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GRAYHEATHIA*グラィエーシア  作者: 瀬川月菜
第5章
31/193

5−2

 王宮内には様々な植物が植えられている。目を楽しませるための季節の樹木や花などが、庭師の手によって整備されている。冬のいまは寒々しくはあるが、木々の常緑の葉と凛とした枝ぶりもまた美しいものだった。花が咲く春はどんなに絢爛なのだろうと想像してしまう。

 それはともかくいまのアマーリエの心を奪うのは、その木に生っている黄色の実だった。その他にも、常緑の棘の葉や、地面に生える茂みの青い種など、以前は気付かなかったが、ハナの講義を受けている身ではそれらが宝物のように映るのだ。

(そろそろあの実が落ちそう……あ、あれ花が咲くと効能が薄れちゃうやつだ……)

 あれを使えば薬が作れるのになあ、という風流も何もないことを考えて、アマーリエは庭を眺めていた。

 東屋でお茶を飲むひと時は、アマーリエにとって大事な、一人になれる時間だ。

 アマーリエがいるということで、辺りに人の気配はない。呼ばなければ誰も来ないし、迷い込んでくる人がいないよう、女官たちが見張っているはずだった。そう思ったアマーリエは一つ頷くと、裾を摘んで周囲を探りつつ、樹木に近付いた。

 花が咲く前の本葉を選んで、懐に持っていた手巾の中に摘み取っていく。あちこちの木からも葉や実を採集した。枝と枝の間の実は、日の光を浴びて熟しており、まるで宝石のような輝きを放っている。

「……真?」

「アマーリエ?」

 そんなときに声をかけられて、アマーリエは声なき悲鳴をあげた。その拍子に、伸ばしていた手を硬い枝に走らせてしまった。

「痛っ」

 手巾から葉と実が零れ落ちる。

 手の甲には、短いが深い引っかき傷ができて、うっすらと滲んだ血が指の間を伝っていく。

 その手を、横から取られた。

「……切ったのか」

 突然の距離の近さに、アマーリエは声も出ない。

 キヨツグに取られた手は急にずきんずきんと疼き始め、時折鋭い痛みが走る。傷口に何か刺さっている様子はないことを、彼とともに確認する。

「うっわ、ちょっと血ぃ出過ぎ。おーい誰か、」

 マサキが人を呼んだときだった。

 アマーリエの手はおもむろに、キヨツグの口に寄せられて。

「キ、――っ!?」

 傷を、舐め取られた。

 優しく舌先が這う、生暖かい感触に背筋がぞわぞわとした。全身に走った、得体の知れない感覚が膝を震わせて、崩れかけたのを彼に支えられる。

「……顔色が悪い。ゆっくり、座りなさい」

 くらくら、目眩がする。

 鼓動の音で周りの音がよく聞こえない。触れられているところが熱くて、このまましがみつきたいという衝動が込み上げた。嵐の中にいるみたいに無茶苦茶になって、自分を見失いかけているような気がする。

「き、気持ち悪く、ないんですか……?」

 喘ぎ混じりの小さな声を彼は聞き取っていた。

「……何がだ」

 だって他人の血を。リリス族じゃないヒト族の血を舐めて。

 違う。ヒト族でも他人の血を舐めたりしない。他人の血に触れることは最も注意すべき危険な行為だ。不衛生だったり感染症の危険を考えれば、その色自身が警戒を呼ぶ色だということに納得がいくだろう。

 でもこの人は変だ。何故一瞬のためらいもなかったのだろう。どうしたらいいのか。自らの手巾で傷を覆っていくキヨツグの、怜悧な顔を見つめて当惑する。

(どうしてここまで私にしてくれるの……)

「マサキ。リュウを呼べ。……マサキ?」

「……え?」

 立ち尽くしていたマサキがはっとしたように動いた。

「あ……あ、ああ、はい、行きます」

 夢を見ていたかのように彼は頭を振り、身を翻して走っていった。

 彼自身が行かなくても人を呼べばいいということに、混乱するアマーリエは気付かない。

 呼ばれて医局から走ってきたリュウはアマーリエに手当を施し、守っていたキヨツグとマサキに言った。

「掻き傷ですね。清潔を保ち、一日に二度ほど薬と包帯を取り替えれば、すぐに塞がるでしょう」

 キヨツグは頷いた。

「真はヒト族ゆえ、リリスとは体質が異なるだろう。経過観察は慎重に行ってほしい」

「承りました」

 視線を向けられ、アマーリエは背筋を正す。

「……自由に過ごすのは良いが、怪我には気をつけろ」

「はい……」

 悄然と肩を落とすアマーリエに、怒っているのか呆れているのかやはりわからない美しい無表情で、キヨツグはマサキを伴って去っていった。

 マサキが一言もからかわなかったことに気付いたけれど、呼び止めるほどでもないかと見送った。彼らがいなくなってようやく、アマーリエも力を抜くことができた。

「はっはっは。叱られてしまいましたなあ。どんなおいたをなさったんですかな?」

「『おいた』って……」

 と呟きつつ説明すると、リュウはお腹を抱えて笑い始めた。付き添いでやってきたシキもまた呆れた様子なので、身の置き場がなくなってしまう。

「無茶しちゃだめじゃないか。庭の木の実なんて、ああいうのは君の場合、女官の方に取っていただくといいんだよ」

「ごめんなさい……」

 シキでこうなら、キヨツグもきっと呆れただろうなと思った。

(だめだなあ……あの人のことはよくわからないけれど、好かれるような行動が何一つできていない……)

「アマーリエ、君一人の身体じゃないんだよ」

 シキのその一言が耳に飛び込んできて、アマーリエはぽかんとし、次に噴き出した。

「アマーリエ」

「ご、ごめんなさい、なんだか新婚さんみたいな言い方だと思って」

 シキの顔から表情が消えた。

 それは一瞬で、次には痛みを感じるように眉間に皺を寄せたかと思うと、苦笑い混じりに言った。

「……当然じゃないか。君は真夫人なんだから」

 怒らせてしまっただろうか。そう思いながらも、浮かんだものが口をついた。

「……役に立たなくても?」

「誰がそんなこと言ったんだい?」

 こちらを案じる彼はいつも通りのシキだったので、アマーリエはほっと力を抜いた。

「ごめんなさい、独り言」

 でも何もできていないのは本当なのだ。キヨツグは大切に扱ってくれるが、それに返せるものが何もない。真夫人としての役目のことを思うと胸がざわついた。背筋が冷えて、指先まで息苦しさに包まれる。緊張しているのか。恐怖しているのか。

 でも、何に?

「アマーリエ」

 はっとして顔を上げると、真剣な顔をしたシキがアマーリエの顔色を確かめようと頬に手を伸ばしたところだった。

 よほど顔色を悪くしていたのか。でも思考にストップをかけられた気がして、なんとなく、助かった、と思った。

「大丈夫。私、早く一人前にならなくちゃね」

 明るさを心がけて言ってもシキは複雑そうだったが、アマーリエはもう一度「大丈夫」の言葉を重ねたのだった。

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