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GRAYHEATHIA*グラィエーシア  作者: 瀬川月菜
外伝
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青い春を憶う 4

 さて、だいぶと騒いでしまったが、やっと朝食だ。もてなし役のヤン家の人々は、いつまでも騒ぎが止まないので、天幕に入る機会をかなり前から伺っていたらしい。ちょっと冷めていたり、温め直されて熱々だったりする朝食が出てきて、アマーリエはひたすら恐縮した。品数が多いせいで、余計に申し訳ない。

 朝食は、穀物粥、蒸し鶏、炒り卵、パンとチーズ、餃子の入った野菜スープに、果物という献立だ。飲み物は柑橘の砂糖煮をお湯で割ったものが出された。使い込まれた食器類に、無造作に、それゆえに日常感のある料理は、王宮のそれとは異なり、アマーリエにはとても馴染み深い。

 一口食べると、どれも素材の味が強く、チーズなどは濃厚さに驚いた。臭みはあるが、旨味が強く、固めのパンとよく合う。スープも、もちもちの皮に包まれた肉がこってりとしていて、ヨシヒトたちはばくばくと勢いよく口に運んでいた。

 一方、キヨツグは静かに穀物粥を口に運んでいる。彼は食事のとき、普段以上に気配が薄くなるが、視線に気付くとちゃんとこちらを見てくれる。このときも、アマーリエは笑みを返した。

 出されたものを一通り味わうと、アマーリエは蒸し鶏に手を伸ばした。丸々の鶏を、香味野菜などで臭みを取り、旨味の出た汁と一緒に酒蒸しにしてある、結構手間がかかっている一品だ。淡白ながらも食べやすく、朝食にぴったりの軽さだった。

 結婚前、朝食は手を抜くことが多かったアマーリエには、リリス王宮の食事は健康的でありがたい限りだが、やはり日中より食欲がなく、食べきれないこともしばしばある。そしてこのヤン家の朝食は豪勢すぎて、とても完食できそうにない。でも、蒸し鶏は素直に美味しいな、と思ったのだ。

 切り落とされていた部分を手に取り、骨を取り除こうと試みる。肉汁が両手につくのはいいけれど、膝に滴って高価な服を汚さないか気にしていると、隣にいたキヨツグが声をかけてきた。

「……食べづらそうだな」

「すみません、こういう食事は初めてで……」

 真夫人にふさわしい食事作法はみっちり仕込まれたけれど、こういうテントで大皿料理を食べる作法はあまり知らない。スプーンやフォーク、箸はあるが、ヨシヒトたちは手で掴めるものはそのまま食べている。あの騒ぎの後なので、一人で澄まして行儀よくしているのも感じが悪いかと、彼らに倣って食事をしているのだが、キヨツグの声かけを思うに、やはりもたついて見えるようだ。

 キヨツグは蒸し鶏を取り、骨から剥がした身を、アマーリエの口元に持っていった。

「……ほら、口を開けて」

 再び、「あーん」である。

 ちらっと視線を逃すと、ヨシヒトがいまにも噛みつきそうな顔をし、他の者たちは苦笑している。

「あの、あの……自分で食べられますから……」

 ヨシヒトたちを気にして言うと、キヨツグはちょっと間を置いた。

 そうして、懇願を囁いた。

「……一口だけ」

 脳内の女官たちが「きゃー!!」と歓声を上げた。真っ赤になった顔を引きつらせ、怒るべきところか真剣に悩んだが、一口だけと言っているし、と妥協するした。

 正直、食欲に負けた。手や服を汚しても、もう少し食べたいくらい美味しかったのだ。

「…………」

 そっと口を開けると、優しい仕草で鶏肉を押し込まれる。柔らかい肉、お酒とごま油の香りを感じると同時に、長くて骨ばった指の、硬い皮膚が歯と唇に当たった。

「ん……」

 躊躇して口の動きが止まりかけたが、キヨツグは大丈夫だとでも言うように、ぐっと押し込むようにして蒸し鶏を食べさせた。最後にちゃんと、ちゃっかり、指先で唇を撫でて。

 近くから、そして遠くから、視線を感じるが、 気付かないふりをして咀嚼する。

(……さっきまで美味しかったのに、正直、いまは味がわからない……)

