていたことを口に出していた、さらにはその様子をキヨツグにじっと観察されていたことに気付いたからだ。

「ご……ごめんなさいっ!」

 アマーリエは弾かれたように立ち上がると寝殿を飛び出し、そこにあった履物を突っかけて庭に降りた。暗がりで身を屈め、熱で揺れる思考に、冷めろ冷めろと言い聞かせる。

「真」

 追いかけてくる声に首を振る。

「真」

「あ、の……ごめんなさい、いまは……その、落ち着くまで、待って、」

 途端に後ろから抱きすくめられた。

「……エリカ」

 耳元で囁かれてぞくっとしたものが走り抜ける。

「……逃がさぬ」

 そのまま引きずり込まれてしまいそうな、低い声。決して解けない腕に、胸が震える。

「にげ……逃げようなんて、思ってません」

「……前科があろう」

 その通りだ。彼の懸念はよくわかる。いたたまれなくて部屋を飛び出したくらいなのだから、羞恥心が振り切れたとき、きっと逃げ出してしまうことだろう。

 こうして後ろから抱かれているとどこかに連れ去らそうで、足が震えた。どう動いていいのかわからない。このままこうしていていいのかすらも。彼の温もりやかすかな息遣いを感じると、どきどきして、たまらない。

 キヨツグの左手がアマーリエの手をなぞる。少し冷たい指が、腕から指先へと辿っていく。導かれるようにして、腕を天に向かって伸ばす。

 青白い月から溢れた光が、滝のように地上へ落ちている。その流れに浸すように伸びていた手に、キヨツグが手を重ね、薬指に何かをはめる。

 刹那、光が目を射る。

 薬指のそれは。

「……用意してあったのだが、神前で泣いたお前に、環を嵌めるのは酷だと思って、預かっていた」

 銀の細工のそれには、花びらのような淡い宝石が一つ付いている。

 指環だ。光に照らされて月の光環を作り出す、恐らくは結婚指環。

 思わず手を下ろしてそこにあることを確かめて、もう一度高く掲げてみる。少し動かして実態があることを確認する。薬指に嵌められたそれは少し大ぶりに思えたが、細工の緻密さはリリスの工芸だとわかる品だった。

「……嫌だと思うなら外しなさい」

 首を振った。必死に、何度も。

 指環。未来を祝福される男女が誓いの証とする、結婚指環。一生を添い遂げる誓約のときに用いられるそれに、胸が満たされていく。祈る神を持たなかった自分が、どこかにいるその神様の眼差しを感じている。

 この人と幸福に暮らしていくことを、望んでもいいのだ、と。

「……どうした?」

 尋ねるキヨツグの声は優しい。

 精一杯首を振って、言葉の代わりにする。なんでもないけれど、なんでもないわけではない。ただ、たまらない。この思いをどう表現すればいいのか。

「……泣くな」

「ちが、います、悲しいわけじゃ……でも顔、見られたくないです」

 涙を拭い、飲み込んだ。

「き……気持ちが、大きくなって。破裂してしまいそうで……」

 胸の前で握りしめた手に、彼の手が添えられる。その薬指にはわずかに意匠が異なる、しかし揃いであつらえられた対の指環があった。重ねられる手の大きさを感じるアマーリエに、優しい誓いの言葉が贈られる。

「……抱えきれなくなったら、受け止める。なんでもいいから、口にしろ。黙ったまま、逃げ出すことだけはするな」

 アマーリエは涙を浮かべながら少し苦笑した。

「逃げませんって、言ってるのに」

「……私も、それなりに悲しかったのだ」

 笑ってしまった。すみませんと言いながら涙を拭い、左手を掲げる。再び抱きしめられるのを感じながら、アマーリエは心の中で誓う。

(都市を懐かしく思っても帰れないことを嘆くことはしない。この人をずっと大事にする。この人と生きる。私は、ここで生きていく)

 運命を呪ったこともある。消えてしまえ、と世界にも自分にも吐き捨てるような思いを抱いていたことも。でもいまはそれらが喜びで塗り替えられていた。この人と出会えたことは素晴らしい幸運だったのだと、身勝手なほど信じることができた。

 夜空の星々に手は届かない。しかし胸に灯るのは、星よりも力強く優しい輝きだった。どんな夜であっても一人で息を潜めている必要はないという希望だ。

 ここでは一人ではない、一人にはされないと、確かに思うことができた。

 だから、抱き寄せられる手に手を添えて、指を絡めた。この人から離れないように、心を寄せるつもりで。

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