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GRAYHEATHIA*グラィエーシア  作者: 瀬川月菜
外伝
150/193

さよならを認めるまで 1

「綺麗だね」

 ルーイが漏らした言葉に、彼女は固まってしまった。

 大学生活も次第に馴染み、みんなどこか気が抜けて、あるいは揺り返しで憂鬱になる。休講も増え、空き時間を適当に潰すための居場所もそろそろ定まってきた、そんな食堂の片隅に彼女がいた。

 春の午後の雨上がり。雲の合間から光が斜めになって差し込んでいた。

 突然声をかけられて瞬間的に警戒したものの、ルーイが見た目からして奇抜なところがない、無害そうな学生だと確認して、彼女は明らかにほっと力を抜いた。そうして、初対面の男と気軽に言葉を交わすスキルがなさそうな、困ったような追従するような曖昧な微笑みを浮かべた。

「……そう、ですね。光の梯子みたいですよね」

 いいや、君が見ていた空じゃない。

 僕は、空を見ている君のことを言ったんだ。



       *



 飲み会に女子を招く場合、仲間内では、店は小綺麗で明るいチェーン店を選ぶことになっていた。薄暗くては警戒されかねないし、こちらの品位を落としかねない。ルーイたちは都市立大学の学生で、女性たちはこのネームバリューにつられてやってくるのだ。自分たちの評価は最初からおおむね高い。医学部学生という将来性、若くて顔がいいという容姿面、そして、大学に通えるだけの財力。

「ええー、ノルドって弁護士一家なんだあ」

「なのに医学部なの、どうしてー?」

 友人のノルドは、左右の女子から質問を受けて笑っている。彼女らはすでに半分酔っているらしく、頬紅以上に顔が薄赤く染まっていた。ノルドは確か二杯目、飲み会開始一時間半の時点でこうだからかなりセーブして飲んでいる。一方、左右の彼女らにはどんどん酒を勧められ、言い逃れて潰されるのを避けても少々酔ってしまっているようだった。

(酔った勢いで二人とも、ってところかな)

 女性それぞれの隣の席にいる男どもは、それに気付いているのか若干ふてくされている。新しいグラスを求めては干していく。

 もう「みんなで飲んでいる」という雰囲気はなかった。そろそろ次の場所へという話になりそうだ。冷めてしまった軟骨の唐揚げを突く。

「ねえ」

 ちょんちょんと肘をつかれてルーイは右隣を見やった。

「ルーイさんって、こういうところに来るの、めずらしいよね」

「そうかな」

「うん。ねえ、彼女と別れたの?」

 彼女、という言葉に焦げ付いたものを感じたのは、ルーイがまだ燻っているからだろう。

 思い出せば彼女の温かい気配がすぐ近くにあるような錯覚を覚える。澄んだ水みたいな子だった。小川とか、晴れた日の雪とか。

「……彼女、じゃ、ないんだ」

「ふられたの?」

「それ聞くの?」

「そっか。そうなんだ。……ごめんね」

 女子は突然殊勝になった。

 ストレートの髪と赤茶色の瞳をした小柄な子で、じゃれつく様は子どものようだけれど、こうして気遣いができるらしい。ノルドの側で高い声を上げる女子たちとは少し違う。

 ――比較して共通点と相違点を見つけてしまうのは、まだ仕方がない。

「もしかして、無理矢理連れてこられた?」

 突然話が変わったことに、彼女がえっと驚く。じっと見ていると、もじもじした挙げ句、こっそりという感じで、頷かれた。

「人数合わせにって。でもルーイさんがいてほっとした。メンバー聞いて名前だけ知っている人が多かったけど、私、この中でちゃんとしゃべれそうなの、ルーイさんくらいしかいないもん」

 はにかんだように笑う。なんとなくときめくものを感じて、ルーイは言った。

「出るよ」

「え?」

「僕が先に出るから、十分したら出ておいで。どこか静かなところに行こうよ」

 店を出る。まだ冷える五月の夜に雨の匂いと酒客の笑い声が漂う。仕事帰りと思われる多くの人間や、自分たちと同じような飲み会の学生たちが、楽しげに笑って歩いているのが見受けられた。商業区の飲食街のいつもの光景だ。

 第二都市は、ヒト族都市文明の歴史から見て二番目に古い都市だが、第一都市と建設時期はほとんど差がなく、建築物の区分制を採用している。商業区ならショッピング街、飲食店、金融区なら金融街というように。都市が認めた区以外でその仕事をすると別に税金がかかる。だから自然、人が集まるところは決まる。ここはいつまでも明かりがあって、温もりがある。

