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GRAYHEATHIA*グラィエーシア  作者: 瀬川月菜
第6章
36/193

6−4

 アマーリエの隣にいる人は、どうやら恋人らしい。

 指を絡め合って手を繋いでるが、温もりを感じられないということに気付いて、これは夢なんだと気付く。お互いの体温が混じり合って、自分と相手の境界が曖昧になっているところで、耳元に囁かれる。

 声は風のようなトーンで、言葉は何も聞こえなかったというのに笑ってしまった。肩を相手の肩にもたせかけて目を閉じる。彼はしっかりとアマーリエを支えてくれる。

 ふと顔を上げて、目が合った。

 銀河が集まったような瞳が近付いてきたので、緩やかに目を閉じて、キスをする。

 ――その後は?

 その後は、どうなるのだろう。何があるんだろう。私は本当にこの人が好きなんだろうか。『それ』を許すほど、恋をしたのだろうか。わからない。どうすればいい。

 覆い被さってくる影に、アマーリエは。


「…………」

 何かを言った気がしたけれど、寝起きでぼうっとした頭では思い出すことができなかった。寝不足特有の、頭の重さと目のしょぼしょぼした感じがあった。

 それというのも、よくわからない夢を見たからだろう。でももう内容を覚えていない。なんとなく白いワンピースを着て、自分と誰かを映画のような視点で見ていたような。

 起き上がった拍子に胸が痛み、苦しい夢だったのだろうかともう一度思い出そうとしてみたものの、あくびに掻き消されて取り逃がしてしまった。

 すっかり起床時間になった早朝六時。寝殿から自分の宮殿に行けば、すでにアイたちが揃って今日の準備をしている。着替えはすでに自分でできるようになったが、細かい調整は女官たちに頼んでいた。

 その後は馬場へ向かう。

 雨の日以外は毎朝、食事前に落花の世話をして、時々軽く駆けることにしてる。

 厩舎で餌をやった後はブラッシングだ。落花自身もアマーリエに触られることに慣れて、『こっちやって』というように自分から動くこともあった。それが終わったら乗馬の練習だ。

「おはようございます、真様」

「おはようございます!」

 落花を表に出すと、同じように馬を引いた武官たちがきびきびした大声で挨拶をくれる。

 この時間帯、別の厩舎には武部の武官たちが出入りすることがあって、アマーリエは彼らと顔馴染みになっていた。しかも今日はヨウ将軍の姿がある。

「おはようございます。今日もいい天気ですね」

「はい! ですが明日は崩れるそうです。寒くなるようですので、暖かくしてお過ごしくださいますよう!」

 そう言ってにこにこしているヨウ将軍は、愛妻家として有名なのだと、女官たちから聞いていた。だからこんな風に気遣ってくれるのだろう。

「ありがとうございます。奥様にも、風邪をぶり返さないように気をつけて差しあげてください」

「ありがとうございます! 心遣い、痛み入ります!」

 ヨウは爽やかに言うと、馬に跨り、部下を引き連れて駆け去って行った。

 それを見送ったアマーリエは落花の顔を見て「行こうか」と声をかけた。馬場ではユメが、アマーリエがやってくるのを待っているはずだ。

 ぐるりと周囲を見回したが、マサキの姿はない。

 あれから彼は姿を見せなくなり、宮中にいる間も突然やってくることはなくなっていた。明らかにこちらを避けている。あのときのことを後悔しているのだろうか。

 けれど諦めないという言葉が思い出させる。そう言われても、どうしようもないと思わずにはいられなかった。

 自分はすでに結婚していて、都市に帰ることはできず、許されないものは許されない。

 数日考えて出した答えがそれだった。だが直接伝えられていない。アマーリエもまた、マサキに会うことを避けていた。

 落花が立ち止まったので、おやと思ってその視線を辿っていくと、どきんとした。

 いつの間にかキヨツグがやってきていて、青毛の馬を連れている。

 彼と何事か話していたユメはこちらに視線をやって、笑いかけてくる。待たれているのだとわかって、アマーリエは少し急ぎ気味に落花を連れて近付いた。

「おはようございます、真様」

「おはようございます」

 ユメに言われても答えるも、アマーリエの目はついキヨツグの方に向いてしまう。

「天様が乗せてくださるそうございますので、本日はこちらに」

 乗せてくれるとはなんだろう。だが、持っていた手綱をユメに奪われ、彼女は落花を連れていってしまう。このときも影のように控えていたオウギも、無言で頷いて立ち去ってしまった。残されて、アマーリエはキヨツグを見上げる。

「……行くぞ」

 言われたときには抱き上げられていた。

(え、ええええ!?)

