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GRAYHEATHIA*グラィエーシア  作者: 瀬川月菜
第6章
38/193

6−6

 数日続いた雨の後、その日は曇り空で、雨の気配が地上に降りてきていた。また今日も降るかもしれない。

 とっておきの訪問着を自分で着付けたアマーリエは、最終確認するアイたちから太鼓判をもらった。髪を結い髪飾りをつけた後、アマーリエは客棟の近くにある茶室を訪れた。この日、女官を連れず、気の置けない者で集まろうというシズカ主催の茶会に招かれていたのだった。

「本日はお招きありがとうございます」

「ようこそ」

 茶室には晴れやかな衣装の女性たち、当然みんな美しいリリスの娘たちが集まり、アマーリエの叩頭に微笑んで頷いてみせた。主人であるシズカが笑って歓迎の意を告げたことによる追従だとわかってしまう。

「よう来た。さ、こちらへ」

 座るまでに、サコに教えられたことを思い出す。

 歩き方や座り方、しゃべるとき、笑うときの手の持っていき方。流行の話題についてや茶道など、一通り叩き込まれ直しながら、サコは言った。

 決して怯えてはなりません。粗相をせぬよう気をつけることは正しゅうございます。ですが心で負けてはなりません。

 胸を張り、息を吸い込む。そうして微笑んだ。美女たちに見劣りするならば、誠意を尽くすことでここにいようと思った。

 お菓子をいただき、お点前を頂戴して、器を回し、何度かに分けてお茶を飲む。飲み口と指を拭って、器を先ほどとは逆に回して畳の縁外に置いて、器を拝見。言葉にしてみると単純に思えるが、練習のときは最後まで気が抜けないと思ったものだ。

 そのおかげでなんとか一通り終えることができた。会話が始めると答える余裕も出てくる。

「真はいくつだったかの?」

「十九になります、リィ家の巫女様」

「まあ、十九! とてもお若くていらっしゃるんですのね。お肌の張りが違いますわ、まるで赤ん坊のよう」

「お名前が不思議な響きですね。あま、あまーりえ、と仰いましたかしら?」

「リリスの方には発音が難しいようです。私も、リリスの皆様のお名前は不思議な心地がいたします」

「東洋古語を使うんですのよ。リリスは誰しも東洋古語を用いた正しい表記名があるのですわ」

 そのときシズカが言った。

「この菓子は美味だのう。真もどうかえ」

「ありがとうございます。いただきます」

 女性たちがおしゃべりを止め、菓子を勧めたシズカとそれを受けたアマーリエを注視している。器から小さなあられを手のひらに取り分けたアマーリエは、笑って「皆様も如何ですか」と器を回した。小さな笑声が広がり、彼女たちも同じように菓子を取っていく。どうやらこの対応でよかったようだ。

 しかし、とアマーリエはちらりと彼女たちを伺う。どうしてこうも見分けが付かないのだろう。みんな同じ顔、同じ喋り方に見えるのだ。貧弱で幼い顔立ちのアマーリエは浮いていて、リリスとヒト族の違いを目の当たりにさせられてしまう。

「十九か。若いが、若すぎるのう。まだ子どもではないか」

 呆れたようにシズカが言い、笑い声が起きる。喉だけでくつくつ音を鳴らして口元を覆い、アマーリエにはわからない視線を交わし合っている。

 嫌な笑い方だ。学校の教室でよく見られるような、嘲笑と追従だった。

 シズカはアマーリエを無遠慮に眺め回す。

「十九という歳は、ヒト族では婚姻が出来る年齢なのかや?」

「……はい? ええと、女性は十六、男性は十七で結婚できますが……」

「なるほどな、子どもではないのか」

 シズカは低く呟くと、近くに控えている女性に目配せした。心得たというように頷き、戸を開け放っていく。

「座っているのも飽いた。庭を歩いてみようかの」

「お供致します」

 女性たちがシズカに続き、アマーリエもその列に加わった。なんとなくシズカの後について回って行列を作っているような感じがして、あまり嬉しい気分にはならない。

 庭には露台が用意してあり、そこでまたお茶をいただいた。今度は菓子の方が多く、作法もさほど気にしない雰囲気になったので、少し気が楽になる。

「真。こちらに来や」

 シズカが隣に座るよう手招きするので、そちらに移動する。

「茶会は初めてかえ?」

「はい。正式なお席にお招きいただくのは初めてです」

「左様か。しかし立派なこと。なかなかの作法であった」

 にこやかに、かつ妖艶に微笑まれ、アマーリエもなんとか笑みを浮かべる。

「ありがとうございます」

 マサキの忠告が胸をよぎるが、いまのところ、シズカは好意的だった。美貌のせいで笑い方には少々恐ろしいものを感じるが、緊張しているせいだと信じたい。リリス族長の妻になったアマーリエだから、リリス至上主義の迫害の対象にならないようだ。