 明るさは寂しさを埋める。明るさは温もりにつながる。

 だから飲み会に来てしまったのだろうか。彼女を作る気もないのに、男女の集まりになんて。

 そんな風に考えていると、本当にきっかり十分経って少女が出てきた。ルーイは片手を上げて呼び寄せ、並んで歩き始める。健全な大学生がこの次に行くところは決まっているようなものだった。

 温もりは寂しさを埋める。


 積極的ではないけれど、男女のやりとりが苦手だというわけではなかったようだ。けれどそれが下品ではないと思うのは、性根が素直だからなのだろう。いい子だなと思った。

 ふと、椅子の上に置かれたバッグが目に入った。

 一面に散らされたロゴを見ればそれが高級ブランドのものだとわかる。真贋を見極める目を持っているわけではないが、偽物を持つようなことはないだろう。「ブランドって好き?」とルーイは彼女に問いかけた。

「んー、『ブランド』っていう括りが好き」

「どういう意味?」

「詳しくない人からするとブランドってだけでひとつの括りになるの。どこそこっていうブランドだからっていうこだわりがなくて、優れたものであるっていう証があればいいのね。その人たちはその『ブランド』であるだけで価値を認めてくれるからね」

 つまりね、と彼女は寝返りを打つ。

「ブランドを持っているっていうこと自体が価値なんだよ」

 ふうんとわかったような相槌を打ち、ルーイは彼女にのしかかる。そうすれば、それ以外のことを考えなくていいのだから。

 合間合間に話を聞いた。彼女の名前、出身。彼女自身は何をしているか。家族構成、家族の職業。祖父が議員だったという。どうやら裕福な家庭のようだ。語ったそれを薄めるように、誰々の家も、誰々のところもそうだよ、と言われた。さて、あの女子メンバーを招集したのは誰だったかなと考える。ノルド好みの面子にしては、しっかりした家柄の子が多かったようだ。

 自分には劣るが、なかなかの家の子だ。可愛いし、おかしいところもない。何より、こちらに好意を持っている。好意を持った相手と付き合うのは、とても楽だ。好きだと分かっていたら、そう特別なことをしないでもいい。理想を壊さないように適度に付き合えば納得する。逸脱しなければいいのだ。

 お互い探りながら付き合っていくのは面倒だ。選ばなくてよかったのだ、とルーイは誰ともなしに言い聞かせる。

「僕のこと、好きでいてくれる?」

 彼女は蕩けた顔で微笑んだ。

「好きよ。ずっと、好きだった」



       *



「アマーリエがいなくなったのはあんたのせい?」

 後期講義が始まってしばらく。

 雪のちらつく中、身を縮めながら生徒が校舎へ逃げ込んでいく渡り廊下で、顔を合わせるなりそう言った知り合いに、ルーイは困惑した。

「いない? 確かに、最近見かけないけど」

「退学したのよ」

「退学!?」

 思わず声が高くなった。それを、じろりとオリガは睨みつける。

「どんな下手打ったらそういうことになるの?」

 ルーイは弁解すべく、アマーリエに最後に会った時のことを話した。車中での会話、彼女からの答えはなかったこと。問われるままに同じ話を二度三度して、ようやく『原因』から『疑い』に緩和されたようだ。

「確かに、人の和を気にするあの子だもの。あんたとそういう話になって、突然姿を見せなくなったら、あんたが悪くなるって言われるの、わかってるはずでしょうし、何らかのフォローは入るはずよね」

 オリガは辛辣だが、実際は過保護だ。仲間に入れた者を最後まで面倒を見切る性質なので、こうしてアマーリエのことを気にしてやってきたのだろう。メールすべきかな、とルーイがポケットを気にした刹那、呟いていたオリガの目がぎん! と光った。

「絶対メールしないで。というか、あの子にもう接触しないで」

「君にそんなこと言われる筋合いないと思うけど」

「そうね。でも私の印象がよくないの。特にあんたのね」

 顔をしかめてしまう。アマーリエやオリガたち一年女子と、自分たち三年男子の仲は、そう悪いものではないはずだ。

「僕、君に何か悪いことした?」

「アマーリエは市長の娘よ」

「そうだね」

「あんたは区会議員の息子」

「ありがたいことにね」

「アマーリエをブランド扱いしないで」

 ルーイが何らかの反応を返す前に、オリガは高らかにヒールを鳴らして立ち去った。大学構内の渡り廊下から校舎の床を響かせる靴音は、遠ざかっているはずなのに強く耳障りに届いた。

「……ブランド?」

 アマーリエの価値。

 市長の娘だとか。教授たちの覚えがめでたいとか。可愛いとか。考えつくものはいくらでもあったが、オリガの言動の意味が分からなかった。

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