 アマーリエはどちらかというと不健康な痩せ型寄りの中肉中背だった。最近は少しふっくらし始めたように思うから、決して軽い方ではない。

 キヨツグはそのアマーリエを人形を持ち上げるようにすると、馬上に上げてしまった。つまんで乗せられたみたいに思っていると、キヨツグはリリス特有の身軽さでひらりと後ろに騎乗した。

 ぐらりとアマーリエが揺れたのを、彼はごく自然に片手で支えている。お腹に触れる手がほんのり温かくてどきどきしてしまう。

「……不安定なようなら、後ろにもたれるように」

 ひっと悲鳴をあげそうになる。

(声! ち、近い、距離が……!)

「……わかったか」

 わかったから囁かないでください! と叫びそうになるのを堪えて、何度も頭を上下に振る。

 キヨツグは手綱を取ると、生き物を操っているとは思えないくらいの巧みさで青毛の馬を駆った。

 王宮の北側の門から出て、あの虹を見た草原を行き丘を登っていく。

 北の方角には山脈が連なっている。青と白の山並みを眺めていると、次第に足元の起伏が激しくなり、野生の大きな角山羊や、柔らかそうな耳が垂れる牛などが穏やかに草を食む、自然そのままの土地が広がり始める。

 馬の揺られる振動が心地よいのは、キヨツグの技術と、彼と馬の信頼関係のよるものなのだろう。早くもなく遅くもない速度で、ゆらりゆらりと景色を眺めながら進んでいく。

 風は澄んだ冷たさがあって心地よく、山や川、野の草花、雪や雨や雲や太陽、空の香りをたくさん包み込んで運んでいく。そのおこぼれをわけてもらって、胸いっぱいにそれを吸ってみると、残っていた眠気がすっかり消えていくのがわかる。

 やがて歩みが緩まり、馬がくるりと反転する。それまで前方ばかりを見ていたアマーリエは、向こうに見える王宮とその街、そして都市を見た。

 都市が、見えるのだった。

(都市、だ……)

 ひときわ高い建物は市庁舎だろう。それを取り囲むビル群とともに、霞んで見えるごくごく小さいそれは、ヒト族の国の象徴だ。

 キヨツグが下馬して、アマーリエを抱き上げて下ろした。地面に足が着くなり、アマーリエは都市を見える方角へと一歩二歩、進む。けれど都市は変わらずに小さく、ここが遠い場所なのだと思い知らせてきた。

 強い風が背後から吹き抜け、髪を乱す。その風はきっと都市にまで吹くことができるのだろうと思いを馳せた。

「……早い花が咲いているな」

 屈み込んだキヨツグが地面に咲く小さな花に触れた。アマーリエも初めてそれに気付き、しゃがみこむ。

 都市では見向きもされないような雑草の花だが、白い小さなそれは健気で力強く、可愛らしい。岩の陰などから必死に顔を覗かせようとしている。よく見れば草原のあちこちにできている白いまだらは、花の群れが草原を染めようとしているからのようだ。

 アマーリエは立ち上がると、視線を上げて再び都市を見つめた。見ると、ますます目を奪われる。ほとんど見えないのに確かにその場所があって、あそこから自分が来たのだと思うと、置いてきたものの数々を思い出してしまう。

「……とても遠いところだ」

 キヨツグが隣に立つ。

「……お前の居場所は、もう彼の地ではない」

 反射的に離れた。

 青ざめて、どうして突然そんなことを言うのだと、批難を込めて睨みつけた。

 だが彼は揺らがなかった。静かに事実だけを告げていた。

「……お前の居場所は、リリスだ。どこにも行くな」

「そんなこと、言わないでください!」

 どこにもと呟く彼の言葉を遮った。胸を切られて、心が悲鳴を上げていた。

 帰りたいと思うくらいは許してほしかった。都市が自分の世界だったと、父が言った帰してやれるはずという言葉を胸に抱いていたいのだ。あそこは故郷だ。奪われたも同然の。懐に隠した携帯端末に、みんな、メールをくれる。まだ送ってくれる。だからあそこはまだ、アマーリエの世界のはずだ。

 もし、と何かが囁いた。もし誰からも連絡が来なくなったら、どうする。

 ヒト族とリリス族の同盟のための結婚だった。だが本当に架け橋になっているのだろうかと自問する声があった。何の力も持たない小娘が一人、異種族へ嫁ぐことの何の意味があるのだろう。この身は、架け橋とは似ても似つかぬ細い糸のようにして、簡単に切り捨てられるものではないのか。