 そう、思っていた。

「そろそろお開きとしようか。真を長く引き止めておけぬであろ」

 シズカが言えば、女性たちも席を立った。

 アマーリエは楚々と立ち、一礼する。

「本日はお招きありがとうございました。楽しい時間を過ごさせていただきました。また機会がございましたら、お声がけください。それでは、失礼いたします」

 自室に戻るまで気を抜いてはならない。彼女たちの見送りを受けて建物に戻りながら、徐々に肩の力が抜けていくのがわかった。

 だが不意に、手のひらの中が空っぽなのに気付いた。扇子を忘れてきてしまったのだ。

 どうしようと思いはしたが、すぐに戻れるので踵を返す。

「所詮下劣なヒト族よ」

 吐き捨てるような声が聞こえてきたのは、庭の木の陰から一歩踏み出そうとしたときだった。

「貧弱な娘でしたわね。肌も黒ければ、美しくもありませんでしたわ」

 氷水を浴びせかけられたかのように棒立ちになる。視界がぐらりとし、音までひしゃげたようになるが、聞こえてくる言葉の意味ははっきりとわかっていた。

「あんな子どもでよく真夫人と言える」

「本当に。健やかな御子を産みまいらせることができるとは思えません」

「おお嫌だ。次期族長があの女の血を継ぐのかと思うと吐き気がいたします」

 アマーリエは口を押さえた。動悸が激しく、嘔吐感が増して、そのまま倒れこんでしまいそうだった。その場に出ていくことのできない弱さで、懸命に心を固くするけれど、次から次へと溢れ出す悪意の言葉はアマーリエを深く傷つけ、思い知らせていく。

「だいたい、何故リリスにあんなヒト族の娘が嫁いでくるのですか。閨に侍ることもできていないというではありませんか!」

「天様も扱いに困っておられるのよ。その証拠に公務にも出しておられぬ様子」

「本当に何のためにここにいるの? それではまるで家畜を飼うようなものね」

 シズカが吐き捨てたのが、決め手だった。

「いくらリリスを装ってもリリスにあらず。真夫人と仰がれ驕れる者は醜し。いくら模倣しても模造品以下だわ!」

 弾けた笑い声に、逃げ出した。

 夕闇は、まるで悪意がとぐろを巻いて毒を吐き出しているような色だった。その黒色の中に沈んでいきそうになっている。

 ぶるる、と帯の内側が震える。携帯端末の電源を切るのを忘れていたらしい。誰もいない庭でメールを開く。いつからか疎遠になっていた同級生からの近況報告だった。

『久しぶり。元気? 後期の成績出たよ。私なんとか進級できそうなんだ! もうすぐ実習が始まるよ。教職の子たちは介護等体験の実習先を検討し始めたみたい。最近アマーリエの顔を見てないから心配してるんだけど。元気だったらいいな』

 だらりと腕を下げ、アマーリエは空を仰いだ。

「……私……何してるんだろう……」

 ヒト族だから、リリスのことを覚えてリリスの一員として恥ずかしくないようにと思ってきた。ここで生きていくための居場所を作らなければならなかった。悪意に晒されたことはなく、みんな善良で心優しい人たちだった。悪意が存在しないとは思っていなかったけれど、それは確かにアマーリエの傍にあったのだ。

 自分がいままで恵まれていたと気付かされる。

 悪意は真実を告げていた――どう足掻いても、アマーリエはリリス族にはなれない。

 普段ならあんな陰口に負けたりしない。表面上仲良くできるくらいには年齢も経験も重ねてきた。けれど彼女たちは言ったのだ。模倣しても模造品以下だと。

 それは、いままでなんとかリリスの一員であろうとしたアマーリエのすべてへの否定ではなかったか。

(どんなにリリスであろうとしても、模造品にもなれないなら、ここにいる意味はあるの? いまの私に、意味はあるの……?)

 メールの向こう、都市には未来がある。アマーリエが失くしてしまった、未来が。

 リリスには、何があるのだろう?

 何も見えない。分厚い闇の覆いが足元まで被さって、アマーリエを冷たい場所に置く。進むべき道が脆く崩れ落ちる幻を見る。

 リリスには何の益もない、ヒト族のアマーリエ。

 ここで何が出来るのだろう。

 自分は何者だろうとずっと考えていた。

 ――そう、出来ることなんて、ここには何もない。

 私は、何者にもなれないのだ。

「アマーリエ? ここにいたのか、よかった、待ってたけどなかなか戻ってこねえから」

 走ってきたのかマサキが弾んだ声をかけてくる。そしてアマーリエの顔を見てはっとなった。

 携帯端末のディスプレイが消灯する。

「……私に、意味はあるの?」

 その思いは口をついていた。

「いくら頑張っても、どんなに相応しくなろうとしても、結局私はリリスになれない。リリスの真似をしてるだけ。全部無駄なんだ。時間をかけても私の未来は閉ざされてる。本当なら私は、何もない日常を過ごして、普通に学校を卒業して、普通に生きていくだけだったはずなのに」

 都市で感じていた見通せない未来の真実の姿が、いまなら見える。その未来に多くの選択肢が存在するからこそ、アマーリエは茫漠とした気持ちで立ち竦んでいただけだったのだ。都市に埋没するような生活が本当は幸福の一つであるのだとわかるようになっていた。当たり前に誰かと関わり、普通に仕事をし、当然に生きる、命を繋ぐ。

 その『当たり前』が、ここにはない。

「みんな、優しい。優しくて、私がやらなくちゃいけないことを教えてくれる。でもそれは、私が欲しい未来を作ることはできない……」

 キヨツグは優しい夫だ。無理強いはしないと言ったことをいまでも守ってくれている。義務として大切にしてくれるし、気遣ってくれる。でもそれは彼が恋をしているわけではないという、泣きたくなるほど悲しい事実を含んでいる。

「私は、未来も恋も、何も、手に出来ない。もう、叶わない――」

 マサキが腕を取った。

「行こう」

 どこへ。

「アマーリエが苦しいんなら。ここには何もないって泣くんなら。俺が、連れて行ってやる」

 強く切ない光を宿したマサキの目が輝いた。

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