「……美味いか?」

 見透かされたような気がして、ぎくっとしたが、こくこくと頷いた。その顔はきっとまた赤くなっていたはずだ。

 しかしキヨツグは満足したように、肉の脂で汚れた指を舐め、自らも蒸し鶏を手に取った。そして、そんなこちらの様子に、ヨシヒトはついに呆れていた。

「はー……変われば変わるもんだ。あのキヨツグが、まさかここまで女に甘くなるとは」

「ヨシヒト。また締められたいか」

 過去をほじくり返される気配を感じてか、早々に牽制されたが、先ほどとは違い、ヨシヒトは茶化すような返答をしなかった。じっと黙り、隣り合うキヨツグとアマーリエを見ている。あたかもそれは、敵を見定める真剣な目だった。

 アマーリエがそれに気付くと、彼は途端に、ふっと瞳の光を和らげた。

「……っ!」

 どきりとするくらい優しい微笑みは、彼の本質だったのだと思う。傭兵を生業とし、各地を移動して様々な景色と人を見てきたヨシヒト・セノオという男性の、凛々しくたくましい、したたかなほどの潔さという魅力そのもの。

 同時に、キヨツグの結婚と、妻としてのアマーリエを見定め、合格を与えたことを意味するものだった。

「いいや、それなら久しぶりに一戦交えよう。徹底的に叩きのめしてやる」

 おお、とセノオの者たちが歓声をあげる。

「長は天様に一回も勝てなかったって言われてるんですけど本当ですか!?」

「剣だけじゃなくて弓もすごいって聞いてるっす!」

「ぜひ勉強させてください!」

 キヨツグは軽く息を吐いた。

「悪いが、時間がない」

「どうせこの後話し合いだろ? お前が一本取るごとに請求を割引してやる。ひとりにつき一割。どうだ?」

 キヨツグはアマーリエを見た。ここでセノオ一族を雇う費用を割引できれば、後々南方領主家に恩を売れることだろう……というところまで考えて、正直なところ、初めて見るキヨツグと彼の昔馴染みのやりとりをもっと見ていたいと思ったので、アマーリエは笑って頷いた。

「全勝なら、追加で馬を五頭」

 さらなる要求に、ヨシヒトは頬を引きつらせる。

「……吹っかけてくるじゃないか。絶対、そうはさせんからな!」

 決意の声とともに、ヨシヒトは朝食を平らげた。続々と食事を終えた男性陣が、試合をするために天幕を出て行く。

 アマーリエは残された食器をまとめていたが、皿を下げに来たヤン家の人々に手伝いを固辞されてしまい、素直に諦めて、キヨツグたちを探しに行った。

 幕営地の雪は取り除かれているが、ちょっとそこから離れるとあっという間に真っ白の世界だ。

 その、天幕から少し離れた広々としたところに、彼らはいた。準備運動なり、武器の用意なりと各々準備を進めている。うっすらと漂う高揚感は、訓練する武官たちに通じるものがある。

 その中で、わくわくしながらも獰猛に目を光らせているヨシヒトと、これから試合するとは思えないほど静けさの中に佇んでいるキヨツグは、見事なまでに対照的だった。

(邪魔しちゃいけないよね)

 少し離れたところで立っていると、牧羊犬がやってきた。はっはっと舌を出して見上げてくる。お互いの吐息が白く立ち上り、なんとなく仲間意識めいたものを感じて、アマーリエは笑みを返した。

 すると、その間に距離を詰めたキヨツグが、自らのまとっていた外套をアマーリエに着せ掛けた。

「……頃合いを見て天幕に入れ。身体を冷やすのはよくない」

「はい。でも、絶対見逃したくないんです。だってこんなこと、滅多にありませんから」

 鍛錬を欠かさないでいるのは知っている。ユメやヨウ将軍が相手になっているが、戦うことを日常としてきた彼らは決して手加減などしないだろうけれど、多少なりとも気を使っているのは確かだし、こんな風に賭け事をすることもない。気軽でいて、でも真剣勝負。それを見ずに大人しく天幕でぬくぬくしているだけなんて、もったいなさすぎる。

 アマーリエはキヨツグの右手を取り、指の背にそっと口付けた。

「ご武運をお祈りいたします」

 目を上げると、キヨツグが瞬きをした。少し驚かせてしまったらしい反応に、照れくさくなってはにかんでいると、ヨシヒトの怒声が響き渡った。

「そこぉおお! いちゃつくなー! ちゃっちゃと負かすからはよ来いやぁああ!!」

 怒りのあまり柄が悪くなっている。面白い人だ、と笑っていると、額に口付けを受けた。

「……すぐ終わらせてくる」

 囁きが耳を掠めたときには、彼は背を向けている。

 ほんのり温かくなった額を押さえ、アマーリエは嘆息した。なんだかんだ言って自分も、結構彼に甘くなってしまっている。

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