 私の価値はどこにある。

 ヒト族としての価値は。リリスにおける価値は。

 ここにいる、意味は。

 アマーリエは俯いて唇を噛み、拳を握りしめ、目を閉じて祈っていた。どうか、どうかと、何も浮かばないのにただ救いを求める言葉だけを。

「……謝らぬ」

 それを見下ろして、キヨツグはそう言った。

 彼が馬を引いてアマーリエと再び相乗りしたときも、アマーリエはまだ都市を見ていた。キヨツグに対する小さな批難と犯行がそうさせていた。

 王宮が近付く頃にはビル群は見えなくなったが、アマーリエはひたすら目を下に落とし続けていた。

 そのとき手綱が引かれた。目を上げると、ユメとオウギが待ち構えていた。

「どうした」

「リィ家の巫女様がお越しになられました」

「叔母上が?」

 聞き覚えがあると思ったら、リィ家はマサキの家。マサキの家の人でキヨツグの叔母なら、マサキの母親が来たということか。

「マサキ様に判断を仰ぎ、ひとまず客棟にお通ししております。マサキ様がお相手をなさっておられます」

「心得た。すぐに行く」

 厩舎近くまでやってくるとキヨツグが馬を下りる。手伝われそうになったのを無視して、アマーリエは自力で地面に足を下ろした。罪悪感はもたげたが、それでも謝罪するのは違う、と思った。

「私もお出迎えをするんでしょうか?」

 これまでのことが一切なかったかのような事務的に尋ねる。後ろでユメが案じるような表情をしているのが見えたが、応えるべきキヨツグにはどの感情も現れていなかった。

「……いや、時間が来たら呼ぶ。恐らく夜になるだろう」

「わかりました」

 事務的なやり取りだった。頑なだと思った。謝らないと言ったのを撤回する気はないのだ。

 ぎゅっと拳を握り締める。あるのは悲しみと決意だ。懐の携帯端末の感触を確かめ、アマーリエはユメを連れて王宮に戻った。



       *



 王宮に貴人の訪問あり、という知らせを最初に聞いたのはマサキだった。何故族長であるキヨツグを差し置いて自分なのかと不審に思ったのもつかの間、名前を聞いて仰天した。確かに自分が出なければならない相手だったからだ。

 早足で南門に向かいながら、報告に来た侍従たちに尋ねる。

「天様はどちらに」

「ただいま外出中でございます」

「仕方ねえな。女官長と侍従長に、客棟を開けて準備するよう言っとけ。宴は天様の判断を仰ごう、すぐ戻ってくるだろうしな。とりあえず迎えは俺がでる。ついでに誰かヒマそうな長老呼んでこい。人が揃ってねえと向こうの機嫌を損ねちまう」

 門の近くまでやってくると、すでにイン家のカリヤが待っていた。

(相性は良くねえが、まあカリヤならあの人の相手をしても大丈夫だろ)

「困りますね、マサキ様。このようなことは事前にご相談していただかねば」

 思った瞬間不機嫌そうに当て擦られて苦笑いしか出ない。

「悪い。まさかお出ましになるとは俺も思ってなかったんだ。……すまないが、付き添いを頼む」

 リィ家当主として命じるとカリヤは何も言わなかった。マサキは正面の大階段を下りながら、風に踊る旗を見て顔をしかめてしまう。

 間違いなく当家、リィ家の旗だった。お付きの武士の数はマサキの倍以上、そして世話をするための侍女の数も相当なものだ。出発までにどんなやり取りがあったのか想像すると、ため息を禁じ得ない。

 マサキが下りてくるのが見えたのだろう、馬車の扉が恭しく開かれる。

 現れた美貌の女性に、マサキは内心「早よ帰れ」と思いつつ、にっこりと笑った。

「お越しになるとは思いませんでしたよ、母上」

 扇で口元を隠したシズカ・リィは、猫のようなつり目気味の目元を綻ばせ、差し掛けられた傘の下で、ほほほ、と上品な笑い声を立てた。

「そなたがなかなか帰って来ぬゆえ、何か心置くものがあるのかと思うての。母は心配で見に参ったのです」

 叩頭する者たちを意識し、マサキは内心で舌打ちした。誰かが余計な告げ口をしたらしい。こうなるとアマーリエのことが耳に入っていると思った方がよかった。

 だがそれらの感情は決して表に出さず、あくまでいい子で笑って、頷いた。

「それはご心配をおかけしました。しかしもうすぐ戻るつもりでいたので、ご安心ください。さあ、反転してどうぞお帰りを!」

「何を言う。せっかく実家に戻ってきたのじゃ。しばらくここで過ごすゆえ、承知しておかれよ、長老方」

 カリヤは頭を下げたが、叩頭まではしない。

 こういうとき、マサキは、キヨツグとカリヤ一派の不仲を疑問に思う。カリヤは決してキヨツグの味方ではないはずなのだが、かといって他者におもねることなく、はっきりとした態度を貫く。シズカにも、現在族長位にあるのは彼女の甥であるのだから額づく必要はないという態度を取ったのだ。

 それが気に食わないシズカは鼻の頭に皺を寄せ、つんと顔を逸らしてマサキに先導するよう、右手を差し出した。

「我が甥の祝言の祝いもまだじゃ。異種族の女などを妻に迎えて、さぞ苦労していることでしょう。妾が労ってやらねばな」

(母上は生粋のリリス。アマーリエに、気を付けるように言わねえと)

 なんの手仕事もしない滑らかな手に触れながら、マサキはアマーリエを思った。

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